180 遥香の日常、魔女の家族
3月15日 午後
久神 遥香
杖の中の仮想空間で参考書を見ながら勉強していると、ふわっと仄香さんの気配が広がる。
使い慣れた聴知呪を使って杖の外の世界に耳を澄ませてみると、玄関のほうからカチャリと音がして、「ただいま〜」という私の声と「お邪魔します・・・」という男の子の声が聞こえた。
誰だろう?年齢的には私たちとそう違わなそうだけど・・・。
仄香さんの知り合いかな?
「おかえりなさい、遥香。そちらの方は?もしかして、新しい彼氏?」
「やだなぁ、ママ。そんなんじゃないよ。彼は水無月紫雨君。宗一郎さんの親戚で、新しくできた友達だよ。」
「へぇ〜。うふふ。じゃあ、そういうことにしておきましょ。まだお夕飯には早いからおやつを用意しておいたわ。部屋にもっていくから、手洗いとうがいをして2階に上がってていいわよ。」
「あ、ちょっと待って。もうママだけの身体じゃないんだから、私が自分で持っていくよ。それに、お夕飯の支度も私がやるんだから。ゆっくり休んでて。」
仄香さんはママとそんな話をした後、コーヒーとクッキーをのせたお盆を持って、白髪の男の子を連れて私の部屋に入ってきた。
《おかえりなさ〜い。早かったね。パパとお祖母ちゃんは一緒じゃないの?それに、その人誰?》
《ただいま。遥香さん。遙一郎さんと叶多さんは大事な話があるそうです。・・・というか、私のことがバレまして。親子会議だそうです。》
《バレた・・・ええ?なんで!?まさか、パパが言っちゃったの?それとも仄香さん?ああ〜。どうしよう。叶多お祖母ちゃんには最近すごくいい成績って褒められたのに・・・。》
《叶多さんはそれほど怒っていませんでいたよ。遙一郎さんはかなり絞られているようですけど。・・・それと、バレたのは全部私のせいです。ごめんなさいね。》
仄香さんのせいでバレた?
う〜ん。そんなに口が軽い人でもないと思うんだけど・・・。
《あ。もしかしてだれかと戦った?スカートの裾に血がついてるし、襲われたとか。》
《それは・・・バレた後ですね。この家の前で襲われましたけど、バレた理由ではないですね。》
う〜ん?どういうこと?
「母さん。この部屋が母さんの部屋?随分と可愛らしい趣味なんだね。」
カアサン?・・・母さんって言った?
《ど、どどどどどういうこと!まさか、私の身体で子供産んだの!?い、いつの間に!?え?その子のパパは?誰の子!?》
《落ち着いてください。全部話しますから。》
「・・・母さん。さっきから黙ってるけど、もしかして誰かと念話中?」
「ええ。・・・紫雨。これを耳に嵌めてくれるかしら。そうしないとちょっと話が進みそうにないわ。」
仄香さんはそう言いながら、自分の耳に嵌めていたイヤーカフを白髪の男の子に渡した。
《・・・ん?ちょっと待って?そのイヤーカフがないと私、杖の中から出られないんですけど?》
「すぐに新しいイヤーカフを作りますよ。《紫雨。聞こえるかしら?》」
《ああ。感度良好だよ。・・・お?母さんと同じ声が聞こえる。それに・・・ああ、杖の中に誰かいるのか。へぇ〜。知能付き武具なんて作ったんだ。人工的に魂を合成するなんてすごいね。》
《イン・・・何て?まあいいや。仄香さん、全部説明してくれるんだよね。》
仄香さんは少しいたずらっぽく笑った後、話がうまくかみ合わない白髪の男の子の事と、叶多お祖母ちゃんにバレたことについて嬉々として語り始めた。
◇ ◇ ◇
一通りの説明が終わったところで仄香さんはコーヒを飲み、クッキーを口に運ぶ。
・・・まさか、仄香さんの最大の目標であった我が子との対面が果たされていたなんて知らなかったよ。
それと、紫雨君はアルビノではなくて銀髪紅眼らしい。
・・・でもちょっと待って?
この親子、聞いた話によると、年齢は15歳くらいしか離れていないというんだけど・・・。
二人とも6,800歳を超えてるのに、15歳差なんてほとんど誤差みたいなもんじゃないの?
・・・まあ、言わないけどさ。
「いやあ、驚いた。まさか母さんが今使ってる身体の本来の持ち主がまだ生きてるなんてね。僕の時はそんなこと一度もなかったなあ。」
「私だって遥香さんが初めてですよ。それに、5年くらいして遥香さんの霊的器質の修復が済んだら、予備の身体に乗り換えなければいけないんですよね。」
「う〜ん。そうか・・・まあ、5年なんて一瞬だね。でも困ったな。僕が乗り換えられる身体がない。レギウム・ノクティス時代に何人か子供はいたんだけど・・・。」
《もしかしたら、この国にも紫雨君の子孫がいるかもしれないよ?ちょっと探してみたら?》
とは言ってみたものの、基本的には相手が死んだ瞬間に憑依するわけだから、子孫が死ななければならないわけで・・・。
「とにかく、これからはゆっくりと生活できるんです。紫雨は宗一郎さんに生活基盤を整えてもらったんですよね?じゃあ、彼には私のほうでお礼をしておきますから。」
まったく、世間は広いようで狭いとはよく言ったものだ。
まさか、仄香さんと出会う前に宗一郎さんやエルちゃんと知り合っていたなんて思わなかったよ。
《ん?仄香さん、どこに行くの?》
「お夕飯の支度です。もうすぐ遙一郎さんも帰ってきますしね。ああ、紫雨はお夕飯食べていくわよね?」
「もちろん!母さんの手料理なんて、ものすごく楽しみだよ!生まれて初めてかもね。」
《・・・今日だけは何も言わないよ。紫雨君。あまり期待はしないようにね。》
首をかしげる紫雨君をよそに、仄香さんは鼻歌を歌いながら階段を下りていく。
まあいいや。
身体に戻れない以上、今夜の晩御飯を食べるのは私じゃない。
・・・知〜らないっと。
◇ ◇ ◇
3月16日(日)夜
南雲 千弦
琴音が壊した自動詠唱機構と魔力貯蔵装置の修理を終え、ついでと言っては何だけど、新しい装備の開発に取り掛かる。
例のリビアの遺跡で琴音が大量にちょろまかした魔力結晶のうち、半分をもらったので何か新しい装備を作ろうと思っていたんだけど・・・。
むう。さっぱり思いつかない。
魔力結晶はそのまま魔力貯蔵装置として使えるんだよね。
・・・二次電池みたいに再充電はできないけどさ。
それに、術式回路に組み込むには、ちょっと出力が高すぎてもったいない。
だからといって砕いて小さくするなんて、危なすぎてできやしない。
「どうしよう、コレ。半分も要らなかったかな?・・・はあ。もう少し考えよう。」
目の前にある、大小合わせて500グラムを超える魔力結晶を見てため息をつく。
っていうか、白頭山を吹き飛ばすのに必要な魔力結晶の量がちょうどこんなもんじゃなかったっけ?
「それとも、召喚魔法にでもチャレンジしてみようか?でもなぁ。二号さんならともかく、別に戦闘用の眷属なんていらないしなぁ。・・・どうしよう。」
机の上に置かれた赤い石を前にひとしきりため息をついた後、もう一度ため息をついてから箱にしまう。
ま、必要になったら考えましょう。
「琴音〜。千弦〜。ご飯よ〜。」
階下から母さんの声が聞こえる。
ヤバ。もうそんな時間か。今日は全く勉強できなかったよ。
ドアを開け、廊下に出るとなぜかニヤニヤと笑っている琴音と合流し、ダイニングに向かう。
「・・・琴音。すごくご機嫌ね。何かいいことでもあったの?」
「ん〜?別に〜。でゅふふふふ・・・。」
なんというキモイ笑い方をしてるのよ。
・・・ああ、これはあれだな。
アレクさんと国際電話でもしてたな。
まったく、理君と付き合ってるはずの私は、ほとんど・・・全く進展がないってのに。
明日、終業式が終わったら、手品部の部室に連れ込んで押し倒してやろう。
それで、キスとか・・・でゅふふふふ。
「姉さん。その笑い方、キモイよ。」
・・・うっさいわ。
◇ ◇ ◇
3月17日(月)
翌日。
今日は終業式だ。
なぜか私は、目を真っ赤にして朝の洗面台で顔を洗っていた。
ベッドに入ってからも魔力結晶の使い道について悶々と悩み続けて、とうとう眠れずに机に向かうことになってしまった。
夜通しCADを動かし、何度も設計を変更しながら作った得体のしれないモノが、今、私の部屋で3Dプリンターの上で製造されている。
終業式が終わって帰ってくる頃には完成しているだろう。
・・・しかし、抗魔力増幅機構って・・・。
こんなもん何のために使えばいいんだ?
「はあ・・・。スランプだわ。・・・お、遥香・・・じゃなかった、仄香からLINEね。」
そういえば、昨日の夜にもLINEが届いていたっけ。
春休み中にみんなで旅行に行く予定なんだけど、今回の幹事は仄香だったんだよね。
きっとその話だろう。
ふふん。うちの学校は修学旅行で海外にも行ってるから、パスポートが必要でも問題ないのだ!
顔を拭いてスマホのアプリを開くと、そこには思いもよらない言葉が記されていた。
・・・人生の目標をクリアした、と。
「・・・どういうこと?・・・え?水無月紫雨?父さんの大学にアルバイトに来た魔術師よね?仄香とも知り合いなんだ。ふ~ん。世間って広いようで狭いわね。」
よくわからないが、どこの馬の骨でも仄香の知り合いならば安心できる。
それに、私の知らない術式を知っていたら儲けものだ。
まあ、そんなことより終業式だ。
式の最中に寝ないように気をつけねば。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
姉さんから借りて壊した自動詠唱機構と魔力貯蔵装置については、請求された金額を支払って事なきを得た。
でも、姉さんから原材料費だけで手間賃や工具、工作機械の減価償却分は含まれてないと文句を言われてしまったよ。
とりあえず平謝りをしながらリビアのノクト遺跡の戦利品・・・魔力結晶を見せたら、半分で勘弁してくれることになった。
「しっかし・・・魔力結晶にこんな使い方があるなんて知らなかったわ。」
気付いたのは偶然だった。
いや、なんとなくそんな気がしないでもなかったんだけど。
エルフをはじめとするダンジョン産の幻想種は、人間に比べて圧倒的な総魔力量を誇るという。
そして、ダンジョンの最奥には、ほんのちょっとの魔力結晶があるという。
だったら、毎日魔力結晶の上で寝たらどうなる?
「まさかね~。本当に効果があるなんて思わなかったわ。」
いつも抱き枕にしているジンベイザメのぬいぐるみに、手持ちの魔力結晶のうち最大サイズのモノをその口に突っ込んで毎晩抱いて寝てみたのだ。
・・・結果、約一か月・・・いや、4週間で私の魔力量は跳ね上がった。
夜な夜な家を抜け出して、近くの公園で自動詠唱機構を使って魔法を使ってみたが、・・・魔力が尽きる様子がない。
まあ、そんな大規模な魔法は使ってないけどさ。
「ふふ・・・ははっ。これ、もしかして姉さんより魔力量、多くなってない?それに・・・制御能力も上がってるかもしれない。」
セーラー服に袖を通しながら、ニヤニヤしてしまう。
昨日なんて、ニヤニヤしすぎてもう少しで姉さんに気付かれてしまうところだった。
でも・・・。
「う~ん。どうしようかな。やっぱり、姉さんにも教えてあげたほうがいいのかな。」
目を真っ赤に充血させている姉さんと一緒に朝ごはんを食べている間も悩み続け、とうとう家を出る時間になってしまった。
「ま、とりあえず仄香にも相談しよう。姉さんに教えるのはそのあとでもいいかな。」
今日は終業式だ。
期末テストの結果も帰ってくるし、春休み中の旅行についても仄香から詳しい話があるだろう。
あ、そういえば4月になったら席替えがあったっけ。
また遥香や咲間さんと近くの席になるといいな。
◇ ◇ ◇
終業式を終えて、テスト結果が張り出された。
やっぱりというか当然というか、仄香が全科目満点、ぶっちぎりで1位だった。
・・・そして、咲間さんは2位だった。
私たちは、というと、姉さんが17位、そして私は18位だった。
・・・ちくしょう。また負けた。点差はわずか2点だというのに。
まあいいや。
気持ちを切り替えて春休みを楽しみましょうか。
そういえば今日の遥香は少し様子が違う。
朝挨拶をした瞬間から、終業式が終わり、テストが返却されてからもずっと仄香と交代している様子がない。
例の杖は持っているけど、仄香自身がその中にいる様子もなさそうだ。
「・・・ねえ、遥香。そんなに長い時間、身体を動かしていて大丈夫なの?そろそろ3時間超えるよ?」
「うふふ。実は千弦ちゃんのおかげで一日6時間くらいなら身体を動かせるようになったんだよ。」
そういいながら遥香は例のペンダントを胸元から取り出す。
爽やかな梅の香りとともにきらりと光るそれは、姉さんが作った人工魔石のペンダントだった。
「ふう~ん。じゃあ、次の中間テストはしっかり頑張ってね。遥香。」
「う・・・。琴音ちゃんのいじわる。」
遥香が頬を膨らませたのを見てなんだかおもしろくなって吹き出してしまったが、今後も仄香がテストを担当するのだろう。
さすがにこの状態で「はい、あとは任せた」はないだろう。
「咲間さんもすごいよね。学年二位だって。毎日すごいたくさん勉強したんじゃない?」
「いや~。実は仄香さんと一緒に勉強する以外、まともに勉強してないんだよね。・・・ほんと、すごいよね、仄香さんって。」
ん?そういえば今朝、一度も仄香と話してないな?
「あ、仄香さんなら出かけてるよ。杖に入った状態で紫雨君と一緒だって。」
・・・紫雨君?誰だそれ?
どこかで聞いたような・・・お父さんの助手の人がそんな名前だったような気がするけど。
そういえば変なLINEが届いていたな?
人生の目標をクリアしたとかなんとか・・・。
用事がすんだら合流するつもりらしいし、直接ウチに来るように言っておこうか。
よし、仄香が戻ってきたら詳しいことを聞こう。
春休み中の旅行の話もあるだろうし。
4月からはいよいよ高校最後の一年だ
それに、私たちはあと二か月ちょっとで18歳、つまりは大人になる。
実感はわかないけど、社会に出て家族を持つようにもなるだろう。
気合を入れて頑張らないと。
◇ ◇ ◇
スイス・イタリア国境付近
シルヴァエ・オブスクラエ
教会本部
三条満里奈
教会本部は今、大混乱を極めている。
リビアでは、十二使徒の第五席と第八席・・・神罰の雷ミカエラ・アルトゥールと石雲ペドロ・クラインが失われた。
そして、第十二席のオリビア・ステラは行方不明だ。
それに加えて三聖者の第二位が行方不明ともなれば、混乱するなというほうが無理な話だ。
「聖女様。エドアルド様が最後に向かった場所がわかりました。・・・日本の東京・・・どうやら魔女の子孫を探しに行ったようです。」
そう言いながら瑞宝が報告書を差し出してきた。
「またつまみ食いですか。教皇猊下にあれほど怒られたというのに・・・。」
「ご本人は魔女が転生した先をチェックして回っているといって聞きませんでしたが・・・実際に聖釘を持ち出していたようですし・・・。」
瑞宝の言う通り、エドアルド様は聖釘を4本も持ち出している。
すべて、しんかい12000が回収した、魔王の封印に使われていた聖釘だ。
せっかく少なくなった本数が戻ったというのに、これでは元の木阿弥ではないか。
「そう・・・ね。たしか、エドアルド様の名前で4本の聖釘が持ち出されていました。であれば、今回の行方不明の件には魔女は絡んでいない?」
相手が魔女であれば、聖釘を持っている者に対してはほぼ無力になる。
それこそ、白頭山の時のように自爆くらいしかできないはずだ。
「ですが、持ち出された4本の聖釘の行方も分かっていません。追跡術式にも反応がないところを見ると、破壊された可能性もあります。」
聖釘にかけられている追跡術式は、地球上であれば確実にその所在が分かるようにできている。
となると・・・破壊された?
やはり、人をやるべきだろう。
「瑞宝・・・。悪いけど、クラリッサと一緒に日本まで行って調べてきてくれないかしら。魔女『ジェーン・ドゥ』の特徴は分かるわね?」
「はい。写真も確認済みです。」
「では命令です。李瑞宝はクラリッサ・シュタイナーとともにサン・エドアルド様の足取りを追いなさい。万が一、魔女と遭遇した場合は戦闘せず、可能な限り情報を収集し、直ちに離脱すること。必要な装備をそろえ、明日にはイタリアを立つように。いいですね?」
「はっ。承りました。」
瑞宝は私の命令に従い、素早くその場を去る。
・・・しかし、妙に気になる。
エドアルド様を倒せるような者がこの世にいるのか?
万軍の二つ名は伊達ではない。
その身に数万の眷属を抱え、そのすべての命を削りきらないと殺せないとまで言われた正真正銘の化け物だ。
嘘か誠か、伝説の夜の帝国の魔王を討ったとすら言われている。
・・・私のように一芸を極めただけではない。
そんな彼が行方不明・・・。
背筋の悪寒が止まらない。
・・・もう一手、何か決め手になるものが必要だ。
「仕方がない。気は進まないけど、彼に頼むしかなさそうですね。」
席を立ち、地下へと向かう。
この先には、教会が積み上げてきた様々な魔法に関わる遺産が眠っている。
祝福、呪いの如何を問わず。
地下で待つ彼は、十二使徒第二席にして四人目の魔族。
そして、聖釘の生みの親。
バシリウス・モルティス。
「また面倒なものを作っていなければいいんですけど。はあ・・・気が重いですね。」
薄暗い地下への階段は、まるで私たちの未来を暗示しているようだった。