164 楽しいショッピング/這い寄る影
サン・エドアルドはほかの二人の聖者に比べ、外見はかなりやさしそうに見えますが、その思考は人間とは根本から違います。
ワレンシュタインは人間に利用価値を見出すこともあり、マーリーに至っては人間の友人もいたりしますが、エドアルドは人間を鰊や鶏と同じ感覚で捉えます。
人間に対して人格があるということを認めない存在・・・実は、同じ人間の中にもちらほらといます。
サイコパスという連中もそうなんでしょうが、もうちょっとレベルの低い連中もいるので、人付き合いをするときは慎重になったほうがいいかもしれませんね。
3月6日(木)
南雲 千弦
今日は仄香に無理を言って、遥香を杖の中に閉じ込めて家で留守番をさせてもらった。
3月14日は遥香の誕生日であり、白血病からの快気祝い1周年記念日でもある。
だから、琴音と一緒に遥香への誕生日プレゼントについて相談するために、遥香に黙って私の家まで来てもらったのだ。
「う〜ん。困ったわね。遥香は仄香と身体を共有しているし、表に出ている時間は仄香のほうが長いでしょ?何をプレゼントしたらいいか、ものすごく迷うわね。」
琴音が考え込んでいる。
・・・それにしても身体がない、というか、ほとんど自分の思い通りに使えない相手へのプレゼントなんてしたことがない。
これじゃあ、まるで幽霊にプレゼントを贈るようなものではないか。
ちょっと縁起でもないことを考えてしまったよ。
「琴音、そういえば今日は咲間さんがいないけど、何をプレゼントするって言ってたか聞いた?」
「咲間さんは作曲してオルゴールにするみたいだよ。カブるといけないからって教えてくれたけど。」
そうか。たとえ相手に体がなくても、楽曲なら贈り物になりえる。
咲間さん、さすがだな。
「仄香はどうするの?マジックアイテムでも作るの?」
「私は遥香さんからリクエストをもらいましたから。お二人と重なることはありませんから、安心してください。それよりもお二人に無理がない範囲で贈ることができて遥香さんも喜ぶものとなると、ちょっと難しいですね。」
仄香が難しいというとなると、これは相当難しい問題なのだろう。
「姉さん、家の中でウンウン唸っていても仕方がないから、渋谷か原宿あたりにでも出かけない?もしかしたらいいアイデアでも浮かぶかもしれないよ。」
「そうだね。何かアイデアが浮かぶかもしれないし、お店とか見て回って考えてみようか。」
どうせ仄香を着せ替え人形にして楽しむつもりだと思うけどさ。
◇ ◇ ◇
・・・ということでやってきました。
若者の街、原宿。
原宿駅の竹下口を出て、横断歩道を渡る。
女性向けの様々なお店が立ち並び、丸一日ここで過ごしても飽きそうにないほどの商品が並んでいる。
・・・琴音にとってはね。
う〜ん、いつも思うことなんだけど、私にとってこの町はすこぶる居心地が悪い。
店のウインドウに並んでる、このヒラヒラしてる服の機能性がどこにあるかわからないのよね。
さっきから琴音が可愛い(と言ってるがよく分からない)服を仄香に着せまくっている。
マネキンのように琴音に従っている仄香の表情が、だんだんと転校してきた時と同じくらい無表情になっている。
・・・あれ、感受性を殺しているんじゃないだろうか。
お店の人は仄香が何を着ても大絶賛で、次から次へと新しい洋服を試している。
そりゃそうだ。仄香のガワは遥香だからね。
美少女は何を着てもよく似合う。
そしてなぜ私まで着替えさせられているんだ。
「あの・・・。琴音さん、そろそろ遥香さんのプレゼントを考えませんか。」
あ、仄香が先にギブアップした。
「え〜。せっかく遥香に可愛い服をプレゼントしようと思ったのに。」
「・・・琴音。じゃあなんで私まで着せ替え人形にしてるのよ。さては、自分が遥香とおそろいの服を着ようとか企んでいるだけじゃないの?」
琴音には季節が変わるたびにこういう店に連れてこられてお揃いの服を買わされていたけど、毎回自分と同じデザインのマネキンという扱いを受けている。
琴音の洋服選びを適当に切り上げさせて、隣の店に向かう。
その店はRPGに出てくる道具屋のような、レトロな店構えの香水の専門店だった。
「あれ?この香水?どうなってるの?」
サンプルとしておかれていた香水を一つ手に取り、魔力を集中する。
すると、不思議なことにその香水に私の魔力が吸い取られていく。
首をかしげているとエプロンを付けた男性が店の奥から出てきて、私に声をかける。
「お嬢ちゃん、その香水気になるんかい?・・・おや、久しぶりやな。・・・そうか、君、双子やったんやね。」
顔を上げると、この前秋葉原で偶然出会った、幕張メッセのイベントの売り子お兄さんの顔があった。
「偶然ですね。もしかしてこのお店、お兄さんのお店だったんですか?」
まさか、しっかりとした店舗を持っている人がオタクのイベントに出店しているとは思わなかったが、そうであればまた人工魔石について相談することができる。
なんともありがたいことだ。
「こっちが本業やねん。もとはじいさんの店やってんけどな。足悪うして動かれへんようになり始めたから、先月うちが継ぐことになってん。イベントの方はただの趣味や。あれは宝石としてもキレイやからな。」
「姉さん。その人知り合いなの?もしかして例の魔石の人?」
おおっと、琴音と仄香のことを忘れていたよ。
「紹介するね。この人は幕張メッセで知り合った売り子のお兄さんで、お爺さんが人工魔石の匠なの。名前は九さん。それで、こっちが私の妹で琴音、それから友達の遥香よ。」
「はじめまして、九五郎や。仲ようしたってや。」
琴音と仄香が九さんと話している横で、さっきの香水のサンプルを手に取り、シュッと左手の甲にかけてみる。
すると突然、手の甲が燃え上がった。
「ほわぁ!熱ちちち・・・あれ?熱くない。なにこれ?」
よく見るとサンプル瓶の中で炎のようなものが揺らめき、手の甲の炎も陽炎のように揺らめいている。
「なんや、術式なしで魔力込めてしもたんか。それな、術式と魔力を込められる液体やねん。爺さんが作っとる魔石のもとになる木の樹液を加工して作った香水なんやけど、香りが薄すぎてあんまり売れへんくてな。」
「え、じゃあ、この店って魔法使い専門店?」
「いや、そないいうわけやないけどな・・・。普通の香水も扱っとるで。ほれ、睡眠の質上げるんにラベンダーとかあるやろ?」
確かに普通の香水も扱っている。
というより、このサンプル以外はすべて普通の香水だ。
「ねえ、この香水っていくら?在庫ってまだある?」
「あぁ、ほとんど売れてへんからな。25mlの小瓶ならダンボール箱いっぱいあるで。一本780円や。」
私の勘が確かなら、これはかなり使えるシロモノだ。
遥香へのプレゼントの材料としても使えそうだし、少し多めに買っておこうか。
「じゃあさ。1万円で買えるだけほしい。少しおまけしてくれると嬉しいな。なあんて。」
「それ、使い道も特にあらへんし、売れ残りやからな。よっしゃ、特別に税込で15本、きっちり1万円でどや?」
「よし、買った!ついでに何か面白そうなこと教えてよ。また買いにくるからさ。」
「嬢ちゃん、買い物上手やなぁ。オマケやのうて知識を求めるっちゅうんがまたええやんけ。ほな、とっておきのこと教えたるわ。…この香水の材料はな、ウチで栽培しとるスラタラサーヤナっちゅう青い花を咲かす水中の木なんや。例の樹液も、同じ木から集めた樹液やで。」
聞いたことがない木の名前だ。
仄香なら知っているだろうか。
《仄香、スラタラサーヤナって植物、知ってる?》
《・・・ええ。「神々の霊薬」を意味する名を持つ毒の木のことです。古くは万病を癒す酒の原料とされ、同時に爆薬の材料ともされた、インド原産の絶滅・・・・していたとされていた植物です。まさかこの香りをもう一度嗅ぐことになろうとは・・・。》
へえぇ~。じゃあこれって、無茶苦茶貴重なモノじゃない。
よし、このお店には今後も足しげく通うことにしようか。
「姉さん、その香水、遥香へのプレゼントにするの?なんか単純すぎない?」
「うふふ、ちゃんと一味加えるから大丈夫。さ、私のほうは決まったから琴音はどうするか、早く考えなさい。」
「う・・・。どうしようかな。また姉さんに負けるの嫌だしな。」
誕生日プレゼントは勝ち負けじゃないよ。
それにあの子なら何をあげたって喜んでくれる。
そんな気がするよ。
「・・・スラタラサーヤナ・・・魔族にすべて燃やされたと思っていたけど、まさか現存しているなんて・・・。」
仄香が何かつぶやいているようだけど、よく聞こえなかった私は、意気揚々と店を出ることにした。
◇ ◇ ◇
蓮華・アナスタシア・スミルノフ(ナーシャ)
児童養護施設で働き始めてから20日ほど経ち、職場にも慣れ始め、職員の名前と顔が一致し始めたころ、マンション一階の宅配ボックスに4月から入学する通信制の学校から荷物が届いていた。
今日は午前中が休みなので、届いたその荷物を開き、入学のための準備をしている。
それにしても、通信制と言いながらしっかりとした制服が用意されていることに驚いた。
授業を受けるときに先生側に表示される画面には、テレビ電話形式だったり生徒の顔写真だったり、あるいはアバターを使ったりすることもできるらしいんだけど、過半数の生徒たちの希望により制服を作ることになったらしい。
届いたばかりの制服に袖を通して姿見の前に立ってみる。
「あはは、なんかあたしじゃないみたい。」
制服のデザインはブレザータイプなんだけど、派手過ぎず、上品で、それでいて可愛く作られている。
・・・結構金髪でも似合うね。
制服を着たまま部屋の隅に置かれたパソコンを起動する。
今朝がた、さらに別便で届いた、チェア付きのパソコンラックに収められた、少し大きめのディスクトップパソコンだ。
それに・・・小型のファックス複合機?なんに使うんだろう?
これらは学校からの貸与品だから壊さないように気を付けなければ。
それと、入学祝いとして美代さんからラップトップパソコンが一台届いた。
ゲーミング仕様の最新モデルだけど・・・なぜもう一台?
しかも、有料動画サイトのIDと何本かゲームソフトまでついてるし・・・。
ディスクトップパソコンに向かい、入学案内に従ってセットアップ、そして必要事項を入力していく。
そして、すべての入力が終わると、高校の正門のようなグラフィックが描かれたホームページが開かれた。
そこには、桜の花びらが散るムービーと「入学おめでとう」の文字が流れている。
意を決して、校門のアイコンをクリックする。
すると、付属品のヘッドマウントディスプレイをかけるように案内が流れる。
指示に従い、半透過型のヘッドマウントディスプレイをかけると、そこには夢にまで見た高校の校舎内の景色が広がっていた。
「うわ、すごい。まるで高校校舎内にいるみたいだ。まっちゃんの高校よりもよっぽどきれいじゃん。・・・あ、ほかの生徒もいる。あ、はい。こ、こんにちは、じゃなくて会話モードはヘッドセットのマイクをオンにして・・・。」
見学モードなので授業中の教室には入れないけど、校舎内のすべてを見て回ることができた。
私は、高校1年から入学する形になる。
年齢からすれば実質1年遅れだ。でも、この学校は大人や年寄りも通っているんだそうだ。
校舎内を歩き回っていると、スマホのアラームが鳴り、出勤時間を知らせてきた。
・・・よし。今日も仕事を頑張ろう。
そしていつか、美代さんのように子供を守れる大人になろう。
◇ ◇ ◇
咲間 恵
夜勤が終わって帰ってきた兄さんの部屋のドアをノックする。
「兄さん。お願いしてた例の件、オルゴール版を作ったから楽譜を持ってきたよ。」
「お、いいところに来た。櫛歯とゼンマイ、それから調速機は組み終わった。あとはシリンダーだが・・・またずいぶん難しい曲だな。オルゴールならシリンダーのピンを所定の位置に刺すだけだからいいけどさ。」
兄さんは楽譜を見ながらシリンダーにピンを指していく。
わが兄ながら器用な人だ。
「よし、こんなもんか。仮組して鳴らしてみよう。」
ゼンマイをまいたオルゴールは、ゆっくりと澄んだ音を立てて曲を流す。
・・・うん。自分で言うのもなんだけど、なかなかいい曲じゃないか。
「ありがと、兄さん。おかげで遥香の誕生日プレゼント、何とか格好がつきそうだよ。」
あとは作りかけの宝石箱に収めて、ふたを開けると音楽が流れるようにするだけだ。
仄香さんやコトねん、千弦っちのようにマジックアイテムにすることはできないけど、この世に一つしかないものが完成した。
「あ、そうだ。恵。遥香さんにそれを渡すとき、コレも一緒に渡してくれるか?」
・・・兄さん、その封筒、ずいぶん気合が入ってるな。
まさか、ラブレターじゃないだろうな。
「遥香は高校でとんでもない枚数のラブレターをもらっているから、今更一枚増えたって気にしないと思うけどさ。アルバイトの女の子に手を出すのは感心しないなぁ。あれ・・・?なにこれ。中身、プラスチックの板?」
「お前、俺のことを何だと思ってるんだよ。彼女にだって会わせたことあるだろ?だいたい、それは母さんから遥香さんへのプレゼントだ。勝手に開けるなよ。」
「ふ~ん、じゃあ兄さんは何もあげないんだ。」
「・・・じゃあそのオルゴール、材料費と工賃、おまえが全額払うか?来月のバイト代から抜いておくけどいいよな?」
「う、わかったよ。オルゴール部分は兄さんからのプレゼントって言っておくよ。」
まあ、それぐらいならいいや。
さて、宝石箱のほうを完成させるとしようか。
◇ ◇ ◇
サン・エドアルド
成田空港を出て、タクシーで東京都内のホテルに向かう。
それにしても、最近の人間どもの繁殖具合には驚くばかりだ。
我々も殖えようと思えば殖えることができるはずなのだ。
当然、我々魔族もほかの幻想種と同じく、人間と繁殖できるがその子供はすべて魔族になってしまう。エルフやドワーフのようにハーフにはならないのだ。
それなのに魔族が絶滅に瀕しているのは人間に対する強い蔑視か、それとも1000年以上前にあった魔女による大量虐殺で極端に数が減ったせいか。
どちらにせよ、俺達は人間の雌を相手に欲情することはあり得ない。
俺達なら食欲が沸くかもしれないが。
「お客さん、観光旅行かい?もう少し遅くなったら桜のシーズンだったのに、少し早かったね。」
タクシーが赤信号で止まり、運転手の女性がこちらに話しかけてきた。
「No, è per lavoro. Ma sono venuto in questo paese diverse volte, quindi sono andato a vedere i fiori alcune volte.(いいえ、仕事です。しかし、何度かこの国に来たので、何度か花を見に行ったことがありますよ)。」
適当にイタリア語で答えておく。
日本人はそのほとんどが日本語しかわからないらしいからな。
これできっと静かになるだろう。
「う、フランス語?いや、イタリア語?しまった、あたしゃ大学で専攻したのはドイツ語なんだよな。」
それきり運転手の女性は黙ってしまった。
日本人相手であれば効果はてきめんだな。
助手席のボードの上に置かれた乗務員証を見ると、その女性の名前がハッキリ書かれている。
・・・咲間昭子?さきま?さくま?あきこ?しょうこ?
まあいい。
少し脂がのっていて旨そうな女だが、魔法使いではない。
魔法協会や魔術結社、あるいは魔女に勘付かれる危険を冒してまで食いたいと思う相手でもないな。
タクシーは最短距離を走り、宿泊予定のホテルに到着した。
代金とお釣りをチップとして払い、トランクから荷物を取り出してもらう。
「さて、チェックインしたら食事にするか。」
キャリーバッグを引きながらスマホを取り出し、マーリーが捕らえておいてくれた魔法使いの「保管場所」を確認する。
久しぶりの日本人の女、それも魔法使いだ。腹の音をごまかすのが大変だよ。
◇ ◇ ◇
東京 お台場
倉庫の一つ
裸電球が一つあるだけの暗いコンテナの中で、一人の女が縛られ、寝かされている。
歳は30を少し超えたくらいだろうか、幾何学模様が彫られた手枷、足枷をはめられ、床に刻まれた魔法陣の中から必死になって出ようとしているところだった。
「なんで外れないのよ!風よ!集い叫びて一筋の刃となれ!・・・なんで!どうして!魔力は消耗してるのに魔法が発動しない!」
何度も魔法を使って枷を破壊しようとしたのだろう。あるいは、床の魔法陣を消そうとしたのだろう。
魔力の欠乏を示すように、女の顔色は青白く、その唇は紫色になっていた。
女は一瞬めまいを感じ、床に座り込む。
「う・・・、残り魔力量が2割を切った。このままじゃどうにもならない。せめて、この状況を結社に伝えられたら・・・。」
女は襟元に手を伸ばす。何かが裸電球の光を反射し、きらりと光った。
そこには六芒星と本をあしらった、魔術結社の徽章があった。
女は徽章に向かって何かをつぶやく。
女が再び立ち上がり、残りの魔力を振り絞ろうとしたとき、唐突にキンっという音とともに、コンテナの扉が開かれる。
・・・否、扉が切り落とされた。
「誰!助けに来てくれたの!?私をここから出して!」
自分をとらえた人間なら鍵を持っているのだから、わざわざコンテナの扉を破壊しなくてもいいはずだ。
一縷の望みをかけ、コンテナを覗く青髪の青年に声をかける。
「あはは、もちろん出してあげるよ。俺達はそのために来たんだ。さあ、『一緒』にここから出よう?」
女はその言葉に安心し、襟元から手を放す。
次の瞬間、目の前が真っ暗になった。
いや、何かが迫ってきた。
「ひっ!」
コンテナ内には、女の悲鳴が短く響く。
そのあとパキッという音、そして何か液体がこぼれるような音がした時には、すでに女の意識は永遠に失われた。
再び裸電球の光がコンテナ内を照らし出す。
一面に広がる赤い液体。
むせかえるような鉄のにおい。
そこには多数の黒い人間サイズの影が揺らめいていていた。
それらは、その手に女の身体だったモノを握り、貪るように口に運んでいた。
コンテナの中には、ただ徽章が一つ、残されていた。
いよいよ教会の三聖者、全員出揃いました。
いずれも魔族、そして魔女に敵対する者です。
すでにワレンシュタインと魔女が交戦しましたが、ワレンシュタインはその実力を出し切っていなかったようです。
今後、この三人、そしてサン・ジェルマンとやらがどのように魔女の前に立ちふさがるのでしょうか。