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185 鏡像への憎悪/魔女の知らぬ伏兵

 南雲 琴音


 日暮里・舎人ライナーを西日暮里駅で降り、高校に向かうと、すでに始業式は終わっていたのか、ぞろぞろと駅に向かって歩いてくるウチの高校の生徒たちとすれ違った。


 う〜ん。高校3年の初日からサボってしまった。

 ガドガン先生やお父さん、お母さんになんて言い訳しようか。


 悩みながら歩いていると、スマホからいつものメロディが流れる。


「あ、姉さん?今どこ?私は西日暮里駅から正門に向かって歩いてるところ。」


「『今どこ?』じゃないっ!どれだけ心配したかわかってるの!今すぐ保健室に来なさい!」


「ご、ごめん。今すぐ行く。」


「・・・無事ならいい。それと、保健室に入るときは千弦と名乗って。私は琴音って名乗ってパニック発作を起こしたフリをしてるから。それと、ポカリスエットを買ってきて。『千弦』はポカリスエットと薬を取りに剣道部の部室に向かったことにしてあるから。」


「・・・もしかして私、初日からサボったことになってないとか?うわ・・・さすが姉さん。やっるぅ〜!」


「いいから早く来て!あ、先生が帰って来たから切る。じゃあね!」


 電話が切れてすぐ、正門横の自動販売機でポカリスエットを買う。

 それと・・・剣道部の部室に寄ってロッカーから薬箱を取り出す。


 学校にある保健室では内服薬は処方できない決まりだから、自分たちで使う薬は私の剣道部のロッカーに常備しているのだ。


 仄香(ほのか)のせいで去年の文化祭のあと、全部新品になったけどね。


 保健室に入る前に眼鏡をはずし、ドアを開ける。


「南雲千弦です。・・・脇坂先生、琴音の具合はどうですか?」


「あら、千弦さん。琴音さん、今は落ち着いているみたいね。彼女、登校中に変なキノコを拾い食いしたんですって?それ、きっとベニテングダケよ。だから錯乱してたのかしら。本当に救急車、呼ばなくても大丈夫かしら?」


「やだなあ、先生。ベニテングダケはイボテン酸がすごくおいしいんだよ?タマゴダケなんて比べ物にならないほどおいしいんだから。先生も食べてみなよ。おいしいよぉ。」


 ヲイ。私のフリをしながら何を言ってくれちゃってんの。


 解毒魔法があるから確かにベニテングダケくらいの毒じゃあ死なないけど、強い幻覚作用があって毒抜きせずに食ったら危ないでしょうが。


「姉さんもこっちおいでよぉ。おいしいよぉ。スーパーマ〇オになれるよぉ?」


「やめてよ!任〇堂に訴えられたらどうするつもり!?」


 ぐ、くそ・・・苦労して作った私のイメージが崩れていく。

 現に廊下から男子生徒の話す声がチラホラと聞こえてくる。


「なあ、聞いたか?琴音さん、道端の毒キノコを拾い食いしたんだってよ。」


「え?千弦の方じゃなくて?やっぱり姉妹なんだな。千弦が戦技研(サバゲ同好会)の連中と一緒に川魚と野草の鍋を食ってるのは知ってたけど・・・生はまずいだろ、さすがに。」


「げ・・・まさか、保健室で貼ってもらったシップって・・・市販品じゃないとか?」


 ぐぅぅぅ!

 お前ら・・・私が義理チョコをあげたら、本命チョコをもらったみたいな反応をしてたくせに!


「んん゛ん゛・・・。ほら、起きて!もう帰るわよ!」


 いい加減恥ずかしくなってきた。

 ベッドの姉さんを引きずり起こし、荷物を押し付けて保健室から引きずり出す。


「うひひひひ。よかったじゃん。始業式前とはいえ、教室でおかしくなったから欠席扱いにはならないってさ。」


「そういう問題じゃない!ああ・・・これじゃあ、私まで不思議少女扱いだよ。」


 楽しそうに笑う姉さんの手を握り、校舎の裏手に引きずり込む。


「ああ、楽しかった。琴音。何があったか知らないけど、そろそろ帰ろう?大丈夫。姉さんが何とかしてあげるから。」


「そう・・・なんとか、ね。じゃあ、これは知ってるかしら?勇壮たる風よ!汝が翼を今ひと時我に貸し与え給え!」


「え・・・。うきゃあぁぁぁ!」


 はははっ。やっぱりコレも忘れてたのか。

 わざわざ平文で詠唱してあげたのに、それにすら気付かないなんて・・・。


 わずか十数秒で荒川区から西東京市まで超音速で空を駆け抜け、我が家の前にふわりと降り立つと、姉さんは私から手を離し、ヨタヨタと玄関先の植え込みに頭を突っ込んだ。


「う・・・うげぇー、オロオロ・・・。」


 ・・・吐きやがった。

 まさか、魔女の代名詞でもある、この魔法までも忘れているとは。


「琴音ぇ・・・。長距離跳躍魔法(ル〇ラ)を使うなら使うと言ってからにしなさい。それに、暗号化も認識阻害もしないで使うなんてどういうつもり?」


 ・・・覚え・・・てるの・・・?


「ね、姉さん・・・この魔法、教えてくれた人、覚えてるよね?誰の魔法だか、わかるよね?」


 それともショック療法が効いた?

 思い出してくれた?


「何言ってるのよ。私たちの5代前の祖先で、南雲仄香(ほのか)っていう大魔法使いが編み出したっていう伝説クラスの魔法でしょ?興津の家の押し入れから魔導書が出てきたって、琴音が自慢げに教えてくれたんじゃない。」


「なっ!・・・姉さん、本気で言ってるの?じゃあ、電磁熱光学迷彩(ステルス)術式は?それに、姉さんが雷撃魔法を使えるようになった理由は?」


電磁熱光学迷彩(ステルス)術式は師匠んところの国家機密情報から、雷撃魔法は、私自身で頑張ったからだけど・・・どうしたの?琴音、大丈夫?どこかおかしいの?」


「しっかりしてよ!姉さん、大事な友達のこと、覚えてないの!?夏休みの終わりに左手を切り落とされたのも、私が体育館で襲われて入院したのも、全部覚えてないの!?」


「左手?あれ・・・交通事故だったよね。ガラスを運んでる車両が落としたガラスの破片でバッサリ。体育館は、真下にあるガスの本管が爆発したってニュースにもなったじゃん?」


 どういうことだ?まるで、誰かに都合よく記憶を()()ぎされたみたいに・・・これ・・・もしかして洗脳されてるのか?


「姉さんは魔力検知、得意だよね?誰かに洗脳魔法を使われてるんだよ!だから、自分をちゃんと調べてみて・・・それで、その洗脳を解けば、きっと思い出すから・・・。」


「・・・琴音。あんた、少しおかしい。琴音が使う魔法ってそんな副作用、あったっけ?それともその杖?とにかく、明日学校を休んで病院にいこう。和香(のどか)大叔母様の病院には、心療内科も入ってるからさ。」


 姉さんが私のことを腫れ物に触るように扱う。

 ・・・優しそうな笑顔の中に、何か別の感情が含まれている・・・ような気がした。


「ふざけないで!いつも私を天才だとか持て囃してるくせに、自分のことを私の劣化コピーだとか思ってたくせに、私の言ってることも信じないで、勝手に洗脳された上、キチガイ扱いなんてしないで!」


 思わず声が大きくなってしまう。

 くそ、こんなこと言いたいんじゃなかったのに!


 慌てて口を押えて姉さんの顔を見る。

 きっと呆れ返っているに違いない。

 だけど、姉さんの反応は思っていたのと少し・・・いや、かなり違った。


「あ?琴音・・・。あんた、今なんつった?」


「いや、キチガイ扱いをしないで、と・・・。」


「私が、琴音の劣化コピーだと思ってるって・・・言ったよね?・・・見たな。」


 ・・・あ。・・・しまった!

 後にも先にも、姉さんが自分のことを私の劣化コピーだと言ったのは・・・あの日記の中だけだ!


「いや、その・・・。」


「・・・ふん。」


 姉さんは初めて見る表情をしたまま家のカギを開けて入って行ってしまった。

 ・・・まるで汚物を見るような、親の仇を見るような・・・。


 それから、姉さんは一切私と口をきいてくれなくなった。


 ◇  ◇  ◇


 南雲 千弦


 見られた。

 見られていた。


 私の中に秘めていた、暗い思い。

 声にして吐き出すことができず、それでいて何かの形にしないと耐えられなかった心の一番汚いところ・・・。


 そして、誰にも見せたくなかった弱いところ。


 私にとって一番見られたくない相手に見られてしまった。

 

 今は亡き九重のお祖母ちゃんに、「お前は魔法が使えるところを全部、美琴のお腹の中に置いてきたんだね。それが、琴音になったんだね。」と言われ、一週間くらい泣き続けた。


 いくら頑張っても、琴音のように魔法を使うことはできなかった。

 勉強だって、遊びだって、男の子との付き合いだって、努力に努力を重ねてやっと琴音と同じくらいになった。


 それなのに、いつの間にか琴音は、和香(のどか)大叔母様の病院で可愛がられるほど、回復治癒魔法が熟練していた。


 でも、私はお姉ちゃんだから、琴音は私のことを姉さんと呼んでくれるから、負けないように、頼られるようにずっと頑張ってきた。


 たとえ人を殺しても、それが原因で死刑になっても琴音を守るんだと思ってきた。

 琴音にだけは、私の弱いところは見せないと決めていた。


 だが琴音は、日記を見た上で平然と私と話していた。

 私は琴音にいいように使われていただけなのか。


 ・・・アホらしい。

 今まで何してたんだろ?

 あいつ、結局私や誰かに頼って、器用に世渡りしてるだけじゃん。


 玄関で何かわめいている琴音を放置して、自分の部屋に入る。

 日記をしまってある引き出しを開け、術式ノートと一緒に引っ張り出す。


「ああ、こんなこと書いてたんだっけ。・・・全部見られたのか。・・・最悪。」


 勝手に見て、勝手に幻滅して・・・洗脳?わけのわからないことを言って・・・。


「これ、どうしよう。・・・もういらないよね。明日、学校に持って行って職員室のシュレッダーを使わせてもらおう。」


 術式ノートだけを残し、日記を取り出してカギをかける。

 ・・・ん?なんだ?今、視界の片隅に変な生き物が移ったような気が・・・。


 さては琴音のやつ、何か魔法で悪さをしようとしてるのか。

 どうやってこの部屋に入ったのかわからなかったけど、召喚魔法のようなものを使って何かに忍び込ませたとか?

 念のため、この部屋の施錠術式を最大レベルに設定しておこう。


「姉さん、お昼ご飯だって。・・・その、ごめんなさい。」


 扉の向こうで琴音が呼んでいる。

 ・・・顔も見たくない。


 視界の片隅の姿見に自分の姿が映る。

 琴音と同じ顔。

 それだけで、軽い吐き気を催す。


 制服のポケットのスマホを取り出し、母さんに電話をかける。


「・・・あ、母さん。ちょっと調子悪いからお昼は食べない。・・・作っちゃった?じゃあ、晩御飯で食べるからとっといて。・・・自分の部屋で食べるよ。」


 ドアの向こうで琴音がしばらく呼んでいたが、一切返事をしなかった。

 姿見には、シーツをかけた。


 ◇  ◇  ◇


 4月9日(水)


 翌朝、目覚まし時計の設定を切り、1時間早く部屋を出た。

 あの後ずっと、ベッドの中で悶々としていた。

 ・・・眠れず、ただ暗闇を眺めていた。


「おはよう。・・・ずいぶん早いわね?まだお弁当、作ってないわよ。もしかして部活?」


 台所に立っていた母さんが顔を出す。


「うん。そんなところ。お弁当はいらない。代わりにこれだけ持ってくよ。」


 冷蔵庫の中からゼリー飲料を取り出し、カバンの中に放り込む。

 昼は(おさむ)君と戦技研(サバゲ同好会)に行ってレーションでも食べるか、購買部にでも行けばいいだろう。


「千弦。琴音と何かあったの?昨日、寝るまでずっと泣いてたわよ。」


「・・・琴音は妄想の中の友達と仲良くしてればいい。あんなの、妹でも何でもないわ。」


 絶句する母さんを横目に見ながら、玄関に行って靴を履く。

 ・・・くそ、今日は雨か。

 傘立ての傘を手に取りかけて、琴音とお揃いで買ったものだと気づき、その隣のビニール傘を選ぶ。


 ・・・ああ、無性に腹が立って仕方がない。

 あの時だって琴音はずっと泣いていた。


 琴音がただ泣いてる間、私は誘拐犯に殴られて血だらけになって糞尿にまみれて、・・・3人も殺した。

 そして警察の拷問みたいな取り調べの後、わけの分からない薬を射たれて、廃人になりかけた。

 警察署はいまだにトラウマになっている。


 必死になってた私がバカみたい。


 勝手に泣いていればいいじゃん。

 私は泣くことも出来なかったんだよ。

 もう、私は助けない。


 ◇  ◇  ◇


 1時間早く乗った電車は、空いていて座ることができた。

 高田馬場で山手線に乗り換え、西日暮里を目指す。


 琴音とは毎朝必ず一緒に乗って、電車内では何かしらの話をずっとしていた。

 だから今日は静かだ。

 山手線はしっかりごった返してたけど。


 学校の正門をくぐり、誰もいない教室を目指す。

 だが・・・3年2組の教室に入った瞬間、私の机の前に立っている琴音と目が合った。


 ・・・こいつ、さては長距離跳躍魔法(ル〇ラ)で私を追い越したな?

 机の上には普段から私が使っている弁当箱が置かれている。


 母さんに頼んで私の分まで弁当を作らせたのか。

 そこまでして私の機嫌を取りたいのか。


「姉さん!お願い、話を聞いて。ごめんなさい、日記を見たのはわざとじゃなかったの。」


「うるさい。あんたと話すことなんてない。今すぐ出て行け。」


「姉さん・・・!」


 私は一度言ったことをそう易々(やすやす)とひっこめる気はない。

 自動詠唱機構(オートチャンター)を巻いた左手を琴音に向け、魔力を込める。


自動(Automatic)詠唱(Chanting)()()(1対象)・・・消えて。さもないと・・・。」


 琴音は一瞬何かを言いかけたけど、青褪(あおざ)めた顔で私を見ると、そのまま逃げるようにいなくなった。


 無造作に弁当箱をゴミ箱に放り込みかけて気が付く。

 これ、母さんが作ったんだよな。


 ・・・食べたくない。

 かといって捨てるのは気が引ける。


 席に着き、机に突っ伏す。

 左腕の自動詠唱機構(オートチャンター)をオフにしながら、琴音に渡した術式をどうやって回収しようか考えているうちに、私はゆっくりと眠りに落ちていった。


 ◇  ◇  ◇


 いつの間にか生徒たちの話声であふれている教室で、(おさむ)君に揺さぶられて目が覚める。


「千弦。・・・目が覚めたか。大丈夫か?すごい寝汗だ。それに顔色が悪いぞ?保健室に行くなら付き合うぞ。」


「大丈夫。・・・何それ?」


 (おさむ)君は何か、手紙のようなものを持っている。


「ん?ああ、琴音さんが千弦にって。目が覚めたら渡してほしいってさ。はい。」


 わざわざ手紙まで書いて・・・。

 それも、この封筒の趣味は・・・咲間さん(サクまん)の趣味だ。

 彼女まで巻き込んだのか。封筒くらい自分で用意しろよ!


 半ばひったくるように(おさむ)君の手から手紙を奪い、そのまま縦に引き裂いてゴミ箱に叩き込む。

 引き裂かれた封筒から、何か黒い板のようなものが落ちる。


「お、おい・・・何があったんだ?琴音さんと、喧嘩でもしたのか?」


「ほっといて!・・・(おさむ)君には関係ない!」


 くそ。

 琴音のやつ、自分の交友関係だけでなく私の彼氏まで巻き込むつもりか。

 あいつはいつも誰かに頼るんだ。


「・・・何があったのかは知らないけど、話なら聞くぞ?今でも、お昼休みでも。」


 (おさむ)君は床に落ちた黒い何か・・・SDカードを拾い、私に差し出そうとした後、思い直したようにポケットに入れた。


 ◇  ◇  ◇


 面白くもない授業が始まり、何度かの休憩をはさんで昼休みになる。


 琴音が持ってきたお弁当はやはり食べる気にならず、かといって(おさむ)君にあげる気にもならなかった。


 戦技研(サバゲ同好会)の部室に行き、購買部で買ってきたサンドイッチをかじっていると、4組の時岡君がお弁当を食べないのか聞いてきたので、あげることにした。


「なあ、千弦。お前、琴音さんと喧嘩したんだって?さっき1組で琴音さん、泣いてたぞ?『姉さんと仲直りしたい』って。」


「時岡君。貴方には関係ないから黙ってて。・・・ったく、あのバカ、他人に言いふらしてるんじゃないわよっ・・・。」


 時岡君は(おさむ)君と顔を見合わせ、大きくため息をつく。

 ・・・(おさむ)君は何も言わない。


「そうか。ま、何があったのかは知らん。興味もない。ただ・・・喧嘩できるのも笑いあえるのも、相手がいる間だけ・・・だぞ。」


「なによ、知ったような口をきいて。」


 それまで黙って聞いていた(おさむ)君が重い口を開く。


「時岡には4つ下の妹がいたんだが・・・2年前に行方不明になってるんだよ。琴音さんは中学の文化祭で会ったことがあるんだけどな。」


「俺は経験者として一般論を言っただけだ。ウチの妹は可愛かったからな。勝手に俺のプリンは食うし、こいつの前で俺の日記は朗読するし、終いには俺と家族の財布から全財産くすねたうえで家出しやがった。でも・・・可愛いことには変わりはない。」


 日記を・・・読まれた?

 それでも・・・可愛い?


「日記の内容って・・・?どんな内容だったの?」


「それを俺に聞くかぁ?・・・ま、いっか。石川、覚えてるか?」


「俺に何を言わせるつもりだよ?お前の性癖とかコンプレックスなんて興味ないって。このシスコン野郎。」


 ・・・日記を・・・見られた・・・。

 性癖?コンプレックス?・・・朗読された・・・。

 それでも、妹が可愛いって・・・。


(おさむ)君。私、ちょっと考えてみるわ。時岡君、ありがとう。妹さん、見つかるといいわね。」


「おう。そのうちひょっこり帰ってくるだろ。」


「帰ってきたら・・・。」


 どうするの、と言いかけて言葉を飲み込む。

 突然、脳裏にアメリカの片田舎で古い様式の病院・・・のような建物に連れ去られた子供たちの姿が浮かぶ。


「まずはゲンコツだな。それから、美穂の・・・妹の好きなホットケーキでも作ってやるさ。」


 空になった弁当箱を受け取り、教室に向かう。

 2組の前でチラリと琴音の姿が見えたけど、目が合うなり逃げるように1組に入っていった。


 ま、頼る相手がいないとそんなもんか。

 ・・・教室内で轟雷魔法をぶっ放しかけたのはやりすぎたか?

 でも、たまには自分の力だけでやってみればいいんだ。


 あ、日記をシュレッダーにかけそびれたよ。


 ◇  ◇  ◇


 咲間 恵


 今朝、軽音部が休みなので余裕をもって教室に入ると、かなり早い時間なのにコトねんが机に突っ伏して泣いていた。

 理由を聞いたら、何かをやらかして千弦っちに嫌われたらしい。


 もうちょっとで攻撃魔法まで使われそうだったって。


 口もきいてくれないというので、カバンの中にあった雑誌の付録のレターセットを渡したら、速攻で書いて持って行ったよ。


 でも、声をかけても千弦っちは机に突っ伏したまま返事もしなかったらしい。

 結局、本人に渡せなかったので石川君に預けたそうな。


 その後の授業中は完全にお通夜状態だった。


 ・・・そこまで怒るなんてコトねんは何をしたんだ?

 コトねんは昨日からおかしかった。

 千弦っちに嫌われたのが先か、おかしくなったのが先か。


 それにしても、千弦っちがコトねんを嫌うのって、初めてじゃない?

 傍から見てると千弦っちのコトねんに対する溺愛っぷりはまるでシスコンみたいだったからね。


 漫才みたいな言い合いもあったけど、千弦っちが理由でコトねんが泣いてるのは初めて見たよ。

 お昼休み、コトねんが大体の話をポツリポツリと話した後、2組を覗きに行ってから予鈴ぎりぎりになって戻ってきた。


「どうだった?千弦っちと会えた?」


「予鈴が鳴る直前に(おさむ)君と一緒に帰ってきたけど、声をかけようとしたら、睨みつけられた。・・・どうしよう。もう生きていけない。」


「そんな大袈裟な。さっきの話だけどさ。秋の終わりごろだっけ?、あたしがネイル塗ってもらってるときに、術式を組めないか聞いた時のことだよね?それで、術式ノートだっけ?千弦っちの部屋に借りに行ったら、一緒に日記が入ってたんだよね?」


「うん。いつも術式を共有してくれるから、術式ノートを読んだくらいじゃ怒らないと思って。それで、悪いとは思ったんだけど・・・。姉さんがすごい理由を知りたくてつい。・・・悪いことをしたと思ってる。」


「じゃあ、思ったとおりのことを言って謝ればいいんじゃない?」


 あたしとしてもこれほど仲の良い双子が喧嘩別れするところなんて見たくはない。

 それに、コトねんがおかしくなった理由について・・・若干だが納得いくところがある。


 昨日、何気なくギターを弾いたときに、突然頭の中に蘇ったメロディ。

 誰かが耳元で歌っているような、不思議な感覚。


 色々な曲を作ってきたけど、あたしが作るはずがないほど可愛らしい曲調で、でも自分で作ったのがはっきりとわかる作曲の癖。

 可能な限りFコードを減らしてDM7コードにし、Bコードを避けてB7コードにする。


 間違いない。あれは私が作った曲だ。

 それに、買い置きのCD-Rが開封されていた。

 ここのところ楽曲の収録にCD-Rを使うことなんてなかったのに。


 もしかして、私たち全員でその・・・ハルカとかいう子を忘れてる?

 コトねんは魔法使いだから、その忘れさせる何かのチカラから逃れられた・・・とか?


 千弦っちに渡すという手紙の中に、楽曲を収めたSDカードを入れておいたけど、千弦っちはそれを聞いて何か気付いてくれたらいいけど・・・。


「姉さん、死ぬまで私のこと許してくれないのかな。死んだら許してくれるかな。」


「仕方がないね。授業が終わったら、あたしから千弦っちに話してあげようか?」


「・・・うん。」


 ・・・重症だな、こりゃ。

 まあ、生さぬ仲ではないんだし、ましてや双子だ。

 何とかなるでしょう。


 ◇  ◇  ◇


 放課後、腰が引けているコトねんを引きずって2組に向かう。


 チャイムが鳴ってすぐ教室を飛び出したから、千弦っちは帰りの支度をしながらも教室に残っていた。

 彼氏の(おさむ)君は・・・いないようだ。


「千弦っち。ちょっといい?」


「・・・咲間さん(サクまん)。琴音に頼まれたの?・・・いつも誰か任せだよね?便利な私が使えないからって今度は咲間さん(サクまん)?」


「私が勝手にやってるだけだよ。それに・・・ちょっと変なんだよね。」


「・・・変なのは琴音のほうよ。何?咲間さん(サクまん)まで私に文句があるっていうの?・・・おい琴音!咲間さん(サクまん)の後ろに隠れてないで出てこい!」


「ひぃ!・・・ね、姉さん、お願い、私の話を聞いて・・・。」


「千弦っち。そんなに怒鳴ったらコトねんの話を冷静に聞けないよ。それに今回のことは、私も悪いんだ。コトねんにネイルに術式を刻めるかって聞いたからさ。コトねんは術式ノートを見たかっただけなんだってさ。」


「・・・!まさか!・・・信じられない。あの日記、咲間さん(サクまん)にも見せたの!?人の弱みを友達にバラシて何が楽しいのよ!」


 おおい!?すごい邪推だな!?

 まだその時、コトねんの部屋にいたとも言ってないぞ!?


「み、見せてないよ!その場ですぐに机の中に戻してナンバー錠をかけたよ!」


 コトねん。詳細に自分の動きの説明なんてするんじゃないよ。


「信じられるか!時岡君の妹の話を聞いてゲンコツぐらいで許してやろうかと思ったけど、もうあんたなんかどうでもいい!二度と私の前に出てこないで!」


 ・・・しまった。完全に藪蛇だったか。

 いまさら見てないなんて言ったって、信じるとは思えないな。

 ・・・どうするか。


咲間さん(サクまん)・・・もう、死にたい。」


 あっちもこっちも重症だ。

 それに、千弦っちとはコトねんほど付き合いが深くないとはいえ、やはり何かおかしい。


 私の記憶が確かならば、千弦っちはもっとこう・・・瞬間湯沸かし器みたいな怒り方をするはずだ。

 そろそろ頭が冷えてもおかしくはない。


 ましてや、あんなメルトダウンみたいな怒り方をするとは思えない。

 心の中で違和感が膨らんでいく。


「・・・コトねん。解呪(デスペル)って、出来る?」


「・・・なんでそんなこと、知ってるの?」


「昨日、兄さんの漫画・・・『武装魔法少女ミスティ』ってのを読んでたんだけど、その中に魅了を解く場面があってさ。もしかしたら・・・と思ったんだけど。」


 あたしは魔法使いでも魔術師でもない。

 だけど、なぜか記憶補助術式が使える。

 ・・・このチョーカーのおかげで。


 このチョーカー、どこで手に入れた?

 冬物だからとクリーニングに出したら断られた、保革油すら染み込まない赤いレザーのジャケットは?

 これほど不思議なものをもらっておいて、その相手を覚えていない?


 ・・・間違いない。これは、魔法だ。

 魔法や魔術が使えることが当たり前のコトねんや千弦っちは気付けないのか。


 日常と超常の境目なら、只人(ただびと)のあたしにしか分からない。

 あたしたちは、何者かの干渉を受けている。


 でも、なぜ私はそれに気づいた?

 魔法だの魔術どころか、魔力のかけらもない私が?

 だけど、それは今はどうでもいい。


 これが悪意からのモノの場合、いや、たとえそうでなくても早く対応しないと、大変なことになるような気がする。

 


 

 咲間さん(サクまん)は、魔力どころか魔法も魔術も一切使えない、いわゆるただの女子高生です。

 仄香(ほのか)が残していった人工魔力結晶付きのチョーカーはありますが、魔女ともあろうものがそれを忘れるはずなどなく・・・。

 この時点で咲間さん(サクまん)だけが洗脳下にありながら何か不思議なささやきのようなもので異常に気付いてしまっています。


 のちに、これは第三者の助けによるものと判明しますが・・・。

 その第三者、実は、これまでの話の中にほんのちょっとだけ登場しているんです。

 名前だけ。

 思いもよらない何者かが、咲間さん(サクまん)や琴音、そして千弦を見ていられなくなって思わず手助けをしてしまった・・・。

 これは、それぞれにとって吉と出るか、凶と出るか。

たぶん、70~80話くらい後でその正体が明らかとなります。

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