19 襲撃後2/彼女の正体は
若い人の中には、自分が傷つくことについてはものすごく無頓着な人っているんですよね。
千弦は小さいころから大ケガをするたび、琴音や大叔母様が治してくれていたので、かなり無頓着です。
堂々と致命傷以外はカスリ傷、と平気で言います。
そのせいで女の子なのに顔を殴られても、殴り返しはしますが、殴ったことをいつまでも恨んだりしない、サバサバとした性格でもあります。
その分、家族や友人、それ以外にも周りの人を大事にする習性があるんですね。
それがいいことか悪いことかは、わかりませんけどね。
9月23日(月)未明
南雲 千弦
遥香から連絡があったとおり、病院の裏手にある職員駐車場に到着すると、彼女はあの時と同じ沼の底のような気配を漂わせて、端のほうにある喫煙スペースのベンチに座っていた。
「お待ちしておりました。」
そう言った彼女の顔は月明かりに照らされているせいか、病的に白く感じる。
あの時と違い、体の底から震えるような恐怖は感じない。
唇を真一文字に結び、普段は無表情で何を考えているかさっぱりわからない顔は、何か涙をこらえているかのように見えた。
・・・なんだろう?彼女の声?それとも顔?
彼女と相対していると、妙に心がざわざわする。
恐怖とも怒りともちがう。よくわからない。
「久神遥香さん・・・でいいのよね?」
多分、この姿、または肉体は彼女本来のものではない。そう思いつつ、一応聞いてみる。
「はい。少なくとも今年の3月からはそう呼ばれています。」
「その前は別人だったわけだ。久神さんの体を乗っ取ったってわけ?」
「はい。憑依した時点ですでに死んでいましたが・・・そのとおりです。」
そうか・・・久神さんのお母さんが言っていた、急性なんとか性白血病?で彼女は助からなかったのか・・・。
「それを他に知っている人はいる?」
「はい。遥香の父の遙一郎に頼まれて憑依をしましたので。」
その言葉に、私の眉がぴくりと動いた。
「どういうこと?久神さんのお父さんは、あなたのことを知っているだけじゃなくて憑依させた主犯だってこと?」
「いえ、遙一郎から最初に頼まれたのは病気の治療です。遙一郎は遥香を助けたかっただけなんですが、私が到着した時には、遥香はすでに脳死状態で魂もそこになかったんです。」
そういえば、琴音から聞いたことがある。
回復治癒魔法や術式は普通に使われているのに、蘇生魔法は理論上可能だけど成功した事例は聞いたことがないって。
「なんで憑依したの?治せなかったなら、それで終わりにしなかったの?」
我ながら意地悪な質問だと思う。
何となく答えは分かっているが、直接その口から聞く必要がある。
ちょっと心がチクリと痛む。
まさか魅了系の術式か?
魔力の流れは一切感じないが、念のため、抵抗系の術式を作動させておく。
「遥香の母の香織には遥香以外、血を分けた肉親はいなかったんです。遙一郎から『このままだと妻が自殺してしまう、アンデッドでもいいから遥香をよみがえらせてくれ』と言われまして。私は屍霊術は使えません。それに私自身、教会に追われていたこともあり、憑依先を探していたことは事実です。」
「ふーん。それで、いつまでお母さんを騙し続けるつもり?」
「少なくとも、香織が天寿を全うするまでは。」
随分と気の長い話だ。
そして、彼女は比較的まともだ。
それに、様子を見た限りでは、彼女は回復治癒系の魔法のプロフェッショナルだ。
急性なんとか性白血病だけでなく、脳死状態の肉体を再利用することができるというのならば、いや第一体育館で無残に破壊された遥香の肉体をあの一瞬で修復させる力があるのだから、その気になれば霊安室から若い肉体を盗むなりして憑依先を確保することだって容易いだろう。
「で、私にバレなかったとして、これからどうするつもりだったの?」
「憑依し続けてでもこの世に留まりたい理由があるんです。分かってくれとは言えませんが・・・。」
「・・・?そりゃ、だれでも死にたいとは思わないだろうけど。長生きできる方法があるんだったら、だれでも試してみたくなるもんじゃないの?」
一瞬、お互いに何を言ってるんだ?という空気が漂う。
お互いの認識が食い違ったのを感じた。
「そうじゃなくて、久神遥香としてどうするのかって聞いたんだけど?」
「・・・香織と遙一郎に、孫を抱かせるところまでは考えています。とりあえず、大学受験と就職、それから結婚ですかね・・・。」
は?
なんか、一気に話が現実的になったんだけど。
おいおい、魔女が人生設計してるよ。
そうだ。進路希望調査書、まだ提出してなかったよ。
私の方が、魔女よりも人生のこと考えてないじゃん・・・。
彼女の言葉があまりに普通すぎて、私は思わず脱力しそうになった。
ひととおり話してみて、あの時感じた恐怖と整合性が取れないがとりあえず危険はないと判断した。
一応、念のため聞いてみる。
回答次第では、私たちの敵になる。
「あの時、私の左手を切り落としたのは何で?」
彼女は一瞬ためらったが、意を決したような目をしてこちらを向き、答えた。
「あなたの持っている武器が、教会の連中の短杖に似ていたからです。」
その言葉と同時に、ぞわりと背筋が粟立つ。
言葉の端々ににじみ出る殺意。
・・・なんか変なルビも聞こえた気がする。
殺気に気押されながら、恐る恐る聞いてみる。
「教会って、キリスト教とかカトリックとかの?」
「いえ、アブラハムの宗教ではありません。」
「油まみれのハム?なんだって?」
「ブッ。」
思わず吹き出した彼女は、無表情のまま口を押さえ、顔を真っ赤にしている。
なにこの人、可愛いんだけど。
・・・いやいやいや、今そんな場合じゃないだろ!?
それまであたりに満ちていた沼の底のような気配と殺気が嘘のように霧散していく。
「とにかく、教会については後ほど説明します。先ほど言った、この世に留まりたい理由に絡んでくるのですが、長い話になりますので・・・。千弦さんの左手については大変申し訳ないことをしました。お詫びにはなりませんが、お望みでしたら、この腕を切り落としていただいてもかまいません。」
久神さんがスッとその白い左腕を差し出す。
いきなりそんなこと言ったって・・・オイオイ。シミ一つないキレイな腕だな。
コレをどうにかするって、癖が歪むぞ。この歳じゃ目覚めたくないよ。
まあ、すくなくとも、コイツは敵対する意図はないようだ。
「はあ、まあ仕方ないか。アンタがただのお人好しでオッチョコチョイだっていうことだけは分かった。とりあえず私は黙っていればいいのよね?」
ため息をつきながら肩をすくめる。
何故か、簡単に許してしまう自分に驚いている。
・・・本当に魅了、されてないよな?
「よろしいのですか?」
「ま、私の左手はこのとおり治ってるしね。無茶苦茶痛かったけど。先に言っとくけど、琴音にはバレないように気を付けてよ?あの子、犯人見つけたら股間に腕一本増やしてやるって息巻いてたんだから。」
「ええ、気を付けます。本当にすみませんでした。」
久神さんはほっと胸をなでおろしたような仕草をした。
もう一つ、琴音に大ケガさせた連中のことも聞かなくちゃいけない。
「そういえば、琴音を襲ってこれを左脇腹に刺したのも『教会』の連中ってわけ?」
九重の大叔母様から預かった杭のようなものを見せながら、聞いてみる。
一瞬、遥香は後退りしたように見えたが、一呼吸して答えてくれた。
ずいぶん、大袈裟な反応だな。
「ええ、間違いなく。それは奴らだけが使う遺物の一つで、私を封殺するための聖釘・・・魂を肉体に縛り付ける錨鎖を意味する『アンカー』と呼ばれるものです。」
「琴音は厄介な連中に目をつけられたのね。まだ全然危機は去っていないということか・・・。」
今、琴音は高度治療室で治療中だ。教会とやらの連中が攻め込んできたら、間違いなく殺されてしまう。
「琴音の身辺警護、本家に頼んで間に合うかな・・・。」
「琴音さんは、たぶん、もう教会に狙われることはありませんよ。」
私がつぶやいた声を聞いて、久神さんがはっきりと言った。
「なぜ?」
「聖釘を刺された状態で魔法を行使したからです。襲撃者の一人、アチェリと呼ばれた少女は、電話がつながったままの状態でそのことを叫んでいました。おそらく、あちら側にも聞こえたでしょう。実際、私は聖釘をこの身に触れさせた状態では完全に魔法も魔術も使えません。身から離すこともできません。それどころか、それが近くにあるだけでも、魔法の詠唱や術式に割り込まれ、それはもう大幅に弱体化されるくらいです。」
ふと右手の杭、いや聖釘に目を落とす。
すげぇな。これ。クリプ〇ナイトなみじゃん。
「それって、あなたの弱点だよね?私に教えてもよかったの?」
「ええ、私には攻撃魔法や魔術以外にも逃げる術がいくつもありますから。続けても?」
いきなり逃げんのかい。
いやそうか、やっぱりコイツは魔女だったんだと思いつつ、首を縦に振る。
「教会は魔法を奇跡、魔術を神秘と呼び、それを行使することができる者については敵対を避けます。これは信徒が技術提供を受けている魔法協会と魔術結社を敵に回すことができないからでしょう。あなた方の本家からも厳重な抗議がなされることでしょうし、琴音さんが魔女でないことが確定的である以上は、教会も手出しはできませんよ。」
さっきから変なルビが聞こえてくるような気がする・・・。
「そう・・・。私も安心したいし、とりあえず信じておく。」
「ただ、その聖釘については返還を求められる可能性があります。」
「ああ、これ。ねえ、これって何なの?特定の相手の魔法?魔力?を封印したり、暗号化された詠唱や術式をピンポイントで妨害する方法なんて、魔法でも術式でも思いつかないんだけど。」
「そう・・・ですね。後日時間のある時に、教会について説明をする機会があると思いますので、その時にでも。教会の信徒たちには渡さないでください。破壊していただいてもかまいませんが、可能でしたら紛失したということにして、手元に保管しておいてください。」
「ところで、アンタの口調・・・。何か違和感があるんだけど。もしかして、前に『大丈夫だ、問題ない』って言ってたけどあれって・・・?」
「いや、あれはつい・・・。」
「それもまあ、いいや。で、今後アンタのことなんて呼んだらいい?」
「では琴音さんと同じく『遥香』と。」
「よし、遥香。改めてよろしく。」
私は魔女、いや、遥香と握手をかわし、病院内に戻ることにした。
遥香の口調は、元々の「遥香」のものであって「魔女」のものではありません。ですので、時々ボロが出ます。魔女としての口調は結構尊大な口調なので、色々問題があるようです。ただ、長く生きすぎているので、そこら辺の人間では、例えば白髪の老婆でも彼女から見たら自分の100分の1も生きていない若造に見えてしまうんでしょうね。