165 すれ違う母子
3月12日(水)
大阪市内
ビジネスホテルの一室 早朝
水無月 紫雨(ノクス・プルビア)
壮介君と陽菜ちゃんの仇を追ってハナミズキの家を漁ってみたが、勤務している職員や関係機関、取引先に怪しい人間はいなかった。
・・・心の中を覗く魔法まで使ったのだから、実際に知らないのだろう。
となると、ハナミズキの家を人工魔力結晶のプラントにした人間はもっと上層部の人間ということか?
さすがにこれ以上となると、僕一人では手に余る。
国家権力に近い人間でも知り合いにいればよかったのだが、それは高望みというものだ。
人でも人脈もまるで足りていない。
それに、1700年も海の底に封印されたせいで、召喚魔法の契約更新もできず、すべての契約が解除されてしまっている。
そちらも何とかしなければならないだろう。
「よし、この国でできることはもうないか。せめて二人の仇は討ちたかったな。最後にナーシャさんにでも会いに行こうか。」
荷物の中から水無月園にいたころに買ってもらった子供服を取り出し、自分の身体のサイズを元に戻しながら袖を通す。
そして、水滴が描かれた石片のペンダントを首に下げた。
このペンダントは、僕と実の母を繋ぐ唯一のものだ。
教会の連中に捕らえられ、海の底に沈められた時も、ぎりぎり飲み込んでごまかすことができた。
そっと握ると、まるで母に包まれているような感じがする。
当然だがもう母はこの世にいるはずがない。
それこそ、僕と同じ力でも持っていない限りは。
・・・何年たっても、この寂しさだけは埋めることができない。
気を取り直し、着替えをバッグに放り込んで背負い、部屋から出る。
このホテルは先払いだし、部屋の鍵は出るときに受付横の返却ボックスに入れるだけでいい。
それに、早朝だからどうせフロントにも誰もいない。
ホテルのロビーから出る前に、ナーシャさんのスマホにメッセージを送っておく。
・・・まったく便利な世の中になったものだ。これほどの距離が離れているというのに、魔法も魔術も一切使わずに意思の疎通が行えるとは。
「・・・ハナミズキの家の正門前で会えますか、と。・・・お、返信が来た。早いな。勤務開始前に少し時間をとってくれるのか。ありがたい。」
ホテルを出ると、辺りはまだ薄暗く肌を刺すように冷たい風が吹きつける。
小さな路地に入り、周囲に誰もいないことを確認してからゆっくりと詠唱を行った。
「"Ventus fortis, alas tuas mihi ad momentum praebe."(勇壮たる風よ。汝が翼を今ひと時我に貸し与え給え。)」(ラテン語)
この魔法は、強大な魔力を誇る「魔女」と呼ばれる女性が作成した、傑作魔法の一つだ。
それこそ、魔法使いなら誰でも知っている昔話の中にも登場するような、伝説級の魔法だ。
少ない魔力で行使でき、かつ一度行ったところなら、そこがよほど変わってでもいない限り移動することができる。
また、行ったことがない場所でも正確な方位と距離、または座標と高度を指定するだけで跳べてしまう。
・・・まあ、その「正確な」というのが無茶苦茶難しいんだけどさ。
アレキサンドリアにあった大図書館で、魔女を示すサイン入りの暗号化された魔導書にこの魔法を見つけた時は心の底から驚いたものだ。
とにかく、この魔法は傑作だ。どのような距離を跳躍しようが、嵐の中を跳躍しようが、跳んでいる人間が窒息することも雨に濡れることもない。
そうだ。僕の旅の目的に「魔女」と会うことを加えよう。
伝え聞いたとおりの存在だとするならば、必ず生きているはずだ。
きっと偉大な魔法使いであるに違いない。
「・・・母さんが魔女だったらよかったのにな。」
誰に聞かれることもなくそんなことをつぶやきながら、まだ暗い地上、そして前方で噴煙を上げる火山を見下ろし、東からの朝日を背に受けながら佐世保に向かって空を駆けていった。
◇ ◇ ◇
ふわりと着地したところはハナミズキの家の正門だった。
門の陰で待っていると、まだ日が昇っていないにも関わらず、白い息を吐きながらナーシャさんが自転車で走ってきた。
「おはよう!紫雨君!・・・あ、今度は子供の姿なんだ。どっちの姿が本物なの?」
「こんな早い時間に済まない。ええと、本物の姿か・・・。この身体の本来の姿はこの子供の姿なんだけど、そもそもこの身体自体が僕の本来の身体ではないからね。」
「へぇ・・・。じゃあ、もしかして元の身体の子孫とか?事故か病気で死んだ子孫の身体を修復して使ってる、みたいな感じ?」
・・・!一発で当てられるとは思わなかった。恐ろしく勘がいいな。
いや、そうじゃない。こんな事をピンポイントで当てられるわけがない。
「まさかとは思うけど、同じように身体を乗り換えている人を君は知っているのかい?」
「う、いや、そんなことあったらすごいな、って思って。ところで、今日はどうしたの?もしかしてハナミズキの家に戻ってくるの?もしそうなら、園長先生にあたしから上手いこと言っておいてあげるよ?」
今の動揺。そして露骨な話題のそらし方。
おそらく、彼女は僕と同じ方法で身体を乗り換えている人間を知っている。
僕の知りうる限り、そんなことをしているのは二人だけだ。
一人は、魔女。そしてもう一人はサン・ジェルマン。
たしかサン・ジェルマンは、自分の子孫の男子にしか憑依できないはず。
そして、彼は魔族だ。
魔族はどのような人種、あるいは幻想種と番っても魔族しか生まれない。
ということは・・・。
ナーシャさんは魔女の存在を知っている!?
だが・・・今の話題のそらし方からすると、僕に魔女を会わせてくれるように頼むのは難しいだろう。
「残念ながらハナミズキの家に戻るつもりはないんだ。いろいろ思い出してしまったからね。ここに来たのはお別れをいうためさ。でも・・・そうだな。きっとまた戻ってくる。その時には・・・君の知り合い、きっととても強い力を持っている人に合わせてもらえると嬉しいかな。」
「あ、ああ。わかったよ。」
さて、しっかりと別れの挨拶は済ませた。
ナーシャさんに手を振り、その場から走り出す。
「・・・紫雨君、まさか美代さんと同じようなことをしているとは思わなかったな。っていうかまさか美代さんに惚れたのかな?」
風の音の中、彼女が何かつぶやいた声は聞こえなかった。
◇ ◇ ◇
長距離跳躍魔法を使い、20分ほどかけてかつての自分の帝国の跡地に降り立つ。
ここは・・・南城壁の外にあたるところか。
在りし日の帝国の栄華は見る影もない。
白磁と黄銅で彩られた街区は跡形もなく、舗装されていた道も、オアシスから水を引いていた水路も何も残ってはいない。
見るものを驚嘆させたそびえたつ塔も、陽光にきらめいていた白い城壁も、すべてが砂に埋もれ、あるいは朽ちて落ちている。
かつて、この腕に抱いた幼子も老いて死んだのだろうか。
美しき妻は、僕がいなくなった後は幸せな余生を過ごしたのだろうか。
・・・そうだ。妻に管理を任せていた隠し倉庫があったな。あれは・・・街区を隔てる城壁の真下だったはずだ。
まだ残っている可能性がある。少し遠いが行ってみよう。
それにしても・・・つい最近、この地で戦闘でもあったのだろうか。
ところどころガラス化している幅300メートルほどの溝が、地平線まで伸びている。
「・・・これは・・・光撃魔法?いや、もっと恐ろしい力を振るったような・・・。」
現代には、これほどの破壊をもたらせる魔法使いがゴロゴロといるということか。
となると、これは急いだほうがいいようだ。
「"O ventus, pennis tuis mollibus mihi navem volitantem exstrue."(風よ。汝の柔らかな羽毛を以て我に天翔ける船を誂えたまえ。)」
風の精霊の力を借りて空を翔ける魔法の小舟を作り出し、数キロの距離を一気に駆け抜ける。
崩れかけた城壁が残るそこは、すでに何者かにこじ開けられた跡があった。
「・・・やはり、ダメか。・・・ん?この書類、日本語?なんでこんなところに?」
こじ開けられた石室の扉の前に横転した日本車や、打ち捨てられたテントが転がっている。
至る所に弾痕が残っているところを見ると、ここでも戦闘が行われたのだろうか。
また、少し離れたところには複数のヘリが墜落しており、爆発の跡地には横転した戦車が残されている。
「どれもまだ新しい。それに、遺体が転がっていないのはなぜだ?・・・とにかく、倉庫の中を確認しようか。」
「・・・"O spiritus lucis. Circum illuminare."(光の精霊よ。汝の光を解き放て。)」
真っ暗な石室に入り、光の概念精霊の力を解き放つと、盗掘を受けたにしては不思議な状態の倉庫が浮かび上がった。
「・・・財宝の類が丸々残っている?・・・いや、残っているのは宝石と金貨の類いだけか。資料、日記は・・・根こそぎ持ち出されている。それに、長期保存用の魔力結晶がほとんど残っていない。盗掘?いや、これは学術調査か?」
おそらく、ここに入った連中は盗掘者ではなく学術調査の連中だろう。
記録の類いは頑丈だが無価値な石板などに彫られているから、はっきり言って金銭的な価値はない。
ということは、学術調査隊が盗掘者に襲われて戦闘を行った?
現代の盗掘者は空を飛ぶ道具まで持っているのか。
だが、学術調査ならば話が早い。
きっとほとんどの記録は保管されているだろう。
倉庫の中から必要なもの、使えそうなものだけ持ち出し、魔法の小舟に放り込んでいく。
そういえば今の金の相場はどれくらいなんだろうか?
とりあえず、金貨一枚あれば一日くらいは過ごせるのか?
・・・載せきれない分はあきらめよう。
壁画の類は剥がしようもないしな。
それに、宗一郎殿への返済に充てる金貨は・・・載ったのは全部でたった30キロか。
まあいい。足りない分はまだ借りておこう。
「"O spiritus terrae immutabilis, ostende nunc hic umbram viatoris qui te calcavit."(不変なりし大地の精霊よ。汝を踏みしめし旅人の影を今ここに示し給え。)」
足元に手を置き、この場であったことを読み取る。
・・・おどろいた、まだ一月もたっていないじゃないか。
襲ったのはリビアの正規軍、襲われたのはリビアの許可を受けていたはずの日本の調査団。
リーダーは・・・南雲弦弥。砦南大学の考古学の教授。
あと、これは・・・娘?
ひどいものだ。父親の前で娘の手足を切り落としたのか。
そして・・・双子の姉?
命がけであの巨大な溝を作ったのは、まだ17歳の少女だったのか。
そして・・・リリス?あいつ、なんでこんなところに?
いや、これはリリスを召喚した魔法使いか。
すごいな。死者を蘇生した?あの少女たちは、完全に死んでいたはずだぞ?
もしや、彼女が伝説の魔女、その人か?
リリスはもともと身体を持たない存在だから、一時的に自分の肉体を預けるときに使う眷属だったっけな。
僕としたことが肝心なことを忘れていたよ。
よし、次の行き先が決まった。というか、日本に逆戻りだ。
東京・・・西東京市だな。
っと、その前に。
僕が愛した帝国、レギウム・ノクティスはもうない。
僕の手でしっかりと終わりにしておこう。
魔法の小舟に乗り込み、上空からすべてを見下ろす。
「“Nox, magna mater tranquillitatis, sub nomine regis velaminis precor. Misericordiis tuis brachiis illum in tenebras profundas duc."(夜よ。大いなる安寧の母よ。夜帳の王の名のもとに願い奉る。汝が慈悲深き腕を以て彼の者を深き闇へといざない給え。)」
白み始めた大地の中で、黒のインク壺がこぼれたように、闇は一瞬で広がり、帝国を飲み込んでいく。
魔法の小舟上で、僕はゆっくりと頭を下げ、黙祷し、そしてその場を後にした。
◇ ◇ ◇
リビア 首都トリポリ
サン・ワレンシュタイン
魔女との戦いから20日近くが経とうとしているが、いまだに傷がいえない。
左腕も腹も、外見は元通りとなった。マーリーの回復治癒魔法は完璧といえる。
だが、一度底をついた魔力、そして傷ついた魔石が完全に元通りになるにはまだかなりの時間を要するであろう。
「ワレンシュタイン様。安静にして下さい、とお願いしたはずですが?」
鍛錬場の扉を開け、マーリーが薬湯をもって入ってきた。
ふむ。もうそんな時間か。
素振りをしていた棒を台の上に乗せ、タオルで汗を拭いながらベンチに座ると、彼女は薬湯とともに赤い粉の入った小さな包みを差し出した。
「・・・すまんな。感謝する。」
マーリーが差し出してきたものは、彼女がサン・ジェルマン様から命じられた人工魔力結晶の抽出過程で稀に発生する魔薬の一種で、我々魔族の魔力を回復することができるものだ。
当然、その権利はマーリーにある。
「いえ、ワレンシュタイン様のためですから。それより、もう念動力が回復したのですね。」
マーリーは我の周囲に浮かぶ二振りの剣を見て目を細める。
「・・・ああ。まだ本調子ではない。それに、ヤツとの戦いでは得物がなかったから使うこともできなかったがな。」
我々魔族は、それぞれ何等かの力、我らが神から授けられた超常の力を一つずつ持っている。
我は念じるだけでものを動かす力、そしてマーリーは空間を飛び越える力を。
だが、それらの力は人間どもの魔法や魔術、そして科学の力に押され続けている。
「話は変わりますが、例の遺跡はどうします?私のほうですべて破壊してしまってよろしいでしょうか?」
「ああ。早々に頼む。それにしても夜帳の王の遺産が今頃になって出てくるとはな。ヤツのせいで我々の優位性がなくなった。例の石棺も引き上げられた今となっては、ヤツが遺跡を取り返しに来る可能性もある。」
魔女もそうだが、夜帳の王も忌々しい奴だ。
大魔法使いにして魔術の祖。
それまでは魔力の少ない人間どもが魔法を使うときには、魔力の代わりに生命を削っていたのに、ヤツのせいで魔術などという技術系統ができてしまった。
魔法も魔術もすでに人間どもに知られてしまった以上は、もはやなかったことにはできない。
世界中の魔法使いや魔術師を敵に回すこともできない。
我々としては、魔法協会や魔術結社と適切な距離を保ちながら監視を続ける必要がある。
「では、行ってまいります。・・・ワレンシュタイン様。安静にしていてくださいよ。」
◇ ◇ ◇
古代魔法帝国遺跡(跡地)
サン・マーリー
リビア軍のヘリコプターに揺られ、はるか南のレギウム・ノクティス遺跡を目指す。
同行者は2名の十二使徒たちだ。
私が人間の中で心を許している数少ない者たちでもある。
「マーリー様、あと5分ほどで遺跡が見えてくるはずです。どこに着陸させますか?」
隣の座席に控える青年が声をかけてくる。
彼は十二使徒筆頭、第一席の李瑞鳳、神の弓の二つ名を持つ男だ。
瑞鳳という名前は彼曰く「女性っぽい名前」だそうで、本人としてはあまり気に入っていないというが優雅でとても美しい。
「そうですね、あなたの攻撃魔法が撃ちやすいところならどこでも構いません。」
「は。では、あの丘に・・・ん?あれは・・・マーリー様。遺跡が闇に飲まれています。我々の前に何者かが遺跡の破壊を試みたようです。」
「なんですって?いったい誰が・・・。」
瑞鳳の言葉に驚き、ヘリコプターの窓から地平線を見下ろすと、朝日に輝く大地の中に、まるで黒インクをぶちまけたかのような景色が広がっていることに気付いた。
「マーリー様。あの闇を祓います。乾坤弓よ。闇を祓え。」
瑞鳳が空中でホバリングしているヘリコプターのドアを開け、弓を構える。
そして短く詠唱すると眩い光の矢が数本現れ、弦から手を離した瞬間、矢は大地に広がる闇の中央へと突き刺さる。
まるでブラックコーヒーにミルクを垂らしたかのように広がった光の波紋は、音もなく闇を打ち消していく。
「やはりすべて破壊された後ですね。きれいさっぱり、砂しか残っていません。」
彼の言葉にもう一度目をやると、そこには一切の建築物などなく、瓦礫やリビア軍が残していったヘリや戦車の残骸もなく、まるで初めから荒涼たる砂漠の一部であったかのような景色が広がっていた。
「・・・ヘリを下ろしなさい。クラリッサ。あなたの人形で痕跡を探して。」
瑞鳳の後ろに座り、ファイルブックを抱えている金髪翠眼の女に声をかける。
相変わらず眠そうだな。
彼女はクラリッサ・シュタイナー。十二使徒第三席、人形遣いの二つ名を持つゴーレムマスターだ。
「りょ。ってか人型である必要なくね?う~ん。じゃあ、これだ。行け!グレイブディガー!」
クラリッサは着陸したヘリから飛び降りると、ファイルブックから数枚の紙を引き抜いて砂の上に落とす。
紙は瞬時に砂をまとい、太さが2メートルはあろうかという蛇、いや、トカゲのような姿を取り、砂の中へ潜っていった。
「あちい・・・それに、制御が結構大変だ。ちょっとヘリの中で寝ててもいーい?」
「・・・テントを出します。せめてそっちで横になりなさい。」
クラリッサは軽口を言っているが、彼女に勝るゴーレム使いはいない。
彼女が大変だというならそうなのだろう。
それに、彼女は人間ではない。フェアラス氏族と人間の間に生まれたハーフエルフだ。
そういえばエルフは総じて暑さに弱いと聞く。人選を誤ったか?
ハーフエルフは、外見はほとんど人間と変わらないが、かなりの長命だ。
だから、私との付き合いもかなり長い。
少しうかつだったか。
小一時間ほどたっただろうか。
簡易テントの陰で太陽の光を遮り様子を見ていると、クラリッサがむくりと起き上がる。
「駄目だね。地下200メートルまで調べたけど、ほとんど痕跡なし。唯一わかったのは、あの黒いヤツ、初めから仕組まれたことだけだね。」
「そうですか。ではいつまでもここにいても意味はありません。トリポリへ帰還するとしましょうか。」
瑞鳳とクラリッサの二人はテントを素早くたたみ、ヘリに運び込む。
こんな暑いところには長居したくない。早くトリポリの、空調がよく効いたホテルに戻ることにしよう。