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146 嵐の前の静けさ

 2月7日(金)


 南雲 千弦


 いつも通り授業が終わった後、(おさむ)君が明後日のイベントに備えて打ち合わせをしたいというので集まることになった。


 今日来る予定の人は(おさむ)君がガドガン先生から紹介されたというオリビアさん、そしてオリビアさんの紹介で一人。

 それと、なぜか仄香(ほのか)が私と一緒に一般チケットで行くことになった。


 おかげでチケット代を仄香(ほのか)に出してもらえることになったよ。

 やったね。

 でも、秋葉原の駅前のファミレスでオリビアさんたちを待っているけど、さっきから仄香(ほのか)の殺気が止まらない。


仄香(ほのか)。すごい殺気が漏れてるよ。顔も能面みたいになってるし・・・。》


 (おさむ)君は鈍いから気付かないみたいだけどさ。


《これでも、かなり抑えているんだ。それよりも大事なことを言ってなかったな。今日、オリビアが連れてくる『知り合い』というのがだな。バイオレットのボディに入ったリリスなんだよ。ちょっとドタバタしていたせいでな。すまん、伝え忘れていた。》


《え?じゃあ、もう一人来る人って・・・?》


バノヴシャ(Bənövşə)が英語で『バイオレット』という意味だと告げたら、いつの間にかそのまま呼び名になった。なんというか、すまんな。それより、千弦。おまえ、魔力総量がかなり増えてないか?》


 お、さすがは仄香(ほのか)。説明しなくても気付いてくれたか。


《例の本の悪魔に書いてあった魔力総量の増やし方を自分なりにアレンジした術式で試してみたのよ。どう?少しは強くなってる?》


《・・・これは驚いた。ほとんどエルリックと変わらないじゃないか。だが・・・気をつけろよ。そういったものには必ず反動が・・・来たようだ。》


 えへへ、ガドガン先生と同じくらいの魔力総量って、すごいんじゃないの?

 たしか先生って、世界最高の魔導士とか呼ばれていたよね。


 思わずにやけていると、ファミレスの自動ドアが開き、金髪の女性が二人入ってきた。背の高いほうはいくつもの紙袋を抱えている。


 たしか、黒部宇奈月温泉でガドガン先生と一緒にいた女性だ。それと・・・うん、オッドアイはやっぱり目立つね。バイオレットの身体だ。


「あ、いたいた。(おさむ)師匠。すみません、遅くなりました。」


「いや、まだ集合時間前だよ。それで、そちらの方が明後日売り子をやってくれる方?」


「ハジメまして。バノヴシャ(Bənövşə)です。英語でバイオレットという意味です。」


 うん。この魔力の流れは感じはリリスさんで間違いないようだ。


「師匠。彼女が武装魔法少女ミスティちゃんのコスプレをしてくれるそうです。見てください!この瞳の色、自前なんだそうですよ!」


「え、すごい・・・うわ、ホントだ。カラコンなんかじゃ出せない、この奥まで透き通った感じ・・・すごい!初めて見たよ!」


 (おさむ)君とオリビアさんはバイオレットの瞳を覗き込んで二人で盛り上がっている。

 間に挟まれたバイオレット(リリスさん)がかなり困っているようだ。


《ねえ、仄香(ほのか)。オリビアさんについてはガドガン先生に確認したのよね?随分と普通そうな人だけど、やっぱり教会の信徒で間違いないの?》


《・・・ああ。教会が持つ最強の武闘派集団、十二使徒の第十二席、『鋼拳のオリビア』で間違いない。ただ・・・エルリックは『ちゃんとオリビアを(そそのか)した』から大丈夫と言っているんだがな。どう『(そそのか)した』んだか。》


 念話をしながらオリビアさんたちをじっと見ていると、彼女はそれに気づいたのか、こちらを向いて私たちに声をかけてきた。


「ごめんなさいね。勝手に盛り上がっちゃって。私の名前はオリビア。オリビア・ステラ。・・・いや、オリビア・フォンティーヌよ。」


「南雲千弦です。とある理由で千弦と呼んでください。区別がつかなくなりますので。」


「・・・久神遥香です。フォンティーヌさん?ステラというのは?」


「ああ、ちょっと訳あって捨てようと思ってる呼び名なのよ。本名はフォンティーヌよ。」


 オリビアさんは私たち二人と握手を交わし席に戻る。


《・・・驚いたな。十二使徒が聖名(使徒の名)を捨てるだと?奴ら、油で釜茹でにしようが、生きたまま全身をすりおろしてネズミに喰わせようが、何をしてもその名を捨てなかったというのに。まさか、エルリックのやつ、本当に(そそのか)せたのか!?》


 釜茹で?すりおろしてネズミに喰わせた?


仄香(ほのか)。何をやったのよ。・・・まあいいわ。ちょっと様子を見ましょう?》


 仄香(ほのか)から返事はなかったが、その後、(おさむ)君の販売する商品や、その価格、釣銭の用意、そして売り子をするローテーションを決めていく。


 最後に、オリビアさんが持ってきた紙袋から飾りのついた衣装を取り出し、バイオレット(リリスさん)と仄香(ほのか)に手渡した。


「あの・・・これは?」


「武装魔法少女ミスティちゃんの衣装よ。それと重装魔砲少女メルティちゃんの衣装ね。小物類のつけ方はこの写真を参考にしてね。当日楽しみにしてるわ。!」


《これを、私に着ろと・・・?ぐっ、この話を聞いたら遥香が何というか・・・。》


《いや、断ればいいじゃん。》


 っていうか、あれ?この衣装って、遥香の部屋の本棚に飾ってあった・・・?

 仄香(ほのか)のやつ、あれだけまき散らしていた殺気がもう欠片もない。


 いや、着たいのかよ!?


 ◇  ◇  ◇


 オリビアさんたちと別れ、仄香(ほのか)と二人で遥香の家に向かう。

 サイズ調整はいらないとは言っていたが、念のため試着してみることにしたらしい。

 ってか、私の分の衣装がなくてよかったよ。


 何度も通って店員に顔を覚えられてしまったコンビニで飲み物を買い、遥香の家にお邪魔する。


「あらぁ~。いらっしゃい。お夕食も食べてく?」


 いつもと同じように香織さんが出迎えてくれた。だが、今日は母さんが家でご飯を作って待っていてくれているはずだ。


「いえ、お構いなく。今日は母が夕食の支度をしてくれる予定なのですぐにお暇しますから。」


 仄香(ほのか)に聞いたところによると、小学校入学から中学校卒業まで遥香は誰も友達を家に招いたことがなかったらしい。


 唯一の例外は、遥香がかつて付き合っていた藤原剛久さんという人だけだが、それも中学三年の一年間だけで家に招いたのは遙一郎さんに挨拶をする時だけだったという。


 そのせいか、香織さんは私や琴音が遊びに来るととても喜んでくれる。


 残念そうにキッチンに戻る香織さんを見ながら遥香の部屋に入ると、やはり本棚には、先ほど見たのと同じ衣装に身を包んだ少女が杖を振りかざしているフィギュアが飾ってある。

 ん?あれ?この杖って、遥香が入ってる杖に似てない?


「ねえ、このフィギュアってさっきの・・・。」


「さあて、衣装のサイズの確認をしましょうか。ええと、ここはスナップでこっちが・・・」


 あ、ごまかしたよ。

 まあいいや。


 数分が経過し、ちょっと手間取ったところもあったけど何とか衣装を着ることができた。

 ちょっと胸の大きさが足りないからと、仄香(ほのか)が怪しい眷属を二体召喚して胸に張り付かせていたことを除けば、うまいこと言ったようだ。


 っていうか、美少女は何を着せても似合うな!?


「ねぇ、この重装魔砲少女メルティって、どんなキャラなの?」


「ん?重装魔砲少女メルティは武装魔法少女シリーズに登場する魔法少女の一人だ。主人公のミスティの同級生かつライバルでな。バランスタイプのミスティと違ってどっしりと腰を据えて大火力の魔法を使うんだが、それがまるで大砲のようだと「魔法少女」をもじって『魔砲少女』と呼ばれるようになったんだ。特にその火力はすごくてな。戦艦大和の主砲並みの火力をたった一本の杖から叩き出すんだ。魔力量も人並み外れているんだが・・・。」


 う、聞かなきゃよかった。ってか、何を言ってるのかわからないし。


 なるほど、仄香(ほのか)が師匠と相性がいいわけだ。あの人も一度説明を始めると止まらないからな。


「うん?ちょっと待って。このメルティって、仄香(ほのか)とどっちが火力が高いの?」


「・・・そりゃ、私のほうが火力は高いな。」


「じゃあ、別にすごくないんじゃない?」


「いや、そうは言っても、少女の体ですごい火力が・・・。」


「遥香の体も少女じゃん。っていうか、ジェー・ドゥも、三好美代(みよ)も。」


「う・・・。」


「あ、もしかして仄香(ほのか)がこの衣装を着て魔砲を撃てば、このアニメ?完全再現できちゃうんじゃない?」


「ぐ、確かに。いや、だが、さすがに作品を汚すようなことは・・・。」


 悶えてる悶えてる。

 まあいいや。さすがにコスプレをしたまま魔法をぶっ放すようなことはしないでしょ。

 ・・・と仄香(ほのか)をやり込めたと思っていた瞬間が私にもありました。


 まさかその後「そういえば停滞空間魔法で琴音より主観時間が短かったな。調整してやろう」とか言って、加速空間魔法で「武装魔法少女」全214話を見せられるとは思わなかったよ。


 くそ、すごく面白かったじゃないのよ!


 ◇  ◇  ◇


 数時間後

 玉山の隠れ家(セーフハウス)


 リリス(in バイオレット)


 マスターの指示のもと、オリビアさんから受け取った衣装に袖を通しています。


「どこかキツイところはない?・・・うん。気持ち悪いくらいぴったりね。オリビアったら妙に私をジロジロとみていると思ったけど、身体のサイズを測ってたのね。」


 ・・・この衣装は舞台衣装でしょうか?普段着として着用するにはあまり向かない素材のようです。


「オオキな問題はありません。マスター。・・・スコし肩のところが腕を上げづらいですね。」


「そう。じゃあ、オリビアから調整する許可も取ってあることだし、少し手直ししちゃいましょう。」


 マスターは私が脱いだ衣装を手早くバラし、あて布をしてミシンで縫っています。


 マスターの頼みで教会の使徒と会うことになったときは少しヒヤヒヤしましたが、会ってみれば普通の子供でした。

 いや、人間たちの主観ではもう子供という年齢ではないのかもしれません。


 私はかなり昔、古代メソポタミアのころに生まれた概念を核に、人間の精神世界(アストラルサイド)で発生した存在です。

 ですので、名前だけはマスターが生まれた時代よりも前からあったかもしれません。


 今の精神世界(アストラルサイド)はこの星が魔力に包まれてから具現化したものですから、今から約6800年前、正確に言うなら6871年前に私は生まれました。


 ですので、今生きている人間を見ると、そのすべてを幼い子供のように考えてしまうのでしょう。


 そういえば、マスターの前に私を召喚したあの青年はどうなったでしょうか。今から2700年ほど前、今のマスターと同じように我々眷属に友人として接してくれた若者がいましたが・・・。


 初めてマスターに召喚された時、その魔力の波動が彼と非常にそっくりだったので驚いたものです。


 名前は・・・たしか、ノクスプルビアでした。

 いつも霊体の女性が一緒にいたと思います。その方の名前は・・・チェラソス?チェラサス?そんな名前だったと思いますが。


 もちろん、他の召還主のことを話すのは禁忌ですからマスターには伝えていませんが。


「できたわ。もう一度着てみて。・・・よし、身体の動きを邪魔することもなさそうね。あとは・・・。遥香の身体の衣装は直したし、小物類には念のため術式を組んだし。海浜幕張駅の下見は済んだし。あ、当日のお弁当、どうしようかしら。」


《・・・仄香(ほのか)さん、なんだかんだ言ってノリノリだよね。私の身体を使ってコスプレするとは思わなかったよ。》


 マスターの身体の本来の持ち主である遥香さんが言っている通り、マスターは少し楽しそうです。


「いえ、話には聞いていましたが、まさか自分がコスプレすることになるなんて思わなくて。あ、大丈夫ですよ。少し胸が小さかったのはドッペルゲンガーを召還してごまかしましたから。」


《胸が小さいって・・・。気にしていることを・・・。うん?ドッペルゲンガーって、ウチで召還した肌色のスライムみたいなやつ?あれ?確か自己像幻視とか見たら死ぬとかいう、アレ?》


「ええ、シェイプシフターと同じで人間に化ける能力が高いスライムのような眷属なんですが、制御性にちょっと難がありまして。もちろん見たからと言って死ぬことはありませんよ。というより、本人そっくりに化ける以外は、ドアの開け閉めができる程度の能力しかありませんから危険性はほぼありません。」


《じゃあ、なんで見たら死ぬとか言われたんだろう?》


「それは眷属や幻想種としてのドッペルゲンガーではなく、幽体剥離現象としてのドッペルゲンガーを見てしまったからですね。幽体剥離という状態は極めて危険で、魂を守る容器が勝手に肉体を離れて歩いている状態です。すぐに処置しなければ、かつての遥香さんと同じ状態になってしまいます。」


《・・・超常現象もちゃんと理屈があるんだね。》


 一通りの準備ができたところでいったん衣装を脱ぎ、旅行カバンに詰めていきます。

 あとは当日の楽しみということですね。


 ◇  ◇  ◇


 仄香(ほのか)


 日曜日のイベントの準備は完了した。

 何事も経験だ。一昔前ではこういったイベントはなかったからな。


 さて・・・今日はもう一つ大事な用事がある。

 だが、遥香が日曜日に活動できる時間を確保しておく必要があるから、これ以上この身体を離れるわけにもいかない。

 どうするか。


 それに待ち合わせの約束はバイオレットの身体でしたからな。

 移動中にリリスに念話で詳細を送っておこう。


「リリス。例の、ナーシャのことなんだけど・・・今から会いに行く約束があるのよ。ちょっと付き合ってくれるかしら?」


「モチろんです。マスター。何か問題があるのでしょうか?」


 う~ん、遥香の記憶は強制忘却魔法で消したからな。

 多分、大丈夫だと思うが・・・。


「何でもないわ。ナーシャとの待ち合わせは新宿駅東口改札だったわね。待ち合わせ時間まであと30分しかないし、そろそろ行きましょうか。」


 妙な胸騒ぎがするものの、隠れ家(セーフハウス)から出て長距離跳躍魔法で新宿駅東口に向かうことにした。


 ◇  ◇  ◇


 新宿駅東口


 待ち合わせ時間の15分ほど前に新宿駅東口の改札前に到着すると、そこには大きめのキャリーバッグを引いたナーシャの姿があった。


 ・・・顔には、湿布が貼ってある。隠し切れない(あざ)もいくつかあるようだ。

 そして、髪の毛の色がすべて金色に戻っている。


「オまたせしました、ナーシャ。待ちましたか?」


 リリスが私の代わりに声をかける。


「あ、いや、今来たところさ。・・・そっちのカワイイ子は?」


「ワたしの友人で久神遥香といいます。共通の趣味で知り合いました。・・・ソの顔のケガはどうしたんです?」


「ああ、これ、同棲してる男に出ていこうとしたのがバレて殴られた。浮気だろうってさ。そもそも、家賃も払ってくれないくせにさ。くそ、痛くてメイクもできやしねぇ。」


 ・・・驚いた。髪の毛を半分黒く染めなければ、いや、アホみたいなメイクをしなければ、かつて私が使っていたナーシャの面影が残る年相応の顔つきじゃないか。


 だが、ナーシャの顔に驚いていると遥香から思いもよらない言葉が発せられた。


《・・・仄香(ほのか)さん。この人、なんか嫌な感じがする。それに、どこかで会ったような気が・・・。どういった知り合いなの?》


 ・・・まさか!?遥香の記憶は強制忘却魔法で完全に消したはず。

 半分頭、いや、ナーシャの顔を覚えているはずなんてないのに?


《つい先日、琴音さんたちを襲った組織をバイオレットの身体で壊滅させたんですがその時、その組織に捕らえられていたので助けただけです。身寄りがなく、このままでは犯罪に巻き込まれてしまう危険性があったので保護する予定ですが・・・。》


《そう。・・・仄香(ほのか)さんがそういうなら、気にしないようにする。でも、なんでだろう?左手の薬指が燃えるように痛いの。それに、おなかの下の方も・・・。》


 私は思い違いをしていたのかもしれない。

 あの事件の記憶は、遥香もナーシャも完全に消したと思っていたが、身体がその時の痛みを覚えているのか?

 いずれにせよ、遥香が傷つけられた事実そのものは消えていないのだ。


《ごめんなさい。彼女の顔を見ているのがつらいようなら、いったん主観を切りますね。》


《待って。仄香(ほのか)さん。理由はわからないけど、もうしばらく彼女の様子を見てみたい。ダメ、かな?》


《わかりました。でも、気分が悪くなったらすぐに言ってください。》


 今日はこのまま和彦に面会し、ナーシャの身柄を引き渡す予定だ。

 彼にはナーシャの身の上の話を全てしてあるので、今頃はしかるべき手続きの準備をして待っていてくれているだろう。


 遥香の言葉を聞いた後、東口の階段を上がり、タクシー乗り場に移動する。

 運転手に行き先を告げると、一瞬驚いたような返事をしたが、そのままタクシーは走り出した。


 ・・・まあ、高校生くらいの少女が「首相公邸まで」と言ったら、びっくりするだろうけどな。

 おおっと、忘れないうちにナーシャの精神感応(テレパス)に干渉して封印する作業だけしておこうか。


 ◇  ◇  ◇


 タクシーは首相公邸の敷地に入り、SPの指示のもと、車寄せに停車する。


「ど、ど、どうしてこ、こんな、ところに!こ、ここって、テレビでみた、あの総理大臣の・・・。」


 あ、ナーシャが壊れた。

 いや、テレビで見たことがあるなら知ってるだろうに。


「ちゃんとアポはとってあります。刑務所に連れてこられたわけでもないし、丸腰で戦場に放り込まれたわけでもないんだから、堂々としていなさい。」


仄香(ほのか)さん。いきなりこの国のトップの住むところに連れてこられて慌てない人はいないと思うけどな・・・。》


《・・・琴音さんたちのお爺さんの住んでる家ですよ?慌てる必要なんてないでしょう?》


 そんなことを話しながらタクシーを降り、公邸の入り口に立つと、和彦が中島官房長官と並んで私たちを出迎えた。


「ようこそおいでくださいました。それで、どちらが美代(みよ)様のご子孫の方ですかな?」


「両方よ。・・・タだ、面倒を見てほしいのは金髪の子のほうだけね。コの子はただの見学よ。」

 バイオレットの身体でジェーン・ドゥに扮したリリスが答える。


「おお、そうでしたか。ではお二人とも私の親戚ということですな。ではこちらに。」


 和彦に連れられて、バイオレット(リリス)と私は堂々と、ナーシャはおっかなびっくりという足取りで後に続く。


 正面玄関を入ると板張りの廊下に品のいい照明、そして革張りのソファが並び、要所要所に赤い絨毯が敷かれている。


 この官邸は、昭和4年に竣工された旧官邸を曳家・改修したもので、平成17年から官邸として使用されているものだ。

 たしか、鉄筋コンクリート2階建て、本館延べ面積は約1570坪。


 平成15年10月から約1ヵ月をかけて、総重量約2万トンの建物を、回転させながら約50メートル移動させる曳家を行い、その後、昭和4年当時の姿を丁寧に復元する改修が施されたという。


 個人的な感想になるが、最近のガラスとコンクリートでできた直線的で味気ない建物より、よほど国家を牽引する者が住むにふさわしいと感じる。


「なんで、首相公邸に!?あたし、住むところの紹介と仕事をあっせんしてもらうんじゃなかったの!?」


「ナーシャ。ダから、和彦に住むところと仕事をあっせんしてもらうのよ。彼はこの国の総理大臣であると同時に、九重財閥のドンよ。キットいい職場が見つかるから安心しなさい。」


 ははは、ナーシャがパニックになっているよ。

 リリスが私の代わりになだめているけど総理応接室に入っていく足取りがまるで千鳥足だ。


《・・・ドン引きだよ。仄香(ほのか)さん。住むところと仕事のあっせんに総理大臣まで引っ張り出すとか・・・。》


 遥香が完全にドン引き状態だが、和彦なら一番手っ取り早いだろう。おそらく人脈という点では彼の右に出るものはこの国でも数えるほどしかいない。


 全員の自己紹介が済んだところで、総理応接室の座り心地の良いソファに一同が腰を下ろす。

 ナーシャは和彦が差し出した名刺を、まるで子供が宝物をもらったかのように目の前にかざしている。

 ・・・総理から名刺をもらったことがそんなに嬉しかったか。


 和彦の横に立っている秘書官らしき女性が、大きなファイルを持ってきた。


《リリス。そろそろバイオレットの身体の制御をもらうぞ。遥香さん。あなたの身体の制御、戻しますよ。》


《うぇ!?う、うん。でも絶対にこっちに話を振らないでね。》


 リリスがバイオレットの目を閉じたタイミングと合わせて、遥香の身体の目を閉じ、意識をバイオレットの身体に移動する。


「さてと。和彦。事前に知らせてあるとおり、この子、アナスタシアの新しい住みかと仕事は見つかったかしら?」


「はい。すでにいくつか候補を取り揃えておりますぞ。楠本君。ファイルを。」


 楠本と呼ばれた女性秘書官は、小脇に抱えたファイルを応接室のテーブルの上に開く。

 そこには、数十件のマンション、アパート等、そして数百件の就職先が記載されていた。


 ファイルをパラパラとめくり、ナーシャに見せていく。

 結構いろいろあるな。

 お?自由共和党本部の清掃か。警備状態もいいし、これなんかいいんじゃないか?

 

「どう?気に入った家と仕事はありそう?ああ、そうそう。家賃については仕事が軌道に乗るまでは和彦が全額持ってくれるそうよ。それと、仕事が合わなそうだったら無理せずに辞めなさい。すぐに次の仕事をあっせんさせるわ。」


「は、はい。あたし、いや、わたくしは頑張らせていただく所存であります。」


 はは、完全に緊張状態でまともな受け答えが出来ていない。

 あ、それと大事なことがもう一つあった。


「和彦、もう一つ頼んでおいたことはどんな感じかしら?」


「もちろん準備は出来ております。楠本君。次のパンフレットを。・・・こちらですな。通信制の高校に入学できるようにしておきました。通信制とはいえ、政府が推進するVR技術の粋を凝らしたモデル高校ですからな。体育や調理実習を除けば実際に登校するものと同程度以上の学習が可能です。録画された授業を用いての自習や、個別指導も充実しておりますぞ。」


「え!あたし、高校に行けるのか!?そうか、じゃ、女子高生になれるのか・・・。」


 さすがは和彦だ。抜け目がないな。


「何とかなりそうね。和彦。ナーシャのことをよろしくお願いするわね。ナーシャ。頑張ってね。」


「お任せください。アナスタシア君。困ったことがあったらすぐに私に言うように。」


 和彦。一国の総理ともあろう者がいちいち立ち上がって頭を下げんでも・・・。


「ああ、いや、ハイ。バイオレット・・・さん。色々とありがとう。それにしても、あんた、いや、あなたは一体・・・?」


 私はソファーから立ち上がると、ヒラヒラと手を振りながらその場を後にする。

 これで彼女の人生もちょっとは良い方に向かうだろう。


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