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135 幼く、そして大きな覚悟

 1月18日(土)


 南雲 千弦


 ここはどこだろう?

 さっきまで(おさむ)君と一緒に図書館の書架を片付けていたはずなんだけど、その後どうしたんだっけ。


 周囲を見渡すと、私は子供のころよく遊んだ覚えのある、小さな公園のベンチに座っていることに気付いた。


「うわ~。懐かしい。あの箱型ブランコ、シーソーにジャングルジム・・・まだ残ってたんだ。」


 花壇にはマリーゴールドやチューリップが咲いている。

 1月に咲く花ではないような気が・・・それに、薄着なのにかなり暖かい。


 燦燦と輝く太陽によって作られた影は、北から少し東寄りにずれていて、のどかな初夏の昼下がりといった言葉がよく似合う公園の風景として地面に溶け込んでいた。


「・・・あれ?おかしいわね。この公園、確か去年、遊具を撤去して非常用倉庫を建てていたような気が・・・?」


 さっきから妙に思考がはっきりしない。

 まるで夢を見ているような気分だ。


 ボーっとする頭をかしげながら公園のベンチに座っていると、目の前を小学生低学年くらいの一組の双子が笑いながら駆けていく。


 その双子は顔や体格どころか、声やしぐさまでほとんど同じで、着ている洋服や靴に至るまで揃えられていた。


 きっとこの子達の両親は、娘たちが双子であることに相当の喜びを感じているに違いない。


 二人とも、肩からおそろいの黄色いバッグを下げている。

 きっと、中に入っているハンカチやティッシュもおそろいなのだろう。


「ちょっと待ってよ、琴音~。」

「あはは、待たないよ~。姉さん、こっちこっち。」


 どこかで聞いた名前だ。

 あれ?この声も聞き覚えが・・・。


 いくつかの遊具で楽しそうに遊んでいる双子を見て、なぜか懐かしい気持ちでいっぱいになっていると、公園の入り口に黒い一台のワンボックスカーが停まり、中から三人の男が一斉に飛び出してきた。


 男たちは真冬でもないのに黒いジャンバーと手袋をしており、顔はサングラスと目出し(バラクラバ)帽のようなもので隠している。

 ・・・うわ、あれ、暑くないのかな。


 そんな場違いなことを考えているうちに、男たちはシーソーで遊んでいた双子に襲い掛かり、肩に担ぎ上げて車に乗り込んでいく。


「琴音から離れてよ!この変質者!」

「姉さん!きゃあぁぁぁ!」


 幹線道路から離れ、都会の喧騒が届かない公園の中、双子の悲鳴が響き渡る。

 白昼堂々、都会の中の緑豊かな公園の、大人が一人もいなくなる瞬間を狙った誘拐だ。


 双子が遊んでいたところに、黄色いバッグが一つ落ちている。

 あれ、どっちの子のバッグなんだろう?いや、そもそも区別つかないか。


 私の目と鼻の先で繰り広げられる誘拐事件にも関わらず、あ~、そんなことあったっけなぁ、などとベンチに座り続ける私と、真横に目撃者がいるのに全く気付かない犯人たちがとても間抜けに感じられた。


 ◇  ◇  ◇


 なんだかなぁ・・・。そんなことあったっけなぁ・・・。と思いながら視線を地面に落とした瞬間に、どこかの倉庫のようなところに場面が移り変わった。


 ・・・あぁ。やっぱりこれは夢だったんだ。長距離跳躍魔法(ル〇ラ)も使ってないのにいきなり景色が変わるなんて、夢以外にはありえない。


 誘拐犯の一人が双子の片方が肩から下げているバッグを奪い取り、小さな段ボール箱のようなものに妹の泣きじゃくる顔や、姉の殴られて腫れあがった顔の写真と何かを要求する手紙と一緒に入れて乱暴にガムテープを張っている。


 そうか。これは営利誘拐か?

 でも、あれ?

 何か大事なことを忘れているような気がする。


 ・・・二人そろってお気に入りのバッグを失くして悲しかったのか、それとも姉が殴られたのがショックだったのかは分からないが、妹はずっとシクシクと泣いている。


 姉の方は口を真一文字に結んだまま、頬を腫らして男たちを睨み続けている。


 そして生意気だと言われて殴られる。あとは繰り返しだ。

 可愛かった顔は見る影もなく腫れあがり、無傷である妹との違いがまるでビフォアアフターみたいだ。


 かわいそうに。

 そうは思うけど、なぜかそれを見ている私の心は冷え切っている。


 どうせこいつらは死ぬんだ。


 テロリスト気取りのくだらない誘拐犯の連中は、まともに捜査もしなかった警察や双子の家族に対してくだらない要求をした後、自分たちの主義や主張を公表しようとするけど、何もできずに情け無い死に方をするんだ。


 だから、何もせずこのまましばらく見ていよう。


 ◇  ◇  ◇


 仄香(ほのか)


 図書館で千弦が倒れたのを聞きつけ、慌てて現場に駆け付けたところ、非常に危険なシロモノを枕にして寝かされていたのには心底驚いた。


 琴音と別れて、メネフネに遥香の部屋まで例の本を持ってきてもらい、厳重に結界を展開したうえで術式をさらに発動する。


術式束(パッケージ)12,780,049を全力発動、続けて解析、鑑定術式を発動。」

 精神防御、物理防御、霊的汚染妨害に抗呪抗魔力術式を全力発動した上で解析を行う。


 ・・・やはり、本の悪魔か。それも、かなり悪質なやつだ。

 魔法使い殺しとも呼ばれるこの本、いや、悪魔は、時々思い出したかのように世界中の本棚の中から発見される。


 魔法が使えるほどの魔力を持たない人間にとっては古ぼけた本にしか見えないのだが、こいつはれっきとした、人の魔力を食らって生きる器物の皮を被った悪魔だ。


 こういった連中の原産地、いや、本来の生息域は魔力溜まり(ダンジョン)だ。


 人間が暮らしていた場所が魔力溜まり(ダンジョン)化した際に、そこにあった本や日記、絵画といった、かつては人間が情念を焼き付けて作成したものが悪魔と化すことによって発生する。


 怪異としてみれば、人間の想念から発生している点においては、繁殖することをのぞけば付喪神に非常によく似た存在だ。

 ミミックなどはその代表格だな。


 そのままでは生物本来の代謝機能を持たないため、人工的に作られた魔法生物とは違って、何らかの方法で魔力を持つ人間や大型の怪異などの高い魔力を有する者に寄生し、あるいは捕食し、繁殖しようとする。


 とくに、この本の悪魔というやつは(たち)が悪い。

 難解な魔導書や宝の地図のような姿を取り、手に取った者の魔力を様々な方法で吸い取ろうとする。

 しかも、中に書いてある内容の真実性が相当に高いため、本の悪魔だと知っていてなお、読んでしまう魔法使いまでいるという。


 もちろん、中には読者を害さず、魔力と引き換えに何らかの魔法を授けたり、何らかの魔術の媒体として働く“殊勝な”本の悪魔もいることはあるが、そんなものは全体のごく一部だ。


 今回確保したこいつは、追憶の禁書と呼ばれるタイプの本の悪魔だ。


 まずは自分を手に取った魔法使いなどを眠らせて寄生し、自分のコピーを被害者の精神に転写し、その過程で被害者の人生で一番辛かった記憶を悪夢のような形で想起させる。


 そして被害者がその悪夢に抵抗しようとして出力した魔力や抗魔力、さらには人格情報や記憶情報を維持するための魔力まで食らいつくして精神的に衰弱させ、傀儡とする。


 最後に転写されたコピーの身体となる本を宿主に作成させて繁殖し、オリジナルとコピーを次の獲物のところに運ばせて、死に至らしめる。


 ・・・宿主の行動を操る点では、カタツムリにも似たような寄生虫がいたっけな。ロイコクロリディウムとか言ったっけ?

 それともウィルスに近いか?


 とにかく、最大の問題は、本の悪魔の催眠は魔力的に対抗することが難しいということだ。

 理由はいまだに分からないが、一度眠らされてしまうと、身体がある限り、自爆以外の方法ではほとんど自力で解除できないのだ。


 実際に私でも、周囲に被害を出さずにコイツの催眠を突破するのは難しい。


 もし、攻撃魔法以外の魔法で対抗するならば、元素精霊(エレメンタル)魔法(マジック)で覚醒剤を合成し続けるくらいしか方法がない。


 しかも悪夢の世界に引きずり込まれると、例え誰かが本の悪魔を殺しても自力で夢から覚めることはできないというおまけつきだ。


 まさに魔法使いの天敵ともいえる存在だ。だが、今回に限り、こちらには切り札といえる者がいる。


 魂と幽体しかなく、睡眠をとる必要がない遥香はこいつの天敵と言っても過言ではない。

 身体がない相手には、どうあがいても夢を見せることはできないからな。


「メネフネ。隠れ家(セーフハウス)で残りの解析を任せてもいいかしら?魔力回路(サーキット)を一つ接続しておくわ。」


「お任せクダサイ。マスター。明日の朝までには完了シマス。」


 さて、オリジナルの方はメネフネに任せておけばいいだろう。

 だが、すでに千弦は眠らせられている。

 おそらくはコイツのコピーがすでにその精神に侵入してしまっているだろう。


 急いで千弦のところに行ってやらなければ。

 早くしないと、コイツのコピーに魂を侵食されてしまうだろう。


 それに今回は遥香に頑張ってもらわなくてはならない。

 しっかりとバックアップするが、初めてのことだ、どんなミスがあるか分からないからな。


 とにかく移動しながら説明をするか。

 私は急ぎ、壁に立てかけてあった遥香が入っている杖を握り、部屋を飛び出した。


 ◇  ◇  ◇


 長距離跳躍魔法(ル〇ラ)を使って向陵大学病院の裏にある職員用駐車場に降り立ち、琴音に念話を送る。

 解析に時間がかかってしまったせいで、時計の針は0時を過ぎて日付が変わってしまっている。


《今、病院の裏に到着しました。そちらの様子はどうですか?》


《あ、仄香(ほのか)!姉さんなら今、高度治療室(HCU)から個室に移ったわ。前に私が入院していたのと同じ病室よ。容態のほうは、意識レベルは300、痛みや刺激に対する反応は皆無ね。CTは異常なし。脳波の方は4Hz未満の緩やかな基礎律動が出現しているところを見ると、深睡眠をしているみたいなんだけど、何も分からないわ。》


 やはり、何かの悪夢を見せられているか。


《分かりました。今向かっていますので、身体の管理はよろしくお願いします。》


《わかったわ。》


 念話越しに琴音の心配そうな思念が流れてくる。今回は派手な攻撃魔法をぶっ放してどうにかなるものではない。


 とくに単純な力技ではどうにもならない以上、慎重に事を運ばなくてはならない。

 歩きながら杖の中の遥香に語りかける。


《遥香さん。聞こえますか。》


《聞こえるよ。さっきからずっと見てたから状況は大体わかってると思う。本の悪魔だっけ?魔女のライブラリの該当箇所は読み込んでおいたよ。》


 ・・・驚いた。遥香はそれほど自由にライブラリを閲覧できるのか。ならば話は早い。


《それならもうご存じだとは思いますが、今回、遥香さんには千弦さんの心の中に入った本の悪魔のコピーを倒してもらいます。万全のバックアップをしますが、やってもらえますか?》


《もちろんだよ。みんなにはいつも助けてもらってばかりだからね。私だってたまには活躍したい!》


《ありがとう、遥香さん。恩に着ます。じゃあ、早速手順を・・・。》


 病室に向かいながら遥香に念話で一通りの説明をする。

 遥香。本当にすまないが今回はお前が頼りだ。よろしく頼む。


 遥香に一通りの説明を終え、琴音が待つ病室の扉を開けると、そこには心配そうな顔をした琴音と、苦悶の表情を浮かべて眠る千弦の姿があった。


「遅くなりました。琴音さん。・・・他の医師の方は?」


「今回は和香(のどか)先生に無理を言って席を外してもらっているわ。もちろん、必要に応じてすぐに来てもらえるようにしてあるから安心して。それで、これからどうするの?


「まずは、念話のイヤーカフで情報一式を送ります。安定したところに座ってください。・・・少し気分が悪くなるかもしれませんが、かまいませんか?」


「え?イヤーカフで情報?そんな機能まであったんだ。わかったわ。準備OKよ。」


 琴音がベッドサイドのパイプ椅子に座ったのを確認し、魔女のライブラリから本の悪魔とその対処法についての情報を転送する。


 通常であれば情報を受け取った者に負担がかかるのであまり多用はしないが、今回は情報を正確に共有する必要があるため使わせもらうことにした。


 時間にして3分くらいだろうか。

 琴音の顔色が少し悪くなり、軽い乾嘔(からえずき)を数度繰り返すが、頭を振り、目を開いた。


「ふう・・・。状況は大体わかったわ。姉さんが今どんな状況なのか、それから遥香が姉さんの精神に潜入して本の悪魔のコピーを退治することとか・・・。まったく、本の悪魔なんて冗談じゃないわよ。これから安心して本を読めなくなったらどうしてくれるのかしら。」


 琴音は肩を震わせて憤慨しているが、全くその通りだ。

 こいつらがいるせいで、魔力溜まり(ダンジョン)で発見した魔導書の類いを安心して読むこともできない。


 あの子を探し出して、悠々自適な生活を送れるようになったら世界中の本の悪魔を燃やしてやろう。

 だが今はまだその時ではない。


「お伝えした通り、遥香さんが千弦さんの精神に潜入し、元凶となっている本の悪魔のコピーを探します。見つけ次第、強制忘却魔法を応用して局所的に消去(デリート)をかけます。」


「遥香、大丈夫かな?危険はないの?」


「はい。本の悪魔は肉体を持たない相手に対しては物理的な攻撃を行うすべがありません。それに、万が一、情報戦が開始されたとしても、私の情報処理能力が本の悪魔如きに負けることはあり得ませんから。」


仄香(ほのか)さん、すごい自信だね。えぇと、その情報戦ってのは何?》


「コンピュータ同士のハッキング合戦のようなものだと思ってください。遥香さんが千弦さんの精神に潜入した後は、琴音さんは千弦さんの身体の管理を、私は情報管理を行います。あまり時間がありませんのですぐに始めます。琴音さん、遥香さん。準備はよろしいですか?」


「ええ、いつでも大丈夫よ。」

《私も大丈夫、準備OKよ!》


 二人の準備を確認した後、素早く病室内に精神干渉術式と精神潜入術式を敷き、さらに複数の防御結界を発動する。


 さあ、本の悪魔よ。誰を敵に回したか思い知るがいい。


 ◇  ◇  ◇


 久神 遥香


 いま私は仄香(ほのか)さんの魔法の力で、千弦ちゃんの精神の中に飛び込んでいた。


 仄香(ほのか)さんから、周囲をよく観察して、とにかく違和感があるモノを探してソレに触れと言われたが、違和感・・・私にわかるだろうか?


 とにかく、私が触りさえすれば仄香(ほのか)さんからの情報的な攻撃が発生することになっている。

 私のするべきことは、千弦ちゃんの悪夢を追いかけて、それが完成する前に違和感のあるモノに触ることだけだ。

 ・・・悪夢が完成すると、千弦ちゃんは魂まで浸食されてしまって助からなくなるから、とにかく急ぐ必要がある。


 杖の中に作られた仮想空間の私の部屋から、一瞬で公園のようなところに移動する。


 初夏の昼下がり、燦燦と輝く太陽に照らされた、最近では見なくなった遊具が並ぶ、小さな公園だ。

 公園の横に粗大ごみの収集場所があり、中身の入った本棚や骨とう品のようなものが積まれていることを除けば、まさに理想的な風景だ。


 ベンチにはポツンと千弦ちゃんが座っている。

 その前を双子が楽しそうに駆けていく


「ちょっと待ってよ、琴音~。」

「あはは、待たないよ~。姉さん、こっちこっち。」


 あの双子は、琴音ちゃんと千弦ちゃんの小さなころの姿だろうか。おそろいの服を着て、楽しそうにシーソーで遊んでいる。

 これが悪夢なの?懐かしいような、うらやましくなるほど幸せそうな夢じゃないの?


 そう思って首をかしげていたら、突然停まった黒い一台のワンボックスカーから三人の男が飛び出してきた。


 映画などでよく見る、目の部分だけが切り取られている黒い帽子とサングラスをかけている。

 男たちはあっという間に小さな琴音ちゃんと千弦ちゃんに襲い掛かり、二人を担いで車に運び込んだ。


「琴音から離れてよ!この変質者!」

「姉さん!きゃあぁぁぁ!」


 担ぎ上げられた千弦ちゃんが激しく抵抗し、犯人の一人頭を蹴ると、蹴られた男は怒ったのか、千弦ちゃんを車のドアの(へり)に強く叩きつけた後、何度も何度も殴っている。


「もうやめて!誰か!助けて!・・・誰も来ない?・・・そっか、これ、現実世界じゃないんだった。」

 そう、これは過去に起こったであろうこと、そして、千弦ちゃんの記憶。


 双子が遊んでいたところに、黄色いバッグが一つ落ちている。

 思わず拾い上げようとするが、手がすり抜けてしまって触ることができない。


 ふと、ベンチのほうを見ると、先ほどまで座っていた大きな千弦ちゃんの姿はなく、きょろきょろとあたりを見回しているうちに周囲の景色が暗転し、廃墟のような倉庫の中に場面が切り替わった。


 ◇  ◇  ◇


 ・・・4人の男たちが何か、話している。

 1人増えたのはさっきの車の運転手かしら?


「まさか、政治家の家族に警護もつけていないとはな。仮にも与党の幹事長だろ?油断しすぎじゃないか?それとも、さらう相手を間違えたか?」


「いや、さっきガキどもから取り上げたバッグの中から出てきた迷子札には南雲って書いてあったぞ。九重幹事長の孫で間違いないだろう。」


「とにかく、計画通りに身代金要求書を出すぞ。写真は撮れたか?」


「ああ。・・・だが片方のガキが暴れたせいでな。思わず殴っちまったから顔がボコボコだ。九重のクソジジイがキレやしないか?」


「孫娘をさらわれたんだ。すでにキレてんだろ。双子の区別がついて良かったじゃねぇか。ほれ、犯行声明と身代金の要求の文面、作っといたぜ。」


 男たちは下品な笑い声をあげながら、小さな二人から取り上げたバッグと二人の写真と、パソコンに接続したプリンターで印刷した手紙を段ボール箱に入れた。


 指紋がつかないように外科用の手袋をし、唾液がつかないようにマスクをつけ、繊維鑑定や毛髪鑑定ができないようにガムテープで袖口や襟を押さえたレインコートを着ていたから、この箱から犯人たちにつながる証拠は出ないかもしれない。


 バッグを奪われないように抵抗したからだろうか、二人のうちの片方がひどく殴られていて、顔のいたるところにアザがあり、唇が切れ、鼻血を流している。


「うっ、うっ・・・。姉さんが死んじゃう・・・。もうやめてよ・・・。」


 殴られていないほうの子が、か細い声でしくしくと泣いている。


 ・・・姉さん・・・そうか、殴られているほうが千弦ちゃんか。


「琴音、大丈夫。私に任せて。秘密の作戦があるんだから。」


 二人とも後ろ手に縛られているせいで千弦ちゃんの血だらけの顔面を拭くことも出来ず、床には小さな血だまりまでできている。

 よく見れば、可愛いおそろいの黄色いワンピースが、千弦ちゃんの方だけ血でドロドロになっている。


 しばらくして、一人の男が立ち上がり、箱を持って倉庫を出ていく。


「おい、鈴木。銃は持つなよ。職質にあってとっつかまりゃあ、すべてがパアだ。くれぐれもわかってるな?」


「ちっ・・・。わかってるよ。くそ、なんだっていつも俺ばっか危ない仕事をさせられんだよ。」


 鈴木と呼ばれた男が倉庫を出ると、大柄な男が千弦ちゃんを見下ろし、いきなり蹴り飛ばした。


「睨んでんじゃねぇよ!さっきからムカつくんだよ!クソガキが!お前のジジイのせいで俺たちはこの国から出ていかなきゃならなくなったんだ!クソが!生まれてからずっと日本にいたのに、今更国に帰れたぁ、ふざけてんのか!俺たちは日本語しかわからねぇよ!」


 喚き散らしながら蹴り、踏みつけ、引き起こして鋼鉄製の棚に叩きつける。

 叩きつけられた棚から、工具やら骨とう品やら、アンティークな本やらがその場にぶちまけられる。


 5分ほど殴り続けただろうか、男は自分の両手が千弦ちゃんの血で汚れたことに気付き、ボロボロになった千弦ちゃんの上着で手をぬぐい、その場から離れた。


「ヒュー・・・ヒュー・・・。」


 千弦ちゃんは口を真一文字に結んだまま、つぶれた鼻で呼吸をしているだけで泣き言ひとつ言わない。

 心なしかニヤリとしているようにすら見える。


「うっ・・・うっ・・・。」


 琴音ちゃんの小さな泣き声だけが、薄暗い倉庫に響く中、何かの箱に腰かけた大きな千弦ちゃんが、恐ろしく冷たい表情で小さな二人を見下ろしていた。


 ・・・違和感・・・まだ違和感は見つからない。

 いや、そもそもこんな非日常、違和感の塊でしかないのにこの中から違和感を探せって、どうすればいいだろう?


 とりあえず、殴られた千弦ちゃんに触ってみる。

 ・・・手がすり抜けて触れない。琴音ちゃんも同じだ。


 あれ?じゃあ、大きな千弦ちゃんは?

 ダメか。やっぱり手がすり抜ける。じゃあ、この大きな千弦ちゃんは、今、この場を悪夢としてみている千弦ちゃんだということだろう。


 場面がまた切り替わる。


 ◇  ◇  ◇


 これは・・・そうだ、仄香(ほのか)さんの記憶の中で見た、二人の家のリビングに似ている。


「弦弥さん・・・!庭に、こんなものが放り込まれて・・・!」


 この人は、千弦ちゃんたちのお母さんだろうか。憔悴しきった表情で、お父さんらしき人に箱を渡す。

 先ほど見た段ボール箱だ。


 振り向けばリビングの壁の近くに、大きな千弦ちゃんが立っている。

 これまでの冷たい表情とは違って、とても悲しそうな顔をしている。

 今にも泣きだしそうだ。


 弦弥さんと呼ばれた人は、一瞬迷ったかのように目を泳がせた後、意を決して段ボール箱のガムテープを開ける。


 中には、二人から奪ったかわいらしいバッグと、泣きじゃくる琴音ちゃんと殴られて顔をひどく腫らした千弦ちゃんの写真、そして犯行文が書かれた紙が入っていた。


「ああ!・・・千弦!琴音!なんてこと、千弦が死んじゃう!・・・弦弥さん!警察を呼びましょう!それから、お父さんに電話を・・・!」


 それを見て泣きながら崩れ落ちた彼女を支えながら、弦弥さんは迷いなく答える。


「美琴、まだ二人は死んでない!すぐに警察を呼ぼう。結婚に反対されてから疎遠だったが、そんなことは言ってられない。お義父さんにすぐに連絡をしよう。僕のほうも知り合いの弁護士や検察官に相談をしてみるよ!」


 二人は、すぐにそれぞれの携帯電話を手に、色々なところに電話をかけている。


 1時間ほどして、通話しっぱなしで携帯のバッテリーがなくなり始めたのだろうか。


 二人のお母さん、美琴と呼ばれた人が、据え置き型の充電器を出してアンティークっぽい本を台にして、ハンズフリーにして通話を始める。


「お父さん、お願いします。二人を助けてください。犯人たちはお父さんに次の国会に提出する予定の法案を取り下げるよう要求をしています。」


「・・・わかっている。党内の関係者に根回しを始めたところだ。押見総理にも強くお願いしている!必ず、二人を助けて見せる!・・・美琴。何度も家の前まで行ったのに、チャイムを鳴らせなかった儂を許してくれ。」


「お父さん・・・。私こそ今まで連絡の一つもしないでごめんなさい。弦弥さんとの結婚を認めてもらえなかったから、駆け落ち同然で家を出ていったから・・・。」


「すまない・・・。あの時、儂はまだ政治家としては若造だった。政略結婚の申し出に逆らえなかった儂が悪いんだ。話を持ってきた福居元総理の手前、お前を勘当するしかなかったんだ。大丈夫、今ならお前たちの結婚を大手を振って祝ってやれる。そんなことはいい。身代金の5億なんて孫の命と比べりゃあ、儂にとっては端金(はしたかね)だ。すぐに用意してやる。とにかく、警視総監にも連絡を取った。すぐにそちらに警察官が行くから、安心して指示に従いなさい。」


 美琴さんの涙が、携帯の充電器の下のアンティークな本にポタポタと落ちている。


 弦弥さんの方はまだそこら中に電話をかけているようだ。


「はい・・・はい。大学にはしばらく出勤できそうにありません。よろしくお願いします。・・・よし、次は、水元先生に・・・。」


「弦弥さん!お父さんが警察を動かしてくれるわ。警視総監に直接事件解決の指示をしてくれるみたいよ。それと、身代金の5億はお父さんが用意してくれるって。・・・でも、大丈夫かしら。警察には知らせるなとは言われてないけど・・・。」


「それは大丈夫なはずだ。政策にかかわる要求をしてるのに、警察に知らせるななんて言うはずがない。それより、警察はウチまで来てくれるのかい?」


「ええ。・・・あら?電話・・・知らない番号だわ。」


 突然、リビングの入り口にある固定電話が鳴り響いた。

 反射的に受話器を上げようとする美琴さんの手を弦弥さんが慌てて止める。


「美琴。もしかしたら、犯人たちかもしれない。これを。」


 あれは・・・ボイスレコーダーみたいだ。

 美琴さんは録音のボタンを押し、ゆっくりと受話器を持ち上げた。


「もしもし・・・。ああぁ!千弦は!琴音は無事なんですか!お願いです!声を聞かせて!・・・はい、はい。身代金はすぐにでも用意できます!あなたたちの要求は伝えました!父は要求を呑むと言っています!身代金の受け渡しは・・・はい、わかりました、あ、待って、まだ二人の声を!・・・切れたわ。」


 美琴さんは受話器をゆっくりと置き、ボイスレコーダーの停止ボタンを押しながらゆっくりと振り向く。

 その頬には、幾筋もの涙が流れていた。


 あまりのことに、私は違和感を探すことも忘れて立ち尽くしてしまっていた。


「・・・ひどい。千弦ちゃんと琴音ちゃんに、こんな過去があったなんて。でも、二人とも生きてるし、無事に帰ってこれたのは間違いないんだよね。犯人たちはどうなったんだろう?ちゃんと捕まったのかしら?」


 そんな疑問を抱えながらも、次の場面への切り替えを待っていると、突然ガクッという衝撃とともに体の力が抜け、その場にへたり込んだ。


 同時に念話で仄香(ほのか)さんの声が聞こえる。


《遥香さん。行動限界時間が迫っています。キリのいいところでいったん精神を引き上げます。よろしいですか?》


「あれ・・・?あ、そうか、もうそんなに時間が経ったの?こっちは大丈夫、このまま引き上げて。」


 泣き伏せた美琴さんと、歯を食いしばってそれを支える弦弥さんの姿に後ろ髪をひかれながらも、ゆっくりと目を閉じ、かすかな浮遊感とともに千弦ちゃんの精神世界から私の心はゆっくりと浮上していった。


千弦はこの時点でまだ小学二年生です。

何もかもかなぐり捨てて妹を守ろうと必死になっています。

しばらく千弦の戦いが続きますが、暖かく応援してやってください。

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