137 女子(男子)三日(六十年)会わざれば刮目して見よ
1月21日(火)
仄香
今日はエルリックの紹介で、日本の現職の総理に会いに行くことになった。
とはいえ、さすがに遥香の身体で会いに行くわけにもいかず、バイオレットの身体をリモートで動かしての訪問となる。
昨夜のうちに玉山の隠れ家からリリスにバイオレットの身体を運んでもらい、エルリックが用意した車にそれを乗せ、赤坂の高級ホテルに向かっているところだ。
《マスター。ソろそろ到着します。オ身体の制御をオ願いしてもよろしいでしょうか。》
《ああ。バックアップをよろしく頼む。だが何か事件が起きたときはバイオレットの身体の制御に注力できるよう、遥香にも頼んであるから安心しろ。》
《カシこまりました。では、制御をお渡しします。》
少しの浮遊感とともに、頭の中にもう一つの景色が広がる。
これは、車の中か。・・・日産のプレジデントだな。
2010年の夏に生産と販売が終了したと聞いていたが、まだ使われていたのか。
まったく、いい趣味をしている。
しかし・・・身体の制御がかなり難しいな。
仕方がない。遥香の身体の方は、自動書記術式で板書を写して、教師から指された時だけ反応するようにして・・・。
「ジェーン様。ようこそお越しくださいました。・・・どうぞ、こちらです。」
車がホテルの正面玄関前に停車しすると、正装を着た男たちが並び、その一人が恭しくドアを開け、手を差し出してくる。
その向こうには警護官だろうか。何人もの制服を着た男女が並び、地面には赤いカーペットまで敷かれている。
お、黒川がいた。やっぱり内調の人間まで駆り出されたか。突然の面会だったからな。
それにしても、まるでどこかの国家元首か、あるいは大国の王族を迎えるような力の入れようだ。
カーペットの向こうには、現職の総理大臣である九重和彦総理がこうべをたれ、私を出迎えていた。
「お久しぶりね。和彦。ごめんなさいね。美代の姿じゃなくて。元気だった?」
「おかげさまでこの通りです。お久しぶりです。美代様。ジェーン様とお呼びしたほうがよろしいですかな?ええ、美代様の身体を失われたことはアメリカ大統領から伺っております。それと、新しいお身体のことも。」
新しい身体といっても、この身体はジェーン・ドゥの身体ではなくてバイオレットの身体なんだがな。
説明すると長くなるからとりあえずおいておこうか。
「そう。あまり時間もないし、まずはお部屋まで案内してもらおうかしら。それほど手間は取らせないわ。」
前後に何人もの警護官、左右に複数の秘書やホテルマンを引き連れた一団は、ホテルのロビーからやたらと豪華なエレベーターを経由して、光り輝くシャンデリアで飾り付けられた、10メートル四方くらいの応接室のような部屋に移動した。
「まさか、あなた様からお声がかかるとは思いませんでした。さて・・・人払いは必要ですかな?」
「ええ。お願いするわ。とはいっても、あなたは一国の総理。護衛も必要でしょうし、できるだけで構わないわよ。」
「はは。あなた様を相手にして私の身を守れる者などいるはずがありません。逆に、あなた様の守りを突破して私を傷つけられる者などこの世にはいないでしょう。・・・ということだ。護衛は不要だ。全員出ていきなさい。」
ふふ。列車事故で潰れた車内で泣いていた子供が立派になったものだ。これだから人間は面白い。
人助けはしておくものだな。
和彦の言葉に逆らうものは一人もおらず、ぞろぞろと警護官や秘書たちは応接室を出ていく。
ありがたいことだ。
これから話す内容はこの国の行く末に直接影響することではないが、琴音や千弦の将来を考えれば、可能な限り内密にしておきたい。
「さて、念のため盗聴や盗撮対策もさせてもらうわね。・・・あら、すごいわね。盗聴器や隠しカメラが一つもないわ?」
探知系の術式を複数発動し、我々の会話や姿を捉えることが出来る機械や術式を調べたが、一つも反応がない。
おいおい、魔女がニセモノだったらどうするんだ。いくら何でも不用心だろうが。
「美代様。早速ですが、今回のご訪問、どういったご用でしょうか?お望みとあらば、我が国に存在するモノ、コト、私の力の及ぶ限り、何でもさせていただきます。」
だから、魔女がニセモノだったときはどうするんだよ。
危なっかしいな。
・・・あとで対策に何か渡しておくか。
「・・・いや、そこまで身構える必要はないわ。あなたのお孫さんが昔巻き込まれた事件について知りたいだけよ。」
「事件・・・千弦と琴音の件ですな?しかし、なぜそんなことを?なにか、あなた様のご機嫌を損ねるようなことがあったのでしょうか?」
あ、そういえば南雲仄香が魔女であり、千弦と琴音が魔女の血を引いていることを和彦は知らなかったんだっけ?・・・そうか、宗一郎殿はそれもまだ伝えていないのか。
じゃあ、エルリックと示し合わせたカバーストーリーで行こうか。
「千弦と琴音は私の三つ前の身体の時の子孫よ。南雲方の・・・サマール沖海戦で亡くなった南雲紀一という、若い水兵がいたわ。私の息子で、二人の高祖父にあたるの。たまたまエルリックが赴任した高校に私の子孫がいると聞いてね。驚いたわ。」
千弦や琴音と友人であることは伏せておこう。
二人のことはエルリックから聞いて初めて知ったということにして話を進める。
私の言葉に、和彦は絶句し、そしてゆっくりと涙を流した。
「そうでしたか・・・。いつか、再びあなた様にお会いするのが私の生涯の望みでしたが、よもや、ご親戚にまでなれるとは・・・。美琴のやつ、本当にやってくれた、よくやってくれた。」
「・・・?まあ、とにかく、本題に入るわよ。あなたの妹さんの和香さんから、千弦が倒れたことは聞いているかしら?」
「はい。原因不明の呪いのようなもので昏睡状態にあると聞きました。もしかして千弦を助けるために?」
「そうよ。昏睡の原因についてはもう判明してるわ。『本の悪魔』を知ってるかしら?」
「その存在だけは。我が家は代々、魔法使いの家系ですからな。得体のしれない魔導書にむやみに触れてはいけない戒めとして伝わっています。」
そういえば、九重家は魔法使いの大家だったな。
知っているのであれば話が早くて助かる。
「その本の悪魔のひとつ、『追憶の禁書』に千弦は触れてしまったらしいのよ。追憶の禁書は、魔法使いの魔法を糧に繁殖するタイプの本の悪魔ね。読んだ人間を眠らせ、悪夢を見せてそれに抵抗する際に発生する魔力や抗魔力を食らうのだけれど、被害者は人生で最も辛かった時の記憶を見せられるらしいの。」
・・・まったくもって悪趣味な話だ。
「では、千弦が琴音とともに誘拐された時のことですか・・・。あれは、本当にひどかった。もう一度、同じ悪夢を見せられるとは、なんと不憫な・・・。」
「最後まで悪夢を見せられた者は、本の悪魔の傀儡となり、その複製を作らされた挙句、一部の例外を除いて必ず死ぬことになるわ。」
「一部の例外?助かった者がいるのですか!?」
・・・助かった、というか、なかなか悪夢が終わらなくて、とうとう飽きて自爆しただけなんだけどな。
延々と数千年分の悪夢を見ていれば、どんな人間だってそのうち慣れてしまうだろうし、本の悪魔の見せる悪夢も処理落ちしまくってカクカクとしか動かなくなるし、何より飽きが来るだろうし。
っていうか、私は寝てても魔法が使えるから・・・。
ただ眠らされるだけならほとんど意味はないんだよな。
「例外には期待しないで。私の知る限り、一人しかいないし、結局ろくな目に合ってないし。とにかく、当時のことを可能な限り知りたいの。そこで、悪いんだけど魔法であなたの頭をのぞかせてもらえないかしら。どの情報を見るかについては、あなたの意思に従うから。」
さすがに一国の総理の頭の中を見せてくれというのは無茶な話だったか。
「よろこんで。いかほど時間を要しますかな?」
・・・まさか即答されるとは思わなかったよ。というか、お前の頭の中は国家機密のカタマリだろう?魔女なんかに見せちゃダメだろ?
まあ、そんなことも言ってられないか。
「そうね、必要な部分だけに限るから、5分もあれば十分よ。準備はいい?」
「いつでも構いませんぞ。」
なんでこいつ、こんなノリノリなんだろう?
まあ、和彦の意識を残したまま、秘密にしたい範囲は見ない程度に制御して・・・。
「ま、まあ、それなら・・・天空にありしアグニの瞳、天上から我らの営みを見守りしミトラに伏して願い奉る。日輪の馬車を駆り、彼の者の真実を暴き給え。・・・まさか、本人同意の上で強制自白魔法を行使する機会があるなんて思わなかったわ。あ、いけないけない、消音術式を展開。」
消音術式を展開したことで、和彦は口をパクパクと動かしているが、一切の声は聞こえなくなった。
情報は念話の形式で私の頭の中に複写されていく。
うん、この魔法、そろそろ音声と念話を分けたものを作るべきだろうな。
というか、コイツ、全部ぶっちゃけやがった。
どれだけ私のことを信用してるんだ?
時間にしてきっかり5分経過したところで、魔法を解除する。
必要な情報は読み取ることに成功した。
これで、次に遥香が千弦の精神に潜入したときに違和感の正体をハイライトできるはず。
「ありがとう。これで十分だわ。それにしても、和彦。あなた、よく汚職の一つもしないでここまで出世できたわね。いくら実家のパイプが太くても、なかなかない事だわ。」
というか、和彦のヤツ、私に会いたくて政治家になったのか。
魔女関連の調査で公安調査庁や内閣調査室まで動かしてやがる。
まあ、国防関連だから独断だと責めるヤツはいないようだがな。
そういえば、黒川のヤツ、内調の所属だったっけ。
かわいそうに、これでお役御免だな。
「おほめの言葉としてありがたくいただきます。またお会いできますかな?」
「そうね。もし困ったことがあれば、いつでも力になるわ。私に用があるときはコレを使いなさい。あなた自身の頼みであれば、戦争だろうが災害復興だろうが、何でも構わないわ。」
そう言ってあらかじめ作っておいた金属製の護符を和彦に手渡す。
遥香の入っている杖を作った時に貴金属やらレアメタルが大量に余ったからな。
念のために作っておいてよかったよ。
「おお。感謝いたします。では・・・。」
「ええ。今日のところはこれでお暇するわ。じゃあね。」
そう言いつつ、電磁熱光学迷彩術式を発動、続けて短距離転移術式を発動し、その場を後にする。
さて、必要なピースはそろった。いよいよ最後の勝負だ。
◇ ◇ ◇
行きはエルリックの用意した車を使ったが、帰りはさすがに追跡やら何やらがあるだろうから、電磁熱光学迷彩術式を使って直接玉山の隠れ家まで戻り、バイオレットのボディの制御をリリスに委ね、遥香の身体に帰還する。
ギリギリ昼休みには間に合ったようだ。
《あ。仄香さん、完全に帰ってきた。どうだった?何かわかった?》
いや、帰ってきたというか、遥香とバイオレットの両方の身体の制御をしていただけなんだけど、傍から見たら帰ってきたように見えるほど抜けていたか。
《ええ、千弦さんの身に何が起きたのか、第三者視点でよく分かりました。・・・ずいぶんとひどい目にあったみたいです。これは、悪夢を通り越して生き地獄といっても過言ではないかと・・・。》
《まさか、あの悪夢以上のことがあったの?じゃあ、まだ悪夢は完成しない・・・いや、でも・・・。》
遥香の言うとおり、本の悪魔が悪夢を完成させるまでにより多くの時間を要すれば、それだけ千弦の生存確率が上がることになる。
今日の精神潜入で勝負が決まると思っていたが、まったくもって不謹慎だが、少し猶予ができたと喜ぶべきか。
さて、昼休みは2組で千弦のフリをしている琴音と合流してお弁当を食べながら作戦会議だな。
ふふ。香織の作ってくれるお弁当はかなり美味しいんだよ。
いつもは遥香に身体を返すから自由に食べられないが、千弦への精神潜入の持続時間の関係でしばらくは遥香がこの身体の制御ができないこともあって、香織の弁当を一人で堪能できる。
今日こそはカタを付けてやる。そう思えばこの弁当がさらに美味しく感じるな。
ははっ。ちょっと不謹慎だったかな。
◇ ◇ ◇
久神 遥香
今日も授業が終わり、仄香さんが琴音ちゃんと一緒に千弦ちゃんが待つ病室へ向かう。
病室のドアを開くと、千弦ちゃんは昨日別れた時のままの姿でベッドに横たわっていた。
・・・昨日よりも少し、さらに苦しそうな表情をしている?
早く何とかしてあげないと、千弦ちゃんがかわいそうだ。
今日こそは違和感の正体、すなわち本の悪魔を捕まえなきゃいけない。
仄香さんは、ハイライト表示されるから見つけたらすぐに触るだけでいい、って言ってたけど、私はどんくさいから、それでも分からなかったらどうしようかと心配になる。
「さあ、遥香さん。準備はよろしいですか?」
ええい、やるっきゃない!
《準備OKだよ!》
仄香さんが私と琴音ちゃんに確認した後、手慣れた手つきで精神干渉術式と精神潜入術式を敷くと、私の意識はかすかな浮遊感とともに千弦ちゃんの中に吸い込まれていった。
・・・また廃墟のような倉庫の中だ。これは、昨日の場面の続きか。
壁際には大きな千弦ちゃんが妙にドヤ顔をして立っている。
なぜドヤ顔?
「うっ・・・く、くぅ・・・」
「シクシク・・・姉さん、ごめん、ごめんなさい・・・。」
顔が変形するほど殴られ、何日もトイレにも行かせてもらえず、全身が血と汚物でドロドロになった千弦ちゃんと、まだケガ一つなく、水や食料も与えられ、トイレにも行かせてもらっている琴音ちゃんがあまりにも対照的だ。
だが、千弦ちゃんの様子が変だ。これ、もしかして違和感?
そう思って、痛みに耐えているような顔をしながらモゾモゾと動いている千弦ちゃんを覗き込むと、その手に握ったガラスの破片で、彼女の両手を縛った縄をゴリゴリと削っていた。
うわ、指や手首が傷だらけだ。ひどく出血して、大変なことになっている。これじゃあ、犯人たちにすぐにバレちゃうんじゃ・・・。
あれ?でも千弦ちゃんの全身はすでに血まみれで、手首からの出血もあまり目立っていない?
・・・まさか!?
小学校低学年くらい、おそらくは2年生くらいの女の子が、まさかこれを隠すためだけに血まみれになったの!?
おどろきのあまり、後ろに後ずさった瞬間、ブチっという、かすかな音とともに彼女を縛り上げていた縄がはらりとその場に落ちた。
「ふ、ふふ、はは。これで二手目。いくらウンチとオシッコで汚いからって、身体検査をしないなんてシロウトもいいとこだわ。」
小さな千弦ちゃんはそうつぶやくと、小さな琴音ちゃんの縄を注意深く、かつ素早くガラスの破片で切断し始めた。
あっという間に縄が切れて琴音ちゃんの両手は解放された。
「姉さん・・・?」
「静かに。いい?私がいいって言うまで声を出しちゃダメ。手を後ろに回したまま、縛られたふりをしていて。」
千弦ちゃんはその身を素早く翻し、倉庫の入り口の床に、残ったガラス片で何かを刻み始める。そして、さらにその上に自分の血で何かを書き始めた。
これは・・・術式?それとも魔法陣?
「・・・よし、これが三手目。試してる暇はないわ。お願い、ぶっつけ本番だけど、ちゃんと動いてよ・・・。」
千弦ちゃんが縛られて転がされていた位置に戻り、数分が経過する。
すると、倉庫の入り口あたりからおそらくは二人の男の声が聞こえてきた。
「クソが!あのジジイ、とうとう法案を出しやがった!アイツ、孫の命なんてどうでもいいのか!そんなに俺たちをこの国から追い出したいのか!」
「どいつもこいつも、この国の法だの習慣だの、俺たちに押し付けやがって!日本の法なんて知るか!神の言葉を何だと思ってやがる!」
男たちは激高しているようだ。乱暴に倉庫の扉が開かれ、拳銃や先のとがった鉈のような刃物をもった二人の男が倉庫に足を踏み入れる。
「・・・よお。ガキども。お前たちの爺さんは孫の命よりも俺達を追い出す方が大事だってよ。とりあえず一人。家に帰してやるよ。・・・少しずつな。」
銃を持った男がそう言うと、刃物を持った男がニヤニヤと笑いながら千弦ちゃんに近づく。
「さ、どこから帰りたい?足か、それとも手か?ちょっとずつで指にしようか?一本ずつ、ゆっくりと帰してあげよう。いや返してかな?」
・・・こいつら、千弦ちゃんを殺してバラバラにして帰す、いや、返すつもり!?
二人の男が完全に倉庫に入り込んだ瞬間、千弦ちゃんが大声を張り上げる。
「一番、起動!」
次の瞬間、バチン!とまるでブレーカーが落ちたときのような音がして、男たちの身体に青い火花が散る。
「ギャア!」
「ガッ!・・・く、この、ガキ、なにを・・・。」
刃物を持った男はその場に崩れ落ちたが、銃を持った男はかろうじて耐えたようだ。
「二番、三番起動!四番、五番起動!」
千弦ちゃんが力強く叫ぶ。
すると、足元から風のような何かが巻き上がり、二人の男の肌を切り刻む。そしてその身体の表面を炎のようなものが舐め上げ、続けてその身体を天井に叩きつけた後、土でできたツタのようなものが雁字搦めに縛り上げた。
「ふふふ、まさか全部の術式が問題なく作動するなんて。運が良かったわ。・・・これ、危ないから預かっておくわね。」
千弦ちゃんはズタボロになった身体で堂々と立ち、二人の男を見下ろす。その手には、片方の男が持っていた大きな拳銃が握られていた。
「さ、琴音。逃げるわよ。・・・大丈夫、お姉ちゃんに任せなさい。」
千弦ちゃんは、驚いたまま動けない琴音ちゃんにそっと手を伸ばす。その顔は、とても誇らしそうだ。
「姉さん、すごい。・・・あっ。」
短く琴音ちゃんが声を上げた瞬間、千弦ちゃんの身体は宙を舞っていた。
刃物を持っていた男がいつの間にか起き上がり、彼女の背中を頑丈なブーツのような靴で思いっきり蹴り上げたようだ。
「ギャン!」
千弦ちゃんが鋼鉄製の棚に叩きつけられ、車に犬がはねられた時のような声を出す。
棚からアンティークな本が一冊、薄い光を纏いながら床に落下する。
・・・ん?いま、ものすごい違和感があった!?
「キサマ!何をしやがった!殺してやる!二人とも今すぐにバラバラにしてやる!」
男は刃物を振りかざし、無事な方の琴音ちゃんに切りかかった。
「ダメ!」
千弦ちゃんの叫び声とともにパン、という乾いた音がした。続けてパン、と合計2回。
「こ、この、ガキ・・・。」
男はそれだけ言うと、その場に崩れ落ちた。
床に大量の血が広がっていく。
千弦ちゃんの手の中から薄い煙が上がっている。
拳銃だ。千弦ちゃんが拳銃を撃った音だったんだ。
男の首の後ろに一か所、少し大きめの穴が開いている。
かなり強い拳銃だったんだろうか、その後ろには血やら肉片やらが飛び散っている。
「・・・あ、わたし、人を・・・殺し・・・あ、あ、うわぁぁぁぁ!」
千弦ちゃんは銃を構えたまま、言葉にならない叫びをあげている。
銃を持っていた方の男も意識がもどったのか、うめき声をあげて立ち上がる。
「う、何が・・・このガキ!まさかてめぇ!」
男はものすごい形相で、千弦ちゃんに襲い掛かる。
「あああああ!」
パン、と再び銃声が響き渡る。
千弦ちゃんの、しっかりと構えられた拳銃から、男の眉間に銃弾が吸い込まれる。
男の頭の後ろ半分がザクロのように砕け、血や肉片、脳漿がまき散らされる。
「うぷ、う、うげぇぇぇぇ!」
千弦ちゃんはその場で嘔吐するが、飲まず食わずのせいで胃液しか出てこない。涙やら唾液やら胃液やらで、顔じゅうがひどく汚れている。
「ね、姉さん・・・。」
琴音ちゃんは千弦ちゃんに飛びつき、その身を心配するが、胃の中の胃液をすべて出し尽くした千弦ちゃんは、歯を食いしばってゆっくりと起き上がり、袖口で涙と血と吐瀉物で汚れた顔をぬぐい、反対の手で琴音ちゃんの手を引いて倉庫を飛び出した。
私はそれを見送りながら、倉庫の中に視線を戻す。
床に落ちた、アンティークな本からうっすらと光が漏れている。
・・・なんでこんなところに?それに、今まで見た場面のすべてに、この本があったような気が?
そっと本に手を触れる。
・・・触れた?
そうか、これが本の悪魔か!
「見つけた!違和感!見つけた!」
そう叫びながら、両手でその本を取り押さえる。
ところが、本からパチンという電流のようなものが放たれ、同時に周囲の景色が暗転し、場面が切り替わっていく!
痛い!でも死んでも放すもんか!
「この!逃げないで!待ちなさい!」
く、手、手が・・・。
場面が切り替わる中で、私の両手はまるでバグを起こしたゲーム画面のように、崩れたピクセルのようになっていた。
◇ ◇ ◇
・・・新しい場面か。これは・・・どこかの山の中の、廃品回収業者の敷地?近くを走っているのは・・・うん、見覚えがある。これは多分、第三京浜道路だ。
あたりは日が落ちて暗くなり始めている。
だが、さっきの場面からほとんど時間が経過していないようだ。
ということは、ここは川崎か横浜の山の中?
目の前を、小さな千弦ちゃんに手を引かれて、琴音ちゃんがよたよたと走っていく。
二人とも、何日もろくな食事もとっていないようだ。
千弦ちゃんの右手には、さっき犯人を撃った銃が握られている。
いや、ビニールヒモか何かでぐるぐる巻きに留められている。
あれは・・・リボルバーとか言うやつだ。
「ガキが逃げたぞ!くそ、佐藤と田中が殺された!」
「捕まえろ!撃ち殺せ!日本人のメスガキが!殺してから犯してやる!」
犯人たちの残りだろうか。よく見ると、倉庫にいた残りの二人だけではなく、他にも銃を持った男たちがうろついているようだ。
ガラクタの山の中、千弦ちゃんは琴音ちゃんを抱きしめながら、中身の入ったままのごみ袋を被って身を潜めている。
「くそ、どこにいやがる!ヤードの出口を固めろ!絶対に生きて帰すな!」
男たちは、血眼になってそこらじゅうのガレキをひっかきまわし、二人を探している。
ふと見ると、大きな千弦ちゃんが、二人をかばうように立ち、男たちを睨みつけている。
彼女にとってみれば、たとえ悪夢の一場面でも琴音ちゃんを守りたいのだろう。
だが、やっぱりこれは悪夢に過ぎない。大きな琴音ちゃんの願いもむなしく、男の一人、おそらくは二人をさらった時の一人がガレキを持ち上げ、二人を見つけてしまった。
「いたぞ!殺してやる!」
男がそう叫んだ瞬間、小さな千弦ちゃんは恐ろしく冷たい顔で男の胸のあたりに銃を向け、引き絞るように二度、引き金を引いた。
一発目の銃弾は男の腹に、二発目の銃弾は胸のあたりに吸い込まれ、男が後ろ向きに崩れ落ちる。
「殺したか!おい・・・。てめえ、よくも!」
男の一人が、怒号を上げながら、両手で持つくらい大きな銃を持って二人に近づいた。
千弦ちゃんは琴音ちゃんを背後に隠しながら、引き金を引く。
カチンっと情けない音が響く。どうやら、弾切れのようだ。
「くそ、驚かせやがって。よくも俺たちの仲間を三人も殺しやがったな。生かしたまま全身の皮をはいでやる。その皮にはらわたを詰めて、母親のところに送ってやる!」
男たちの怒号や、すぐ近くの第三京浜道路を走る車の騒音の中、かすかにカチカチという音が聞こえた気がした。
千弦ちゃんの歯が、鳴っている音だ。
もうだめだ。だが、男が千弦ちゃんにゆっくりと手を伸ばした瞬間、どこからともなく、バスッ、バスッという、鈍く、それでいて腹に響くような音がした。
「なんだ?うっ!?」
「敵か?警察・・・!ぐっ!?」
男たちがバタバタと倒れていく。ほとんどの男たちが、どこから何をされているのか分からないまま倒れていく。
千弦ちゃんは目を丸くしていたが、拳銃を構え、震える手は降ろさない。もう、弾はないのに。
どれほど怖かっただろう。どれほど辛かっただろう。
よく見れば、千弦ちゃんのスカートの裾から、かなり濃い黄色の液体が流れ出ている。
「クリア。三上。二人は無事か?」
「こちらもクリア。・・・命には別条はないようです。ですが・・・。」
千弦ちゃんは、まだ拳銃を構えたまま、カタカタと震えている。視線は宙を泳ぎ、焦点は定まっていない。
「これは・・・ひどいな。君は千弦ちゃんでいいかな?それとも琴音ちゃん?お兄さんは高杉って言って、君のおじさんの九重健治郎さんの後輩なんだ。昔、駐屯地のお祭りで会ったことがあるけど覚えてるかい?君を助けに来た。銃を下ろしてもらえるかな?」
高杉と名乗った男は、顔を隠していた黒いマスクとゴーグル、そしてヘルメットをゆっくりとぬぐ。
「・・・高杉のおじちゃん。・・・ぼんおどりの上手な・・・。助けに、来てくれたの・・・?」
千弦ちゃんはゆっくりと拳銃を下ろし、そしてそのまま崩れ落ちた。
「おっと!・・・気を失ったか。相当気を張り詰めていたんだろうな。この小さな体で・・・。いかん、右手がうっ血してる。三上君、ナイフを!・・・よく頑張った。あとはお兄さんに任せなさい。」
三上さんがナイフを使い、ビニールヒモを切って千弦ちゃんの手から拳銃を取り上げる。
「中尉。調べてきましたが、我々が射殺した以外に倉庫内で二人の死体がありました。おそらく、この子が・・・。この男と合わせると、三人を撃ったようです。まったく、勇敢な子供ですね。」
「ああ。さすがは九重先輩の姪御さん。・・・ん?警察の連中、いまさらかよ。とりあえず二人を連れて撤収するぞ。鹵獲した銃器はこの場で投棄する。二人の応急処置はピックアップポイントについてからでも間に合いそうだ。」
すでに意識を失った千弦ちゃんと、カタカタと震え続ける琴音ちゃんを抱き上げ、高杉さんと三上さんは素早く薄暗がりに向かって走り出した。
数分ほど遅れて何台ものパトカーがガラクタ置き場に入ってきて、警察官が車から駆け降りる。
・・・せめて、もう30分早く来てくれたら千弦ちゃんは人殺しにならなくてすんだのに・・・。いや、銃声を聞いた近隣の住民が通報したのなら、どちらにしても間に合わなかったか。
いけない!本の悪魔は!
・・・そうか、この場面を次に選んだのは、あたり一面ガラクタの山、西日が当たってガラクタの中のガラスや金属がキラキラと光っているから、自分の姿がハイライトされてても目立たないだろうって考えたのね!?
自分の身を守るために千弦ちゃんの悪夢を利用するなんて、さすが悪魔だわ。
でも、二人が助かってよかった。
そう思いながら、視線をガラクタの山に戻すと、大きな千弦ちゃんが唇をかみしめ、親の仇を見るかのような、あるいは汚物にたかるゴキブリをみるような顔で、遅れて到着した警察官たちを睨みつけていた。