171 女の嫉妬も見苦しい/かぐやと四郎
かぐや
昨夜は四郎殿に抱かれて血塗れで帰ったせいで大騒ぎになってしまった。
衣についた血については、四郎殿に頼み込んで彼の血だといってもらったが。
ジジ様もババ様も、私が攫われてそれを四郎殿が助けたと思ったらしく、昨夜から下にも置かぬ様でもてなしている。
四郎殿は我が屋敷にしかない特大の湯舟につかり、汗と汚れを落とした後、新しい衣を着て、大怪我をしたことなど忘れたかのように飲み、食い、そして寝た。
夜が明けると湯舟がたいそう気に入ったのか、門番の六郎を連れて再び入っていった。
朝餉が終わり餅茶をふるまった後、彼は名残惜しそうに浅沓を履き、庭に降りて私を見つめる。
「もうすでに日が高くなってしまった。吾はそろそろ帰らねばならぬ。かぐや殿、お身体の加減はいかがか?」
「ええ、どこも痛くありません。それより、四郎殿の傷の具合はいかがでしょうか?もう少し休んでいかれては?」
昨夜、屋敷につくなり驚いたのだが、四郎殿は体中、傷のないところがないほどの大けがだった。
左手の指を何本か失い、右腕と右足首は折れ、左肩の肉は抉られ左耳はなくなっていた。
それほどまでの傷を負いながら私を抱いて屋敷まで歩いたのか。
家に着くなり土間に倒れ伏した彼を慌てて回復治癒呪で治したからよかったものの、放っておけば死んでいたのは四郎殿かもしれない。
なぜか、彼が前右府殿の屋敷に戻るのが嫌でたまらない。
こんな感覚、いったい何千年ぶりだろうか。
彼は、私が治した左手を使い、被り物を直し、我が家で用立てた一振りの唐様の刀を片手に深々と頭を下げる。
「夜分遅くに訪れたのに酒や餅までふるまっていただき、さらにはこれほどの業物まで頂戴するとは。讃岐殿、かたじけない。」
四郎殿に渡した刀は、今から七百年ほど前に天竺・・・マガダ国で手に入れた、刀身に木目模様がある不思議な刀を打ち直して日本風の拵えに収めたものだ。
彼は刀身に魔力を流すため、下手に術式や魔法が組まれた魔剣はその邪魔になってしまう。
とにかく素材だけで十分な強度と切れ味をたたき出す必要がある。
そのため、昨夜のうちに長距離跳躍魔法で崑崙山脈の隠れ家まで往復して、一番頑丈でよく切れる刀を取って来たのだ。
唐様の刀のように反りは深くはないが、この刀ならばこの時代のいかなる刀剣と打ち合っても刃こぼれ一つしないだろう。
・・・ついでに鞘のほうにも仕掛けをしておいたが・・・これはできれば役に立つようなことがないと良いのだけれど・・・。
「のう、かぐや。四郎殿に我が屋敷に来てもらってはどうかと思うがの。」
ふいに、それまで何も言わなかったババ様が口を開いた。
「ババ様。それはどういう・・・。」
「かぐやや。お前がそんな顔をしたのは初めてじゃ。それに、四郎殿もまんざらでもない様子。ジジ様。おまえ様はどう思う?」
「ふむ、まったくババ様のいうとおりじゃ。わしらのことは考えんでよい。十分に良い暮らしをさせてもろうた。それに、四郎殿ならよき夫、よき父になろう。そしてわれらの息子にはもったいなかろうて。」
一瞬だが、四郎殿と目が合う。
彼は慌てて目をそらし、そして耳まで赤くなっている。
「か、かぐや殿。どうあれ吾は一旦屋敷へ戻らねばならぬ。・・・だが右府様も薨去なされた今、吾は仕えるべき主もおらぬ。ゆえに、住まうところもなくなる。この屋敷のご厄介になっても・・・よろしいのだろうか。」
「ええ、もちろんです。ふふっ。」
自信に満ち溢れている四郎殿が身体を縮めて私の顔を覗いてくるのが少しおかしくて思わず笑ってしまったが、私は同時にこの国に来てから初めての感情に驚いていた。
◇ ◇ ◇
四郎殿が屋敷を出てから屋敷の家人、小間使いたちが慌ただしく動き始めた。
ジジ様とババ様が四郎殿を私の夫として迎える支度を始めるという。
「ババ様、四郎殿は家督を継いでいないと言っていたから、婿取婚になるのかの?」
「ジジ様、我が家は平民ですよ。屋敷はあっても氏がない。」
「おお、そうじゃったそうじゃった。屋敷ごと嫁入道具になるのかの?」
「ははは、それは剛毅な話じゃ。」
家人を含め、終始和やかな雰囲気で支度が進んでいく中、何者かが屋敷の西門をたたき、緊迫した様子で呼ぶ声が聞こえた。
「誰か!助けてくれ!怪我人がいるんだ!」
屋敷の構造上、そちらは裏口で袋小路なんだが・・・。
「はて?なんじゃろうか。」
ババ様は首をかしげながらも門に向かうと、狩りに向かうとみられる装束に身を包んだ一団が門の前に屯していた。
「すまぬが狩りに向かう途中、怪我をした者がいるのだ。手当をしたい。庭先をお貸し願えないか。」
見れば高級な狩衣に、朱塗りの弓、そして汚れもない浅沓。
かなり位の高い貴族か、皇子または今上に仕える者たちだろう。
「それは難儀でしたな。我が屋敷の家人たちがお手当いたしますゆえ、こちらへどうぞ。」
ババ様がそう言い、西門を大きくあけ放つと足から血を流した男が戸板に乗せられて庭に運び込まれた。
見る限りでは折れている様子はない。
流れている血もそれほど多くない。草か何かで切ったか、あるいは転んで石にでも打ち付けたか。
傷口を見れば極端に浅いわりに刃物で切ったようにスッパリと切れていたし、この屋敷には蒸留して作った水だけでなくヨモギやドクダミ、ガマなどを殺菌精製した薬も常備している。
なんなら消毒用の酒精も常備しているから傷口が腐る心配もなく、治りも早いだろう。
回復治癒呪を使うまでもないと思い、屋敷の中に戻り、寝殿から北対へ渡殿を歩いていると、不意に後ろから声がかかった。
「かぐや殿。あなたをもらい受けに来た。このまま朕と共に来ていただきたい。」
・・・おいおい、帝が何でこんなところに・・・。
あ・・・「戸板」?「刃物で切ったような傷」?
くっ。やられた。
先ほどの怪我人が騙りだったとは!
まさか帝ともあろうお方がこれほど強引な手段に出るとは思わなかった。
「かぐや殿。どうなされた?ささ、御輿をつけようぞ。」
「申し訳ございませんが、帝にお仕えすることはできません。」
「・・・そちの思い人は右府か?火鼠の裘はまことに燃えなんだとは聞き及んでおったが・・・かぐや殿。律儀にも死人に嫁ぐおつもりか。」
「いえ、私は死人に嫁ぐわけではなく・・・。」
「朕は何としてもそちを手に入れたい。そちはこの世に比類なき者であるゆえにな。それに、朕がこれまで如何ほどの者を手にかけてきたかわかるまい?」
これは驚いた。
・・・まさか、帝ほどの地位にある者が「私」に向かってその言葉を口にするか。
「私」の手がいったいどれだけの・・・数万・・・いや数億の血で汚れているか。
いくつの国を滅ぼし、いくつの島を沈めてきたか。
帝は知る由もなかろう。
安全な御所を出て自分の手を汚したことがあるか?
泣き叫ぶ敵の目の前でその妻子を殺したことがあるか?
「私」の子を殺した女に、その女の娘の肉を食らわせたことがあるのか。
「・・・くくっ。無理にお仕えさせようとするならば私は消えてしまうつもりです。このように。・・・“सर्वत्र पालयन्तं परमं देवं, सहस्रनाम विष्णोः! मम रूपं काषायं भवतु, छायाम् अपि गुहोपय!”(遍くを護りし至高の御方、千の名を持つ守護神よ!我が姿を霞となし、影すらも隠したまえ!)」
ヴィシュヌ神・・・この国では毘沙門天だったか?
私は幻術を使う女の原身にして三神一体の一柱、束縛されぬ者の名を冠する神の力を借りて一瞬で姿を霞と化す。
「な、なんと!まことにこの世ならざるお方だったとは!・・・くっ。朕は諦めぬ。心はここに置いていく。いつか、そちとともに取り戻そうぞ!」
帝は口惜しそうにそう言い放つと、渡殿を南へ歩いて行った。
・・・ふう。この魔法、消耗が激しいわりに姿が消せるのはあくまでも「人の目」に対してだけで鏡に映る姿までは消せないんだよね。
それに目に見えない光の領域については欺瞞しきれないから蛇や蝶などには全く効果がない。
そのうち本格的に姿を消せる魔法か術式を開発しよう。
・・・っと。そんなことを言っている暇はなかった。
四郎殿との婚姻が帝に知れたら面倒なことになる。
あんな言葉で脅してくるようなお人には見えなかったが、さすがに色恋沙汰で国を亡ぼすのは気が引けるな。
何よりこの国は四郎殿の国だ。
焼野原や大海原にはしたくはない。
さて・・・どうやって切り抜けようか。
◇ ◇ ◇
饕良(トゥーラ・ステラ)
魔力結晶が砕け、焼き切れた竹製の召喚符を前に一人考える。
召喚できる四凶はあと2体。
渾沌と檮杌か。
渾沌は喚び出すと周囲の魔力や思念をかき乱し、術式や結界を破壊することができるがあまり闘争には向かない。
檮杌は窮奇以上に強力だが、難訓にして傲狠だ。あまりにも使い勝手が悪く、召喚者まで襲うことがある。
それにしても、まさかただの武者風情が一人で四凶を2体も下すとは。
もう少しで魔女を封殺できたものを。
「饕良殿?如何なされた?」
中納言殿が心配そうに妾の顔を覗く。
・・・珍しく見つけた魔族と番うことができる人間。
我々魔族の女は同族でもめったに子ができない。
子を孕んでも、高い確率で流れてしまう。
・・・子を孕むと、その魔石を母体が異物として排除しようとしてしまうためだ。
ゆえに、魔族の男は人間の女を孕ませ、殖えようとする。
となれば魔族の女はどうするか。
たとえ、相手が人間の男でも魔力があると胎児の魔石に少なくない影響がある。
ゆえに、一切の魔力を持たない人間の男と番うしかないのだ。
つまりは男が魔力を持たぬのであれば、子を孕んでもその魔石は母体の魔力と完全に一致するため、流れる可能性が低いのだ。
人間、しかもこれほど情けない男を夫にしなければならないことに腹が立つが、こうでもしなければ我らは滅ぶのみだ。
「中納言殿。ご心配召されるな。妾はどこにも行きませぬ。その証におまえ様の欲しがるモノをまた用立てましょうか。」
前回は歳若い生娘だった。
黒い髪が美しい、色白で切れ長の目を持った娘だったか。
散々もてあそび、飽きたら家人に下げ渡し、いたぶられて腹が裂けて死んだところで家人の男が川に捨てたらしい。
・・・その肉は十分に食えたというのに。
「贋い物はもういらぬ!私が欲しいのはただ一人、かぐや殿だけじゃ!かぐや殿を、かのお方をつれてきてたもれ!」
かぐや・・・ああ、巷で噂のなよ竹のかぐや姫とやらか。
まったく、妾は男を選ぶこともできないというのに、選り取り見取りで5人の貴族を袖にして、今度は帝にまで迫っているという女か。
中納言殿は趣味が悪い。妾を差し置いてそのような女を求めるとは。
それに、先だっては大きな獲物を仕留め損ねたこともあり、妙に気が立って仕方がない。
いや・・・妾ともあろうものが人の女に妬みや嫉みを抱いているというのか!
腹の虫がおさまらぬ。
妾にこのような恥をかかせたこと、何者であろうが八つ裂きにしてくれようぞ!
だが、巷で噂の女の肉がどのような味か確かめるのも一興。
生きたまま四肢をもいで食ろうてやろうぞ。
「・・・承りました。きっとその女を連れてきましょうぞ。そして心ゆくまでご堪能されませ。」
◇ ◇ ◇
四郎(安倍左衛門三郎四郎頼中)
なんというか・・・。
まだ信じられぬ。
屋敷を出た時に吾を見送るかぐや殿のうるんだ瞳、赤らんだ頬と耳が頭から離れない。
あのようなお方が吾のような雅さの欠片もない朴念仁を好いてくださるなど・・・。
ボグっ。
何度目であろうか。自分の顔を拳で殴りつけてみる。
「うむ。痛いな。・・・ははは、うむ、痛い。」
自分の顔を殴り、夢ではないことを確かめた左拳を開き、再び握りしめる。
昨夜、確かに堀川の通りであの化け物にちぎり取られた指は、すべて元通りとなっている。
いや、幼き折に抜刀しそこなって深く切った時の傷も、野盗を捕縛したときに噛み千切られた手の甲の傷跡も残っていない。
続けて左耳を撫でてみる。
確かに化け物に噛み千切られたはずの耳は、傷一つなく元通りになっている。
「まこと、この世のお方ではないのだなぁ・・・。」
吾が屋敷に厄介になってよいかと問うと、かぐや殿は「もちろんです。」と言いながら笑った。
その笑みは2人の殿下、そして右府様、中納言殿や大納言殿に笑いかける時とは明らかに違う笑みだった。
「はは、かぐや殿と吾が夫婦か・・・ん?なんだ?この臭い・・・あの時と同じ気配?」
天にも昇る心地で右府様のお屋敷への辻を曲がった時、不意に違和感を感じる。
「くくく、聞いたぞ。おぬし、かぐや姫とやらの思い人のようじゃな。まったく饕餮と窮奇の仇をとろうと思えば、一箭双雕とはよう言ったものよ。」
昼日中であるにもかかわらず、辻を曲がった先に広がっていたのは薄い暗がりだった。
妖術?幻術?・・・だがかぐや殿から頂戴したこの刀に切れぬものはない!
鞘から木目模様のある刀を抜き放ち、八双の構えをとる。
「ふふ、おぬしがどれほどの刀を持っていても当たらぬものまで切れるものかよ。さて大人しく妾のもとに来やれ。」
この女、昨夜の・・・。
かぐや殿の話によれば魔族・・・鬼のようなモノらしい。
ならば、この刀にかけて討ち取って見せよう。
「女を斬ることは義に反するが・・・鬼となれば話は別。ましてやかのお方を害した者を許すと思うたか。」
女に構える隙も与えず、一足飛びに間合いに入り、刀を大上段から振り下ろす。
だが、女は紙一重でふわりと刃を躱す。
かぐや殿から聞いた「先読み」の力か。
胴を薙ぎ、喉を突き、あるいは小手を落とそうとするがすべて紙一重で躱されてしまう。
先読みが必ずしも当たるとは限らないと聞いたが、この女、吾とあまりにも相が悪い!
「人が振るう刃になど当たるものかよ。・・・顓頊の子にして善言を弁えぬ者よ。傲狠なる人面豚歯の大虎よ!荒の中を撹乱し、東方より疾く来たれ!」
女が何かを唱え終わると同時に、烈風と砂塵が巻き起こり、その中から異形の・・・犬のような毛が生えた尾の長い人面の虎が現れる。
「ゴアァァァ!」
ぐ、雄叫びだけで後ろに吹き飛びそうだ。
饕餮、窮奇ときたら・・・
「これは檮杌か!?ええい、女!汝は地獄の獄卒か!南無八幡大菩薩!吾に仏敵を滅す力を与え給え!」
刀の柄を握り締め、いつものように我が家に伝わる本尊に呼びかける。
次の瞬間、刀身が俄かに熱を帯び、蒼い炎に包まれた。
「なんと!だがこれなら斬れる!」
襲い掛かる檮杌の牙を受け止め、爪を叩き落す。
刃が当たるたびに牙を削り、爪をそいでいく。
そしてそのたび、檮杌は耳障りな雄叫びを上げ続ける。
それにしてもこの刀のなんという切れ味、なんという頑丈さ!
折れるどころか刃こぼれ一つする様子がない。
「ふふん、やるようだね。だが・・・強さ、勝利、暴力、鼓舞。ステュクスとパラースの子らよ!鍛冶神とともに勇者を磔にせし神々よ!我が腕、我が拳に宿りて神敵を滅する力を授けたまえ!」
女が何かを叫んだ瞬間、何かがドンっという音とともに女に覆いかぶさり、その拳と腕が光を帯び、一瞬で吾の間合いを侵す。
まさか、この女!素手で吾に挑むつもりか!
だがこやつは鬼!
女だろうが叩き切る!
「ふん!せい!」
渾身の力を込めて刀を振るうが、女には髪の毛ほどの傷も負わせられない。
それどころか・・・。
「遅い!汝の刃など届かぬわ!」
女が足を振り上げ、地を踏みしめるかのように振り下ろすと、まるで地鳴りのような振動があたりに響き渡る。
拳を振れば突風が吹き、その腕は吾の刀を容易く叩き落す。
まさに鬼、いや、化け物・・・!
いや、感心している暇はない。
檮杌の爪牙と女の拳、そして足・・・ギリギリ躱し続けてはいるが、もう息が持たない!
「兄者!加勢いたしまする!」
「六郎か!お前の手には負えん!それよりかぐや殿を安全な場所に・・・グフっ!?」
まさに一瞬のこと、身体を貫く衝撃に驚きながら顔を下すと・・・気を取られてしまった吾の腹・・・みぞおちに女の腕が肘のあたりまで刺さっていた。
「くくく、なかなかいい男じゃあないか。魔力さえなければ私の夫にしてやったものを。・・・そうさね。妾がおぬしの魔力をすべて食らってやろう。さすれば夫になれるやもしれぬ。息があればな。ふふ、ははは、かぐや姫とやら、いい気味じゃ、はははは!」
六郎は・・・逃げてくれたか。
く、腹を、やられた。
これは、助からぬ。
かぐや殿、まことに、・・・すま・・ぬ。
腸をかき回されるような激痛に天地は暗転し、意識が闇に沈んでいった。