170 男の嫉妬は見苦しい/魔族・饕良
たびたびキュビットという単位が出ますが、これは世界最古の長さの単位と言われ、ノアの箱舟のサイズを表すのにもつかわれています。
本作では、魔女が長い間ヨーロッパにいたことから使わせています。
1キュビットは肘から指先までの長さで、大体50センチくらいと思ってください。
翌朝 かぐや邸からの帰路
(四郎)安倍左衛門三郎四郎頼中
夜通しかぐや殿の話を聞き、いささか疲れてしまった。
かぐや殿は開口一番、「わたしはこの国の人間ではない。」と言った。
・・・かぐや殿のいう外つ国とは海の向こう、唐天竺、あるいは西戎、南蛮あたりかと思って話を聞き始めたが、どうやらそうではないらしい。
吾はかの国々をこの目で見てきたが、かぐや殿が吾に見せた・・・術式?とやらによる景色はまるで違った。
何よりも驚いたことは、かぐや殿はかの身体を得てからまだ2年と経っていないという。
ならば、わが主は五十路を超えているにもかかわらず赤子に懸想したということか?
・・・いや、かぐや殿の魂は我等より遥かに古いのだから、悩んでも詮無き事か。
それよりもかぐや殿の・・・「マホウ」?といったか。
あれはまるで神仙の技・・・。いや、この世の業ではない。
讃岐のジジ殿もババ殿も、完全に腰を抜かしておった。
・・・だが・・・それでもあの二人にとっては愛しい娘であることは変わらんのだよなぁ・・・。
ジジ殿とババ殿に抱かれていたかぐや殿の少し赤らんだ顔が頭から離れん。
こう・・・胸のあたりがググっと押されるような、奇妙な感覚を感じているとき、大路の北から二十数人の一団が輿に雅な衣をまとった貴人を乗せ、歩いてくるのが見えた。
「ん?あれは御輿じゃないか。今上はどちらへいらっしゃるのだろう?」
誰かがそうつぶやくと、道行く者共が一斉に左右に分かれていく。
・・・向かう先はかぐや殿の屋敷のあるあたりだ。
一瞬、まさかな、とも思ったが、同時にあのお方ならば今上といえどもどうにもなるまいと気を取り直しつつ、重い頭を振りながら右府様のお屋敷に戻ることにした。
お屋敷に戻り、鉢で顔を洗っていると、屋敷の家人たちが話している声が聞こえる。
仕えるべき主がなくなってから喪に服しておるためか、みな暇を持て余しているようだ。
「おい、聞いたか?また堀川の戻橋のたもとで女の死体が見つかったってよ。」
「戻橋?一条の?ああ、それなら俺も聞いた。体中に歯形があったってな。それも犬や狼なんてもんじゃない、もっとでかい獣に食われたような跡があったってな。」
・・・堀川の一条戻橋か。たしか、あそこの近くには中納言殿の屋敷があったような・・・。
京といえども夜出歩くものは少ない。
野盗や野伏せりなどが徘徊しており、近く今上が検非違使を置く触れを出すはずだが、獣のようなモノがいるとなると、話が変わってくる。
「おい。お前ら、今の話ちょっと詳しく聞かせてもらおうか。」
噂話をしていた男どもを捕まえ、事件のあらましを確認する。
「ここひと月で4人の女が攫われているとのことです。数日後に見つかった女たちはみな大きな獣に食い切られたかのような有様で、丑三つ時から朝にかけてのどこかで死体が捨てられています。3人は道で攫われたようですが、1人は屋敷から夕暮れ時に攫われて、十日ほど後、無残な姿で鴨川に打ち捨てられていたそうで・・・。」
「殺された女の歳と攫われた場所はわかるか?」
男たちはあわてて地図を出し、その場に広げた。
「あ、はい。歳は十二から十五、攫われた場所は・・・ここと、ここ、それからここ、最後がこの屋敷で、最後の女が見つかったのはここです。」
すべて、中納言殿の屋敷の近くだ。
それに、かぐや殿の屋敷も近い。
・・・ふむ。
がぐや殿であれば敵にもならんとは思うが、慢心して万が一ということもありうる。
いらぬ世話かとも思うが、そのあたりを巡回してみようか。
◇ ◇ ◇
夕暮れ
杖をついた男
かぐや殿に贈るため、燕の産んだ子安貝を探して京の町だけでなく、ありとあらゆる屋敷や社の軒下に上がり続けた。
だが、いずれの巣にも子安貝はなく、最後に大炊寮の大八洲という名の大釜が据えてある小屋の屋根にあった巣で、これぞとつかみ取ったものは燕の糞であった。
かのお方からは「年を経て 浪たちよらぬ 住吉の まつかひなしと きくはまことか」と文をもらい、「かひはなく 有りける物を わびはてて しぬる命を すくひやはせぬ」と返歌した。
すると返歌した翌日に、わざわざ屋敷まで見舞いに訪れ、そして私の腰を白魚のような指でやさしくなでてくれた。
医者は腰の骨が砕け、腸に刺さっていると言っていたが、あの痛みはまさしくそのとおりであったろう。
だが、あのお方が触れるだけでこの身は容易く治ったのだ。
これを、愛の力といわずしてなんというか。
だというのに、あれから文を送っても返事がない。
あげく、右府殿は火鼠の裘を手に入れたと宣い、挙句、死におった。
まことに裘を手に入れたかも定かではない。
だが、かのお方は子安貝を手に入れ損ねた私にこれほどやさしいのだ。
私と同じように、右府殿は亡くなったことを憂うかのお方の温情を受けているのやもしれぬ。
・・・否!
かぐや殿は誰にも渡さぬ!
一人、蔀の陰でこぶしを握っていると、不意に後ろから若い女の声がかかる。
「中納言殿。いかがなされた?また恋煩いか?そろそろあきらめて妾と夫婦にならぬか?より強き力、多くの財宝を約束しようぞ。」
そういって肩に手を回す女は、世の中一般で言うのならば美女と言って差し支えない。
だが・・・かぐや殿と比べてしまうと並以下にしか見えないのだ。
それに、何か腹の底から冷えるような、不思議な怖さが漂っている。
「饕良殿・・・。そちは大変美しい。そのつややかな黒髪も、抜けるように青白い肌も、不思議な色の瞳も・・・だが、違うのだ。なんといえばよいのかわからぬが、言葉にできぬのだ。」
饕良殿の目がツイっと細くなり、私の腰のあたりを眺める。
ああ、怒らせてしまったか?
「ふぅん、妾は無理強いはせぬよ。ゆっくり考えるがよい。だが、必ずおまえ様は妾の男になる。何者でも邪魔だては許さぬよ。」
そういうと彼女は踵を返し、足音さえもさせずに屋敷の奥へと消えていった。
・・・頭に霞がかかるような心持ちで寝所に向かう。
はて?饕良殿はいつから我が屋敷にいるんだったか。
そう、たしか、初めて会ったとき、「マリョクがない男、見つけた」とか言っていたか?
だめだ。思い出せない。
だが、いかなる手を用いてもかぐや殿を我が妻にして見せようぞ。
◇ ◇ ◇
かぐや
夕暮れ時
はあぁ・・・やっと帰ってくれた。
庚申の夜を寝ずに過ごした後、いきなり先触れが来たかと思えば一刻もたたぬ間に帝ご本人が来るとは思わなかった。
おかげで家人たちが疲労困憊になっている。
後で順番に回復治癒呪をかけて回ってやらなければ。
それにしても・・・帝からも求婚されるとは思わなかった。
いや、権力の中枢なんてもう御免だよ。
ふと鏡を手に取り、自分の顔を眺めてみる。
長く、輝くように艶やかな黒髪と、透きとおるような白い肌、長く揃ったまつ毛と切れ長の目。
筋が通り、形のよい鼻。整った唇は紅を引いたように鮮やかで、頬は薄く朱が差している。
・・・そして、ほんの少しだが、魅了の力が漏れ出している。
「日本の男はこういった顔が好みなのかしらね。・・・おおっと。この身体、意識しないと魅了魔法が自動的に発動するわね。油断も隙もあったもんじゃない。」
精神を集中し、魔力回路を流れる魔力の揺動を抑えていく。
・・・よし、魔力の漏洩もなし、屋敷内の術式も異常なし。
ついでに、屋敷周囲の様子は・・・。
「ん?何かしら?北のほうで妙な気配が・・・。これは幻想種?・・・いや・・・この魔力の流れ・・・まさか!召喚魔法!?」
かすかに感じた魔力を頼りに、北殿から庭に飛び出し気配のあった方向に意識を集中してみる。
今まで索敵系の術式は使ってこなかったが、この身体はかなり魔力探知能力に優れるようだ。
「間違いないわ。しかも、よりによって饕餮の気配!・・・殷代の、二千年も前の化け物が何でこんなところにいるのよ!とにかく、何とかしなきゃここも危ないわね。今生では戦わないで済むかと思ったのに・・・。」
素早く寝所に飛び込み、衣を脱ぎ捨て、衣櫃から男物の衣を取り出す。
それらを身にまとい、助走をつけて5キュビット・・・じゃなかった、約一間半(2,7メートル)の塀を飛び越え、闇が迫る京の町に飛び出した。
◇ ◇ ◇
日が落ち、すでに暗くなり始めた堀川通を北に向かって走っていると、前方の薄暗がりから剣戟の音が聞こえてきた。
残響を引きながら、ギィンっという、金属がぶつかり、こすれあうような音が聞こえる。
「く!このような化け物がいるとは!南無八幡大菩薩!吾に仏敵を滅す力を与え給え!」
宵闇に四郎殿の声が響く。
彼は直刀を振るい、人面牛体、曲がった角、虎の牙、そして人の手足を持つ異形のモノと戦っていた。
・・・饕餮だ。
古くは蚩尤とも呼ばれ、炎帝の子孫にして悪食、財産と食物を食い漁る、殷代から伝わる四凶が一柱だ。
中原の四方に流され息絶えたと聞いていたが、精神世界で結像し、何者かが召喚の契約を結んだと見える。
伝説にある通りの強さならば、あれに人間が勝つのは難しい。
だが、驚いたことに四郎殿は善戦している。
その手に握る直刀は淡く光り、刀身にはうっすらと魔力をまとわせているのがわかる。
「あれは・・・魔剣?・・・いや、ナマクラに魔力をまとわせて神剣並みの切れ味と強度にしてるの!?」
・・・おどろいた。四郎殿本人は気づいていないが、なかなか良い魔力を帯びているではないか。
だが・・・そうすると・・・。
饕餮の別名は「雑魚狩り」だ。
自分より弱い者が単独でいるところを狙い、それが群れ始めるとすぐさま逃走に転じるという、その強さに見合わない卑怯極まりない習性をもっている。
さすがに人間の武者程度では逃げないが、私がノコノコと出ていけばすぐさま逃走にかかるだろう。
どうしたものかと考えていると饕餮は四郎殿の足をつかみ、そのまま近くの塀にたたきつけた。
「ぐはぁ!くそ、死んでもあのお方のところへは、かぐや殿のところへは行かせぬぞ!」
・・・四郎殿?まさか、饕餮から私のことを守ろうとしているのか?
四郎殿には、私の魔力の一端を見せたはずなのだが・・・。
私が彼の言葉に驚いている間も、四郎殿と饕餮との闘いは続いている。
すでに彼はボロボロだ。アレを相手に、直刀一振りで勝てるわけもない。
・・・いつまでも見ているわけにもいくまい。
物陰からゆっくりと手をかざし、光撃魔法も詠唱にかかる。
「光よ、集え。そして薙ぎ・・・。」
詠唱を終えようとした瞬間だった。
ドス、という鈍い音とともに、何かが身体を貫く。
右脇腹に刺さった何かこれは・・・矢?いや、投槍か!?
「く、伏兵か!だが、この程度の傷!」
右手でそれを引き抜き、回復治癒呪を使おうとした瞬間だった。
・・・患部に魔力が、集まらない。
何者かに呪いに割り込まれた?
いつの間にか後ろにいた女から嘲笑を含んだ声がかかる
「ふふ、ははは!まさか、このような東の果てで会えるとは思っていなかったぞ。魔女よ!妾こそは女神の従僕にしてその刃!戦士トゥーラ・ステラなり!」
女神・・・まさか、教会か!
くそ、油断した。
だが、戦士だか何だか知らんが、たかが一人の女に何ができる!
「術式束、990,055,990を発動!闇よ!踊れ!そして叩き割れ!」
術式強化、術式収束、多重詠唱、術式反復をかけ、痛覚を殺し、防御障壁と乱数回避、物理防御の術式を重ね掛けする。
その上で詠唱した、空間衝撃魔法は、うんともすんとも言わなかった。
・・・今、何が起こった!?
「ふふ、不思議に思っているようだな。お前の脇腹に刺さっているモノが何かわかるか?ははは、それは聖釘と言ってな、お前の、お前だけの魔力を封じてくれる奇跡の杭じゃ。」
「・・・く、私、だけの魔力を・・・封じるだと・・・?」
気付けば全身のほとんどの魔力回路が沈黙している。
先ほど発動したはずの術式は、一切の効果をもたらしていない。
かろうじて回復治癒呪の止血だけが有効のようだが・・・。
原因はこの槍か!?
右脇腹から引き抜こうとするも、癒着したかのように刺さり、一向に抜ける様子がない。
それにこの気配は精神世界から情報戦をかけられている・・・?私の魂・・・人格情報に侵食しているような・・・?
この槍、情報戦の癖が私にそっくりだ。
まさか!?これ人骨か!?
イスで喪ったユリアナの、私の身体からあの時取り出された肋骨か!
く・・・抜けん!呪い以外、何もできない!
「くそ!こんなこと初めてだわ!ふっ!くそ、抜けない!」
「ふふ、400年前、妾の故郷を滅ぼし、女神を殺したおぬしもここで終わりじゃな。さあ、よき悲鳴を聞かせてもらおうか。」
女はゆっくりと歩いてくる。
だが・・・呪いが使えるのならば!
精神を集中し、女の顔面にめがけて念動衝撃呪を解き放つ。
不可視の衝撃は確かに発動し、轟音とともに女の身体をとらえるはずだった。
だが、衝撃が女に届く前に女は大きく左へよける。
まさか・・・!?
構わず念動衝撃呪、そして断裂呪を織り交ぜて攻撃を行うも、そのことごとくが当たらない。
まるで、事前にそこに攻撃が行われることを知っているかのような・・・。
「まさか!予知能力か!」
「ふふ、さすがじゃな。さて・・・魔女はどんな声で鳴くんじゃろうなぁ?・・・少昊の子にして邽山に留まりし者よ。善き魂を食らいし狗声の翼虎よ! 広莫風を巻き起こし、北方より疾く来たれ!」
女が高らかに詠唱すると、一陣の風と共にハリネズミのような毛と水牛のような図体を持ち、翼の生えた虎のような獣が現れた。
「・・・窮奇だと!?こいつ、まさか人の身でありながら2体も召喚できるとは!」
感心している場合じゃない。
とにかく、この場を切り抜けないと!
だが、魔法も魔術も発動しない。
念動による攻撃は予知されて避けられる。
最悪、この身体を捨てて逃げ出そう考え、身体と魂との接続に手をかけた瞬間、さらなる衝撃が襲った。
「魂が身体に閉じ込められている・・・!?」
「さあ!封殺してやろうぞ!窮奇!四肢をもいでやれ!」
女が楽しそうに耳障りな甲高い声を上げる。
そして、月の光にきらりとその青い眼・・・縦長の瞳孔が光った。
なるほど。魔族だったか。
道理で召喚魔法程度なら難なく使えるわけだ。
窮奇の爪、そして牙が眼前に迫る。
・・・封殺といったな。ああ、ここで終わりか。
長い、長い旅だった。
多くの者と家族になった。多くの子を産んだ。そして、彼ら全てと死に別れた。
頭の中を、これまで会った者や家族たちの笑顔や寝顔、そして死に顔が流れていく。
私はみんなと同じところへ行けるんだろうか。
そしてそこには、あの子がいるんだろうか。
生まれて初めて感じた死への恐怖・・・いや、期待に私は両目を閉じ、覚悟を決めた。
・・・だが。
次の攻撃がいつまでたっても来ない。
不思議に思いながらも恐る恐る目を開けると、そこには切っ先が折れ、ゆがんだ直刀を構え、血塗れの四郎殿が肩で息をしながら窮奇の前に立ちふさがっていた。
◇ ◇ ◇
私の目の前に立ち、窮奇に折れた直刀の切っ先を向ける四郎殿は今にも倒れそうだ。
振り返り見れば、辻の端には切り刻まれた饕餮が転がっていた。
・・・おいおい、ナマクラ一振りで殷代の悪神の一柱を切り伏せたのか!?
「童!あとは任せろ!吾が・・・おぬし・・・かぐや殿!?なんでかようなところに!?」
ああ、いくら日が落ちて暗くなっているとはいえ今宵は晴れ渡った上限の半月、そして月はまさに中天している。
顔くらいは分かるか。
四郎殿は私と目が合い、目を丸くして驚いている。その一瞬のスキをついて女が窮奇をけしかけた。
「人間風情が!妾の饕餮を倒しただと!窮奇!殺してしまえ!」
「四郎殿!逃げて!」
窮奇の爪は鋼を容易く断ち切る刃だ。
四郎殿が持つナマクラなど、一撃で切り落とす・・・はずだった。
「なんの!これしき!南無八幡大菩薩!吾に仏敵を滅す力を与え給え!」
ギィン!と腹にくる音が響き渡り、四郎殿が窮奇の爪を曲がったナマクラで叩き落す。
ナマクラは淡い橙色の光を帯び、軌跡を描きながら窮奇の爪や牙をはじき返していく。
・・・なんと。刃に対して強化魔法をかけているのか!
そうするとさっきの南無何とかって、まさか呪文?
驚いている間にも、刃が欠け、切っ先が折れ、曲がった直刀を己の身体の一部のように使い、窮奇の爪を折り、牙を断ち、追い詰めていく。
その太刀筋、まさに変幻自在。
流れるような動き、とらえどころない動きであっという間に窮奇を打倒してしまった。
「おぬし・・・何者じゃ。妾の先読みを超えるとは・・・。ふん。次はもろともに食ろうてやろうぞ。覚えているがよい。」
女は吐き捨てるように言うと、暗がりに転がり込むように姿を消した。
「ぬ!待て!・・・く、かぐや殿。立てるか?なぜこんなところに?」
「その前にコレを抜いてくださいますか。痛くて痛くてたまりません。それに私の力では抜けないようです。」
四郎殿が差し出した手を握り、立ち上がりながら右脇腹の短い槍を指さす。
今までに感じたことがないほどの激痛だ。
それこそ、気を抜けば意識を失いそうだ。
「む!これは・・・!あいわかった。・・・腹か。腹を刺されれば助からぬ・・・。すまん、貴方を守ることができなかった。ジジ殿やババ殿に言い残すことはないか。」
四郎殿は沈痛な面持ちで私の顔を見つめる。
いや、この程度の傷なら瞬きの間に治せるのだが・・・。
「抜けばわかります。さあ、一思いに。」
四郎殿は覚悟を決め、槍を一気に引き抜く。
あれほど抜けなかった槍はまるで滑り落ちるように身体から抜け、槍を追うように鮮血が噴出した。
「おお!このままでは身体から血がすべて流れ出してしまう!・・・ん?止まった、だと?」
四郎殿は慌てて私の脇腹の傷を押さえて両手を鮮血で汚すが、回復治癒呪はすぐに傷をふさぎ、血を止めた。
・・・ふうぅ。どうやらコレはここにあるだけでも私の魔法や魔術をほぼ完全に妨害するようだ。
かろうじて回復治癒呪だけがまともに動作している。
何とか塞いだ脇腹を血まみれの衣の上から撫でていると、四郎殿が私を抱き上げ、屋敷に向かって歩き出した。
「し、四郎殿?自分で歩けます。おろしてください!」
「半死人が何を言う。それに、吾は貴方を守れなんだ。これくらいはさせてくれてもよかろう。」
いつか四脚門の外で四郎殿と別れた時、自分以上に強い相手に守られてみたいと思ったが、まさかこんな形で叶うとはなぁ・・・。
うん、火鼠の裘を手に入れたのも四郎殿だし、この男は私の願いを二つも叶えてくれたのか。
四郎殿に抱かれて屋敷に帰る途中、何百年、いや何千年ぶりかの心の臓の高鳴りが私の身体を満たしていた。