151 父親と娘
まだ期末テスト期間中なんですよね。
明日の朝までに帰れないと追試?
いや、まさか、留年?
2月20日(木)
リビア 首都トリポリ
リビア軍本部 大統領評議会 議長執務室
異様な雰囲気であった。大統領評議会議長の前に立つ長身瘦躯の男は一綴りの書類を彼に差し出し、そして何も言わない。
議長は書類に目を通し、眼鏡をはずして目頭を押さえた後、絞り出すように言った。
「・・・わかりました。ただちに遺跡の接収にかかります。発掘作業中の日本人に対する対応はお任せいただけますか?」
「・・・殺せ。一人残らず。」
丸い腹を抱えながら怯える議長の言葉に対し、長身瘦躯の男は即答する。
「し、しかし、相手は政府間で取り決められた正式な発掘調査チームですぞ!?保護しようとして抵抗されたならともかく、いきなり射殺などしようものなら・・・っ!?」
いつの間に接近したのか。気が付けば議長の首筋には、細身の長剣が突き付けられていた。
光を吸い込むかのような闇色の刀身は、低い怨嗟のような声を上げている。
そして長身瘦躯の男の眼の奥には、深く、無明の夜のような漆黒が広がっていた。
「我は殺せと言った。理解できぬのなら死ね。」
「う、あ、ああ、理解しました。聖者・ワレンシュタイン様のお言葉とおりに。」
議長はカクカクと首を振り、額から落ちる汗に思わず瞬きする。
しかし再び目を開いた時には、その場にはもう誰もいなかった。
彼はワレンシュタインと呼ばれた男がその場を去ったことが分かってから数分の間、そのままの姿勢で身動きをしなかったが、やっとの思いで椅子に座り直し、受話器を持ち上げ、内線で部下を呼び出す。
「・・・私だ。フェッザーン地域の反政府軍を掃討しろ。・・・ああ、発掘中の遺跡の周囲を重点的にだ。それと、今遺跡にいる連中はすべて反政府軍だ。日本の発掘チームはすでにその場から退避済みだ。日本人のフリをしている連中はやつらが雇った中国人だ。捕虜はいらない。」
議長は部下に対し、要点だけを述べて受話器を置いた。
握りしめた拳から、汗が机の上に滴り落ちる。
「三聖者筆頭、剣神ワレンシュタイン。アレがかつて、魔王をも切り伏せたという男の眼力か。・・・化け物め。」
議長は思い出したかのように席を立ち、足早にその場を後にする。
「・・・戦闘が始まったら、日本の大使館に発掘チームの全員が戦闘に巻き込まれて死亡したとの連絡をしなくては。やっとのことで強硬外交のココノエとの話がまとまって経済援助が開始されるところまで来たというのに。これではすべて御破算ではないか!」
誰に聞かれるわけでもないが自然にこぼれてしまう言葉を抑えきれず、半ば叫ぶように愚痴をこぼしながら在リビア日本大使館へ外交官を向かわせるべく、担当者の事務室に向けて走っていった。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
期末テストもやっと4日目が終わった。
いつものメンバーで校門で待ち合わせをして、西日暮里までの短い距離を一緒に歩いていく。
うちの高校は高校三年生のほぼ全員が難関大学を受験する関係で、三学期の期末テストは他の高校に比べて少し前倒しで行われる。
テスト休みと春休みを合わせれば結構な長さの休みになるから嬉しいと言えば嬉しいんだけど、その分三学期の学習スケジュールがみっちりと詰まっていて大変だ。
でも、期末テストは残すところあと1日のみ。
そして、仄香から教えてもらった記憶補助術式が威力を発揮したおかげで、これまでにない成績をとれたようだ。
自己採点用に自分の回答した内容を完全に覚えておけるので、現時点で何点取っているか完全にわかってしまうのも面白い。
幸い、明日の試験はすべて暗記科目だ。
っていうか、極端な話、数学や英語だって暗記が肝心なんだけどさ。
「姉さん。テストの点数、どうだった?」
「ん~。咲間さんには勝てないかな。でももしかしたら順位一桁もありかもね。」
「へぇ?やるじゃん千弦っち。でも、実はあたしも仄香さんに裏技を教えてもらったからね。そんな簡単に負けないよ?」
なんだって?魔力のない咲間さんに何を教えたんだ?
思わず仄香の顔を見ると、珍しくポケ~ッという顔をしている。
よく見れば、頭の上にアホ毛が立っている。
「あれ?もしかして遥香?さっきまで仄香だったのに。」
「ん?ああ、仄香さんなら校門を出てすぐのころ、何か大事な用事があるって言ってバイオレットさんのボディで出かけたみたいだよ。・・・それと、咲間さんは魔力結晶をつけてるじゃん?だから、普通の魔法使いが一生の間に消費するくらいの魔力は使えるって仄香さんが言ってたっけ。」
「ふふん。あたしも魔術師の仲間入り、ってことで。」
おいおい、仄香ったら魔法の知識をばらまきすぎじゃない?
いや、咲間さんは信用できるし、それに頭がいいから術式とかの理解は早いと思うけどさ。
「・・・よし!姉さん。私決めたわ。私の誕生日には、特大の魔力結晶を遥香に強請ることにしたわ!」
琴音まで何言ってるのよ!
「じゃあね~。また明日ね~。」
そう言いながら、遥香が抱き着いてくる。
最近よく抱き着いてくるな。誰かに見られたら百合の花が咲いたとか言われそうだよ。
「ねえ、遥香。最近よく抱き着いてくるね。人肌でも恋しいの?」
「えへへ。これはね、おまじないなんだよ。」
遥香が私や琴音、咲間さんの胸にそれぞれ10秒ほど顔を沈めた後、やっと離れてくれた。
遥香は日暮里・舎人ライナーの西日暮里駅へ向かい、咲間さんは山手線外回り、そして私たちは山手線内回りだ。
一緒の下校はここでおしまいだ。手を振りながらそれぞれ別々のほうへ歩いていく。
琴音と咲間さんが使えるようになったという術式についてお互いの考察を言い合いながら、高田馬場まで山手線に揺られていた。
テスト休みはどうしようか。春休みは?咲間さんの誕生日で少し出費が激しかったからどこかで短期アルバイトでもしようかしら。
そんな会話ができる日常は高田馬場駅で乗り換えをしようとしてるときに届いた、一本のメールで一気に傾いた。
母さんから届いたメールには、こう書いてあった。「早く帰ってきて。お父さんが大変。」
思わず琴音と顔を見合わせる。
「なに・・・これ?何があったの?」
「琴音!乗り換え中止!駅の外に出るよ!」
混乱する琴音の手を引き、高田馬場駅の外に飛び出す。
すると琴音も察したのか、素早く認識阻害術式と電磁熱光学迷彩術式を発動する。
「勇壮たる風よ!汝が翼を今ひと時我に貸し与え給え!」
そして、お互いに透明化した手を握り合い、私は西東京の自宅へ向けて長距離跳躍魔法の詠唱を行った。
◇ ◇ ◇
自宅の前に着地し、転がるように家の中へ飛び込む。
帰宅の挨拶もせずリビングに駆け込むと、そこにはニュース画面を前に床に座り込んでいる母さんの姿があった。
「母さん!何があったの!」
母さんに駆け寄り、その身体を支えてソファーに座らせると、ふるえる手でスマホのメール画面を差し出した。
そこには、何枚かの遺跡の壁画写真が添付された父さんのメールが表示されていた。
「今、僕はリビア陸軍に包囲されている。民間軍事会社の人たちが守ってくれているけど、相手は正規軍だ。いつまで持ちこたえるかわからない。もし、僕が帰れないときは自宅のPCのメールアドレスに送ったファイルを、大学の水元先生に提出してくれ。パスワードは、君と初めて出会った日の日付と、あの日見た花の名前だ。数字の後に@を入れるのを忘れずに。花の名前は最初だけが大文字だ。千弦と琴音をよろしく頼む。」
その内容に思わずスマホを取り落としそうになるが、つけっぱなしのニュース画面からは、さらに信じられない音声が流れはじめた。
「・・・リビア政府は、南部のノクト遺跡周辺で反政府軍と大規模な戦闘を行ったと発表しました。ノクト遺跡周辺では東京大学、砦南大学、そしてトリポリ大学の合同チームが遺跡発掘作業を行っていましたが、その安否は不明です。現在、日本政府は現地大使館を通じて邦人の安否を確認中です。・・・速報です!リビア政府外務省から、日本の発掘チーム全員の遺体を収容したと発表がありました!繰り返します!・・・」
「ああぁぁぁ!いや、いやよ、弦弥さん、いやあぁぁぁ!」
「お母さん!落ち着いて!まだ絶対に死んだって決まってない!」
琴音が慌てて半狂乱になった母さんを抱きしめる。
しかし・・・このニュース、おかしくないか?さっきから戦闘地域の映像が一つも流れていない。
仮にもリビア軍は正規軍だろう?
たしか、歩兵戦闘車や戦車、そして汎用ヘリコプターなどを運用しているはずだ。
さっきのニュースでは、「大規模な戦闘を行った」と言っていた。
つまり、過去形だ。
なのに、なぜ制圧後の映像を流さない?制圧中の映像も、遠距離から聞こえるはずの砲声すらも流さない。
「琴音。ちょっと母さんをお願い。少し、出かけてくる。」
「姉さん?何を・・・?」
琴音の言葉を無視して、自分の部屋に飛び込み、鍵をかける。
そしてクローゼットからありったけの装備を引きずり出す。
新型の魔力貯蔵装置、メンテナンスが終わり、新しいロアフレームが付いたP90、改良型の術式榴弾、何度も使ったSTEYR L9L2。
そして自動詠唱機構。
最後に太田警部から郵送で返却された、「業魔の杖」。
これ、二号さんが津軽海峡で破壊して海に落としたフリをして廃棄したのを、太田さんが拾っておいてくれたんだよね。
二号さんが私に化けていたせいで、彼は私の持ち物と勘違いしたらしい。
ふふん。二号さんはまだ甘いな。こういった呪物はへし折ったくらいでは簡単に治るんだよ。
遥香が杖に入った翌週、いきなり私宛に荷物が届いたからびっくりしたよ。
琴音からそういった杖があったと聞くまで、気持ち悪くて触れなかったっけ。
業魔の杖は呪いが怖いから使えないけど、その中には重要な情報が詰まっている。
・・・仄香の長距離跳躍魔法の道標情報とか。
一通りの装備をバックに突っ込み、パソコンを起動して父さんが発掘調査をしている場所の地図を確認する。
業魔の杖に刺した端子から情報を同期する。
よし。行けそうだ。
地図を印刷して荷物に押し込んだ瞬間、真後ろで部屋の鍵がガキンっという、今まで聞いたこともない音を奏でてゆっくりと開いた。
「え、何!?」
振り向く前に自分の声とよく似た声が響く。
「タルタロスの深淵に在りしニュクスの息子よ!安らかな夜帷の王よ!汝が腕で彼の者を深き眠りに誘い給え!」
く、これは、強制睡眠、魔法か。
抵抗、術式の発動を・・・!
でも、なんで術式で とじ た 鍵 ・・・を・・・。
思考は最後まで続かず、そのまま目の前が暗転した。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
泣き崩れるお母さんを放置して姉さんが自分の部屋に飛び込んだ時は、何をするつもりだろうと不思議に思ったけど、「出かけてくる」の一言で、この人が何をする気なのかなんとなくわかってしまった。
半狂乱になっているお母さんには、自分の部屋でベッドで横になるように言って、強制睡眠魔法と夢操術式で安静に寝かせておいた。
明日の朝になれば、自然と目が覚めるだろう。
姉さんを追いかけてその部屋の前まで行ってみたら、クローゼットをひっかきまわしているような音がしたので、これはもう間違いないと思ったよ。
強制開錠魔法で無理やりカギを開け、部屋に踏み込んでみたら案の定、まるで一人で戦争にでも行くんじゃないかという装備を特大のリュックに詰め込んでいた。
リビアまでどうやって行くつもりだったのよ?
ほとんど全力の強制睡眠魔法で姉さんを眠らせてから、部屋の中を見回してみたところ、作業机の万力にとんでもないものが固定されていた。
・・・業魔の杖。
仄香の・・・いや、かつての魔女の背骨から作りだされた、呪いの杖。
仄香によれば、十分な魔力さえあれば空を飛ぶこともできるという。
木製の本体に、まるで融合したかのような複数の円盤と、ごつごつとした背骨。
見ているだけでも呪われそうなデザインだ。
でも、確かこれは大間の港に戻る途中の巡視船の上で、仄香が二号さんに破壊するように言ったはず。
いや、真ん中からへし折ったような跡がある。
二号さんは確かに破壊したのだろう。だが何者かが回収し、それを使っていたのが姉さんだと勘違いして返却し、それを受け取った姉さんが修復した。そんなところだろう。
・・・いや、これは?へし折られた木の部分から枝?根?何かが成長し複雑に絡まりあって自分で自分を修復している?
絡まりあったところに打ち込まれた針から伸びた配線が、姉さんのパソコンにつながっている。
その画面を見ると、地図のようなものが表示されており、アフリカ大陸・・・リビアの地図数か所に赤い点が記されているのがわかる。
杖に貼られている、術式が書き込まれた付箋紙には・・・長距離跳躍魔法の道標?
まさか!この人、本気でリビアに行くつもりだったのか!?
でも・・・ちょっと待って?この装備、双子なんだから私にも使えるよね?
事あるごとに姉さんばかり戦わせてきたけど、私でもできるはずだよね。
・・・よし。怖いけど、やれるだけやってみよう。
ちょっと、装備を借りるよ。姉さん。
家の外に出て、全身の魔力回路を活性化し、業魔の杖にアクセスする。
・・・うわ、これ、すごい浸食力だな。どういうわけか私の中に入ってはこれないようだけど、使った人間を乗っ取ろうとする気が満々だよ。
それから、魔力貯蔵装置は自分の分と姉さんの分の両方を腰につける。
自動詠唱装置は右に私のものを、左に姉さんのものを。
・・・よし。準備ができた。
杖に行き先を任せるような気持で詠唱を行う。
「勇壮たる風よ!汝が翼を今ひと時我に貸し与え給え!」
杖の力か、それとも魔力貯蔵装置の力か。
いつもよりはるかに強力な力で、私の身体は抜けるような青い空に向かって力いっぱい蹴りだされた。
◇ ◇ ◇
時間にして20分くらいか。いや、もっと短かったかもしれない。
風を切るなんてレベルじゃない恐ろしい速度で空、いやほとんど宇宙空間を飛翔し、私の身体は砂漠のようなところへ降り立った。
ここは・・・あたりを見回すが、四方八方、すべて砂しかない。
着地地点を間違えたか?
慌てて姉さんの荷物をかき回す。
これは・・・地図?それから、GPSナビゲーターか。ええと、北緯25.432454, 東経13.012195。
・・・いや、全然わからんって。
とにかく、どこか人里を・・・って、リビアって何語だ?
アラビア語でいいのか?
翻訳アプリ・・・うわ、スマホが圏外じゃん。
信じられない。しょっぱなからつまずいたよ。
くそ、いったん帰ろうか。
それか、仄香が忙しそうだったけど、彼女に連絡を・・・。
意を決して仄香に念話で連絡をしようと思った瞬間、かなり低い高度で一気のヘリコプターが北から近づいてきたのに気付いた。
赤、黒、緑の三色に月と星のマーク。
頭上を通り過ぎ、消えていく先の地平線にかすかな煙が見えた気がした。
リビアの軍用機か!
ならば、行先は一つしかない!
握りしめた業魔の杖に全身の、そして魔力貯蔵装置の魔力をつぎ込んで念ずる。
私をあそこまで連れてって!
次の瞬間、業魔の杖は女性が叫ぶような耳障りな声を上げ、私の身体を風で包み、恐ろしい速度で地平線に向けてぶっ放した。
◇ ◇ ◇
南雲 弦弥
リビア政府軍が地平線の上に見えた時は、さすがにこんなことになるとは想像もつかなかった。
まさか、無警告でいきなり撃ってくるとは。
大学の発掘チームや、現地で雇用した人間などの非戦闘員を遺跡の中に退避させたうえで民間軍事会社「ダークウインド」の傭兵たちとなんとか応戦しているが、はっきり言って話にならない。
人型のゴーレムはすべて投入した。
二足歩行型は6体。六足歩行型は2体。
反政府軍が残していった戦闘車両から引き剥がした機関銃や機関砲を無理やり背中に括り付けた六足歩行型がなんとかヘリコプターに対して威嚇射撃をしているが、もうすぐ弾が尽きる。
二足歩行型はまだ少し余裕がある。術札の近くに数発被弾したときはヒヤッとしたが、何とか頑張ってくれていた。
「南雲先生!ピートが被弾!シェリルは重症だ!西側がもたない!ロボットを一体まわしてくれ!」
「わかった!人型をまわす!だが東側が蜘蛛型のみになるぞ!」
リビア軍は西側から攻めてきているが、ヘリによる攻撃は四方から波状攻撃のように襲ってきている。
山本君を巻き込まなくてよかったと思うが、さっきから美琴と千弦、琴音の顔が脳裏から離れない。
「迫撃砲だ!伏せろ!」
誰かの声が遠く聞こえ、慌てて頭を押さえて伏せると、すぐにいたるところで轟音が響き渡る。
ゴーレムは・・・よし、健在だ!
足元に転がった遺跡の柱や、擱座した敵の車両を盾にし、あるいは振り下ろしながら、敵を蹴散らしていく。
ところが、1体のゴーレムが石柱の破片を振りかぶった瞬間、衝撃を伴って何かが飛来するとともに、そのゴーレムの上半身が砕け散る。
「くそ!こんなに早く来やがった!戦車だ!115mmだ!」
物陰のせいで見えなかったが、あんなところに戦車がいたのか!
それも、4両もだと!?
一撃で術札を持っていかれた。これはヤバい。すぐに対応をしなくては!
王墓の中に何か使えるものがあれば、いや、魔力結晶があるんだから、新しい術式を!
戦車の主砲がこちらを向く。
近くにいるゴーレムは間に合わない。
マシュー隊長が何かを叫んでいる。
だめだ、間に合わない。
美琴、千弦、琴音。
できることなら、最後に一目会いたかった。
最後にその声を聞きたかった。
スローモーションになる世界で何とか身体を動かして王墓の中に駆け込もうとしたとき、北から一筋の光が飛来し、一撃で2両の戦車を撃破した。
いや、撃破ではない。横転させただけか?
乗組員は、ハッチから這い出ている。殺してはいないようだ。
抜けるような青空の下、杖に腰掛けるような姿勢で宙に浮き、両手を敵にかざすような姿勢で降りてきたのは・・・。
セーラー服をひるがえし、その背中に特大のリュックを背負った、私の娘だった。
「お父さん!やっぱり生きてた!助けに来たよ!一緒に日本に帰ろう!」
千弦か?琴音か?
どちらでもいい、まさか生きてもう一度会えるとは!
だが、ここはすでに戦場だ。
健治郎君のところでどんなに術式を学んでも、まるで本職のような訓練に耐えきっても、娘はまだ高校生だ。
決して死なせるわけにはいかない。
何としても、この窮地を乗り越えなければならない理由ができてしまった。
◇ ◇ ◇
仄香
今日は期末テストの4日目が終了したと同時に、一通のメールが届いた。
玉山のリリスが転送してくれた、暗号化されたメールだ。
「ん?これは・・・ナーシャか。なんだと?職場で異変だと?」
メールによれば、彼女が働いているハナミズキの家は近隣の閉鎖予定の児童養護施設から小学生と中学生の児童を引き取ったらしいが、引き取ってからわずか数日で数人の行方不明者が出ているという。
通常であれば、慣れない環境にさらされた子供が家出のような形で一時的に身を隠したのではないかと推測するところだが、失踪したうちの一人の少年の机から現金の入った財布が発見されたらしい。
ナーシャによれば、二つの点から家出ではないと判断したという。
一つ、家出ならば現金は必ず持っていくということ。
二つ、わずかだが全財産ともいえる現金が入った財布を、自分の机の引き出しとはいえ、カギもかけずに保管することはあり得ないということ。
なるほど、確かにこれはおかしい。
佐世保なら不動産投資をする関係で何度か行ったことがある。バイオレットの身体で行ってみよう。
◇ ◇ ◇
玉山の隠れ家から長距離跳躍魔法で投資を行ったマンションの近くに降り立ち、あたりを見回す。
ここは・・・佐世保川の近くか。
彼女が働いているのは佐世保公園のすぐ近くと聞いている。急いで向かおう。
佐世保川を渡り、左手に消防署を見ながら国際通りを走っていくと、右手に海軍の資料館が見えた。
確か、この裏だ。
角を曲がってハナミズキの家が見えたころ、全身を吹雪のような悪寒が包み込む。
慌てて身体を低くし、その悪寒の正体を探すと、そこには20代後半くらいの女が二人の男とともに立っているのが見えた。
「・・・あの女・・・いや、アレは、まさか!魔族だと!?くそ、なんでこんなところに!」
・・・魔族というやつは、外見はほとんど人間と変わらない。
だが、特有の気配がある。
それはなぜか。身体の中に魔石を持っているからだ。それも、超特大のやつを。
いつ、どこで発生したのかわからない。
だが、魔力溜まり産の生き物ではないことが明白なのに魔石を持っているのだ。
そして、奴らは人間の事をエサか玩具ぐらいにしか思っていない。
あいつらと付き合っていたのって、アゼルバイジャンのエルフもどきかノルウェー南部の黒エルフくらいだったよな。
両氏族とも、妙にプライドが高くて人間を見下し切っているからまさにお似合いだ。
「しかし、困ったな・・・まさか魔族がまだ生き残っているとは。ただでさえ生存能力が高いのを散々殺して回ったのに、まるで不快害虫だな。しかし、ここで戦うとナーシャや彼女の職場が大変なことになる。」
あいつら、魔法でも魔術でもない力を操るからな。
対応できないことはないし、私も似たようなことはできるんだが・・・。
仕方がない。いったん仕切りなおすか。
ナーシャには悪いが、今夜あたり作戦を立てるために市内のファミレスかどこかで合流してもらおうか。
素早くその場を離れ、魔力隠蔽術式と電磁熱光学迷彩術式を発動する。
そしてナーシャに向けて、仕事が終わったら佐世保中央公園近くのファミレスで待つ旨を送信した。
◇ ◇ ◇
時計の針が夜の11時を指したころ、ナーシャは自転車でファミレスまで駆けつけてくれた。
「あ、美代さん!ごめん、仕事がなかなか終わらなくて。」
「いえ、大丈夫よ。ごめんなさいね。毎日が忙しいのにこんな夜遅くに呼び出しちゃって。」
・・・実際、それほど待っていないのだ。あの後、バイオレットの身体をいったんリリスに預けておいたので、本日の実質的な稼働時間はまだ30分くらいしか消費していない。
「あはは、いつもはこんなに遅くならないんだけどね。水無月園・・・閉鎖する児童養護施設から引き取った子供たちが3人もいなくなっちゃってさ。つい相談するつもりでメールしたんだけど、まさかここまで来てくれるなんてさ。」
ふ~ん。ナーシャのやつ、ずいぶんと顔つきが変わったな。
半分頭だったころの面影がまるでない。やはり、人間は環境が大事なんだろうな。
見捨てなくて本当に良かったよ。
「気にしないでいいわよ。私はこれでもあなたの先祖。150年くらい時代はずれてるけど、母親と思ってもらっても構わないわ。」
「うわ、なんていうか、ものすごくうれしい。」
半泣きになったナーシャにメニューを差し出し何か頼むように勧める。
「ほら、まだ晩御飯食べてないんでしょ。お金は気にしなくていいから好きなものを頼みなさい。でも、まさかそんな激務を選ぶとは思わなかったわ。」
「う、うん。じゃあ、このハンバーグのセットを。ドリンクバー付きで。」
彼女はテーブルの上の端末を操作し注文をする。せっかくだからデザートやアルコールも頼めばよかったのに。・・・いや、まだ未成年だったか。
「それで、何があったのか教えてもらえるかしら?」
「失踪したのは3人。隠陽菜ちゃん、圷壮介君、水無月紫雨君。すべて市内の学校に通う小学一年生。発覚した時間は午後6時の夕食の時。食堂に来ない3人に夕食ができたことを知らせに、あたしが部屋に行ったらすでにいなかった。三人が小学校から帰ってきたのを確認したのが午後3時45分。そのあと、プレイルームにも自習室にもいなかった。だから、失踪した時間は午後3時45分から午後6時の間、2時間15分。」
ほう?客観的事実だけを整理して伝えられるとは、もしかしてかなり優秀なんじゃないか?
ナーシャは話しながらメモ用紙を取り出し、整理した情報とハナミズキの家の間取りを書き始めた。
「これが間取りね。不思議なところはないわね。続けてくれるかしら。」
「うん。園長の戸田先生が、3人が失踪したと判断したのは午後8時。同時に同僚の十さんが警察に連絡した。そっちの捜査の進展状況は何も聞かされていない。」
さすがにまだ3時間しかたっていないから、警察は初動捜査すらしていないんじゃないだろうか。
「圷壮介君、水無月紫雨君の二人は同室で、部屋を確認したけど、ランドセルを含め、持ち出したものはない。隠陽菜ちゃんはまだ一人部屋。部屋を確認したところ、いつも持っているブタのぬいぐるみだけ持ち出されていた。」
ナーシャはかなりの勢いで新しいメモ用紙に3人の服装の簡略図を書き込んでいく。
「3人とも上着と外履きの靴がないところを見ると、屋外で失踪した可能性が高い。その時の服装は、おそらくだけどこんな感じだと思われる。他にカバンのようなものを持っていたことは確認されていない。不審者の出入りはなかった。」
・・・こいつ、刑事とか探偵とかの職業のほうが向いてるんじゃないだろうか?
ん?ブタのぬいぐるみ?
「ねえ、話を遮って悪いんだけど、陽菜ちゃんが持っていたブタのぬいぐるみって、触ったことはあるかしら?」
「一度だけ洗濯をするために触ったけど、もしかして魔法で探せるの?」
よし。陽菜ちゃんがブタのぬいぐるみをまだ持っているなら、そしてそれほど距離が離れていないなら、失せもの探しの魔法で探せるかもしれない。
「・・・ちょっと待ってね。今、術札を作成するから。メモ用紙を一枚もらえるかしら。」
新しいメモ用紙を受け取り、失せもの探しの魔法を術式化したものを書き込んでいく。
探査範囲は・・・私の魔力でゴリ押しすればいいか。
指先を念動断裂呪で浅く切り、魔力の媒介となる血液を数滴、術式の上に垂らす。
よし。これで半径30キロ四方、一度だけだが追跡が可能だ。
あとは店の外に出て、ナーシャに術式を発動させれば・・・。
ん?念話?
《仄香!大変なの!琴音が!》
《ん?ちょっと今手が離せないんだが・・・。琴音がどうした?》
《ニュースで父さんが発掘中の遺跡でリビア反政府軍に襲われて死んじゃったって聞いて、長距離跳躍魔法で飛んでった!》
《どうやってリビアまで行くんだ?前に行ったことでもあったのか?》
《業魔の杖!杖の中の記憶情報から、ノクト遺跡の座標を拾って使ったみたい!装備を琴音が全部持って行ったせいで、私、何もできない!手を貸して!》
・・・業魔の杖、だと?まさか!シェイプシフターのやつ、ちゃんと破壊していなかったのか!
あいつのことだからしっかりとへし折って海に捨てただろうに!
まずい。業魔の杖の呪いの力はそこら辺の呪物とはわけが違う。
一度でも使えば、不可逆的に魂を侵食されてしまう。
「・・・どうしたの?美代さん?今のって・・・もしかして誰かから助けを求められたの?」
驚いた。まさか念話の気配に気付いたのか?
発信専門の精神感応だと思っていたが・・・。
「・・・ごめんなさい。急用ができたわ。あなたと同じ、私の子孫に命の危険が迫ってるみたいなの。一日、いや、半日だけ待っててもらえるかしら。必ず戻るから、決して一人で行動しないで。それと、万が一に備えてこれを。握りしめて、助けを願えばあなたの味方が現れるわ。」
そう言って、念のために作っておいた召喚符を3枚、彼女の手に押し付ける。
「・・・わかった。美代さん。大丈夫。あたしは助けを待って泣くヒロインじゃない。信じて待ってるよ」
ナーシャが力強い瞳でこちらを見て頷いたのを見て、後ろ髪をひかれるような思いを感じながら、私は西東京で待つ千弦の家に向けて長距離跳躍魔法を詠唱し、夜の空に舞い上がっていった。
実は、作者は半分頭と呼ばれていたころのナーシャも結構好きなんです。
思うに、人間はその環境でどのようにも変わります。
親の教育、教師の教育、そして友人との付き合い。
さらにはその時代の、その世代に対する扱い。
そう考えると、今の氷河期世代といわれる人たちには全く頭が上がりません。
その世代が総出でテロリストになってもおかしくないような扱いを社会全体から受けているにもかかわらず、歯を食いしばって生きていてくれるんですから。
高度経済成長期の恩恵だけ受けたのに学生運動をして死人を出しまくった団塊の世代とは民度が違いますね。
ただ、総理を暗殺したり、ガソリンをまいて数十人を焼死させたりする人も出始めています。
もちろん、彼らの罪は彼らだけのもの。社会や政治に責任を押し付けるのは間違えています。
断じて減刑嘆願をするつもりはありませんし、テロリストに貸す耳はありません。
言いたいことがあるんなら、法廷内でだけ喚いていればよろしい。
それを報道してテロリストに利するような、マスコミの言葉も聞くつもりなどありません。
だけど、なにか、社会全体に重大な軋みのようなものがあると感じるのは私だけでしょうか。