184 何かが欠けた日常
南雲 千弦
4月8日(火)
枕元でけたたましい音を立てて鳴る目覚まし時計を止め、ベッドの上にむっくりと起き上がる。
とても楽しい夢を見ていたような・・・それでいて何か大事なことを忘れているような気がする。
「う~ん?さっきまで見ていたはずなんだけど・・・何の夢だっけ?」
とりあえず起き上がり、パジャマのポケットにスマホを突っ込み、1階の洗面所に向かう。
琴音は・・・まだ起きてこないか。
珍しいな?いつもは少し早いタイミングで起きるのに。
ネバネバする口をゆすぎ、乱れた髪をブラシで整える。
よし。まあ、こんなもんか。
台所に行くと母さんがいつも通りの朝ご飯を作っていた。
「おはよう。琴音。今日も早起きね。・・・どうしたの?」
「おはよう。母さん。私は千弦。琴音はまだ寝てるよ。」
「あらごめんなさい。じゃあ、琴音を起こしてきてもらえるかしら?」
むう。階段の上り下りがめんどくさい。
いっそスマホで呼ぶか。
パジャマのポケットからスマホを取り出し、画面を開く。
「ん?なんだこれ?琴音からの空メール?それも12通も。」
首をかしげていると、琴音がのそり、のそりと階段を下ってきた。
「あ・・・おはよう、姉さん。昨日の夜からスマホが変なのよ。仄香に連絡をしようと思ってLINEのアプリを開いたら登録されていないし、メールアドレスも電話番号も勝手に消えてるのよ。・・・遥香のも同じで・・・写真までよ?それに、念話のイヤーカフがどこにも見当たらない。姉さん、何か知らない?」
・・・?ホノカ?ハルカ?念話のイヤーカフ?
何の話だ?そもそもそんな生徒、うちの学校にいたっけ?
まいいや。1組の生徒の名前をフルネームで全員知ってるわけじゃない。
きっと新しく友達になった子なんだろう。
「朝っぱらから何を寝ぼけてるのよ。スマホの登録が消えたなら学校に行って聞いたら?別に、もう一度聞いたって怒られるような相手ではないでしょ?」
「あ、うん。そうだね。じゃあ、そうしようか。」
朝のニュースを見ながらトーストをかじり、ゆで卵を紅茶で流し込む。
う~ん。去年の暮れに宗一郎伯父さんの別荘で食べた朝食は美味かったなぁ。
あれ?誰が朝ごはん用意してたんだっけ?
咲間さん?それともだれかお手伝いさんでも雇ったっけ?
最近、少し忘れっぽい感じがする。
パソコンの中には覚えてないファイルがあるし、USBポートには変なブレスレットが挿してあるし。
それに、机の下に置いてある段ボール箱には、よくわからない女の子のフィギュアが入ってるし・・・。
・・・まあいいや。とりあえずそのままにしておいて、帰ってきてから確認しよう。
よし、Styer l9a2、術式榴弾、それから・・・自動詠唱機構、魔力貯蔵装置。
今日もいつも通りだ。
さあ!今年度も頑張るぞ!
◇ ◇ ◇
半分寝ぼけたような状態の琴音の手を引きながら学校の校門をくぐり、新しい教室の前で別れる。
ウチの高校は、高校2年生から3年生になるときにクラス替えがないから、琴音は1組のままだし私は2組のままだ。
教室を覗くと、理君が他の男子生徒と楽しそうに話をしている。
あれは・・・4組の時岡君か。
ぬふふふ。春休み中も何度かデートをしたんだけど、結局キスはできなかった。
宗一郎伯父さんの南の島の別荘でキスをした時のように、もっとムードを盛り上げる必要があるってことか。
よし、この件は要検討ということだ。
電子黒板の横に貼られた席順に従って、自分の席に座る。
ロッカーは・・・あそこか。とりあえず荷物を入れて、南京錠を付けておこうか・・・と思って席を立とうとした瞬間、教室の前のドアが大きな音を立てて開けられた。
「姉さん!・・・ちょっと来て。」
「え?もうすぐ始業式だよ?どうせ電子黒板の中継でやるんだから、後でもいいんじゃないの?」
「今すぐ!早く!」
普段はあまり緊張感のない琴音が、まるでだれか親しい人が亡くなったかのような形相で駆け寄り、私の手をつかむ。
「い、痛い・・・あんた、まさか身体強化魔法を!?」
「千弦~。先生に千弦は琴音さんに連れてかれたって言っとくぞ~。」
理君の声にうなずきながら、そのまま廊下を引きずられていった。
・・・まあ、皆勤賞とか狙っているわけじゃないけどさ。初っ端からコレは無くない?
◇ ◇ ◇
廊下をずるずると引きずられ、非常階段のところまで来たところでやっと琴音は手を放してくれた。
「なんなのよ!もう・・・。あ、始業のチャイムが鳴ってる・・・いきなり遅刻扱いだよ。で?何があったの?」
「・・・遥香がいない。咲間さんに何か知ってるか聞いたら、『誰それ?』って言われた!座席表にも名前が載ってないし、ガドガン先生も知らないって言うし。どうなってんのよコレ!?」
そういえば、琴音のやつ、朝からおかしかったな?
「まずは落ち着きなさい。それで、そのハルカって子はどういう仲の子なの?同級生?それとも後輩?剣道部?ネイルを頼まれた子?」
錯乱し続ける琴音を落ち着かせるために、まずは情報を整理しようと優しく語りかけた・・・つもりだった。
「うそ・・・。まさか、姉さんも、なの?・・・こんなの、ありえない。」
青褪めた表情で、琴音は後退る。
あれ?何か間違えたか?
「お、落ち着いて。後ろ、階段だから。ね、ちゃんと聞いてあげるから。」
「落ち着けって・・・姉さんこそ何で落ち着いていられるのよ!うそ・・・。うそよ!そ、そうだわ、これ、ドッキリなんでしょう?カメラはどこ?随分と手が込んでるじゃない。が、学籍まで抹消して、私のスマホまでハッキングして!」
ハッキング?そういえば私のパソコンにもよくわからないファイルがあったっけ。
でも、始業式の最中に大声を張り上げたせいで、非常階段に近い7組と8組の生徒たちが教室から顔を出し、何事かと驚いている。
それに気付かないのか、琴音は叫び続けている。
・・・完全に錯乱状態だ。
「いい加減にしなさい!何があったのは理解した。だから、私がちゃんと対応するから。」
「わ,わかった・・・。でも・・・私は嘘なんて言ってない。嘘なんて、言って、ないんだから・・・」
慌てて飛んで来た養護教諭の脇坂先生に琴音を託し、自分のクラスに戻ると、いつも短い校長の講話は、やっぱり終わっていた。
新しく担任になった三先生は、琴音が錯乱していたのを知っていたのか、初日から遅刻をカウントしたりはしなかった。
「南雲君。プリントはそれで全部だ。それと、君は手品部と戦技研を兼部していたな?ならば委員会活動は無しだ。早く保健室へ行きなさい。」
三先生の言葉に従い、荷物をまとめて教室を出る。
1組にも顔を出し、ガドガン先生に自分は千弦の方である事を告げ、琴音の荷物を回収した。
琴音は昔から天才肌で少し変な所があったけど、ここまでおかしくはなかったはずだ。
出だしから躓いた高校最後の1年に、苦い思いを感じながら保健室の扉を開ける。
だが、そこには不自然な姿勢で椅子に座ったまま眠る脇坂先生だけしかいなかった。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
始まりは昨日の夜・・・いや、夕方だったかもしれない。
昼前に遥香にLINEで新しいスタンプを送ったのになかなか既読が付かなくて、夕食後にスマホを開いた時、初めて異常に気付いた。
新学期が始まってからの勉強会や、みんなでのお出かけの予定について相談しようと思っていたのに、遥香への連絡先がスマホから完全に消失していた。
アスピドケロンのホテルマヨヒガに行った時の写真も、遥香の誕生パーティーの時の写真も、何一つ残ってなかった。
一瞬、何が起きたのかもわからず、ただスマホが壊れたのかと思った。
慌ててパソコンを起動してバックアップのファイルを探したんだけど、起動時間が妙に長くかかった後、やはりすべての写真、動画のデータが消えていた。
どこか変なフォルダにしまっちゃったのか、それとも間違えて消したのか、一晩かけてハードディスクの中を片っ端から探したのに、欠片すら残っていなかった。
まるで、これまでのすべてが夢か幻かと思えるくらい、何もなかった。
だけど・・・遥香の誕生日プレゼントにアルバムを作った時の失敗作は、押し入れの中から出てきた。
ホームセンターのレシートも、残っていた。
だから、悪質なハッキングを受けているって判断したんだけど・・・。
登校してみたら・・・遥香はいなかった。
席も、学籍番号も割り当てがなかった。
それどころか、咲間さんをはじめとするクラスのみんなも、ガドガン先生も脇坂先生も遥香の存在を覚えていなかった。
そして・・・姉さんすら、彼女のことを覚えていなかった。
全校生徒の3分の1からラブレターを集めた少女は、初めからその存在がなかったように消されていた。
「大丈夫ですか?南雲琴音さん。・・・少し、寝不足みたいですね。ごめんね、保健室では薬は出せないのよ。何か常備してる薬はある?」
まるでパニック発作を起こしたような扱いを受けた私は、今保健室のベッドに寝かされて脇坂先生に介抱・・・監視されている。
・・・脇坂先生は私が魔法使いだと知っているからね。
「いえ、大丈夫です。そろそろ落ち着いたんで教室に戻りたいんですが。」
「駄目よ。お姉さんが来るまで待ってなさい。あなた、自分でケガを治せるからってかなり無茶をするからね。」
脇坂先生といえば、身体が弱かった遥香が体育の授業で見学していられるように取り計らい、また修学旅行では体調が悪くなった彼女を自分の部屋で介抱してくれた先生だ。
まあ、あの体調不良はデカい眷属を連続して呼びすぎたせいでもあるんだけど。それに、その後私に襲われたしね。
そんな脇坂先生も、遥香の事は覚えていなかった。
しかし・・・困ったな。
こうしていても何も解決しない。
あ、そうだ。
「脇坂先生、ちょっといいですか?」
「何ですか?」
「タルタロスの深淵に在りしニュクスの息子よ。安らかな夜帷の王よ。汝が腕で彼の者を深き眠りに誘い給え。」
出力をかなり抑えて強制睡眠魔法を詠唱する。
詠唱が終わると、ほとんどタイムラグなしで脇坂先生はカクンと眠りに落ちた。
「・・・やっぱり、仄香に教わった魔法、使えるじゃん。遥香も仄香も、夢や幻じゃないじゃん。」
ベッドから出て、スマホやお財布など、必要最低限のものを身に着ける。
あ・・・自動詠唱機構も持ってきてたんだっけ。
ポケットにはピンポン玉サイズの魔力結晶が入った巾着袋。
はは、フル装備じゃん。
とうとう姉さんのこと、笑えなくなってきちゃったよ。
さて・・・まずはどこに行くべきか。
よし。遥香の自宅に行ってみよう。
世界中の人間が遥香を忘れても、遙一郎さんと香織さんだけは覚えてるに違いない。
まだあきらめるには早すぎる。
意気込んで保健室の入り口から出ようとしたとき、換気のために開けられていた窓の外に、一陣の風と共に何かが飛来した。
「なに・・・これ。なんでコレが、ここにあるの?仄香に没収されたはずなのに・・・?」
窓の外には、木製の本体に、まるで融合したかのような複数の円盤と、ごつごつとした背骨という、持っただけで呪われそうなデザインの杖が、地面から10センチほど浮いた状態で立っていた。
「業魔の・・・杖。私と一緒に、ついてきてくれるの?」
業魔の杖を手に取ると、まるで自分の半身を取り戻したかのような全能感に包まれる。
「よし・・・!勇壮たる風よ!汝が翼を今ひと時我に貸し与え給え!」
長距離跳躍魔法を発動し、空に舞い上がる。
これだって魔女の魔法だ。ほら!やっぱり魔女はいるんだ!
私の夢や妄想ではないんだ!
叫びたい気持ちを抑えて、一路、遥香の自宅に向かって空を駆け抜けた。
◇ ◇ ◇
すでに通いなれた見沼代親水公園駅の近く、きれいな並木のある道路に面した上品な一軒家の前に降り立つ。
かわいい模様の門扉を押し開け、玄関横のドアチャイムを鳴らそうとして何気なく表札を見たとき、思わず背筋が凍り付いた。
そこには、確かに「久神 遙一郎」さんと「香織」さんの名前が彫られた、黒字に金文字の漆塗調の表札が掲げられていた。
だが・・・。
その隣に彫られている「遥香」の文字が・・・。
黒塗りになっていた。
「あら?どちら様?」
玄関先で固まっていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
振り向くと、香織さんがエコバックを片手に不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。
目の下にクマがあり、髪も乱れている。
以前に比べてかなりやつれているようだ。
「あ、あの、私・・・遥香さんの・・・同級生の・・・。」
「・・・ああ。遥香の友達ね。どうぞ。上がってください。」
・・・そうか、やっぱり遥香は存在してるんだ。
そりゃ、そうだよ。いきなり霞のように消えるだなんて、いくらなんでもあり得ない。
きっと具合が悪くなっているんだろうと思い、香織さんに続いて家に上がらせてもらう。
そして、リビングに通され、案内されたのは・・・。
少し幼くみえる遥香の写真が飾られた、仏壇の前だった。
「今日は始業式かしら?遥香も生きていれば今年で高校3年生ね。亡くなってから1人もお線香を上げに来る友達もいないから、ちょっと心配だったわ。あの子、剛久君以外と付き合いがなかったみたいだし。」
「あ、あの、これ・・・遥香・・・さんは、いつ・・・。」
「去年の3月14日よ。今頃は天国で剛久君と2人、楽しく暮らしてるといいんだけど。」
もう、何が何だかわからない。
昨日と一昨日の間で何があった?
たしか一昨日は、LINEで新学期の予定と、始業式の日は半ドンだから、原宿の竹下通りに春夏物を見に行こうって内容の連絡をしたはず。
「・・・遥香さんの部屋、拝見してもよろしいでしょうか。」
「ええ。亡くなった当時のままにしてあるわ。でも、そろそろ片付けしなくちゃならないの。」
香織さんは自分のおなかを軽く触り、少しうれしそうに言った。
そういえば・・・何日か前のLINEで「もうすぐお姉ちゃんになる!」って喜んでたっけ。
ついでに、「千弦ちゃんみたいなお姉ちゃんになりたい」とも言ってたっけな。
香織さんに案内されて遥香の部屋に入ると、ふわりと梅の花のような匂いが広がる。
・・・これは!間違いない。姉さんが作ったスラタラサーヤナのペンダントの匂いだ。
白を基調とした壁紙に、ピンクの縁取りがされた家具。ベッドの上のぬいぐるみと、ローテーブルの上に置かれたガラス製の小物入れ。
木製の飾り気のない本棚には、どちらかというと男の子が好みそうなデザインの衣装・・・いや、装備をした魔法少女モノの漫画が並んでいる。
そういえばコレは仄香の趣味だったっけ。
「・・・キレイに掃除されてますね。埃の一つもない。」
ローテーブルも机も、どこにも埃一つ積もっていない。
「・・・ええ。まるで昨日か一昨日まで娘がいたかのよう。今も、玄関を開けて『ただいま~』って元気に帰ってきてくれるような気がするわ。」
一昨日まで間違いなくここにいた、私とLINEで連絡していた、それどころか半月前には旅行に行ったんだと叫びたいのをぐっとこらえる。
さらに部屋を隅から隅まで調べたい衝動に駆られながらも、何とか抑えて扉を閉める。
・・・私が姉さんのように勘が鋭かったら、この場で何か違和感に気付けたかもしれないけど・・・一応は念のために記憶補助術式を作動させておいた。
後で自動書記術式で書き出して検討してみよう。
「あ。・・・そうだ。一つ、思いついたことがありまして。何か紙を・・・A4くらいの紙と鉛筆・・・ボールペンでもいいんですけど、お借りすることはできますか?」
「え、ええ。じゃあ、これでいいかしら?」
香織さんはリビングにあったパソコンのプリンターからコピー用紙を1枚引き抜き、近くにあったペン立てと消しゴムを差し出してくれた。
ペン立ての中には蛍光マーカーや赤い色鉛筆、青いインクのボールペンなどが立っている。
「私、ちょっと絵心があるんです。似顔絵・・・のようなものを。」
ペン立てを文鎮代わりにコピー用紙を抑え、素早く自動書記術式を発動して両手2本ずつ持った黒、青のボールペン、黄色の蛍光ペン、赤い色鉛筆を使い、遥香の似顔絵を描いていく。
胸から上を描いた、遥香の似顔絵が5分ほどで完成する。
はたから見ていたら気持ち悪いくらいの速度だろうね。
コレだって魔女の術式だ。
・・・うん。似顔絵とは言ったものの、ほとんどカラー写真になってしまった。
さすがは記憶補助術式と自動書記術式の合わせ技。
「す、すごい・・・これって・・・。」
「遥香さんがうちの高校の制服を着ていたらこんな感じかな、というのを描いてみました。遥香さんの仏前に備えていただけたら幸いです。それでは、私はこれで失礼いたします。」
似顔絵に描いたのは、先月の終業式で楽しそうに笑っていた、遥香の最後の制服姿。
「ありがとう、ございます。娘も、あなたのような友人に恵まれて喜んでいると思います。」
香織さんは玄関先だけではなく、門を出てもずっと頭を下げ続けていたので、とうとう長距離跳躍魔法を使いそびれてしまったよ。
日暮里・舎人ライナーの車窓から、遥香と一緒に登校した景色が見える。
・・・まだ状況は全く分からない。
だけど、何者かの攻撃を受けているにしても、仄香がいるのだから負けるはずはない。
よし。今夜、もう一度姉さんと話して、それで駄目なら1人でも彼女を探しに行こう。
この杖があれば、軍隊だって怖くないからね。
◇ ◇ ◇
仄香
玉山 隠れ家
「マスター!とんかつとお味噌汁が冷めるー!」
グローリエルが夕食を作ってくれたが、隠れ家内は今、大変な騒ぎになっていた。
宝物庫に封印しておいた業魔の杖が、勝手に転移術式を作動させてどこかへ消えてしまったのだ。
「ちょっと待って、今それどころじゃ・・・」
「あー。仄香さん。もうあきらめて食べたら?エルちゃんが揚げたとんかつ、すごくおいしいよ?」
ダイニングでは遥香とグローリエル、そして吉備津彦が食卓を囲んでいた。
先に食べるよう言ったのだが・・・。
「仕方ありません、業魔の杖を探すのは後にしましょう。それにしても、まさかアレに自律行動する能力があるなんて思いませんでした。」
「ねえ、仄香さん。業魔の杖って、仄香さんの背骨だって言ってたじゃない?どれくらい昔の身体の背骨なの?」
・・・遥香のやつ、ずいぶん吹っ切れたみたいだな?
それとも無理をしているだけか?
「あの背骨は・・・歴代最強と言ってもいい身体の・・・玉藻の前、または、金毛白面九尾の狐と呼ばれていた時のものです。」
なんであんなものを残してしまったのか、心から悔やまれる。
「マスター。僕がへし折って燃やしましょうか?」
「吉備津彦。気持ちはうれしいんだけど、それだけだとちょっと心配ね・・・。今度見つけたら灰になるまで燃やすか、金星の硫酸の海に捨てるか・・・。」
実際、あの杖についてはあまりよくわかってはいない。
琴音の話だと、流し込んだ魔力を増幅して出力したり、チャージされた分の魔力で自動的に防御したり攻撃したりしたことを確認したというが・・・。
「マスター。追跡術式と監視術式は?」
「先ほど確認しましたが、解呪されていました。瞬間的ですが、私の出力を上回ったようです。」
「え゛っ・・・。それって・・・。」
「ええ。考えたくはありませんが、あの杖が十分な魔力と知識を有する魔法使いの手に渡った場合、バイオレット並みの脅威になる可能性があります。」
「まずは腹ごしらえ。悩むのはあと。とんかつのお替りは?」
「エルちゃん。お替りはふつう、ごはんとキャベツだよ。」
グローリエルは一瞬考えた後厨房に戻り、30秒ほどでみそ汁と揚げたてのとんかつを持って戻ってきた。
「マスターは揚げたてを食え。私はそれをもらう。」
一瞬でみそ汁ととんかつを差し替えられてしまった。
・・・うん。美味い。
業魔の杖・・・琴音あたりが拾ってくれているとありがたいんだが・・・。
だってあいつ、抗魔力が高すぎて業魔の杖側が押し負けてたしな。
業魔の杖だけでなく、ありとあらゆる呪物の呪いを気にせずに使えるのは、世界広しといえどもあいつくらいだろう。
だが、超広範囲の洗脳魔法で私と遥香に関する記憶を奪い、干渉術式で電磁的記録を消去し、グレムリンに物理的な痕跡を消させたのは私自身だ。
琴音も私のことなど覚えてはいまい。
胸がチクリと痛むが、教会を滅ぼすのが終わるまで、この洗脳魔法を解くつもりはない。
「とにかく、明日はオリビアさんと合流して、フランス・・・マルセイユに向かいます。それからイタリア、スイス、それから・・・ロシアの南ウラルにも行く必要があるでしょう。」
「あはは。それじゃ世界旅行だね。あ、私の身体で行くの?それともジェーン・ドゥの身体で行く?できたら私の身体、使ってほしいかな、なあんて。」
「・・・ジェーン・ドゥの身体は、ワレンシュタインとの戦いでかなり無茶をさせましたから戦闘には使えません。申し訳ありませんが、遥香さんの身体を使わせていただいてもよろしいですか?」
「ふふふ!待ってました!思い残すことなんてないから、存分に使っちゃって!どうせ修復できるんでしょ。腕や首の4・5本くらい気にしないからさ!」
「遥香。腕は2本、首は1つ。・・・マスター。なるべく遥香の身体、壊さないで。」
「もちろんです。それに今回は良い盾役がいますからね。」
オリビアは攻撃魔法の類いは一切使えないが、盾役としての能力はピカイチだ。
ついでに宝物庫にある適当な鎧でも出しておいてやろう。
ビキニアーマーは目立って仕方がないからな。
とんかつを食べ終え、ジェーン・ドゥの身体から遥香の身体に乗り換えて大浴場に向かう。
ああ、紫雨にも後で連絡をしておこう。
南雲教授の仕事があるから、今回の旅には同行させられないが・・・母親の動向くらい知っておきたいだろうしな。
源泉かけ流しの露天風呂(洞窟内)の、天井に投影された外の景色を見ながら湯につかると、たまった疲れや様々な葛藤がゆっくりと溶けていくのを感じる。
教会をぶっ潰す。
琴音や千弦たちの生活をまもりつつ、可能な限り迅速に遥香の帰る場所を戻してやるために、決意を新たにした。