174 月からの使者をでっちあげる/ハリボテならざるハリボテ
平安時代の「逢瀬」とは、今の意味とかなり異なります。
今風の言葉を使うとかなりドストレートになりますが、あえて当時の言い回しを使っています。
気になる方は調べてくださいね。
また、インド神話にちなんだ言葉がたびたび登場しています。
これは、魔女が日本に来る直前にインドでしばらく暮らしていたためですが、魔女は行く先々で神話や伝承を調べて自分の魔法に取り入れる習慣があるためです。
参考:ヴィマナ インド神話「ラーマーヤナ」に登場する、空飛ぶ乗り物、あるいは宮殿です。
かぐや
あれから四郎殿は日がな一日、木剣に鉄の輪を嵌めたものを庭先で振るっている。
なんでも、彼の使う剣術の「流水の動き」を身に着けるためには、刀の重さに負けない全身の力を養う必要があるのだそうだ。
また同時に宝物庫から出してきたカヴァーチャ(神の鎧)の模造品を着込んでの模擬戦闘を六郎とやっている。
あれ、そんなに気に入ったのだろうか。
とりあえず屋敷のことは問題ないだろう。
外には帝が用意した二千人からの兵がいるし、四郎殿と六郎以外にもこの屋敷には戦える家人が何人か詰めている。
まあ、何が攻めてくるということもないだろうけど。
さて・・・次の満月まであと5日、そろそろ月の使者とやらをでっち上げる準備をしなくてはならない。
だが、空はあまりにも広大で、この大地から最も近い月でさえ十万里もの距離がある。
ましてや、月から大地までを難なく往復できる・・・となるとやはり惑星間航行技術が必要か?
困ったな。前人未踏なんて話じゃすまないぞ?
だいたい、人間が月に行けるようになるのって何年後だ?千年後か?
・・・いかん、大風呂敷を広げすぎたな。
仕方がない。ヴィマナ(インド神話に登場する神の乗り物)でも召喚して誤魔化すか。
「さて・・・今回は重量級を召喚する必要があるから邪魔が入らないところがいいわね。どこにしようかしら。できる限り見晴らしがよくて、人があまりいないところ・・・。よし、あそこがいいわね。」
この国に来てからしばらくたったころ、独自に地図を作成する目的で端から端まで歩き回ったものだが、その時にひときわ目立つ大きな山を見つけたのだ。
遠江、駿河、伊豆の国のどこからでも見えるほど巨大で、完全な独立峰、そして何年か前・・・延暦19年に始まった一連の火山活動で登山が著しく困難であること・・・。
よし、条件はそろっている。
廂の間(縁側)で汗をぬぐっている四郎殿に氷結魔法で作った氷を入れた水を渡しながら少し出かける旨を伝える。
「四郎殿。少し出てきます。夕餉には間に合うように帰りますので。」
「ん?ああ、近頃は物騒ゆえ、吾も同行しよう。」
「あら。でしたらお支度を。暖かい衣をお持ちください。お待ちしておりますので。」
「暖かい衣?この陽気で・・・まさか、出かける先は・・・。」
「駿河の富士の山の上です。」
あ、四郎殿が固まっている。
まあ、今から出発しても一辰刻(現在の2時間)くらいで帰るつもりでいたからな。
一人で行ってきてもかまわないか。
「急ぎ支度する。しばし待たれよ。」
あ。やっぱりついてきてくれるんだ。
えへへ。
よし、昼日中だけど空の上でさっそく逢瀬を楽しもうか。
帯は緩めておこう。
あっちの準備はまだだけどね。
あ、ここは18禁だからカットしておくよ。
◇ ◇ ◇
・・・考えてみたら長距離跳躍魔法の移動速度だと一分(現在の三分)の半分もしないうちに到着してしまうんだった。
くそ、何とかしていい雰囲気を作ろうとしているのに上手くいかない。
それならいっそここで・・・。
「かぐや殿?どうなされた?少し具合がよろしくないようだが・・・?」
「い、いえ、ここは少し風が薄いみたいですから。早く済ませて帰りましょうか。」
ぐ、ぐぐ・・・。
はしたない女だと思われたか?
ま、まあ、あっちの準備が整ってからでも遅くはない。
「それにしても・・・かぐや殿の方術・・・マホウは素晴らしいですな。かの名高き山にこうもたやすく登れるとは。吾は生きているうちに斯様な眺めを見ることができるとは思わなんだ。おお、剗の海(富士五湖の前身)がよう見える。」
四郎殿はそう言いつつ、富士の北山麓を見渡す。
そういえばこの前、北東山腹から噴煙が上がっていたと思ったけど、噴火はもう治まったのか。
「足柄路も埋まってしまいましたからね。日々景色が変わっていくのは驚きもありますがさみしくもあります。」
たとえ身体を乗り換えても、私は私だ。
生まれ変わったわけではないから、魂に刻まれた人々の顔は忘れられない。
愛した人、親しい友人、そして・・・父様、母様は瞬きの間に死んでゆく。
そして・・・景色は住み慣れた街はおろか、山や谷の形、川の流れすら変わっていく。
四郎殿と二人で眺めているこの剗の海、いや、傷一つない富士の山体すらいつかは形が変わるかもしれない。
・・・あまりにも暗く長い道を一人で歩くような、ともに歩む人々とあまりにも早く別れねばならぬ自らの生の長さに、思わずブルリと身震いする。
「冷えてしまわれたようですな。さ、こちらへ。」
四郎殿は紙衣(コート)を開き、私を招き入れる。
「いえ、これから呼び出すモノのことを考えていたら、思わず武者震いをしてしまいました。四郎殿。すこし、下がっていてください。」
感傷に浸るのはこれくらいにしておこう。
これから呼び出すのは、天竺における神々の乗り物とその乗り手だ。
その宗教における最高神ではないが、相応に神格が高く、取り扱いに習熟しておく必要がある。
「それでは、行きます!・・・"यत् पूर्वं राक्षसराजरावणस्य आसीत्, सुवर्णमन्दिरम्। दशरथपुत्रेण रामेण धर्मेण आनीतं। तस्य तेजेन सह, आगच्छ! पुष्पक विमान!"(かつて羅刹王ラーヴァナのものなりし黄金の宮殿よ!ダシャラタの王子ラーマが正義のもとに取り戻せし神の御車よ!その輝きをもって、来たれ!プシュパカ・ヴィマナ!)」
詠唱を終えると、一転俄かにかけ曇り、富士の頂の上に数里四方の黒い雲が沸き上がる。
見上げれば雲の間からまばゆい光の筋が降り注ぎ、ゆっくりと雲を払いながら白銀の船体に色とりどりの宝石で彩られた黄金の宮殿が下りてきた。
・・・うん。いつ見ても派手だな。これは美的感覚の相違なのだろう。
かの国の神話、ラーマーヤナに登場するヴィシュヴァカルマンが創造の神、ブラフマーのために造った空飛ぶ宮殿で、富の神クベーラ、羅刹王ラーヴァナの手を経てラーマ王子の手に渡ったというシロモノだが・・・。
はい!そこ!
ラ〇ュタじゃないから!ガリバー旅行記はまだ刊行されてないから!
人間が妄想の風呂敷を広げすぎたせいで精神世界での結像が甘くて神話通りの性能に達していないんだよね。
おかげでこのプシュパカ・ヴィマナは空を飛んで爆撃するくらいしか能がない。
・・・同じ理由で創造主という意味での「GOD」は精神世界に結像することができない。
そもそも全知全能の人間がいないのにそれを想像することなんてできないからな。
「な、な、なんと!月からの迎えの話はまことであったか!か、かぐや殿、ならば吾もともに月に行こうぞ!」
・・・うん。四郎殿の反応を見ていると帝も騙しきれるような気がしてきた。
四郎殿と月世界旅行か。それもいいかもしれない。なにより、あそこは絶対に邪魔が入らないからな。
眺めはいいし、気密性の高い船を作って千年ぶりに行ってみようか。
・・・以前は空気がなくて詠唱できないから本気で死にかけたんだよな。
「安心してください。アレはただのハリボテです。月になんて行きませんし、一発当たりの火力だってせいぜい都を更地にするくらいしかありませんよ。それより・・・随伴する軍勢は何にしようかしら。同じ天竺の神話でヴィマーナを何台か喚ぼうかしら。」
「一発で京の都が更地って・・・。」
あ、そうだ。別に神話上の同一の存在に拘らなくてもいいんだっけ。
「四郎殿。続けて月の軍勢を作ります。・・・"इन्द्रस्य सेनायाः आगच्छन्तु! वज्रधारिणः देववीराः, घनान् निहन्तु, विद्युत्पताकां वहन्तु! जयतु इन्द्रः!"(インドラの軍勢よ、来たれ! 雷霆を持つ神の戦士たちよ、雲を砕き、雷の旗を掲げよ! インドラに勝利あれ!)」
富士の頂から見える雲海の中から光り輝く鎧を着た一団が7つの頭を持った空を飛ぶ馬に曳かれる馬車を先頭に様々なヴァーハナ(神の乗り物)に跨り、空を駆けてくる。
インドラとヴィマーナは両方ともラーマーヤナに登場する神格だし、ちょっと方向性は違うけど同一の文化圏に属するから違和感はない。
・・・いや・・・ない、よな?
京の都に天竺の出身者がいないことだけを祈っておこう。
もしいたらバレるだろうな。
総勢約三千の神話の軍勢と、空飛ぶ黄金の宮殿を前に口を開こうとしたとき、先頭にいたひと際目立つ鎧をまとった大男が気さくに声をかけてきた。
「お久しゅうございますな。マスター。契約はしたものの我輩の力を使うばかりで喚び出して下さらぬから、何か我輩に不手際でもあったのかと心配しておりましたぞ。」
「・・・不手際なんかないわよ。いつも助かってるわ。それに、おいそれとよそ様の宗教の神格をホイホイ喚び出していたらその信徒たちに不敬でしょうに。」
いや、人々の信仰を力に精神世界に結像した存在だから、神格と言いつつも真実の神ではないんだけどな。
大男と和気あいあいと話していると、四郎殿も彼と私の関係が気になったのか、私に声をかけてきた。
「かぐや殿。こちらの御仁はたいそう強そうであられるな。吾にご紹介いただいてもよろしいか?」
ああ、そうだ。これから世話になる相手なんだし、紹介しておかなければ。
「四郎殿。こちらはインドラ・・・日本では帝釈天と呼ばれている、私の眷属です。インドラ。こちらは安倍左衛門三郎四郎頼中殿、私の夫となる人です。」
「おお!マスターの良き人でござったか。これはこれは!では我輩が喚ばれたのは御結婚を言祝ぐためでよろしいかな?全身全霊を込めて歌い踊りましょうぞ。」
ぬふふ。四郎殿との結婚を言祝ぐだって。
いかんいかん、思わず顔がにやけてしまう。
別に四郎殿の前で顔がにやけていたってかまわないが、眷属の前でというと少し恥ずかしい。
だが四郎殿のほうをちらりと見れば、口を大きく開いて驚きの表情のまま固まっていた。
「た、帝釈天様であらせられたか!こ、これは失礼なことを・・・。」
・・・うん?そこまで驚かなくてもいいんじゃ・・・。
すっかり驚いてしまった四郎殿はそのままに、インドラとその麾下三千の兵に事の経緯を話して、5日後の役回りを決めていく。
「ふむ。我輩は月の使者ということですな。月・・・といえばチャンドラかソーマあたりが適任かと思われますが、あの二柱は直接的な戦闘力はありませんからな。」
チャンドラは銀色の馬が引く戦車には乗るが、あれは戦闘用ではなく夜空を巡るためのものだし、占星術には長けているが、戦にそれが使えるかというと大いに疑問だ。
ソーマに至っては神格化された霊薬でしかない。
・・・ああ、父様と母様に飲ませるのはソーマでもいいのか?
「ごめんなさいね。とりあえずは打ち合わせ通りに脅すだけ脅したら私を迎えに来て。四郎殿はプシュパカ・ヴィマナ・・・あの宮殿の中で待っていてください。合流したら東国にでも逃げて、二人でゆっくり暮らしましょう。」
四郎殿はポカンとしていたが、思い出したように首を縦に振る。
四郎殿に都落ちをさせてしまうが、その分幸せにしてあげないといけない。
「吾はかぐや殿とともに行けるのであれば何処へでも参るが、讃岐のジジ殿とババ殿は如何するのだ?」
「ことが済んだら二人はすぐに迎えに行きます。それより四郎殿のご家族は?」
「吾のことは気にせずともよい。・・・わが父母は子沢山でな。吾がおらずとも困ることはないだろう。」
四郎殿と今後の話をしながら、プシュパカ・ヴィマナとインドラの軍勢をいつでも召喚できるよう、術式化しておく。
これで準備万端。
あとは5日後の夜に備えるだけだ。
・・・そうそう。富士の頂からの帰路、長距離跳躍魔法で加速中、不意に下腹部に鈍痛を感じたので自分の身体に透視呪を使ってみたら、いよいよ準備ができたことが分かった。
よし。今夜あたり四郎殿を呼んでみよう。
あ。今度こそ18禁だからカットするよ。
◇ ◇ ◇
3日後
四郎(安倍左衛門三郎四郎頼中)
この数日の間は夢のような日々であった。
初めの日は朝から六郎と鍛錬に励んでいたところで、かぐや殿に声をかけられて富士の頂まで空を駆けたかと思えば、雲の中から黄金の城と帝釈天の一軍を呼び出す。
まさか、生きている間に神仏そのものと言葉を交わすことがあるとは思わなかった。
だが、本当の驚きと言ったらそんなものではない。
まさか、その夜にかぐや殿と褥を共にすることになるとは!
いわゆる「夜這い」の形を吾は取っておらぬためか、後朝の別れもなければ衣引きもない。
吾が出来の悪い歌をしたためたところ、見事な返歌を頂戴したが・・・。
その次の日も、さらに次の日も同衾することになった。
なんとも、得も言われぬ余韻が・・・。
・・・そして、とうとう三日間の同衾が成り立ち、いよいよ露顕の儀(結婚式)となった。
夕暮れ、簡素ながらも露顕の儀(結婚式)を済ませ、改めて讃岐殿ご夫婦にご挨拶をした。
お二人の喜びようといったら、吾の貧しい言葉では言い表せない様であった。
屋敷を囲む今上の兵に知られぬよう身内だけで行ったが、並べられた外つ国の料理のなんと美味なることか。
かぐや殿が音や光が外に漏れぬよう、結界とやらを張ってくれていなければ都中に響き渡るかのような声で家人たちが歌い、踊り、それはもう楽しい宴であったよ。
◇ ◇ ◇
のこり1日
かぐや殿が月に帰るとされている明日の夜に備え、かぐや殿は宝物庫に籠っている。
なんでも、「えりくさー」と「そーま」いう薬を調合しているらしい。
それも、なぜか二種類、四人分。
噂に聞く変若水のようなものだろうか。
かぐや殿のことだから不老不死の薬を作ることもできようが、吾はそれを飲む気にはなれぬのだよなぁ。
かぐや殿の勧めにより、一人朝風呂に入っているとガラリと音を立てて木戸が開く。
「おお?六郎か。朝風呂というものは気持ちよいものだな・・・かぐや殿!?な、な、ん・・・。」
「四郎殿、お背中を流しましょう。」
湯気の中に一糸纏わぬかぐや殿の白い肌が揺らめいている。
なめらかな髪、つややかな唇、そして柔らかな肌・・・。
いかん、頭に血が上る・・・。
結果、朝餉前だというのに、のぼせるほどの長湯をしてしまった。
湯から上がり、粥でもなく餅でもない、小麦をこねて膨らませて焼いたものに金色の蜜と蘇を塗ったという不思議で甘く、たいそう美味な朝餉を済ませる。
そして猛る気を静めるべく、庭に出て鉄の輪を嵌めた木剣で素振りを行う。
すでに高くなった日の光の中、素振りを続けていると肌から汗が流れ始める。
・・・ふむ。美味い物を食っているからか、以前より腕が太くなっている。
そろそろ木剣の鉄の輪を増やすか。
一通りの鍛錬を終え、汗をぬぐっていると、朝餉から一辰刻もたたぬというのにクルクルと音を立てて腹の虫が鳴き始めた。
「ぬう。水でも飲むか。それにしても・・・近頃妙に腹の虫が鳴る。それもこれも、かぐや殿の飯が美味いからだろうな。」
「四郎殿、冷たい水はいかがですか。甘い橘の汁と氷を入れておきました。」
いつのまにか廂の間(縁側)でかぐや殿が盆の上に氷の入った器をもってこちらを見つめている。
その柔和な笑みに思わずこちらまで微笑んでしまう。
受け取った水を飲み、その美味さに思わず舌鼓を打つ。
この水もかぐや殿の考案したものらしい。
まさに、美の化身にして欠けたるところが見つからないお人だ。
このお方にふさわしい夫になれるよう、努々精進を怠らぬようにせねばならない。
◇ ◇ ◇
???
月の迎えの前夜
生暖かい深夜、四郎の身体の中で不思議な魔力の流れが巻き起こる。
それは、よほど注意深く魔力検知をおこなわなければ・・・いや、数千年を生きる魔女でも肌を重ねなければ気付かないほどの僅かな流れだった。
四郎の身体の中で一寸(3cm)ほどの球体・・・卵が割れ、二分(6mm)にも満たない無数の小さな蟲が、血流にのり、全身に運ばれていく。
翌日に備え、かぐやが同衾しなかったがために、それらの蟲はかぐやの身体に侵入することはできなかったが、同時に彼女に気づかれることがなかったとも言えよう。
四肢の先から五臓六腑、血管、骨や筋に至るまで。
唯一、蟲の侵入を免れたのは、脳と心臓のみであった。
ゆっくりと全身に行きわたったそれは、恐ろしいほど緩慢に、かつ確実に四郎の霊的基質を侵食し始めた。
かぐやと四郎が見ている剗の海は、この僅か半世紀後の864年の貞観の大噴火で消滅します。
今ではその一部が西湖と精進湖として残るのみで、富士山本体は1707年の宝永噴火で形を変えます。
国破れて山河ありとは言ったものですが、それすら超えて生きる女は、どれほどの孤独を感じているのでしょうか。