176 夫婦の絆/怨敵の最後
饕良(トゥーラ・ステラ)
つい先ほど、魔女が扮するかぐや姫とやらが大量の眷属を引き連れて空に消えていった。
京の町は真夜中だというのにほとんどの住人が起きて空を眺め、その軍勢や空飛ぶ宮殿に恐れおののいていた。
・・・派手好きな女だ。
イス(フランス、ブルターニュ半島)では不必要な攻撃魔法まで使って、我々の同胞を殺して回ったと聞く。
どうやら己の力を誇示するのが好きでたまらないと見える。
・・・魔女め。
われら魔族の女は、好いた男の魔力を命がけで消尽させなければその子を生せず、やむなくどこの馬の骨とも知れぬ魔力のない男の子を孕むしかないというのに・・・。
お前だけこの世の摂理に背いて、好いた男の子を孕むなど、我ら魔族の女が許すと思うてか!
・・・それにしても、四郎の腹に潜ませておいた焦螟虫が全身に行き渡るまで随分とかかってしまったが、あの男、それほどまでに魔力が高かったのか。
とうとう脳には侵入できなかったようだ。
だが、奴らの話は筒抜けだ。
魔女がいよいよ帝と老夫婦に別れを言い、眷属の馬車に乗り込んだ瞬間、四郎の身中の焦螟虫に起動信号を送る。
「さあ!四郎よ、その身の魔力を消尽し、妾のものとなるがよい!」
これで四郎は生きたまま腑を丸洗いでもしない限り、明日の朝には全ての魔力を消尽するだろう。
そして、その手足は妾の思うがままだ。
魔女め!
己の想い人に斬られるか、あるいはその手で焼き殺すか。
生き地獄に堕とした上で封じててくれようぞ。
もし四郎が生きていたら、ゆっくりとその頭を掻きまわした上で、お前の胸に聖釘を刺した上で目の前で番ってやろう。
・・・さて、いよいよ本命の出番だ。
念のためにこの国に来るときに持参した、唐の強弓に一本の矢・・・いや、槍をつがえる。
「強さ、勝利、暴力、鼓舞。ステュクスとパラースの子らよ!鍛冶神とともに勇者を磔にせし神々よ!我が腕、我が拳に宿りて神敵を滅する力を授けたまえ!」
身体強化魔法を発動し、弦長二間(3.6m)はある弓を全身全霊を込めて引き絞り、さらに槍の柄に魔力を流し込む。
今日、この時のために作った術式だ。
「行け!」
遠ざかる魔女の眷属の放つ光に向かい、魔力のすべてを込めて解き放った。
槍は赤い光の尾を引いて空を駆け上がり、魔女を追っていく。
この槍は、必ず奴の心臓を射抜くであろう。
そして、射抜いた後も災いを振りまくであろう。
「く、くくくっ。妾が魔女を討ち取る!さすれば、教皇猊下といえども妾の、いや、魔族の女の言葉に声を傾けるだろう!」
あわよくば、ノクス皇帝の魔法薬の再現に、教会の人と金を出させることもできるやもしれぬ。
叶うことなら、あの人が生きているうちに魔女と相対したかったが。
懐にある、もう一本の聖釘を確認する。
そして、山羊と馬酔木が描かれているコインを確認する。
「魔女よ。己の強さに過信したままで死ぬがよいわ。」
◇ ◇ ◇
かぐや
まさに一瞬のことであった。
四郎殿の全身の焦螟虫に対し、五十鈴川から引き出した第一と第八の元素精霊を用いて浸透圧を狂わせ、その内側から破壊しようとした瞬間であった。
どこからか飛来した槍が轟音とともに私の胸を貫く。
幸い、槍は四郎殿の右脇を少し外れ、新しい傷を作ることはなかった。
だが、一瞬で心の臓を砕かれ、四郎殿の治療のために胸の魔力回路にためていた魔力が霧散する。
さらに衝撃で短時間だが脳が停止し、意識が戻るまで刹那の時間を要した。
気付けば、四郎殿は私の胸から引き抜いた槍の柄を握っている。
あわてて心臓を回復治癒呪で修復し、念動呪で無理やり脳に血流を流し込む。
「ゴフッ。」
吐息に血が混じる。
どうやら魔力回路のある左腕、左肩、左腰、胸をさらに刺されたらしく、現状で動かせる魔力回路が右側だけになってしまっている。
あの槍・・・例の杭・・・聖釘が穂先になっているのか。
だけどどうして四郎殿が私を刺すんだ!?
そんなことなど、天地が逆さになってもあり得ないのに!
・・・あれは!そうか!操身術式だ!
ならば解呪、いや、念動呪でまずは取り押さえて・・・。
・・・四郎殿?
まさか!?
槍の柄に刻まれた術式で四郎殿は身体の自由がとれないというのに、自分の魔力だけで無理やり抵抗している!
あれでは彼の魔力回路が焼き切れてしまう。
「インドラ殿!今だ!吾の首を落とせ!さすればこれ以上かぐや殿は傷つかん!」
「・・・心得た!」
四郎殿!?何を言っているんだ!?インドラ!何を勝手なことを!
「なりませぬ!」
思わずインドラの金剛杵の前に、防御障壁も何も展開せずに飛び出す。
インドラはその手を止められず、袈裟懸けにその刃が振り下ろされた。
「マスター!?しまった!我輩としたことが!」
刃は肋骨を断ち、あわや両断されかかる。
流石は龍神殺しの名を持つインドラ、女の身体など刃筋が狂った刃でも一撃でバッサリだ。
身体の前側のいくつかの筋肉を失い、立っていることが出来ず、腰砕けのようにしゃがみ込む。
「ぐっ!おおおおおお!」
筋が力を失い、四郎殿に差し伸べた手が下がった瞬間、四郎殿が雄叫びとともに槍の穂先を自らの胸に刺し入れたのが血で汚れた視界の中にはっきりと見えた。
「四郎殿!うそ・・・そんな!」
目の前で四郎殿が崩れおちる。
だが、回復治癒呪は自分を治すのが精一杯だ。
また失うのか!
私を愛してくれた人、家族になってくれた人を、目の前で失うのか!
「マスター!魔力が戻ってます!」
真後ろからソーマが何かを叫んでいる。
聖釘の干渉力が大幅に下がってる?
これは・・・そうか!聖釘は何かに刺さっていると私への干渉力を失うのか!
だが、四郎殿をそのままにしてはおけない。
素早く衣を脱ぎ、インドラに背中をさらす。
「インドラ!今すぐ私の背中の皮を剥いで!可能な限り広範囲で!はやく!」
「マスター!?・・・承知!」
インドラは一瞬ためらったものの、その手の刃を振りかざし、私の背中を皮を大きく、かつ深く剥ぎ取る。
当然、痛覚遮断の術式なんて組んでいる暇などない。
背中を業火で炙ったような激痛が襲い、一面に鮮血がまき散らされる。
「ひぃっ!く、ああああ!・・・い、インドラ!四郎殿から槍の穂先を抜いて!その皮で包んで!」
激痛に耐えながらも、一か八かの賭けに出る。
もし、あの聖釘とやらがそれに触れたインドラを、私が召喚した存在を消してしまうのであれば、すべてが終わりだ。
それだけではない。
聖釘を包むものが生きた肉でなければならないということであれば、やはり結果は同じだ。
だが・・・もし、そうでないのならば!
「マスター!槍の穂先を皮で包みましたぞ!」
・・・!
よし!この勝負、私の勝ちだ!
◇ ◇ ◇
鮮血に汚れた五十鈴川の川岸に座る私の膝枕の上で、すべての衣を脱がせ、全身から焦螟虫を切除し、回復治癒呪で傷のすべてを塞いだ四郎殿が眠っている。
そしてその横には、インドラに剥ぎ取らせた私の背中の皮に、聖釘とやらが包まれている。
わざわざ私の屋敷まで回収しに来るところを見ると、饕良が持っている聖釘は一本だけだろう。
虎の子の一本を飛び道具に使うなど正気の沙汰ではない。
だが、私の魔法の火力と聖釘の私への干渉力を考えると、戦術としてはあながち間違いではないかもしれない。
大体、私の背中の皮で包んでいるというのに、まだしっかりと私に干渉しているよ。
「・・・ふう。聖釘・・・ね。まさか、こんなものを作られているとは思わなかったわ。これからは自分の死体はキッチリ処理しなきゃダメみたいね。」
考えてみれば、いたるところで自分の屍を晒してきたような気がする。
・・・あ、そういえばこの国に来てからの身体はしっかりと墓まで作ってあったっけ。
まさか、自分の墓を暴かれる心配までしなきゃならないとは。
安らかな寝息を立てて眠る四郎殿の頭を撫でながら、ほったらかしになっていた自分の身体の修復に取り掛かる。
「う・・・。背中がすごいことになってるわね。両肩、首のあたりからお尻のあたりまで皮を剥がれるなんて、何百年ぶりかしら。」
止血と痛覚遮断しかしていなかったが、その惨状に溜息しか出ない。
「ははは。今回、我輩は全く役に立っておりませぬなぁ!」
インドラが言葉の明るさとは裏腹に、頭を掻きながらその巨体を縮こませている姿は中々見られるものではない。
だが、彼がいなければ誰が聖釘の処理を行うというのだ。
「・・・しっかり役に立ってるわよ。背中の皮を自分で剥ぎ取れる女がいたら会ってみたいわ。」
この皮は、事が済んだらしっかり鞣して術式を組んでおこう。
おそらく、また使うような気がする。
背中の皮、そして腕、肩、腰、胸の修復が終わり、全身の魔力回路に魔力を循環させる。
一通り身体の修復と魔力回路の確認が終わり、一息ついたころ、四郎殿がゆっくりと目を覚ました。
「む、むう?かぐや殿?ここは・・・極楽か?吾は・・・やはり貴女を守れなんだか・・・。」
「安心してください。まだ二人とも生きてますよ。四郎殿はしっかりと私を守ってくれました。私は頑丈ですから。多少刺された程度ではさしもありません。」
そういいつつ、四郎殿が刺した右腕をまくって見せる。
当然、傷一つなく修復済みだ。
四郎殿が眠っている間に京の都に眷属をやり、その様子を確認させたが、「かぐや姫」は月の都の住人で、月の使者により月に連れ帰られた」との認識が一致しているようだ。
よしよし、まずは一件落着か。
・・・だが・・・。
饕良だったか。
あいつは絶対に許さん。
はっきりと確認したわけではないが、聖釘にはその所在が分かるような術式が組まれているようだ。
それに、あの槍の柄には、たとえ五十里離れていようが飛んで私の胸をめがけて突き刺さるような術式が刻まれていた。
おそらく、いや確実に戦果の確認に来るだろう。
・・・眷属は帰しておくか。
饕餮のような雑魚狩りを使うような奴だ。怯えて逃げられでもしたら元も子もない。
私だけでなく、四郎殿を襲ったことは、その命をもって贖わせてやる。
◇ ◇ ◇
血まみれで長い夜が明けた。
五十鈴川の流れを下り、宮川の本流に合流したのち、それを遡る。
宮川は全長が二十三里(92km)に迫るほどの流れであり、この界隈では最も長い川だ。
「よし、この辺で迎え撃ちましょう。四郎殿、身体のお加減はいかがでしょうか?」
「さしもない。かぐや殿。吾のような情けない男を気遣うことなど・・・。」
四郎殿は先ほどからずっとこの調子だ。
私を傷つけた己を何としても許せないらしい。
「何を言っているのです、四郎殿。私はあなたの妻です。それに、昨日だってあんなに睦み合ったではないですか。」
・・・あんまり四郎殿が沈んでいるから、この身体の魅了の能力を全力で活用させてもらったんだよな。
饕良の思惑に反して四郎殿の魔力の潤沢なことと言ったら・・・。
おかげで朝方は腰が抜けて動けなかったよ。
・・・おおっと。ここ、18禁だからね。
カットさせてもらったよ。
「ぬ・・・。それは・・・。う・・・。」
「ふふ、きっと四郎殿に似て強い子が生まれますよ。」
「いや、かぐや殿に似て美しい子が生まれるに違いない。・・・うむ。どうあっても吾は貴女を手放すことなど考えられぬようだ。ならば、灰になるまであなたと共にいよう。」
朝日を背に浴びながら、四郎殿と笑いあう。
この国に流れてから百二十余年。
もう手に入らないものを探して戦い、殺し、壊し、そして死ぬ。
その繰り返しで暗く、赤黒く染め上げられた長い人生の中で、今背に当たる朝日のような温かさを何百、いや何千年ぶりに心の底から感じていた。
◇ ◇ ◇
四郎(安倍左衛門三郎四郎頼中)
夜が明け、かぐや殿の眷属がいつの間にか姿を消したことが気になりながらも、その勧めでカヴァーチャ(神の鎧)を身に着ける。
なんでも、天竺に古来より伝わる神話に登場する鎧を模して造られたものだそうだが、鋼の一枚板のような硬さを誇り、矢どころか槍衾に飛び込んでもその刃を通すことはなく、また雲のように軽く、裸よりも早く動けてしまう。
「四郎殿。カヴァーチャ(神の鎧)を脱ぐときの合言葉は覚えていらっしゃいますか?」
「ん?ああ、カヴァチャム・アパサーラヤ(装甲解除)だったか?あ、いかん、脱げてしまった。」
「ふふ、お手伝いしましょう。・・・並大抵の魔力ではそう長く着ていられない鎧ですが、四郎殿は魔力が潤沢ですから半日は着ていられますね。そういえば六郎も。」
魔力、というものがどういうものか、まだよくわからないが、法力と同じものなのだろう。
安倍に連なる血筋では、時折強力な方術が使える者が生まれる。
吾にも同じ才があったのやもしれぬ。
ならば吾もマホウが使えるのか?
「そういえば・・・かぐや殿。吾もマホウとやらを・・・。」
「・・・!四郎殿。来ました!」
かぐや殿がいつになく険しい顔で指さす先には、人面の虎・・・すなわち檮杌に跨り、こちらに向かって一直線に空を掛けるあの女の姿があった。
◇ ◇ ◇
宮川のほとり、草むらに隠れて饕良を迎え撃つ。
幸い、こちらの姿は見えないようだ。
「ぬう?確かに聖釘の反応はこのあたりのはず。それに、焦螟虫の反応もない。どういうことじゃ?」
焦螟虫・・・吾の中にいた虫か。あの時、鴨院の北の辻で腹に仕込んだのはこの女か。
・・・よくも吾の手でかぐや殿を傷つけさせたな!
一思いにその首、刎ねてくれようぞ。
「・・・四郎殿。聖釘の干渉力が急激に上がっています!・・・まさか!二本目があるというの!?」
かぐや殿の顔を見れば、玉のような汗がその額に浮かんでいる。
それだけではない。立っていることすらやっとのようだ。
「ここは吾に任せよ。かぐや殿は隠れていてくれ。」
聖釘とやらがあると、かぐや殿はその力を存分に振るうことができぬらしい。
であれば、吾が斬ればよいだけのこと。
背負っていたピナーカ(選定者の弓)を構え、檮杌を狙って弦を引き絞った瞬間、檮杌は獣の勘か、大きくその場から飛び上がった。
檮杌の動きに合わせ、ピナーカ(選定者の弓)の弦に現れた5本の矢を放射状に放つ。
「何だと!?どうやって焦螟虫を!?」
ピナーカ(選定者の弓)から放たれた光の矢は、檮杌の首に一本、饕良の肩に一本突き刺さる。
「問答無用!」
その場にピナーカ(選定者の弓)を放り出し、腰に佩いた刀を抜き放ち、一気に間合いを詰める。
「ぬう!檮杌!行け!・・・強さ、勝利、暴力、鼓舞。ステュクスとパラースの子らよ!鍛冶神とともに勇者を磔にせし神々よ!我が腕、我が拳に宿りて神敵を滅する力を授けたまえ!ぬうぅぅん!」
首に光の矢が刺さったままの檮杌が目前に迫るが、カヴァーチャ(神の鎧)で底上げされた脚力は獣のそれをはるかに上回り、その牙も爪も一切がこちらに届かない。
「ふ、ははは!饕餮と窮奇にあれほど手こずったというのに!」
伝承によれば、檮杌は四凶で最も獰猛であるというが、この鎧と刀であれば、まるで猫か狸を相手にしているかのようだ。
「ぬかせ!妾を忘れておろう!」
檮杌の陰から饕良の拳が一瞬で目前に迫り、慌てて刀で斬り落とす。
ん!?今、確かに刃をもって叩き落したよな?
それに今の感触。
まるで鉄の棒を叩いたような・・・?
一瞬の疑問もそのままに、饕良の拳や蹴りを刀ではじきながら檮杌に斬撃を入れ続ける。
「く、硬い!なるほど、化け物どもめ!だが吾にかぐや殿を傷つけさせたこと、許すまいぞ!」
かぐや殿から頂戴した刀が、カヴァーチャ(神の鎧)のおかげで羽のように軽い!
「は、ははは!四郎!おのれはアレが何だか分かっておらぬのじゃ!アレは魔女ぞ!あの白い指先が、まことどれほどの血に塗れておるか、知らぬのじゃ!」
刀は風を切り、檮杌の牙、爪を削り、その肉を割いていく。
だが・・・!
この女!拳も腕も、まるで鋼のようだ!
しかも、斬撃も刺突も一切当たらぬ!
まるで刀の向かう先がすべて読まれているかのような・・・!?
そして刀が当たる音が、女の細腕のそれではない!
さらにはガン!という音とともに、その拳が胸甲を叩いていく!
まさか・・・カヴァーチャ(神の鎧)が凹むだと!?
一発でも生身で食らえば、肉も骨も持っていかれる!
だが背後にはかぐや殿がいる!
ここで退くつもりは毛頭ない!
「それがどうした!吾は好いた女子のため、ともに永劫に地獄を歩む覚悟くらい決めておる!うぬにはおらぬだろうがなぁ!」
轟音とともに刃と拳が打ち合う中で、一瞬だけだが饕良の目が丸く見開かれる。
まるで何かを思い出したかのような表情で、刹那、その動きが止まる。
「く、人間風情が!妾が、妾の想い人が、どうなったのかも知らぬくせに!我らが、なぜ貴様らなどと交わらねばならぬのか知らぬくせに!」
刹那の後、明らかにその拳は精彩を欠き、それまでは合っていた檮杌との呼吸も乱れる。
そうして生まれた一瞬の隙が致命的なものとなり、吾の刃は檮杌の首に、それも完全に刃筋が立った線で吸い込まれる。
ゾブッという感覚と、ザン、という音が周囲に響き渡る。
「檮杌!く、おのれ!ならばせめてうぬだけでも!」
返す刃で逆袈裟懸けに、懐に入ってきた饕良の右脇から左肩に向けて一刀に切り上げる。
「しまった!グアァァ!」
刀から伝わった感触はそれまでの鋼のようなものではなく、今までにないほど柔らかな・・・女の体を断ったものだった。
「やったか!」
確かな手ごたえ。
だが、そのあまりの柔らかさのために、断ち切るまで力を入れ切れなかった。
「う、く・・・こんな、ことで命を失うならば・・・妾もあの人と添い遂げたかった。先を見る目などいらぬ、あの日を思うだけでよかったのに・・・。」
饕良は袈裟懸けに裂かれた腹から腸をはみ出させながら、それを気にすることもなく空を仰ぎ、手を伸ばす。
その眼には吾はおろか、空も映さず、誰か失った者を映しているかのようだった。
「・・・うぬの身に何があったかは知らぬ。だが、誰かを害したからとて、取り戻せるものではあるまいよ。」
「・・・く、命の対貨を使い損ねたか・・・。し、四郎。・・・これは駄賃にくれてやる。・・・使い方は・・・触ればわかる。また会おうぞ。魔女・・・か、ぐや、に・・・悟られるな・・・よ。」
饕良は懐から一枚の金の板を取り出し、弱々しく投げてよこす。
そして、その場に崩れ落ち、二度と動くことはなかった。
金の板には何かの動物・・・そして鈴生りになった小さな花が描かれている。
何かの呪物だろうか。
罠の可能性もあるが、饕良の最後の言葉が気になり、つい素手で拾ってしまった。
「ぬぅ!?こ、これは・・・吾を舐めるなよ、饕良。かぐや殿を差し置いて『どんな脅威からでも逃げられる道具』なんぞ欲すると思うたか。」
・・・だが、これはかぐや殿にこそ持たせておきたいものではないか?
「四郎殿!お怪我は!」
饕良と檮杌の死体を前に立ち尽くしていると、その白い肌に滝のような汗を流すかぐや殿が駆け寄ってきた。
「吾はこのとおり、髪の毛ほどの傷もありませぬ。かぐや殿。しばし待たれよ。」
饕良の懐をまさぐると、見知らぬ言葉が書かれた一枚の紙とともに黄金で飾りを施された白い杭のようなものが出てきた。
インドラ殿から預かった、女の肌のようにきめ細かな皮で二本目のそれを包む。
「はぁ、はぁ・・・。ありがとうございます、四郎殿。まさか二本目があるとは思いませんでした。インドラたちを帰すべきではありませんでしたね。」
ようやく顔色が良くなり始めたかぐや殿をそっと抱き寄せる。
これで、すべてが終わったのか。
いつの間にかポツリ、ポツリと雨粒が落ち、それが当たった饕良の顔はまるで泣いているかのようだった。