200 ハナミズキの家/ナーシャの悔恨
ナーシャ(蓮華・アナスタシア・スミルノフ)
5月13日(火)
ゴールデンウイークが終わり、再び通信高校の授業とハナミズキの家の仕事で忙しい日が始まった。
とはいえ、ゴールデンウイーク中も連休が取れたりしたわけではない。
ただ、ハナミズキの家は長崎県と子ども家庭庁が共同で作った施設で、厚生労働省からの出向者も来ているらしく、労働環境はブラックではない・・・ことになっている。
一応はあたしの身分はみなし公務員だし、有給休暇と代休はどこかでまとめてとれるらしいのだが・・・。
「ナーシャ姉ちゃん!テツオがまたオネショした!シーツがすごく濡れてる!」
「やーい!オネショ!オネショ!」
「うわあぁぁん!」
・・・この子たちを置いて休みを取る気にはなれない。
小学校1年生になる中西テツオ君が下半身丸出しで泣いている。
替えの下着は・・・よし、テツオ君の名前が書いてあるからこれだな。
「ほら!みんな笑わない!大翔!いい加減にしなさい!蓮!シーツを振り回さない!・・・はい、キレイに拭けたからパンツはいて。」
アルバイトの私がこんなことまでやっていいのかと最初は疑問だったが、今、保育と介護の現場は人手不足が極端なものになっているらしい。
そこで国家資格取得を目指す者に対し、現場で実習を行わせるという制度が始まったため、あたしはみなし公務員であると同時に、その実習生という扱いになっている。
「みんな!順番に顔を洗って!終わったら着替えて、食堂に集合よ!」
子供たちを同僚に任せ、おねしょで濡れたシーツをはがして洗濯機に放り込む。
次に、汚れた布団から水分をスポンジで吸い取った後、ぬるま湯で洗い流していく。
熱湯は使えない。
尿の中のタンパク質が固まってしまい、汚れが落ちなくなってしまうのだ。
最後にクエン酸水を使い、臭い消しをする。
・・・今日はよく晴れている。
布団乾燥機を併用すれば、夕方までに乾くだろう。
「ナーシャ姉ちゃん!碧ちゃんがピーマン投げた!」
「うわあぁぁん!ピーマン食べたくない!きらい!」
物干し場に布団を干し、食堂に向かうと小学2年生になる碧ちゃんが泣きながらピーマンを皿からはじき出していた。
「碧ちゃん。給食のおばさんが一生懸命作ってくれたんだよ?おばさん、きっと泣いちゃうよ?」
「・・・食べたくないもん。ピーマンなくても死なないもん。」
「じゃあ、碧ちゃんはお姉さんになれないね。大人はこの苦みが好きなんだよ。いつまでもお子様ランチしか食べられないね。」
「碧、お姉さんだもん!子供じゃないもん!」
碧ちゃんは子ども扱いされるのを嫌う。
だから、これは殺し文句だ。
何とか朝ごはんの時間が終わり、小学校・中学校に通っている子供たちは班を作って登校していく。
子供の数が4分の1くらいになり、少し静かになるのでこの時間を狙って洗濯と掃除、書類仕事を片付けていく。
「ナーシャさん?そろそろ休憩に入りなさい。あなた、ずっと動きっぱなしよ?」
そういえば出勤してからそろそろ3時間くらい経つ。
「あ、じゃあ、クエン酸が切れたのでドラッグストアまで行ってきますね。何か必要なものはありますか?」
「それって休憩してることにはならないでしょう?まあいいわ。帰ってきてから最低でも1時間は休みなさいよ?」
園長の戸田先生の言う通りに帰ってから休憩に入る旨を告げ、ついでに必要なものを買いに行こうとハナミズキの家から外に出ようとしたところで、懐かしい人が門の前に立っていることに気付いた。
◇ ◇ ◇
門の前にいたのは紫雨君だった。
ハナミズキの家にいた時と違い、170センチくらいの身長で、頭を金髪にしてサングラスをかけている。
・・・髪の毛の色は魔法で変えられるけど、瞳の色を変えるのはかなり難しいらしい。
「やあ。久しぶりだね。あれから変わりはない?」
「ええ。特に異常はないわ。少なくともあたしの目の届くところでは、だけど。」
「そう。よかった。・・・ちょっと厄介な連中がハナミズキの家を嗅ぎまわっているらしくてね。やっぱり例の地下施設が惜しいのかな?」
紫雨君の話によれば、ここ、ハナミズキの家は「教会」と呼ばれる組織が子供たちを材料に人工魔力結晶とかいうものを作るために作った施設だというのだ。
もちろん、ハナミズキの家を運営している長崎県はそれを知らなかったようで、美代さんが徹底的に調べた結果、工事を受注した業者と県の会計責任者、そして数名の職員に教会の息がかかっていたことだけが判明した。
今では全員、行方不明だ。
逃げたのか、殺されたのか。
「紫雨君のほうはどうなったの?たしか、美代さんの判断でここの地下室のことや教会の動きは県や国には教えないって話だったと思ったけど・・・?」
美代さんの話を要約すると・・・。
人工魔力結晶の作り方は絶対に第三者に知られたくない。
だから、ハナミズキの家の地下施設は人知れず封印する、ということだった。
アメリカのどこかで似たようなことをしていた施設は、魔法で焼き払ってしまったらしい。
だけど、ハナミズキの家には何も知らない子供たちが生活している。
だから焼き払うことができない以上は、封印するしかないということか。
「その教会の連中が来るってこと?子供たちを巻き込んでほしくないなぁ。何とかならない?」
「そうだね。子供は国の宝だ。間違えても製造したり、外国から輸入したりできるものではない。・・・今日からしばらく近くのホテルにいるから、何かあったら連絡してほしい。はい、これ。耳につけておいて。」
そう言うと紫雨君は金色の輪のようなものを差し出した。
これは・・・イヤーカフか?
「はい、つけたよ。これは何?マジックアイテム?」
《聞こえるかな?・・・よし。真似して作ったけど、うまくいったようだ。それは念話のイヤーカフ。念じるだけでいつ、どこにいても僕と話ができる通信機みたいなものさ。》
「ぅわ!頭の中から紫雨君の声がした!?・・・マジか。通話可能距離とか時間は?充電はどうやってするの?」
《通信可能距離は・・・試したことないけど火星まででも届くみたいだよ?通話可能時間については100年以上の魔力が込められているから気にしなくていい。じゃあ、また何かあったら会いに来るよ。》
紫雨君は念話でそういうと、颯爽とその場を後にした。
・・・これ、あたしから連絡するときはどうやればいいんだろう?
説明書くらいほしかったかな。
彼を見送った後、近くのスーパーマーケットでいつも使っているクエン酸を買い、領収書をもらってハナミズキの家に戻る。
支出台帳に記載し、出納係の未払金ボックスに領収書を入れる。
その後、事務所のデスクの上で早く起きて作っておいたお弁当を開く。
給料はしっかりもらっているし、家賃も学費も九重の爺様に出してもらっているのでお金に困っているわけではない。
でも、将来に備えて料理を頑張っているのだ。
食後、紫雨君から受け取ったイヤーカフを手に取り、ルーペで拡大してみたけど・・・よくわからない。
でも、金色だし、大きな宝石みたいなのがついてるし、何より重い。
かなり値がはりそうだ。
100万円くらいしそうだな。
なくさないように耳につけておこうか。
結構時間が余った。まだ30分くらいあるし・・・。
ちょっとウトウトしようかな、と背もたれを倒し、目をつぶると、あっという間に意識が闇に落ちていくのを感じた。
◇ ◇ ◇
・・・季節は・・・秋か?
・・・またか。
これは、夢だ。
実際に最後までやらなかった・・・はずだ。
この夢は日に日にリアルさを増していく。
少し肌寒くなり始めた時期、まだあたしが頭の半分を黒く染めていたころ。
当時、世話になっていた・・・いや、捕まっていたといったほうがいいかもしれない。
幼馴染の父親の道場に呼び出され、例のバカな計画を実行に移すことになった時のことだ。
はじめは、仲間が怖くて話を合わせていただけだった。
いや、きっとその「コトネ」という少女に嫉妬していたのだろう。
私と違って、都内の進学校に通っている子。
両親もきっと生きていて、暖かい家に帰れば優しい家族がいるであろう子。
小さいころにあたしと結婚の約束をした、まっちゃんの心をいつの間にか奪った子。
あたしは館川さんの策略であんな目にあって、いつの間にかまっちゃんの目をまっすぐに見れなくなっていたのに。
そんな嫉妬と八つ当たりの様な感情がグルグルと回っていて、いつものたまり場で付き合いの浅い、悪い仲間たちとバカみたいな妄想で笑っていた。
・・・いつの間にか、「コトネ」という女の子をさらうことになった。
あいつらのことだから、さらった後はどうするかなんて分かっている。
現にあたしがそういう目にあっているじゃないか。
私の懐に1円だって入らないのに、何度も何度も売春までさせられたじゃないか。
かつては被害者であった自分が加害者になることに怖くなって、たまり場を飛び出した後、当時寝床にしていた家主が逮捕されていなくなった家で、ありったけの氷を放り込んだ水風呂に飛び込んだ。
結果、みごとに高熱を出して寝込むことができた。
あのデブ・・・名前は忘れたけど、とにかく、ハイエースを盗むときや、たまり場の廃工場に奴らの道具を運び込むときも、汚れたベッドの中に隠れていることができた。
だけど、そのあとがいけなかった。
あっという間に熱は下がり、ダルいながらも動けるようになってしまった私は、見舞いという言い訳で共犯者を求めるあいつらに連れていかれることになった。
・・・そのあとの記憶がはっきりしない。
気付いたら、売春で捕まったときに世話になった鑑別所の前に、9人の女の赤ん坊と一緒に放置されていた。
いや、その直前に、何か妙なものを見たような覚えが・・・。
むせかえるような血の匂い。
こちらをにらみつける、同じ顔をした少女たち。
ぐったりとして動かない、つややかな黒髪の、この世のものとは思えないような美しい少女。
そういえば、美代さんと一緒に首相公邸に行った時についてきた子に似ている。
どういった関係の子なんだろう?
そして、不思議な浮遊感。
この記憶は・・・ただの夢なのか?
何か、とんでもないことをしてしまったのではないか?
美代さんを失望させてしまうことを考えると、怖くて相談することができない。
・・・ふと、胸元で何かが振動する感触がする。
スマホの目覚まし機能だ。
目を覚まし、顔にかけておいたハンカチを取ると、そこはすでに見慣れ始めたハナミズキの家の事務所の椅子だった。
全身が寝汗で濡れていた。
「夢・・・本当に、夢?」
美代さんのおかげであたしは地獄から抜け出せた。
でも、もしかしたらあたしのせいで誰かが地獄に落ちているかもしれない。
あたしが世のため人のために働いても、その誰かは絶対に救われない。
・・・だけど、どうしたらいいかわからない。
ただの悪夢であることだけを祈るしかなかった。
休憩時間が終わり、忙しく身体を動かすことができることが最大の慰めだった。
◇ ◇ ◇
水無月 紫雨
ナーシャさんに念話のイヤーカフを渡してから佐世保駅前のビジネスホテルにチェックインする。
母さんのイヤーカフとは違って術式の制御を僕がしているから琴音さんや千弦さんたちのイヤーカフと通信ができないのが難点だけど、そのうち改良するつもりだ。
カフカスの森でアマリナさんが聖女から盗聴した内容によれば、十二使徒の2人、ヴァシレとマフディがハナミズキの家の周りをうろついているらしい。
おそらく、子供たちから人工魔力結晶を抽出するための機材や情報が惜しいのだろうが・・・。
彼らを相手にするにあたって、僕一人では手が足りない。
1700年ぶりになるがこれを機に眷属と契約しておくべきだろう。
まずは情報収集からだ。
ええと・・・アエロス・・・いや、モーロイがいいか。
カーテンを閉め、部屋の明かりを消し、近くのコンビニで買ってきた手鏡に自分の姿を映し、メモ用紙に黒のサインペンで魔法陣を描き、中央に塩を盛る。
両手の指を絡め、印を結んだうえで召喚魔法を詠唱する。
「・・・"Umbra noctis, filia tenebrarum, voco te, Mormo:ex profundo caliginis surge,et sub imperio meo ambula,invisibilis, silentiosa, fidelis."(夜の影よ、闇の娘よ、我は汝を呼ぶ、モーロイよ。深き暗黒より現れ出でよ、我が支配の下に歩め、見えざるもの、静かなるもの、忠実なるものよ。)」
カーテンの隙間から入る僅かな街の明かりの中で、部屋の中に黒い霧のようなものが現れ、嗤うような女の声が響く。
「まあ、お久しゅうございますこと、夜帳の王。もうお会いできないのではなくて?前の契約が切れてから、1700年。・・・いったいどこで何をしておいででしたの?」
「ずっと寝てたんだよ。太平洋の海の底でね。モーロイ。再度契約をしたいんだが・・・今誰かと契約中かい?」
そういえば封印された直後に契約が切れたから彼女にとっては丁度1700年なんだな。
「あら、随分とお寝坊でいらっしゃいますのね。お目覚めの心地はいかがでして?・・・わたくし、貴方以外の方と契約など結びませんわ。あたかも軽薄な女のようにおっしゃるのはおやめくださいませ。」
「そうか。悪いことを言ったね。ではお願いだ。僕ともう一度契約してくれるかい?」
「ええ、喜んで。マスター。」
姿なき女と眷属の契約を結ぶ。
モーロイは紀元前からギリシャ神話や民間伝承に現れていた存在で、夜の魔女・怪物として恐れられ、暗闇を徘徊する影や見えない怪物の象徴として知られていた。
紀元前5世紀には既にアリストパネスの作品など登場し、ヘカテの従者ともいわれ、子どもをさらう怪物として描かれていたこともある。
暗闇に潜む不可視の存在であり、どこかに忍び込んで情報を集めるにはもってこいだ。
「早速だけど、この絵の人間を探してほしい。見つけたら彼らが何をしているか知らせてくれ。」
「あら・・・それだけでして?呪い殺したり、誑かしたりなさらなくてよろしくて?」
「相手は魔法使いだ。それも、片方は屍霊術師・・・霊体や闇の力に精通しているとみて間違いない。危ないことはしないでほしい。」
「あらあら。私のことを案じてくださるなんて。では、お言葉に甘えて偵察に専念いたしますわ。」
ふわりと空気が動くと、モーロイの気配はすでになくなっていた。
・・・以前と比べると少し眷属としての力が減っているようだ。
この召喚魔法とそれによって喚び出される存在というのは、精神世界に結像した人間たちの信仰や畏怖と言ったものが神話や伝承などに登場する者たちの姿をまとったものなのだが・・・。
やはり古すぎるとその力を減じてしまう。
そういえば、母さんと一緒にいた吉備津彦さんは素晴らしかった。
日本国民で桃太郎の話を知らない人間などいないからな。
つまり、常時1億2千万人以上の人間に認知されているのだから、強いのは当然だ。
ま、おいおい考えるとしようか。
◇ ◇ ◇
翌朝、目を覚ますと部屋の隅に人間程度の大きさの影がたたずんでいることに気付く。
「・・・モーロイか。まさか、昨日の今日でもう分かったのかい?」
「当然ですわ。わたくしの能力をご存じでしょう?・・・まずはこちらをご覧あそばせ。」
音もなく差し出されたメモには、地図・・・のようなものが書かれていた。
「・・・?これは・・・川?山?大蛇?・・・何これ?」
そういえばモーロイを召喚した人間が1700年間、1人もいなかったということは・・・。
「だって初めて見る物ばかりでよくわからないんですもの。」
ああ、そうか。
1700年前とは世の中が変わりすぎていたのか。
「ごめん、喚びだしたばかりで無理をさせたかもしれない。少し、この世界のことを勉強してからにしようか。」
調査は少し時間がかかりそうだな。
戦闘用の眷属もあわせて少しちゃんと考えようか。
◇ ◇ ◇
佐世保市 郊外
海の見える高台の教会
広い地下室のような空間で顔色の悪い男が棺桶・・・のようなものを前に作業をしていると、後ろから軽薄そうな男が扉を開け、あくびをしながら入ってきた。
「マフディ。おはよう。アンデッドの調子はどうだ?」
「ヴァシレ。ドアは空けたら閉めろ。・・・アンデッドは問題ない。9体とも人格情報と記憶情報の制御も安定している。・・・それより、昨日の夜、何者かが敷地内に侵入した形跡がある。おそらくは・・・霊体か召喚獣だ。」
「おいおい。ここが何者かにバレたってことか?ちっ。聖女サマから例の孤児院の奪還を命じられてから何の音沙汰なしだっつうのに、また面倒事かよ。で?相手は何者だ?」
「分からん。極端に古い存在で霊体とも違う・・・戦闘力はないようだ。おそらくは野良の精霊か何かだろう。だが、念のため作戦の決行を早めるぞ。今日中にここを引き払う。ヴァシレ。すぐに荷物をまとめろ。」
「あ?・・・マジかよ。ってか、魔女にあの施設の存在はバレてるんだろ?俺ぁまだ死にたくはないんだがな。奪還つったって当初の予定通りに施設を使えるわけじゃないだろうに・・・。」
「・・・いや、人工魔力結晶の抽出機構を暴走させて、上の人間が死ぬまで抽出したらおさらばだ。あとは、爆破する。すべて聖女様の指示通りだ。」
ヴァシレはマフディの言葉を聞いて一瞬目を丸くしたが、あきらめたように溜息を吐いた。
「ちっ・・・またかよ。同じ十二使徒でも、与えられる情報にこうも差があるのは何とかならねぇかね。・・・ま、いいさ。で?作戦は?」
マフディは気にもせず、目の前の複数の小さな棺桶の蓋を開け、その中にある小さな遺体を見下ろす。
「今夜、8体のアンデッドどもが例の孤児院に侵入する。中のガキどもを襲い、騒ぎになったところで俺達が入り込む。そして、地下3階の予備の抽出機構のリミッターを外す。最後に、この1体のアンデッドがスイッチをオンにすれば、明日の昼過ぎにはこの国ともおさらばできるさ。」
「・・・なるほどね。じゃあ、俺は通信網の切断と撤収時のアシ、それから飛行機のチケットでも取っとくか。」
男はそういいながら立ち上がり、扉を開けて出ていこうとした。
「そうだな。だが・・・ヴァシレ。油断するなよ。以前、俺のアンデッドを解呪したやつがいただろう?俺の魔力を上回っているのは間違いないんだが、それ以上にただの解呪じゃあない。妙に手馴れた感じで術式をバラされた感覚があった。おそらくだが、かなりの手練れだぞ。」
ヴァシレと呼ばれた男は一瞬立ち止まり、顎に手を当てる。
「そうか。なら・・・人質でも取るか。マフディ。例の人間を生きたままアンデッドにするやつ。やってみようぜ?」
「む。・・・そうだな。せっかく材料が手に入るのだ。1体くらい無駄になってもいいだろう。よし、準備をしておく。だが制御性に問題があるのは変わらん。別に味方が増えるわけではないことに注意しろよ。」
ヴァシレは「へいへい。」と言いながら足元の少女が眠る棺桶を覗き込んだ。
「ああ。しかし勿体ねぇな。こいつなんか随分キレイな遺体じゃねぇか。まるで生きてるみたいだぜ。」
棺桶の中の少女は、小学生高学年か、中学生くらいだろうか。
栄養が行き届いていたとは言えないほど細く、二の腕や首筋など、服に隠れる場所にいくつもの青あざが残っている。
それとは別に、胸のあたりに乾いた血の染みがついている。おそらく、それが致命傷となったのだろう。
「ああ。こいつは昨日殺したばかりだからな。肉体維持の術式をその場でかけたから保存状態も良い。記憶情報も人格情報も手付かずだ。着替えれば普通の人間には生きてるかどうかの区別なんかつかんだろうよ。・・・まあ、攪乱にはちょうどいいだろうよ。」
マフディが少女の遺体から乱暴に血で汚れたジャケットを引きはがす。
その放り出されたそのポケットから、すでに有効期間が終了した国鉄の定期券が床の上にポトリと落ちた。
そこには・・・。
「時岡美穂」と小さく記載されていた。