194 赤い大地のエルフの里
仄香
5月6日(火)
リュザリアはカフカスの森のエルフたちが、冷戦下においてソビエト連邦の管理下になるにあたり、役所機能を置くべく共産党に差し出した町だ。
町の中央にはソ連地上軍の車両がちらほらとあり、自然と一体化した町並みの中にコンクリート製の武骨な建物がちらほらと見え、軍服を着た男たちがその建物を出入りしている。
町を行くエルフたちは、高齢のものほど、ソ連軍人に対して侮蔑的な視線を向けている。
その翠の瞳には明らかな負の感情が宿っているのは、視線を向けられている男たちにも分かっているようだった。
「仄香さん、なんか、聞いてたのとずいぶん違うね。確かにフェアラス氏族は人間嫌いだって聞いてたけど・・・。ファウンロド氏族とは大違いだ。」
オリビアが日本語でつぶやく。
「そうですね。ファウンロド氏族は天災で仕方なく外部とかかわりを持ち、ノルウェー政府の庇護を受けて存続しましたが・・・フェアラス氏族は、いわば武力で共産党に乗っ取られたようなものですからね。」
ダークエルフたちは天災という不可抗力で外部とのつながりを強制されたが、その後は娯楽や趣味といったものが押し寄せ、かなり平和裏に開国を成し遂げた。
だがコモンエルフについては、魔法協会や魔術結社を敵に回した共産主義者が、西側諸国に対抗するために慌てて魔力が高い幻想種を徴用しようとする動きに巻き込まれてしまったのだ。
「拙者も詳しくはないでござるが・・・エルフは他の幻想種と違って自分たちが誕生した場所を守り続ける習慣があるらしいでござるな。噂では、ルィンヘン氏族は未だにソビエト連邦にも飲み込まれず、独立を維持しているらしいが・・・魔力の差、でござるかな。」
実際にコモンエルフはハイエルフに比べると、魔力総量も抗魔力量もかなり劣る。
だが・・・聞いたところによると、南ウラルにあるハイエルフの国はふらりと立ち寄った旅の魔法使いが、彼らが守る世界樹の精霊エアレッセの力を用いて極めて大規模な結界を張ってくれたという。
なればこそ、コモンエルフたちは運が悪かった、としか言いようがないのではないか。
オリビアとアマリナに相槌を打ちながら、バスの運転手から紹介された宿に向かう。
宿の主人は私たちを見て怪訝そうな顔をしていたが、アマリナの瞳を見て魔族であることに気付くと、急に機嫌がよくなって一番いい部屋を用意してくれた。
・・・アマリナは終始不機嫌そうだったが。
翌朝、荷物をまとめて再びバス乗り場に向かう。
宿で出された食事は、質素なものだった。
だが、コモンエルフたちを取り巻く環境からすると、十分すぎるもてなしだった。
「母さん、明日からどこに向かうの?魔族のことを調べるんだったら、かつて長老議会の置かれていたティリオンディアがいいと思うんだけど?」
「そうね。あとはマイタロステにも行こうかと思うわ。途中、カルナッセを通ることになるけど。」
ありがたいことに紫雨はフェアラス氏族とかつて付き合いがあったようで、ほんの少しだけ土地勘があるようだ。
とはいえ、1700年の間にあったことについては当然知らないので、その辺りはゆっくりと情報を共有していこう。
◇ ◇ ◇
バスに揺られること約3時間、ようやくこの旅の目的地の一つであるティリオンディアの入り口に到着する。
リュザリアとは違い、コンクリート製の建物どころか今風の建築物は一切なく、すべての家が木の上や草の中に包まれているような構造の不思議な町だった。
そしてこんもりとした丘のような地形の上に、ひときわ大きな木が立っている。
まるでいくつもの平らな議場を抱えるような形をしているあの大木こそ、コモンエルフが崇める神聖樹と呼ばれる大木だ。
《うわぁ〜。キレイだね。まさにエルフの里って感じだね。すごいよ!あのツリーハウス、まるで木がその形に育ったみたい!》
「まさにその通りですね。エルフはとても長い人生を歩みますから、植物の成長を制御する魔法を使って、木や草を自由に操り、自分たちが暮らす環境を整えるんです。・・・ほら。あの木。キレイな家の形になっているけど、梢に花が咲いているでしょう?」
遥香が杖の中で感嘆の声を漏らしている。
そうだ。この町で宿をとったら、一度杖の中から出してやらないと。
魔法を開発するときに少し肉体側に無理をさせてしまったから、本来の持ち主である遥香とのリンクに問題が起きるかもしれないからな。
ここでもアマリナの魔族としての顔を使って、宿をとる。
宿の主人は驚きながらも、久しぶりの魔族ということで一番良い部屋を用意してくれた。
一つ目の宿と同じように、大目にチップを渡しておこう。
無理やりついてくるといわれたときはどうしようかと思ったけど、しっかりと役に立ってくれているようで、むしろありがたかったかもな。
「母さん、それじゃあ、手分けしようか。僕はこの町の長老たちにちょっと顔を見せてくるよ。さすがに代替わりをしてしまったようだけど、僕の姿絵は残っているらしいし、神聖樹の精霊ヴァニャナーロにも挨拶をしたいからね。」
「そう。じゃあ・・・私は遥香さんに身体を返したら、オリビアと一緒にジェーン・ドゥの身体で市場にでも聞き込みに行くわ。」
「む・・・拙者も役に立ちたいでござる。」
「アマリナは遥香さんと宿で待機していて。遥香さんの体調が心配なのよ。・・・少し無理をさせたからね。」
そういうことなら、と胸を張るアマリナに遥香の身体を任せ、それぞれで情報を集めるべく、宿を出る。
だが・・・オリビアはなぜかしきりに周囲を気にするようなそぶりを繰り返していた。
◇ ◇ ◇
三条 満里奈
タゲスタン共和国で、軍事訓練見学の名を借りて新しい破魔の角灯の慣らし運転を終えたので、クラリッサの母の故郷でもあるカフカスの森のフェアラス氏族の街に立ち寄ることにした。
「クラリッサ。あなたのお母様の家は、ティリオンディアのどのあたりでしたっけ?」
「・・・市場の近くだけど、マジで寄っていく気?できたら勘弁願いたいんだけど。」
「母親に憎まれ口をたたけるのも、相手が生きている間だけです。話さないで後悔するくらいなら、話して後悔したほうがいいと思いますよ。」
「ん・・・そだね。聖女様のお母さんは亡くなっているんだよね。」
私の母は魔族だった。だが・・・父も魔族だ。
通常であれば魔族同士の間に子供ができると、母子間の魔石の拒絶反応でかなり早い段階で流産してしまうのだが、母はどこからか古い薬を手に入れてきたらしく、その薬で拒絶反応を抑え、私を産んでくれた。
おかげで・・・誰にも言っていないが、私には祝福が2つある。
父から受け継いだ瞬間移動と、母から受け継いだもう1つ。
瞬間移動があまりにも派手すぎる能力なので、誰にも言ってないし、誰も気づいていない。
だが・・・私が生まれる直前に、その薬を使い切ってしまい、魔石同士の拒絶反応に苦しんだ挙句、私が生まれると同時に命が尽きたという。
だから、私は母とは会ったことがない。
だが、父はというと・・・私が150歳で成人を迎えると同時に、姿を消してしまった。
最後に聞いた言葉は・・・「あの薬を探してくる。今度は十分足りるように。」だった。
風の噂では、リビア南西部で確認されたのを最後に、200年ほど前に消息を絶ったままだ。
・・・近くにいてくれるだけでよかったのだが。
「聖女様。俺は宿をとってきます。クラリッサ。聖女様にあまり迷惑をかけるなよ。」
「りょ。じゃあ、母さんの顔だけ見ていこっか。」
人口が少ないはずのフェアラス氏族といっても、この時間の市場は混雑するようだ。
人ごみをかき分け、市場を抜けてクラリッサの生家に向かおうとした時、視界の片隅に見知った顔がみえた・・・ような気がした。
「・・・オリビア?いえ、見間違いですね。こんなところにいるはずがありません。あの脳筋オタク。何をしているんでしょうね。」
人間にしては役に立つかと目をかけていたが、どこに消えたのか。
◇ ◇ ◇
クラリッサの生家には、妙齢のエルフの女性が一人、暮らしていた。
クラリッサはあんなことを言っていたが、母親を見るなり何も言わず抱き着いていた。
しばらく無言で抱き合っていたが、今夜は母親の家に泊まることにしたらしいので私だけ宿に戻ることにした。
ハーフエルフは人間に比べれば寿命が長いが、エルフに比べれば半分くらいしかない。
あと半世紀もしないうちに、クラリッサは母親の年齢を追い抜くだろう。
だが、それも今日明日のことではない。
確か、彼女には同じくハーフエルフの弟がいたはずだ。
適当なところで十二使徒の任を解き、弟を一緒に探してやろうか。
「瑞宝。宿の手配、ご苦労様でした。ですがクラリッサは実家に泊まるそうです。一人分キャンセルを・・・こちらの方は?」
宿に戻り、ロビーで待つ瑞宝に声をかけようとしたとき、彼は近くに座る地味な服を着た少女と楽しそうに何かを話していた。
瑞宝の名を呼ぶと少女は驚いたかのように振り返る。
人間嫌いの瑞宝がこれほど楽しそうに話すとは。
だが、この香りは・・・シナモン、カルダモン、クローブ。
香水にしては変な組み合わせだ。
「おかえりなさいませ。聖女様。こちらの方はアマリナ・ダール殿です。いやはや、珍しいこともあったものです。」
「おお、初めましてでござる。拙者、アマリナ・ダールと申す。恥ずかしながらロシア語が全く分からなくてな。困っていたらリー殿が通訳をしてくれたのでござるよ。」
・・・日本語?妙な言葉遣いなのが気になるところではあるけど・・・。
いぶかしく思いながらもその瞳を見て、瞬時に理解した。
この子、人間ではない。私と同族だ。
それも、深紅の瞳・・・。
魔族の中でこの瞳を持つのは、ワレンシュタイン様の血族に連なる者のみのはず。
だが、その血筋はワレンシュタイン様以外は絶えたとご本人から聞いている。
「初めまして。三条満里奈です。こんなところで同族の、それも同い年くらいの人と会うとは思いませんでした。日本語を話されるということは、普段は日本にお住まいなんですか?」
彼女に合わせて日本語で聞いてみる。
「いや、拙者は日本のアニメに感化されて日本語を学んだだけでござるからな。普段はヴァルス・ニヴェル・・・ええと、ハルダンゲルヴィッダの・・・なんといえばいいかな・・・?」
魔族のくせに人間の作ったアニメなどで喜んでいるのか。まあ、それも時代なのだろう。
「ファウンロド氏族の霧の古都ヴァルス・ニヴェルですね。私も行ったことがあります。でも、なぜこんなところに?」
「あ〜。旅行に意味などないでござるが・・・しいて言うなら人探しでござるな。拙者の職場の後輩の姉御殿がこの町が故郷だというのでな。可能なら挨拶を、と思ったでござるよ。どこに住んでいるかまでは分からなかったでござるが。」
「その後輩の方・・・どのような方か伺っても?」
「う〜ん。まあ、いいか。名はクレメンス・シュタイナーと申すでござる。姉御殿の名は、クラリッサ殿だと聞いてござるよ。クレメンスはヴァルス・ニヴェルの役所に勤めておってな。」
まさか、探そうと思っていた矢先にその名前を聞けるとは思わなかった。
これは・・・運命なのだろうか。
「そう・・・ですか。では、もし私たちがその・・・クラリッサさんに会ったら言伝をしておきますね。」
「それは助かるでござる。・・・ああ、もしクラリッサ殿に会えたなら、これを渡してはくれまいか?」
そういいつつ、その少女は一枚の紙をハンドバックから取り出した。
「これは・・・名刺?それに、QRコード?」
「拙者の名刺でござるよ。何かわかったらその連絡先にメールでも電話でも頂けたらありがたいでござるな。・・・いや〜。今日は散々でござったのに最後に同じ立場の方と出会えるとは。まさに禍福は糾える縄の如し、でござるな。」
そういいながら地味な服を着た少女は立ち上がり、日本風のお辞儀をして自分の部屋に戻っていった。
「瑞宝。彼女の言う、散々とは?」
「何でも、同室の少女が転倒した拍子に、頭からチャイをかけられてしまったそうです。それで困っているようなので服のクリーニングと部屋の掃除についての通訳をいたしました。」
・・・ああ、なるほど。
だから香水ではなく香辛料の香りがしていたのか。
でも・・・紅茶と牛乳のにおいはどうやって消したのだろう?
魔族だから何らかの能力を持っているだろうけど、掃除に関する能力でも持っているのだろうか。
◇ ◇ ◇
アマリナ・ダール
・・・驚いた。
こんなところであの女と出くわすとは。
思わず目を丸くしてしまったが、仄香殿にフィリップス殿の資料を見せてもらっていて正解だった。
それと、自分の父親が魔族であったことに感謝することになるとは思いもよらなかった。
遥香殿がよろめいてテーブルに手をついた瞬間、その天板が外れて頭から飲みかけのチャイをかぶった時には、それなりに慌てはしたものだが、もともと私には自前の能力として念動力がある。
それも、流体に対して特に干渉力の強い能力だ。
土下座をしようとする遥香殿を何とかなだめて、こぼれた液体成分に関してはその場でカップに戻すことができたものの、香辛料の成分が服や絨毯やクッションにしみこんでしまったのだ。
特にシナモンは水溶性ではなく油溶性だから、とりあえず着替えてから宿の従業員に掃除を依頼しようと思ったのだが・・・。
うん。英語もノルウェー語も通じないのを忘れていた。
幸い、彼が通訳してくれたので事なきを得たが・・・。まさか彼の名が瑞宝で、待ち合わせている女が、聖女「サン・マーリー」だとは思わなかった。
だが・・・話の流れで「名刺」を渡すことに成功した。
アレは、クレメンス特製の「名刺型ゴーレム」だ。
あのゴーレムは名刺入れ型ゴーレムとセットになっており、名刺型ゴーレムが聞いた音を名刺入れ型ゴーレムが文字に変換してメモに書きとるという仕組みを持っており、会議などで議事録をとるときなどに重宝していたのだが・・・。
これでかなりの情報を得ることができる。
仄香殿が帰ってくるまでに可能な限りの情報を抜いておこう。
◇ ◇ ◇
2時間ほどしてから仄香殿が、3時間ほどして紫雨殿が宿に戻ってきた。
幸い、聖女には出くわさないですんだようだ。
それに、2人とも一定の収穫はあったようで、それぞれの情報を照合している。
「全自動詠唱機構のおかげで聞き込みが随分と楽になったわね。千弦さんには感謝しなくちゃね。」
「母さん、まさか強制自白魔法を使いながら聞き込みしたの?結構危ないことするなぁ。」
「そういう紫雨こそ、ずいぶんとたくさん聞きだしてきたじゃない。どんな手を使ったの?術式?」
「いや、僕は知り合いのお孫さんがまだ生きていたから、手製の薬と引き換えに情報を聞き出せたんだけど・・・。」
そういいながら和気あいあいと情報の整理をしている。
ああ、一番大事なことを伝えておかなければ。
「仄香殿。この宿の中に、聖女が宿泊してござる。それと、十二使徒第一席・・・『神の弓・李瑞宝』も同行してござるよ。」
「・・・なんですって?・・・ふふ、まさかあいつらから近寄ってきてくれるなんて。カモがネギを背負ってきたとしか言いようがないわね。で?まだ気づかれてないのよね。」
仄香殿は声と殺気は抑えて、だが目を爛爛と燃やしながら私を見る。
その眼には狂気と歓喜が入り混じっている。
「もちろんでござる。それからこちらを・・・クレメンスのゴーレムでござる。どうやら一つ下の階、203号室に泊まっているでござるよ。彼らの宿内での会話はすべてゴーレムが書き出してござる。」
ゴーレムが自動的に羅列したものを清書したメモを差し出す。
「・・・これは!?すごいじゃないか。十二使徒のうちの9人の動向が全てわかるなんて!」
「十二使徒第三席までしか知らない場所?シルヴァエ・オブスクラエ(暗き森)・・・聞いたことないわね。ラテン語・・・言語の文化圏からすると、イタリア北部、フランス南部、スイス、ルーマニア、ブルガリア・・・あとはバルカン半島の山岳地帯あたりかしら?」
仄香殿は世界地図を取り出し、言語の語感、文化からあたりをつけていく。
だが、メモのある一部分を見て、紫雨殿の動きが止まった。
「他には・・・ん?これは・・・ごめん、もしかしたら僕だけいったん抜けたほうがいいかもしれない。」
彼の手には、猟犬「ヴァシレ・アントネスク」と屍霊術師「マフディ・ジャハーン」の資料が握られていた。
そういえば彼らは日本のサセボとかいうところで活動しているはずだが、何かあったのだろうか?
「・・・これは・・・そうね。放置できる状況ではないわね。彼女には一応、戦える手段も渡してあるけど・・・紫雨。くれぐれも無理はしないようにね。それと・・・日本に戻るのなら、琴音さんと千弦さんにも私が謝っていたと伝えてくれるかしら。」
「ああ。もちろんだよ。でも・・・ナーシャさんが母さんの子孫だったなんて驚いたよ。あまり似てる感じはしなかったし。母さんこそ無理しないでね。」
紫雨殿は手早く荷物をまとめ、宿を飛び出していく。
おそらくは長距離跳躍魔法とやらを使うのだろう。
私が魔族の血を引いているがために移動の足かせとなってしまっているのが悔やまれる。
だが・・・仕方がない。できることを一つずつやっていこうか。