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179 奇跡に水を差す者/欠けた三聖者

 仄香(ほのか)


 遙一郎と叶多(かなた)は、何とか落ち着きを取り戻した私たち二人をつれて地下駐車場まで戻り、車に乗って近くの個室があるレストランに向かった。


 幸いなことに叶多(かなた)もジェーン・ドゥの身体の時の私と面識があるし、その目的についても三十年ほど前に説明してあったのを覚えてくれていた。


 だが・・・。


「遙一郎。おまえ、こんな大事なことをなんで私に言わなかったんだい!?まさか自分の命の恩人が孫娘の身体に入ってるなんて思いもしなかったよ!」


「ごめんなさいね、叶多(かなた)。遥香さんの身体を勝手に使ってしまって。」


「ああ、貴女には何も怒ってなんかいないよ。大体、遥香はもう死んでたんだろ?礼を言うことはあっても文句なんてあるはずもないさ。それより、そんな大事なことを黙ってたバカ息子に腹が立ってるんだよ。」


 叶多(かなた)の怒りが収まらないようだ。

 先ほどから遙一郎が借りてきた猫のように小さくなっている。


「とりあえず、バカ息子は放っておこう。遥香も中身はまだ生きてるみたいだしさ。それで、この子はジェーンさんの・・・息子さんだって?名前はなんていうんだい」


「あ、はい。今の名前は、水無月紫雨(しぐれ)です。その前はノクス・プルビアと呼ばれていました。」


 ・・・なんだって?

 それって、古代魔法帝国の初代皇帝の名前じゃないか。

 たしか、三世の時代に魔族の猛攻を受けて滅んだと聞いていたが、こんなことなら無理してでも足を延ばしておくんだったか。


「そうじゃなくて、本名よ。生まれたときに母親・・・ジェーンさんからもらった名前は?」


「ええと、名前という概念がないほど古い時代だったので・・・たしか、『大いなる雨の日の夜に生まれた息子』と叔母には呼ばれていましたが・・・。」


 ・・・叔母?誰のことだろう?

 飛び去った後で叔母と呼べる仲の女性がこの子を育ててくれたのだろうか。


 ならば感謝をしておかねばなるまい。

 直接会って礼を言えないのが本当に残念だ。


「とにかく、貴女たちは先に帰りなさい。積もる話もあるでしょうし、ついでに香織さんの様子も見てあげて。一人にしておくのはなんだか心配なのよね。」


「え!?じゃあ、俺、この後も母さんと二人きりってこと?」


「だまらっしゃい。遙一郎はこのまま私の家に行くのよ。ベビー用品代は私が全部出してあげるわ。その代わり、今日一日使って洗いざらいはいてもらうわよ。」


 ひとしきり遙一郎が怒られた後、すぐに料理が運ばれてきた。


 ・・・食事の最中、彼の話に耳を傾け、その人生が私と同じくらい、いやそれ以上に波瀾万丈であったことを知り、笑い、時に涙した。

 その間、叶多(かなた)も遙一郎も、口を挟まなかった。


 叶多(かなた)が支払いを済ませ、店を出て新宿駅で二人と別れる。

 新宿駅から山手線に乗り、西日暮里駅で日暮里・舎人ライナーに乗り換える。


 その間ずっと、彼・・・紫雨(しぐれ)は私と手をつないでいた。


「ねえ、母さん。そういえばさっきから僕が話し続けてるけど、母さんの話も聞きたいな。特に、ここ1700年の間のこととかさ。」


 店を出てすぐに外見を高校生くらいに調整した彼が、私を母さんと呼ぶのが少しおかしく感じる。


「そうね。話せば長くなるわ。ふふっ。なにせ1700年分だもんね。じゃあ、4世紀の初めころかしら。当時はイス(IS)・・・今のフランスのブルターニュ地方にある町に住んでいたんだけどね・・・。」


 この子の手は二度と離したくない。

 たとえ、この手がちぎれても。


 見沼代親水公園駅を降りてからも話は弾む。


 ああ、念のためにこれも渡しておこうか。

 ショルダーバックから、私の魔力を結晶化させた魔力結晶を一つ取り出し、渡しておく。


「母さん、これは?」


「持っていなさい。何かあったらきっと役に立つから。」


 多分、今の私は世界で一番幸せなのだと思う。


 これほど長い旅路の果てに己の望むものを手に入れた人間など、私をおいて他にはいないだろう。


 おかげで、道路の先に我が家・・・遥香の家が見えてきて、左手でポケットから家の鍵を取り出すその瞬間まで、完全に警戒心が薄れていた。


 家の前にたたずむ、青髪、単身痩躯の青年が放つ異様な気配にすら気づかなかった。


「お?やあ、君が久神遥香さんだね。・・・そちらの坊やは・・・驚いた。二人ともすごい潜在魔力量だね?くくくっ。これはメインデッシュだけでなくで前菜までついてくるなんて。この国の言葉でいうとカモネギだっけ?うれしいや。」


 なんだ?イタリア語?

 遥香にイタリア人の知り合いなんていたっけか?


 首を傾げた一瞬。そう、まさに一瞬のことだった。

 視界一杯に広がる闇が、私の全身を覆ったのは。


 気づけば、真っ暗な空間に一人ぽつんと立っていた。

 その右手・・・紫雨(しぐれ)の手を握っているはずの腕は、肘から先がなかった。


 慌てて右手を止血し、周囲の魔力を全力で検知する。

 ・・・よかった。紫雨(しぐれ)は無事なようだ。

 だが・・・。


「・・・"O dea momenti,Verdandi invisibilis!Ego vitam meam prehendo crinem tuum.Appareas, precor."(()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」


 闇の向こうから聞こえてきたのは、初めて聞いた紫雨(しぐれ)の声で聞く呪文の詠唱だった。


 ◇  ◇  ◇


 久神 香織


 断続的に襲ってくるつわりに悩まされながらも、いくつかの家事を片付けていく。

 最近は遥香が家事をいろいろと手伝ってくれる。


 おかげでパートがある日の家事を気にする必要がなくなったのは、本当にありがたかった。

 ただ・・・あの子、時々味がない料理を作るのよね。

 味以外は妙に手が込んでいるんだけど・・・。


 いつかできるかもしれない彼氏に手料理をふるまうときに、相手の男の子に我慢させながら「おいしい」と言わせるのかしらね?


 でも、洗濯や掃除だけでなく、洋服のサイズ直しまでできるのよね。

 いつの間に覚えたのかしら。


 そんなことを考えながら、先日の遥香の誕生パーティーの後に使った布団をベランダから取り込む。


 よし、干すところまでは遥香にやってもらったけど、しまう時は乾燥しているおかげで軽いから、大丈夫みたい。


 一通り布団を押し入れにしまい、雑巾やタオルなどを干したピンチハンガーをしまおうとベランダに出た時、家の前の道を駅のほうから歩いてくる遥香の姿が見えた。


 そういえばあの人が「遥香だけ先に帰らせる。」というメールを打ってきてたっけ。

 気づいたのが今さっきだからまだ返信していないけど・・・。


 それに、あの子・・・白髪?男の子?誰かしら。

 高校生くらいかしら?


 楽しそうに手を繋いでいるところからすると、もしかして遥香の彼氏?


 剛久君が亡くなってから1年ちょっと経ったけど、新しい恋でも見つけたのかしらね。

 じゃあ、おいしいコーヒーでも淹れておいてあげようかしら。

 あとお菓子は・・・うん、シュークリームがあったわね。


 ほんわかとした気分でおなかをさすりながら部屋に戻ろうとしたとき、視界の片隅に青い髪の青年の姿が映ったことに特に疑問を持たなかった。


 ◇  ◇  ◇


 水無月 紫雨(しぐれ)(ノクス・プルビア)


 目の前に立った青年が魔族であることに気付く前に、僕の左手を繋いでいた母さんの右手が、一瞬で握力を失い、ずん、と重くなった。


 思わずそちらを見ると、僕が握りしめている母さんの手は、肘から先しかなかった。

 そして、母さんが立っていたところには、一切の光を通さない闇が球体上に広がっていた。


「う、うわあぁぁぁ!」


 反射的に握りしめたその腕は、流れ落ちる血とともにその温かさを次第に失っていく。


「ん〜?おかしいな。闇檻(ダークケージ)の座標が狂ったか?まあいいや。・・・ねえ坊や。その腕、お兄さんにくれないかな?ちょうど血抜きも済んだみたいだしさ。君は食べたりしないんだろう?」


 よくも母さんを!6800年の年月を彷徨(さまよ)って、やっと僕のことを見つけてくれたというのに!

 だが、この気配は・・・!


「・・・魔族。それも・・・貴様、エドアルドか。」


 万軍のエドアルド・・・悪名高き同族喰らいの魔族。

 教会の三聖者の一人にして、僕の不在中を狙ってレギウム・ノクティスを単身で滅ぼしたといわれる、クソ野郎。


 そして、「自称勇者」の暗殺者。

 外見が変わっているのは、身体を乗り換えたか、喰らわれた魔族に影響を受けたか。


「あれぇ?俺達、自己紹介なんてしたっけ?あ、もしかして知り合い?それとも教会の信徒だった?う〜ん、じゃあ、食っちゃまずいかなぁ?」


「・・・"O dea momenti,Verdandi invisibilis!Ego vitam meam prehendo crinem tuum.Appareas, precor."(()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(あらわ)()()()。」


 次元隔離魔法を作動させ、エドアルドと僕の周囲を、亜空間化する。

 恐ろしく魔力消費が激しいが、母さんはきっと生きている。

 だから、今の家族やその家を巻き込むわけにはいかない。


 だが・・・少なくとも、コイツはぶっ殺す。

 まだ魔力はほとんど回復していないが、僕の全力で相手してやる。


 ◇  ◇  ◇


 僕の周囲の地面以外、すべてが凍り付いたように止まった世界で、エドアルドは興味深そうに周囲を眺めている。


「へえ・・・すごい魔法だね。こんな魔法、初めて見たよ。もしかして君、新しい魔女の器なのかい?そうすると・・・そんなナリで実は女の子だったとか?」


 ・・・魔女。そんな強力な存在がこの場にいたら、僕は魂を売り払ってでもコイツを未来永劫苦しめてやるだろう。

 だが、ないものねだりはできない。


「・・・この世で考えられる、最大の苦痛を与えてやる。」


 ・・・この時代の魔法や魔術がどれほどのものか分からない以上、最初から全力で行く。


「"Evigila, umbra susurrans.Flore, flos murmurans.Canite, venti garrientes.In nomine regis noctis,mille vocibus carmen victoriae concinate!"(目覚めよ、囁く影。咲き誇れ、口遊(くちずさ)む花。奏でよ、(さえず)りの風。夜帳(とばり)の王の名の元に、万の声をもって勝利の歌を合唱せよ!)」


 詠唱が終わると同時に、周囲の影が一斉に囁き始める。

 足元には色とりどりの花が咲き乱れ、風は不規則な音を奏で始める。


 ・・・当然、すべての音は呪文の詠唱だ。


 単独多重詠唱魔法。


 極めて短時間に、魔法を魔術化したうえで起動し、その魔術を以て特濃の詠唱密度で魔法を発動させる。


 四方からエドアルドに向かって轟音とともに炎、風、土、水が刃や槌、あるいは矢のような形状となり、一斉に襲い掛かる。

 雷撃が地を這い、顕現した水は一瞬で凍り付き、鋭い槍となる。


夜帳(とばり)の王・・・。マジかよ。お前、レギウム・ノクティスの・・・。それに、いったい何個の魔法を同時に発動してるんだよ。じゃあ、俺達も本腰を入れるしかないな。」


 エドアルドはそうつぶやくと、身体を大きく左右に振る。

 次の瞬間、その身からいくつもの灰色の男たちが踊り出た。

 その手には様々な武器が握られている。


「分身!?いや、実体があるのか!」


 四方から矢を射かけられ、囁く影が風魔法で吹き飛ばす。

 槍を持った男たちが突進してくるのに対し、土魔法で足元を崩す。

 剣を持った男たちが切りかかるのを、口遊(くちずさ)む花が雷で焼いていく。


 だが・・・恐ろしく数が多い!


 襲い掛かる灰色の男たちは皆、縦長に割れた瞳を持っている。

 まさか!?


「く!なんという人数!エドアルド!貴様、何人の魔族を食ってきた!」


 轟音。

 囁く影が発動させた概念精霊(スピリチュアル)魔法(マジック)の氷の刃で迫りくる軍勢を切り裂く。


「人聞きの悪いことを言わないでくれよ。それじゃあ、まるで魔族が滅びかけたのは俺たちのせいみたいじゃないか。」


 爆音。

 杖を持った男から炎の球が打ち出される。

 間髪入れず、口遊む(くちずさ)花が発動させた水魔法で相殺する。


「違うのか!これだけの人数を食っておいて!」


 閃光。

 (さえず)りの風が作り出した光の刃を、鏡のような大盾を構えた重装歩兵が弾き散らす。


「・・・ふん。俺達魔族は、同族同士では子供を作ることができない。だから、人間の女に産ませるわけだが・・・親が人間だと結構いるんだよな。魔族のくせに自分のことを人間だと思っているやつとかさ。」


 くそ!手数が足りない!

 魔力は母さんの魔力結晶がある。

 純粋に僕の力不足なのか!?


 エドアルドのほうが紙一重、攻撃の密度が多い!

 それに、一言も発していないのに恐ろしく連携が取れている!


「それが、同族を食った理由か!」


 とうとう灰色の男たちの刃がこちらに届き始める。


「食ったんじゃないさ。命を共有しているだけさ。・・・しかし・・・たいしたもんだね。俺達の攻撃をここまで凌いだのは君で二人目だよ。」


 くそ、せっかく母さんに会えたのにまたお別れなのか!

 それに、僕の子孫なんて今どこにいるかわからない。

 新しい身体なんて、もう手に入る可能性はない。

 じゃあ、こんなのが僕の終わりになるのか!


「・・・大した攻撃でもないのに、まだ二人目なのが気になるわね。一人目って誰かしら。・・・それにしても面白い魔法だこと。ねえ、紫雨(しぐれ)。あとで私にも教えてほしいわ。」


 灰色の男の刃が僕の首筋に届きそうになった瞬間、鈴の鳴るような声が時間が停止した世界に響き渡る。


 見れば、僕の首に迫った刃は染み一つない白い肌が美しい左手に、しっかりと握られていた。


「さっきの女の子?君・・・魔法使いだったのか?・・・いや、この気配・・・まさか!?」


「後で遥香に平謝りね。この身体に無理はさせたくはなかったんだけど。・・・エドアルド。さあ、私が相手よ。」


「母さん!?無事だったの!?」


 母さんは僕から自分の右手を受け取り、一瞬で繋ぎ合わせる。

 何という回復治癒魔法!

 やっぱり母さんはすごい魔法使いなのか!


「ふふ。この空間、外界から隔離されているのかしら?ああ、時間の流れの中に時間を入れ子にしてるのね。・・・じゃあ、遠慮なく行かせてもらおうかしら。」


 驚いた。

 見ただけでこの魔法のカラクリを看破するなんて。


「くくく、くははは!まさか、こんなところでお前に出会うなんて!魔女!!それが今の身体か!やはり乗り換えていたか!俺達が数で押しつぶしてやろう!」


「数・・・ねえ?・・・()()()()()()()()()()()()()()(まみ)()()()()()()()(とが)(びと)()()()(ゆる)()()()()()()()()()()()()()()()!」


 母さんが召喚魔法のようなものを唱えた瞬間、その左右に暗闇が広がり、一斉に食人鬼(グール)・・・人ならざる者たちが這いだしてくる。


 怨嗟の声を上げ、まるで黒い雪崩のように地響きを上げ、エドアルドに迫っていく。

 その数はもはや数えられるものではない。


 闇から隙間なく這い出し、足の踏み場もなく折り重なって、前を行く者の身体を踏み潰し、血や脳漿、内臓をぶち撒けながらも前進を止めない。


「な、なんだ!?グール!?この数は!く、向かい討て!」


 グールと呼ばれた人型の異形の者たちは、その(あぎと)を大きく広げ、エドアルドの仲間・・・いや、眷属か?灰色の男たちの手足や首にかみついていく。


 灰色の男たちは一言も発さず隊列を組み、押し返そうとするが、これはもはや質量兵器だ。


 ・・・いや、ちょっと待て。

 エドアルドは今、なんて言った!?


「ふふふ、あはは!私の大事な息子に何をしようとしたのかしら!?魔族(ゴミ虫)風情が!教会(肥溜め)信徒(クソ)どもが!この魔女の愛息子(まなむすこ)に手を出してどうにかできるとでも思ったの!?」


 魔女・・・。

 僕の母さんが魔女だって!?

 目視できるほどの密度で、黄金色の魔力がその身体からあふれ出している。


 これが本物の魔女か!

 なんという魔力!

 なんという威圧!


「く、くははっ。魔女だというなら話は早い!だったらこうするだけだ!」


 エドアルドはその口の中に手首まで右手を突っ込んで何かを引き抜く。


 あれは・・・聖釘(アンカー)か!


「っ!今の今まで気配がなかったっていうのに!腹の中に隠されるとか初めてだわ!」


 母さんから噴き出していた魔力が目視できないほどに下がり、一瞬でその力を失う。

 ・・・あれは、海の底で僕を封印していた聖釘(アンカー)か?


「魔女がいる可能性くらい知ってるよ!だから準備はしっかりしてきたのさ!」


 エドアルドは、ボロ布のような法衣を取り出し、身にまとう。

 すると、その身体はまるで霞のように掻き消える。


「く、聖者の衣(かくれみの)か!だがここは紫雨(しぐれ)が作った隔離空間よ!すべてを押しつぶせ!グール!」


 母さんの周囲から湧き出していたグールたちは、新たにその数を増やすことはなかったもののの、恐ろしい数で津波のように四方に広がり、エドアルドの眷属たちを押しつぶしていく。


 だが・・・。

 ゾブっという音とともに、母さんが崩れ落ちる。


 背に昆虫のような(はね)を生やしたエドアルドが、いつの間にか母さんの背中に回り込んで2本の聖釘(アンカー)を肩と背中に突き刺している。


「迂闊だねぇ。まさか、俺達が飛べないとでも思ったのかい?」


 さらに2本の聖釘(アンカー)を腹の中から取り出し、振りかざしている。


「母さん!"Spiritus tenebrarum placidarum! Convenite et ensis fiatis ad hostem perdendum!"(()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!)」


 聖釘(アンカー)を4本も刺されるなんて、僕だってそのまま封印されてしまうレベルだ。

 ここまで来て母さんを失いたくはない!


 全力で構築した闇の剣を振るい、エドアルドに襲い掛かろうとしたとき、不思議な模様のブレスレットと、妙な機械式の腕輪をつけた母さんの左手がエドアルドに向けて伸ばされた。


(Full)自動(automatic)詠唱(chanting)・・・。いつまでもそんな杭だけでこの私を止められるとは思わないことね。」


 刹那の間隙を置いて、大量の鈴が一斉に鳴り響くような、女の甲高い叫び声のような、不思議な音が隔離空間に響き渡る。


「な、なんだ!?聖釘(アンカー)が効かない!?いや、効いているのに、よそから別の魔力で干渉を受けている?これは・・・魔女の魔力じゃない!?」


 エドアルドが驚いているうちに、母さんの周囲に数百にも及ぶ色とりどりの魔法陣が浮かび上がり、一斉に回り始める。

 そこには、恐ろしく複雑な干渉術式が作動しているのが見て取れる。


「ふ、ふふ、あははっ。聖釘(アンカー)は私由来の魔法と魔術のすべてを阻害するのよね。じゃあ、私に一切由来しない魔法は?魔術は?くくくっ。そうよねぇ?阻害できないわよねぇ!?」


 母さんは何も詠唱していないにも関わらず、その右手は雷の刃を四方八方に放ち、足元の石礫が浮かび上がりエドアルドの身体を打ち据える。


「おい!?うそだろ?聖釘(アンカー)が効かないとか・・・じゃあこんな化け物、どうやって封印するんだよ!?」


 エドアルドは慌てて2本の聖釘(アンカー)から手を放し、その場から飛びのいて自分たちの眷属の後ろに逃げ込む。


「母さん!」


 僕は闇の精霊の力を凝縮した剣でエドアルドの眷属を切り払いながら、倒れている母さんを抱き起し、聖釘(アンカー)に触れる。


「ぐ!く、・・・ふんっ!」


 聖釘(アンカー)を持つ手が焼けただれるのもお構いなしに、母さんの肩と背中からそれを引き抜く。


 軽く硬いものが落ちる音が、隔離され、グールたちの怨嗟の声で満ち溢れた空間に響き渡った。


 だが・・・聖釘(アンカー)から流れ出る魔力はいまだに健在だ。

 じゃあ、なぜ母さんは魔法が使えたんだろう?


「・・・ありがとう、紫雨(しぐれ)。これで聖釘(アンカー)を包んでおいて。そうすれば母さんは全力で戦えるから。」


 母さんから柔らかくきめ細やかな革を受け取り、聖釘(アンカー)を包むと、瞬時にその効力が失せていく。


「くそ!魔女と魔王なんて相手にしていられるか!」


 エドアルドは眷属を率いて、次元隔離魔法で構成された通常空間との境目をこじ開けようとしている。


「逃がすわけ、ないでしょう?」


 母さんが手を振ると、残りのグールたちは総力を挙げてエドアルドたちに襲い掛かる。

 そう広くはない空間が、怨嗟の声と血の匂いにあふれかえる。


「くそ!俺達がこんなところで!開け、開け、開けよ!なんなんだこの壁は!」


紫雨(しぐれ)。そのまま逃がさないでね。ふふ、サン・エドアルド。お前達の奇跡の力は精神感応(テレパシー)かしら?あまり戦闘向けではない能力だというのに、大したものだわ。でも、本当に運が悪かったわね。」


「ならば!魔女!魔王!その脳と魂をかき回してやる!グオオオオォォォ!」


 すでに過半数の眷属を失い、グールたちを押しとどめている重装歩兵の姿の灰色の男たちの陰から、エドアルドが獣のような、血を吐くような叫びをあげる。


 パチン、という不思議な感覚。

 まるで、何かの端子が刺さって機械が動き出したような、不思議な感覚を感じた直後、頭の中に・・・いや、心の中に何か得体のしれないものが溢れかえる。


「ぐう?これは!エドアルド!まさか!?」


「ただでは負けん!退く前に、お前らの魂を汚染していってやる!」


 ・・・っ!そうか!

 こいつ、精神感応(テレパシー)を使って精神汚染を引き起こすつもりだ!


 だが、母さんは慌てもしない。

 見下すようにエドアルドを一瞥し、あきれたように言い放った。


「・・・甘いわね。この私が、魔女がどれほどの年月をかけてアチラ側(亜空間)にライブラリを重ねてきたと思っているのかしら?たかが数万人程度の魔族の脳でこの私の情報処理能力を上回ろうだなんて片腹痛いわ。」


 母さんの言葉と同時に、心の中に沸き上がった得体のしれないものが一斉に洗い流されていく。


「な、なんで、俺達が・・・37,522人もの魔族を束ねた俺が・・・手も足も・・・出ないんだ・・・。」


「くだらないわね。万軍とか言いながら、精神感応(テレパシー)で一元的に制御してるんなら結局は一人じゃない。それに魔族程度の魔力なんて、たとえ一億人集まったってたかが知れてるわ。」


 その場に崩れ落ちたエドアルドに対し、グールたちは取り囲んだまま動かない。


 グールをかき分けてエドアルドの前に立った母さんは、彼を見下ろし、新たな魔法・・・いや、術式を発動させた。


 おびえるエドアルドには目もくれず、数千個の魔法陣が空と大地を埋めていく。


 呆けたような顔をしていたエドアルドは、慌ててコインのようなものを取り出し、それに起動用の魔力らしきものを流し込む。


「緊急離脱!・・・コインが使えない!?ひぃっ!?な、なにをするんだ!?まだ死にたくない!」


「隔離された空間で命の対貨(スケープゴートコイン)なんて使えるわけないでしょうに。・・・強制睡眠。魔力封印。呪力汚染。霊圧干渉。超高気圧。過負荷重力子発動。強制回復。・・・そして空間断裂。」


 次々と術式が完成していく。


 組みあがったそれは、宗一郎さんが腕に巻いていた機械式の時計よりも精緻な構造で、エジプトのピラミッドよりも巨大な魔法陣だ。


「いやだ!何をする!俺にはまだやりたいことが!食い・・・たいモノが・・・!」


 エドアルドを透明な球体のようなものがつつみ、圧縮していく。


「この子も、海の底でずっとそう思っていたでしょうね。・・・()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(ふさ)()()()()()()()()。」


 最後に母さんが時間干渉系の魔法を発動すると、テニスボールサイズになったエドアルドは、その場にコロンと転がり、全く動かなくなった。


「母さん、それ・・・倒したの?」


「いいえ。倒してもいないし、殺してもいない。停止空間魔法で時間を止めたのよ。だれかが解呪(デスペル)しなければ、ざっと四百億年はこのままね。・・・それこそ、人類史が終わっても太陽の寿命が終わっても、そのままよ。」


「うわ・・・どれだけの魔力をぶち込んだらそうなるんだろう?それで、この球・・・どうするの?海の底に沈めるとか?」


 そろそろ限界だったので、次元隔離魔法を解除する。

 すぐに、世界は元の流れを取り戻し、街路樹が風に揺れはじめる。


「そうね。あなたがされたことを考えると、そうしたいところではあるんだけど。でも、もっといい所へ送るのよ。」


「いいところ?どこかに埋めるとか?」


「ふふっ。もっといい所よ。()()()()()(きら)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(いざな)()()()()!」


 母さんはいたずらっぽく笑うと、素早く詠唱し、何らかの跳躍系の魔法を発動させた。


 即座に轟音とともに光の柱のようなものがその場に立ち上がり、エドアルドを封じた球が一瞬のうちに空のかなたに消えていく。


 母さんはそれを見送ったあと、こちらを振り返りながら右手でVサインをする。

 ・・・なんというか、すごく可愛らしい。


「・・・で、どこに送ったの?どこかの火口?それとも砂漠?」


「・・・プロキシマ・ケンタウリよ。本当はそこまで飛ぶ魔法じゃないんだけどね。母さん、紫雨(しぐれ)にいいところを見せたくて、ちょっと頑張っちゃったわ。」


 ・・・プロキシマ・ケンタウリ?

 聞いたことがない地名だ。


 僕のこの世界に対する知識の大元になっている海軍士官の人も知らないとすると、よほど遠いところなんだろう。


 どこかの小国なのだろうか。

 とにかく、母さんのことだから絶対に大丈夫だろう。


 スマホの時刻表示を見ると、エドアルドと戦闘を開始した瞬間からまだ1分もたっていなかった。


 再び母さんに手を引かれて門をくぐり、玄関の前に立つ。


「あ、そうそう。私のことはこの家の中では遥香ちゃんって呼んでね。私は紫雨(しぐれ)君って呼ぶからね。」


 母さんはそう言いながらいたずらっぽく笑うと、カチャリと鍵を開け、玄関の中に入っていった。


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