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139 悪意の根源、魔女の怒り

 1月24日(金) 仄香(ほのか)


 琴音と遥香の協力のもと、本の悪魔が作った悪夢から千弦を無事に助け出すことができてからおよそ三日が経過した。


 千弦については目が覚めた当日と、その翌日である1月22日は体調を整えるために学校を休ませたものの、昨日と今日はもう元気に登校している。

 まあ、代わりにシェイプシフターに出席させたから出席日数には影響はあるまい。


 午前中の授業も終わり、教室の机を並べて、窓から入る日差しを浴びながら、いつものメンバーで和気あいあいと弁当をつついている。


「あ、咲間さん(サクまん)。もしかしてそのハートのハンバーグ、手作り?」


「いや、店の廃棄商品をクッキーの型で打ち抜いただけなんだけど・・・」


「すごーい。じゃあ、、琴音ちゃんと千弦ちゃんのお弁当は?あれ、中身が違う?」


「私のは姉さんみたいにカロリーは多くないのよ。」


「琴音・・・いつも私の戦闘糧食(コンバットレーション)に何か言うよね。私が何食べてもいいじゃない!」


「いや、姉さんがドカ食いするとなぜか私の体重まで増えるのよ・・・。」


 やや低めの太陽の日差しが、教室の中に差し込んできて暖かい。

 一昨日まで、死に至る悪夢にとらわれていたとは思えないくらい、のどかな一日だ。


 あの時、彼女の祖父である和彦の記憶を読ませてもらった限りでは、彼が事件後に調べた様々な資料から、警察が千弦に対して行った非人道的な捜査や取り調べが判明したらしい。


 捜査を担当した伊東という刑事は、当時の最大野党である民権党の幹事長、丸山(すぐる)の娘婿だったという。


 そもそも、丸山は敵対する政党の幹事長である九重和彦を失脚させるために、和彦が推進する移民問題対策であった出入国管理及び難民認定法の改正案提出に反発する不法移民の二世や三世たちに、反政府活動を行うための資金援助を行っていたらしい。


 丸山は、九重財閥のドンである和彦がその有り余る資金を背景に、一切の賄賂を受け取らない姿勢に業を煮やしていたようだ。


 っていうか、和彦のやつ、日本の長者番付で5年連続一位を記録し続けてるよ。

 下手したら私と同じくらいの資産を持ってるんじゃないか?


 とにかく、弱点らしきものが見つからないことにしびれを切らした丸山とそのシンパたちは、和彦にとって唯一のアキレス腱である美琴と、その娘である琴音と千弦に目を付けたようだ。


 ・・・直系である宗一郎殿には妻子はいなかったし、健治郎殿の長男である宏介君については、まだ生後間もなく、また健治郎殿の職業も相まって、警備が厳重で手が出せなかったようだな。


 っていうか、外国人が現職の陸軍少佐の子供なんてさらった日には、アジア最強と目される日本陸軍が犯人とその家族を草の根分けてでも探し出し、この世に存在するありとあらゆる苦痛を与えて殺すだろうよ。


 とにかく丸山(すぐる)とそのシンパたちは琴音と千弦を誘拐し、和彦が例の法案を廃案にするか、提出を遅らせるか、とにかく党内での彼の立場を弱め、与党である自由共和党を混乱させようとしたのだろう。


 だが、法案は無情にも予定通り提出された。

 それだけではなく、誘拐犯たちは琴音と千弦を逃がしてしまい、さらには健治郎殿の部下であった者たちに実行犯を殺されてしまい、誘拐事件が不法移民によって起こされたことが白日の下にさらされそうになった。


 丸山は、そして移民を推進する野党はさぞかし慌てただろう。


 移民がこの国の主権を(おびやか)かすために、与党幹事長の孫を誘拐したなどという事実が世間に公表されれば、両極端に振れやすいこの国の世論は移民排斥へ大きく傾くに違いない。


 そこで、丸山は起死回生の策を弄した。


 千弦が、不法移民である誘拐犯たちを、自分の欲望のままに殺した快楽殺人者(シリアルキラー)であると、人殺しがしたくて自分から彼らに近寄ったのだと、事実を捻じ曲げようとした。


 実際に、千弦は三人の男を殺している。

 最初の二人については、殺すところまで考えてはなかったようだ。

 だが、最後の一人だけは、殺意を持って引き金を引いたように見える。


 妹を守るためとはいえ、自らの意思を持って人を殺している。

 ・・・あの極限状態でも、心身が喪失していないといえるならな。


 数千年の永きにわたり、千や万では数えきれないくらいの人間を殺してきた私からすれば、たかが三人、ギャアギャア騒ぐなと言いたいのだが。


 丸山は、伊東に命じて千弦を徹底的に甚振(いたぶ)った。

 その幼いプライドを、自我をへし折ろうとした。


 もし取り調べ中に死んでも、快楽殺人者(シリアルキラー)が自殺したとして、左翼系のメディアを巻き込んで、彼女の名誉まで汚した上で和彦を失脚させようとしたのだろう。


 奇病で警察署内が丸洗いされなければ、今頃千弦は生きてはおるまい。

 宗一郎殿の呪病という鬼札(ジョーカー)は、丸山といえども予期できなかったのだろう。


 ・・・だが、丸山はまだ生きている。

 予期せぬ奇病で神奈川県警内と神奈川地方検察庁内のすべての手駒を失ったが。


 また、不法移民による犯行を報道しない自由によって隠蔽したいメディアと、一部の情報部員の独断専行について情報統制をしたかった陸軍と、そして移民問題のさらなる複雑化を避けたかった与党、野党の利害が一致し、この事件は闇に葬られた。


 ・・・事件の当事者以外で、この事件を知っている人間はいない。警察庁広域重要指定事件の番号も、抹消された。


「ねえ。さっきから仄香(ほのか)さんがすごい殺気をまき散らしてるんだけど・・・コトねん、何か知ってる?」


「・・・さあ?近くに敵でもいるのかな?」


《いえ、ごめんなさい。これは・・・そう、思い出し殺気というやつです。少し嫌なことを思い出してしまって。》


「思い出し殺気って・・・どこかの国でも滅ぼす気?ちょっと怖いんだけど?」


 う~ん。ちょっと殺気が漏れていたらしい。この3人(+1人)の前で嫌なことを思い出すのは少し控えようか。


「ねえ、仄香(ほのか)さん。それって、千弦ちゃんのことだよね。もしかしてまだ終わってないの?」


《いえ、千弦さん個人の問題については、ほぼ終わっています。・・・千弦さんのお爺さん、九重総理の敵対者があの事件の黒幕なんですけど・・・まだ生きてるんですよね。》


「まさか・・・?まだ続くの?」


《大丈夫ですよ。その時は私に任せてください。》


 遥香の言う通り、丸山がまた手を出してこないとは限らない。

 よし、潜在的な敵は外科的に切除するに限る。今夜にでも殺しに行こう。


 ◇  ◇  ◇


 同日、深夜


 時計の針が0時を指す直前、私はベッドからむくりと起き上がる。

 壁を見ると、千弦の作ってくれた(こしらえ)袋に包まれた杖が、机に寄りかかり、ゆっくりと揺れている。

 遥香の寝息もかすかに聞こえる。


 ・・・これから始めることは、将来、敵になる恐れがあるからと言って現在はまだ敵にすらなっていない者まで攻撃する、完全な先制攻撃だ。


 これは正義などではない。完全に私怨による復讐、いや、虐殺だ。親兄弟、妻子、そのすべてを逃しはしない。

 千弦には知られてはならない。もちろん、琴音や遥香、咲間さん(サクまん)にも。


 丸山(すぐる)・・・そしてその息子の邦夫。それぞれの家族たち。


「・・・遥香の、すべての外界に対する感覚を切断。念動呪、浮遊呪、透視呪、聴知呪を全停止。仮想空間を閉鎖モードに移行。」


 ・・・すまないな、遥香。すべてバイオレットの身体で行うから、お前には迷惑をかけないから、私のこの憤りを許してくれ。


《・・・シェイプシフター。メネフネ。丸山(すぐる)及び邦夫とその家族の現在位置を報告しろ。》


《こちら、シェイプシフター。現在位置、港区元麻布。丸山(すぐる)、およびその家族、警備員、家政婦の合計6名をすべて自宅内に確認シマシタ。以降は(エコー)10から(エコー)15と指標(プロット)シマス。》


《こちら、メネフネ。現在位置、目黒区青葉台。同じく丸山邦夫、およびその家族、来客の合計7名をすべて自宅内に確認シマシタ。以降は(エコー)20から(エコー)26と指標(プロット)シマス。》


 よし。深夜に外出していなくてよかったよ。そうしたら、何人巻き込むか分かったものではなかったからな。

 (すぐる)宅に6名、邦夫宅に7名か。


《ハルピュイアリーダー。周囲の状況は。》


 それぞれの家を、上空を旋回しながらハルピュイアたちが魔力走査(スキャン)している。


《こちらハルピュイアリーダー。半径10キロ以内に魔力反応なし。半径1キロ以内に武装勢力なし。》


《こちらハルピュイアツー。半径10キロ以内に魔力反応なし、ただし、邸宅内に武装勢力2名を確認。拳銃、および短機関銃で武装。指標(プロットナンバー)(エコー)25、および(エコー)26です。》


 ほう?丸山邦夫宅では常時2名の武装した警備を置いているのか。

 たかが野党の議員、国会対策委員長ごときが、大した念の入れようだ。

 よほど家族が大事と見える。いや、大事なのは自分か?


《監視を継続しろ。家族は就寝中か?それと、間取り図があれば映像を回せ。》


《こちらハルピュイアスリー。(すぐる)宅は警備員および家政婦一名が作業中、他、4名は就寝中です。》


《こちら、ハルピュイアフォー。邦夫宅はその妻と4歳の女児のみが就寝中、他、5名は起きています。・・・3名は会合中、警備員2名は会合を行っているリビングの入り口で武装待機中です。》


《こちらシェイプシフター。(すぐる)宅、邦夫宅の間取り図を入手。・・・(すぐる)宅に不自然な空間がアリマス。間取りにない抜け道に注意してクダサイ。》


 シェイプシフターから送られたそれぞれの家の間取りを確認する。

 ・・・たしかに、(すぐる)のほうの家の、奴が眠っている和室の床の間の裏に不自然な厚みがある。

 まるで人間一人分、壁の中に納まる程度の・・・。


 だが(すぐる)は就寝中だ。邦夫側からの通信を妨害しておけば、後回しでもかまわないだろう。


《邦夫宅を優先して襲撃する。終了後、直ちに(すぐる)宅を襲撃する。メネフネ。邦夫宅内の映像、音声を回せ。リリス。出撃位置につけ。》


 バイオレットの身体を管理するリリスを、出撃前の定位置に待機させる。

 それぞれの邸宅に侵入と同時に、バイオレットから身体の制御を受け取り、あとは私が戦闘する。


《こちらメネフネ。邦夫宅内の映像及び音声、回シマス。》

《コチラ、リリス。バイオレットボディ、出撃位置につきました。イつでも出撃できます。》


 メネフネが邦夫宅内の音声と映像を転送する。


 ここは・・・リビングと和室を兼ねている部屋か?

 男が二人、上座と下座に分かれて座っている。片方は丸山邦夫本人、もう一方は・・・どこかで見た顔だな。ああ、山中組の若頭か。もう一人は・・・若頭側の護衛か。


 それにしても随分と悪趣味な・・・。床の間に飾るのは掛け軸と生け花だ。

 人間の頭蓋骨を盃にしたものを飾る場所ではない。


「・・・例の件は・・・・・の孫娘の学校に例の本を仕込んだんだろう!翌週の・・・・にはケロッとした顔で・・・・ではないか!何が本の悪魔だ!親父は・・・・・ものを大枚はたいて買わされたというのか!」


「・・・商品の品質については仲介人(ブローカー)に確認中ですが、・・・・は入手後に別の女児で・・・・。効果は確実のはずなんですが・・・。」


「どこの・・・・・ないガキが何人死のうが、あの・・・・せなきゃ意味ねぇだろう!クソ・・・・・・・かせろ!移民でも山中組のチンピラでも・・・・・すればいい!」


「・・・移民たちは基本的に言うことを・・・・・。それに、ウチの若衆をこれ以上出すのは・・・。」


「うるさい!できないなら・・・・・」


「・・・でしたら、うちの組の提携先の、・・・・・・ます。今回もお代は・・・・いただけるんで?」


「・・・いくらだ?」


「へへぇ・・・指三本になります。」


「くそ、三千万か。痛い・・・な。おい、そこの・・・・・起こして金庫を開けさせろ。それと、酒とつまみを持ってこさせろ。飲まんとやってられん。」


「へへ、毎度あり。で、いつも通り・・・・はお要りようで?」


「・・・いや、気が変わった。・・・・もってこい。可能な・・・・な。」


「・・・ですか?でしたらさらにもう一本いただきたいところですが・・・。」


「可能ならと言った。できな・・・・・金は出せないし、出来たら追加で2本払ってやる。・・・ああ、万が一・・・・・・なよ。そろそろ新しい盃が欲しくなってきたところだ。」


「・・・・ついては、こちらの若い衆に好きにさせても?」


「構わんよ。儂が聞きたいの・・・・・ではない。・・・お、持ってきたな。よし、3千万、確認しろ。・・・失敗は許さんぞ。」


「へへっ。お任せを。」


 ・・・うん。こいつらを殺すのに何のためらいもなくなってきた。

 追憶の禁書がどこから紛れ込んだのか疑問だったが、こいつらの仕業だったのか。


《リリス。準備は?》


《準備万端です。イツでもどうぞ。》


 遥香の部屋のベッドで再度横になり、ゆっくりと目をつむる。

 翌朝までバイオレットの身体の完全制御にかかるから、緊急時のアラート以外、すべて切っておこうか。


 ◇  ◇  ◇


「・・・よし、全魔力回路(サーキット)正常。脳神経系、循環器系、消化器系、泌尿器系・・・すべて異常なし。それにしても魔力回路(サーキット)の出力が高いわね。手加減を誤りそうだわ。」


《こちら、メネフネデス。邦夫宅の防犯装置及び一般電話回線を遮断。電源を掌握。電波妨害も実施中デス。干渉術式を発動シマスカ?》


 そうそう、すべての回線を遮断しても、インターネット回線は生きているからな。さて、干渉術式を・・・。


 ・・・おい。こいつら、まだ千弦と琴音への加害行為をあきらめていなかっただと?

 しかも、この山中組の若頭、メールで二人の拉致または殺害の指示をどこかに出しやがった。


《メネフネ。シェイプシフター。予定が変わった。殲滅ではなく、全員を拉致する必要が発生した。ハルピュイア各位。周囲100キロの航空機および天候を確認。強制長距離跳躍魔法を広範囲で行使する。》


《了解シマシタ。・・・千弦サン、昨日、ボクにバナナを買ってきてくれたんデスヨネ。一房丸ゴト。まだ熟してないノデ食べてないんデスケド・・・。》


《琴音サン、時々鶏のササミを買ってきてくれるんデスヨネ。生魚より見栄えがいいっテ。ちょっと量が少ないデスケド。》


 なんだ、あいつら、けっこう眷属に好かれてるじゃないか。

 ・・・よし、どこに拉致するか。どの国の領土でもないところといえば・・・南極かな?


「とりあえず全員とっつかまえて全部吐かせるわよ!魔力回路(サーキット)、出力最大!千連唱(キリアスペル)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」


 深夜にもかかわらず、都内の、それも高級住宅街である港区元麻布の一角、そして目黒区青葉台の一角で轟音が鳴り響く。


 それぞれの町の中心近くにある二つの邸宅、合わせて1600坪にも及ぶ大邸宅は、庭や駐車場、そして隣家との境界線にある土塀に至るそのすべてが土塊をまき散らしながら宙に舞い上がり、日本空軍や日本宇宙軍の監視のもと、極超音速ではるか南の海に消えていくことになった。


 ◇  ◇  ◇

 1月25日(土)翌朝


 南雲家 食卓


 南雲 琴音


「おはよ~。お母さん。あれ?姉さんは?」


「まだ寝てるわ。さっき起こしに行ったんだけど、掛け布団をすべて蹴り飛ばしてて、寒いから身体が温まるまでもう一度布団をかぶって寝るんだって。まったく、鉄砲は抱きしめてるのに布団は抱きしめて眠れないのかしらね?」


「そうね。鉄砲なんて金属とプラスチックの塊なのに、なんで布団より優先して抱いて寝るのかしらね。」


 ・・・お母さんと他愛ない会話をするが、私たち家族はその理由を知っている。いや、正しくは、“おそらく”知っている。


 姉さんが見た悪夢のもとになった事件。

 ・・・私たちが小学二年生だったころの7月の半ば、夏休みの直前。珍しく良く晴れた日に、私たちは誘拐された。


 実は、事件のことをあまりよく覚えていない。


 それよりも鮮明に覚えてるのは、取調室前で姉さんと別れて、一か月半後、二学期が始まってからしばらくして帰ってきた姉さんは、まるで別人のようだったことだ。


 いつもきょろきょろと周りを見て落ち着かない。

 家の中でも、必ず壁を背にして座っている。

 それも、すぐに立てるように片膝を立てたまま。

 必ず何かを握っている。カッターナイフだったり、マイナスのドライバーだったり。


 お父さんを見ると、なぜか急に過呼吸になり、錯乱状態になる。

 ・・・あとでお父さんの丸いメガネが原因だってわかったけど、お父さん、それが分かるまですごくショックだったみたいだな。


 でも不思議なことに四角いメガネは大丈夫なのよね。

 おかげでお父さんのメガネは全部四角いメガネになったよ。


 夜はベッドの上で眠らない。必ず入り口に向かってとびかかれる位置に、何かを握りしめて毛布をかぶって片膝を立てて目を閉じ、ちょっとの音ですぐ目が覚める。

 ・・・どんなに私が足音を忍ばせても、必ず起きて「だれ!?」と聞いてくる。


 目には濃いクマができ、髪の毛は抜け、やせ細り、ご飯を食べている時でも必ず半身はイスからずらしていた。


 トイレは外から閉じ込められないように、必ずドアに何かを挟んで半開きにして入っていたし、お風呂は基本的にシャワーしか浴びなかった。

 それも、目を開けたままで浴びるため、シャンプーやリンスは使わなかった。


 それまでいつも書いていた日記と術式ノートは、どこかにしまわれたまま数年間見ることはなかった。


 見るに見かねた健治郎叔父さんが、小学二年生の二学期後半から三年生の一学期の半ばまで預かってくれたんだ。

 なんでも、レンジャー試験並みの訓練で、徹底的にしごいて自信をつけさせてくれたらしい。


 ショック療法みたいなものだったんだろう。おかげで何とか日常生活に戻ってこれたよ。


 ・・・それにしても不思議なことに、姉さんがやせ細ったり、その髪の毛が抜けたりすると私まで同じ状態になるのよね。

 おかげで大変だった。小学校の男子に10円ハゲと何度馬鹿にされたか。


 でも、今は何とか普通に眠れているようだ。

 いやいやながらも四角いメガネならかけることもできるようになったみたいだし。


 ・・・どうしても銃は手放せないみたいだけどさ。


「ん~、おふぁよう。今日の朝ごはん、なにー。」


 あ、姉さんがやっと起きてきた。・・・左手にスマホ、右手に銃・・・。ここは日本だっての。


「今日はパンとスクランブルエッグよ。早く顔洗ってきなさい。」


 お母さんが半分呆れながらも、優しく言っている。

 どういうわけか、我が家では姉さんが銃を持っていても、ナイフを持っていても、誰も何も言わない。


 家の外に出るときは、さすがにナイフは持って行かせないけどね。


「んぶー。ぶはぁ・・・タオルタオル・・・は~、さっぱりした。あれ?朝のニュース、何か騒いでない?」


「そうなのよ。ちょっと訳が分からない事件なのよね・・・。どこの局も完全に混乱してるみたいだし、警察も大騒ぎみたいなのよね。」


 お母さんの言葉につられてテレビを見ると、画面いっぱいの大穴の上をヘリコプターが飛びまわっているのが見えた。


「・・・ご覧ください!閑静な住宅地に突然、50メートル近くはあろうかという大穴が出現しました!それも、港区元麻布と目黒区青葉台の二か所です!もともと建っていた家の住人とは、いまだに連絡が取れておりません!」


 うわ、すごいな。まるでいつか読んだ漫画の・・・そうそう、七〇の国だったっけ?似たような描写がなかったかしら?


「・・・スタジオです。今入った情報によりますと、元麻布で穴ができたところには、旧民権党の元総裁、丸山(すぐる)さんとそのご家族が住んでいたようです。現在、丸山氏ご本人とその妻、可南子さん、長女の伊東由子さんとその長女、・・・姫愛(ヒメア)さんと連絡がとれておりません。」


 ・・・まさかとおもうけど、こんなことができるのって・・・?


「こちら、青葉台の現場からです。穴のできたところには、現最大野党である『主権者の声』の国会対策委員長、丸山邦夫氏の邸宅があったとの情報が入りました。現在、丸山氏のご家族、妻の彩紗さんと娘の柚奈さんとも連絡が取れておりません。」


 おいおい、両方とも九重の爺様の商売敵じゃないの。まさかと思うけど、仄香(ほのか)のやつ、アルバイトで殺し屋でも始めたのかしら?


「こちら、スタジオです。新しい情報が入りました。警視庁によりますと、丸山(すぐる)氏の家で家政婦として雇われていた、三条満里奈さんが保護された模様です。繰り返します・・・。」


 テレビの画面に映った、非現実的な景色にお母さんも私も絶句していると、姉さんが二枚の皿を手にぼそりといった。


「パン、焦げてたよ・・・。それと、蛇口、水が出しっぱなしだったよ。」


 ◇  ◇  ◇


 南雲 千弦


 さて、今日は久しぶりに、仄香(ほのか)と一緒に師匠の家で魔術講義を受けることになっている。


 そういえば、私が作った新型の魔力貯蔵装置(バッテリー)を持ってきてほしいって言ってたっけ。

 本の悪魔の中に書いてあった、画期的な魔力総量の底上げの方法もいつか試してみたいな。


「来たよー!ししょー!いるー?遥香を連れてきたよ~!」


「お、来たか。今日は宏介がいなくてな。昼と夜は外食になるが構わないか?」


 なんだ、師匠ってば、宏介君がいないと料理をするのも面倒なのか。仕方がないなぁ。


「じゃあ、私が・・・。」


「健治郎おじさま。よろしければ、両方私がつくりましょうか?」


 仄香(ほのか)・・・なぜ私にかぶせるように・・・まあいいけどさ。


「いいのかい?そうか、遥香さんの手料理か。うん、楽しみだな。ぜひお願いするよ。」


 まあいいか。私の料理の技術は師匠仕込みだから、私が作ったって似たような味になるだろうしね。


 ん?あれ?そういえば、仄香(ほのか)の料理って・・・確か素材の味しかしないんじゃあ・・・?


《ちょっと待って!仄香(ほのか)さん!私が料理する!せめて味付けだけでも!》


 ・・・あ、遥香が慌てている。そんなに素材の味しかしないのか?まあ、食べられない料理は作らないと思うし、二人に任せておけばいいか。


 というわけで、なぜか師匠と仄香(ほのか)(味付けだけ遥香)の二人でキッチンに立っている。


 くそ、リア充どもめ。いつか私だって(おさむ)君と・・・。


「ところで遥香さん、この前、オヤジ・・・九重総理のところに来たジェーン・ドゥという魔女のことだけど、何か知ってるかい?」


 うぇ!?なぜ師匠がジェーン・ドゥのことを?それにしても、ずいぶん自然に聞いたな?そんなに気にもしていないのか?っていうか、いつ行ったんだ?


「ああ、それは私の一つ前の身体の名前ですね。最近その身体のコピーが手に入ったので、対外的にはその身体を使っています。和彦・・・九重総理を訪問する際にはそちらを使いました。健治郎叔父様もご覧になりますか?」


「なんだ、遥香さんの偽物か何かと思って心配しちゃったよ。というか、うちのオヤジ、遥香さん・・・魔女さんと知り合いだったのかよ。だったら先に言っておいてくれればよかったんだ。知らなかったから思わず銃口を向けちゃったじゃないか。」


「ふふっ。健治郎おじさま、とても格好良かったですよ。思わず惚れ直すくらいに。」


「はは、こんな年齢のおじさんに言っても何も出ないよ。でも、遥香さんの一つ前の身体か。ちょっと見てみたいな。」


《ねえ、千弦ちゃん。私たち、いったい何を見せられているんだろうね。》


《さあ?っていうか、遥香はだれか好きな人とかいないの?早いうちに言っておかないと、仄香(ほのか)さんが遥香の身体で師匠とくっついちゃうよ?》


《う~ん。健治郎さん、結構カッコいいからなぁ~。私も健治郎さんでもいいかなぁ?》


《マジか・・・。まさか、遥香のことを叔母さんと呼ぶ可能性があるとは思わなかったわ。》


《オ、オバサンって・・・》


 そんなことを話しているうちに、仄香(ほのか)はとんでもない手際の良さで魚を三枚におろしている。


 うわ、キュウリを切っている手元が見えない。

 っていうか、あの桂むきって、ほとんど向こう側が透けて見えるんですけど!?


《ね、ねえ、遥香。仄香(ほのか)の料理って、素材の味しかしないんだよね?料理がそれほど上手くないんだよね?》


《つーん。知らない。》


 うわ、遥香ったら叔母さんって言ったことを根に持ってるよ。

 ま、いいか。食べてみればわかるでしょう。


 ◇  ◇  ◇


 仄香(ほのか)の料理、というより、切ったお刺身は美味しかった。

 お味噌汁は遥香の味付けらしい。


 ・・・素材の味しかしないと言われて味付けのいらない料理に逃げたな。

 くそ、素材の味を生かした(笑)料理を食べてみたかったよ。

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