表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

129/277

129 帰路2 遥香、初めての魔法

 1月3日(金)


 久神 遥香


 今日は仄香(ほのか)さんの魔法で、杖の中の私の部屋に琴音ちゃんと千弦ちゃんが来てくれることになった。


 仄香(ほのか)さんから冬休みの後半はみんなで勉強会をする予定だということを聞いて、大学受験をするわけではないけれど私も一緒に勉強したいと言ってみたところ、その願いをかなえてもらえることになったのだ。


 でも、抗魔力とかいうものが必要である可能性があるので、今回は魔法が使えない咲間さん(サクまん)は来ていない。ちなみに私にはその抗魔力というものが生まれつき備わっているそうだ。


 そのため、午前中から試験的に仄香(ほのか)さんの魔法の講義を受けることになった。


 仄香(ほのか)さんは「分からないことが多いと思うけど、後でしっかり教えるから安心して」と言ってくれてたけど・・・うん。分からないことだらけだったよ。


 今は横川サービスエリアで少し遅めの昼食をとり、お土産を物色してから再び車に戻り、また杖の中の世界に来てもらっている。


「ん~。うふふ。」


 ニヤニヤが止まらない。この世界なら時間制限なしでみんなと楽しいことがいっぱいできる。

 外の世界と時間の流れを変えることもできるらしいし、そのうち、エルちゃんや咲間さん(サクまん)も来てくれるそうだ。


「遥香、ご機嫌だねぇ。姉さんなんてさっきから仄香(ほのか)と術式の話に夢中で、ここが杖の中の世界だってことすら忘れてるっていうのに・・・。」


「ん~?だって、仄香(ほのか)さんや琴音ちゃん、千弦ちゃんたちとまたこんな風におしゃべりできるなんて思わなくて。なんていうか、すごく幸せなんだよ。」


「・・・そうね。遥香がそう思っていることが私にとっても何よりの幸せだわ。」


 う~ん・・・。私もあの日に何があったか知っているよ、なんて琴音ちゃんに話したら、大変なことになりそうだ。

 よし、この秘密は墓の下までもっていこう。


「千弦ちゃん、さっきから仄香(ほのか)さんに質問しっぱなしだね。琴音ちゃんは聞かないの?」


「姉さんが質問してるのって、術式の話なのよね。私にもチンプンカンプンだわ。っていうか、あのレベルの術式が組める人なんて、この国で健治郎叔父さんと姉さん以外にいるのかしら?」


 先ほどから術式の話とやらが漏れ聞こえているが私には違う世界の言語のように聞こえる。


 いや、集中すれば魔女のライブラリからの情報は拾えるんだよ。なんというか、思い出すみたいな感じで。

 ただ、その情報量が恐ろしく大きすぎるんだよね。


 話に割り込むわけにもいかないので、杖の中に再現されたキッチンに行って、急須に茶葉を入れて、ヤカンで沸かしたお湯を入れる。

 四人分の湯呑をもって教室に戻ると、まだ千弦ちゃんが仄香(ほのか)さんと話し込んでいた。


「そろそろ続きの講義を始めましょうか。千弦さん、術式の話はまたの機会に。・・・さて、後半は魔法の実践です。便利だけど失伝した簡単な術理魔法、『失せ物探しの魔法』をやってみましょうか。」


「え!?そんな魔法あったの?うわ、ものすごく役に立ちそうなんだけど。」

 琴音ちゃんがびっくりしている。失伝した、ということは何か問題があったのだろうか。


「まずこの魔法は、名前の通り失くしたものを探す機能があります。まあ、やってみましょうか。」


 仄香(ほのか)さんはそう言うと、ポケットの中からピンポン玉のような大きさの色とりどりの宝石を取り出し、私たち三人に手渡した。


「まず前提条件としてですが、この魔法の対象となる『失せ物』とは術者が最低でも一度は自分で触ったことがあるものとなります。素手である必要はありませんが、触覚でその存在を認識する必要があります。」


 仄香(ほのか)さんの言葉に従い、(てのひら)の中の宝石を握ってみる。

 ・・・大きいな。これって、本物?ではないか、そもそも杖の中の世界の話だし。


「次に、どんな言葉でもいいので、その石を言語的に識別できるようになってください。定まったワードでなくても結構です。自分の中でその石が特定できれば大丈夫です。」


 ええと・・・仄香(ほのか)さんからもらったピンポン玉サイズの赤くて透明な石。よし、覚えた。


「識別出来たら準備は完了です。こちらへ渡してもらえますか。」


 再び仄香(ほのか)さんの手に戻す。


「では遠くに飛ばします。・・・はい。これで先ほどの石は失せ物になりました。さて、ここから本番です。今から皆さんの魔力回路に術理魔法、『失せ物探しの魔法』を登録します。」


 仄香(ほのか)さんの(てのひら)から三つの石が消え、同時に背中あたりでパチッという静電気のような感覚がした。

 これで「失せ物探しの魔法」が登録されたのだろうか。


「三人とも無事に登録できたようですね。・・・さて、詠唱ですが・・・お手元のテキストの二枚目にも書いておきましたが、『宏闊(こうかつ)たる天地に響く金色の銅鑼(どら)よ。我は奇跡の(ばち)を以て汝を打ち鳴らし、その(こだま)を以て神秘を探究するものなり。』です。」


「あれ、暗号化はしないの?」

 千弦ちゃんが仄香(ほのか)さんに聞いている「暗号化」とは何のことだろう?


「暗号化については各自でやってもらって大丈夫です。遥香さんには、別途教える必要がありますがそれは次の機会に。さあ皆さん、唱えてみてください。」


「『宏闊(こうかつ)たる天地に響く金色の銅鑼(どら)よ。我は奇跡の(ばち)を以て汝を打ち鳴らし、その(こだま)を以て神秘を探究するものなり。』・・・うわ、頭の中にさっきの石の場所が!すごい、どこに置いてあるかがこんなにはっきりわかるなんて!」


 生まれてはじめてつかう魔法だから、恐る恐る唱えてみたけど、頭の中にはっきりと石の場所が浮かんだ。

 これは・・・ママとパパの寝室、パパの枕の下だ。


 すごい魔法だ。学校で上履きや筆箱を隠された時にも役に立つかもしれない!

 ・・・あれ?この魔法、どのくらい遠くまで探せるんだろう?


「私の石は家の外の街路樹の下ね。ん?なんか、妙に魔力をたくさん消費したような気がするんだけど?」


 千弦ちゃんが少し疲れたような顔をしている。杖の中の空間でも魔力を多く消費したり、肉体的に疲れたりするんだろうか。


「ああ、この魔法、失伝した理由は『失せ物』であればなんでも探せるんですが、失せ物までの距離が長くなれば長くなっただけ消費する魔力が増えるのが問題なんですよね。一応、距離や消費魔力の制限はしているんですけど。」


「・・・見つからない。私の石、どこに行ったんだろう?ねえ仄香(ほのか)。私の石だけ妙に遠くに飛ばしてない?」


「あ、琴音さんだけ『失せ物探しの魔法』の安全装置が働きましたね。ええと、どこに飛ばしたかしら。南に・・・あら、200メートル先ですね。ちょっと飛ばしすぎましたね。」


「・・・もしかして、仄香(ほのか)。さっきオッパイをこねくり回したこと、怒ってるの?」


 ・・・琴音ちゃん。いくら仄香(ほのか)さんのオッパイが大きいからって、あんなにこねくり回しちゃだめだと思うんだ。結構痛いんだよ、あれ。


「うふふ。そんなことないですよ。杖の中の空間でランダムで飛ばしましたから、琴音さんの検知範囲外になってしまったんでしょう。他意はありませんよ。」


 千弦ちゃんがお茶を飲みながら首をかしげている。


「う~ん。この魔法、距離と魔力消費が比例していないの?いや、もしかして距離の二乗に比例してる?便利なんだけど使いどころが難しいっていうか、う~ん?レ〇ラーマともなんか違うというか・・・。」


 よく見ると教室の床にクリップが散乱している。

 この短時間で距離と魔力消費量の計測をしていたのだろうか。


「よく気付きましたね。この魔法は、自分の魔力を潜水艦の探信音(ピンガー)のように打ち出して失せ物に当たった際の反響をとらえる魔法です。探信音と一緒で距離が 2 倍になると面積が4 倍 となり、エネルギーの密度は4分の1になりますからね。」


「なるほどね。だから仄香(ほのか)はこの魔法を使って息子さんを探せなかったんだね。1メートル先で探すのと1キロ先で探すのでは消費魔力は百万倍になるものね。」

 琴音ちゃんが両手を合わせながら納得したように言った。


「あ、いや、この魔法、生物相手だと効果がないだけなんですが・・・。まあ、とにかく、歩き回りながら探し物をするには向いている魔法ですからぜひ活用してくださいね。」


「むぐぅ・・・。やっぱり姉さんみたいにはいかないわね。双子なのにどうしてこうも才能の方向が違うのかしら?」


「ふふ、琴音さんと千弦さんは双子ですが、そこまで似てないと思うんですけどね。さて、遥香さん。初めて自分の意志で魔法を使ってみた感想はいかがですか?」


 う~ん。なんていえばいいんだろう?

「・・・腕がもう一本あるような、五感とも違う新しい感覚に芽生えたような・・・?」


「あはは、分かる分かる。私も初めて雷撃魔法を使った時の感覚はそんな感じだった。」


「ええぇ・・・。姉さん、私はそんな感覚、もう覚えてないわよ。」


 そういえば琴音ちゃんはかなり小さい時から魔法を使えたと言ってたけど、千弦ちゃんは去年の秋ごろに初めて魔法を使ったって言ってたっけ。


「あ、そろそろ琴音さんたちの家に到着するようですよ。今日はここまでにしましょうか。」


 仄香(ほのか)さんがそう言うと、琴音ちゃんと千弦ちゃんの姿がゆっくりと薄くなり始めた。

 どうやら現実世界で目が覚めようとしているらしい。


 明日からまたみんなで会うことができると思うと、なんだかワクワクする。自分の身体を動かしてスキーや温泉、食事を楽しむのもいいけれど、仄香(ほのか)さんを含めてみんなで楽しく過ごせるのが一番だ。


 あ、そうそう、パパとママにメールしておこう。もうすぐ家に着くよって。


 ◇  ◇  ◇


 久神 遙一郎


 午後3時くらいになって、我が家の前に大型車が止まる音が聞こえた。

 きっと遥香だろう。すぐに玄関のドアを開けて出迎える。


 やはり先ほどメールで連絡があったとおり、車から遥香と金髪碧眼の少女が降りてきた。


 金髪の娘はグローリエルさんだったか?仄香(ほのか)の弟子らしいが、この見た目で私の3倍くらいの年齢だというから驚きだ。


「ただいま、パパ。あれ?ママは?」


「ああ、香織なら夕食の支度をしている。今来るよ。」


 私の言葉の通り、キッチンで夕食の支度をしていた香織が小走りで遥香のもとへ駆け寄った。


「ああ、どこもケガとかしてない?具合の悪いところはない?疲れたりしていない?・・・ああ、無事でよかった。遥香、お帰りなさい。」


 香織は遥香の全身を確かめるように触った後、その折れそうな小さな身体をやさしく抱きしめた。


「ただいま、ママ。元気に帰ってこれたよ。どこもケガもしてないし、体調も万全。風邪もひいてないし、お腹も壊していないよ。」


 ・・・ジェーン・ドゥ、いや、仄香(ほのか)が約束してくれたことがある。


 香織と接する場合は、可能な限り遥香に身体の制御を渡すこと、そして必ず遥香の状態を逐一報告すること、あるいは遥香からメール、または電話で連絡をさせることを。


 娘の命を助けてもらっておいて、そこまでしてもらうのは心苦しかったが、彼女からの申し出だったのでありがたくお受けすることにした。


 同時に、私にだけわかる合図で遥香の身体を制御しているのが、彼女か遥香のどちらであるか分かるようにしてくれてある。

 というか、注意深く見ていると私以外でも気付いてしまうかもしれない。


 遥香の艶やかで美しい黒髪のうちの一束が、ピンと跳ねている。いわゆる、アホ毛というやつだ。

 あの毛が立っている限り、身体を制御しているのは遥香であるということだ。


 ・・・それにしても、他に何かなかったのだろうか?


「んもう・・・。ママったら。毎日朝とスキーに行く前とスキーから帰ってきた時と寝る前に電話してたのにそんなに心配だったの?」

 ・・・いや、ちょっとかけすぎだろ。カケホーダイプランだから家計には全く響かないけどさ。


「それはもう。とにかく無事でよかったわ。・・・ああ、そちらのお友達、エルちゃんだったかしら。日本語は話せるかしら?」


「ん。話せるようになって4・・・かなり経つ。普通に話してもらって大丈夫。」


「そう、4年?それとも4か月かしら?日本語がお上手ね。さ、上がってください。」


 そういえば遥香からグローリエルさんが一旦我が家に寄って何かを受け取ってから帰ると言ってたっけな。香織にもメールをしていたみたいだし、今日の夕食は彼女の分も作ったんだろうか?


「ねえ、ママ。例のもの、準備しておいてくれた?」


「ええ。ご飯とお味噌汁の準備だけはしておいたわ。でもいいのかしら?エルちゃんに我が家の夕食を作ってもらうなんて。」


「ん。任せて。私の趣味は料理。」


 ・・・そういえば彼女が提げているビニール袋の中身って、食材か?

 彼女はまるで我が家の間取りがわかっているかのようにキッチンに向かい、香織と二人で夕食の支度を始めたようだ。


「なあ、遥香、もしかしてあれって・・・。」


「うん。エルちゃんに今日の晩御飯、作ってもらうんだ。すごく美味しいんだよ。宗一郎さんが手放しで褒めるくらい。あ、食材は仄香(ほのか)さん持ちだから心配しないで。」


「いや、それは心配してないし、後で俺が出すからいいけど・・・。ん?エルフって肉とか魚、食べられたっけ?」


「さあ?肉も魚も普通に食べてたし、何ならお酒も飲んでたよ?鬼殺しとか。」


「うん?グローリエルさんって、エルフ、だよな?あの、魔法とか得意な・・・。」


「どのエルフか知らないけど、エルちゃんはエルフだよ。魔法は使えないし、40キロの発電機を片手で持ち上げられるくらい力が強いけど・・・。」


 それって、エルフじゃなくてオーガなんじゃ?いや、あんなに線が細くてかわいい娘が?


「ま、いいか。そういえば彼女は何を取りに来たんだ?何か預かってたのか?」


仄香(ほのか)さんの本だって。何語かわからないけど、よくわからない文章と挿絵が書いてある本。」


 ・・・魔導書なのだろうか。まあ、読んだところで分からないだろうし、触れないでおこうか。


「あなたー!今日の夕食は豪勢よ!エルちゃんが天ぷら揚げてくれるって!あら~きれいな油ね。それにこっちはお芋に茄子、エリンギね。それと海老と(きす)?すごい豪勢ね!」


 遥香が二階に上がり、旅行の荷物を片付けてから魔導書とやらをもってダイニングに降りて来た頃、キッチンから香織の歓声が上がる。


 香里の声にキッチンをのぞいてみると、彼女はあっという間に具材に下粉をうち、鶏卵を片手で同時に二つ割り、冷水を適量入れ、小麦粉を数回混ぜ、衣をつけてゆく。


 まるで本職のような手際の良さで下準備をしたかと思えば、同時進行で一抱えもある天ぷら鍋を片手でガス台にのせ、大きなポリ容器から香りのよい油を満たし、加熱していく。


 ・・・油の温度は・・・おいおい、素手で測ってるよ。

 エルフってのはアツアツの油に手を突っ込んでも大丈夫なのか?・・・いや、突っ込んだ右手が薄く光ってる。あれは魔法か。無茶なことをする。


「ん。今175℃。いい感じ。」


 衣をつけた具材を素手で油に落とし、ふわりと花が咲くように衣が広がったのを確認し、油から上げる。


 次々と並んでいく天ぷらを見ているうちに、腹の虫が騒ぎ始めるのを感じた。


「ん。遥香のパパ。これ、お土産。」


 グローリエルさんが指さした先を見ると、「黒部峡」と銘打たれた一升の酒瓶が2本、ダイニングのテーブルに鎮座していた。


 すでに食卓について目の前に並べられていく天ぷらを前にウキウキしているような顔の遥香と、それを見て幸せそうな香織。二人のために料理をふるう、遥香の友人。


 ああ、今年はいい一年になりそうだ。


 ◇  ◇  ◇


 東京都港区麻布狸穴町

 ソビエト社会主義共和国連邦大使館


 大使館内の応接室のソファーで笹穂状の耳を持つ金髪翠眼の青年は、手元にある数枚の報告書を気怠げに眺めていた。


 党本部から協力を要請されてから30年、カフカスの森が襲撃されて、いくつもの里が消し飛んでから25年。


 ふとテレビをつければ、この国ではまだ正月三が日が終わらずにお祭り騒ぎの様相だ。


 思えば、手塩にかけて魔法を仕込んだ魔族の少女、バノヴシャが消えてから1000年は停滞していたフェアラス氏族は劇的に変化した。


 教会とやらの陰謀で、徴兵していたほとんどの魔法使いや魔術師を魔女への戦闘に駆り出し、戦死や逃亡でそのほとんどの戦力を失ったソビエト連邦共産党は、建国時の約定を違えて我ら氏族に国家への帰属を要求した。


 カフカスの森にかつてあった、フェアラス氏族の里のうちのいくつかはそれに反対し、抵抗した。


 年寄りたちは口々に伝統と純潔の堅持を訴え、戦列には加わらず、後方から檄を飛ばし続けた。

 年寄りに逆らえなかった若者は、弓を取り、杖を取り、魔導書を開いてソ連への抵抗を行い、あるものは銃弾に、あるものは包囲の末の飢餓にその将来を失っていった。


 幸い、俺の里はそうはならなかった。

 党からの要請があった時には、すでにバノヴシャが党と関与していたために、対話の窓口があった。


 ソビエト連邦という国家は単純だ。

 強さと忠誠を示しておけば何とでもなる。


 党の提案に従い、直ちに里の年寄りを幽閉し、あるいは排除して里の実権を握った俺たちは、ソビエト連邦地上軍においてヴァレンニコフ司令官の元で一元化された一軍となり、確固たる地位と財産を与えられ、カフカスの森の一部を除くすべての自治権も与えられた。


 未だに幽閉されている年寄りたちはフェアラス氏族、コモンエルフの矜持を叫んでいるが、そんなものはクソ食らえだ。


 数も少なく、魔法技術による優位を科学技術で覆された俺たちは人間社会に紛れ込んで生きるしかないだろうが。


「ギルノール。何か見つかったか?」


 目の前に座る赤髪の女の声で思考が中断される。


「いや、何も。そっちはどうだ。エレーナ。」


「さてな。一つ怪しい動きが見つかったが、気のせいだと言われればそうだと思うしかないレベルだ。見てみるか?」


 そういいながらエレーナは一枚の写真と数枚の報告書をこちらに手渡した。


「・・・魔法協会の元協会長、エルリック・ガドガン卿が都内の私立高校の英語教師として1月8日に赴任する、か。確か、世界最強の魔法使い、いや最高か?一対一の戦闘では負け知らず、彼の手で編み出された術式や結界は数知れず、だっけか?」


 人間が使う魔法や魔術など俺たちエルフにとってみれば、たかが知れている。

 それこそ、常温常圧窒素酸化触媒(CONANTAP)術式のような例外でもなければ、児戯にも等しい。


「・・・ガドガン卿には我々ソビエト連邦共産党は煮え湯を飲まされ続けている。奴のせいで南ウラル全域はいまだに魔力溜まり(ダンジョン)に沈み、その結界を一兵たりとも突破できていない。」


「今回みたいに家族と離れる瞬間はなかったのかよ?ガキでも嫁でも構わずに攫っちまえばよかっただろう?」


「すでに何度も試したさ。狙撃、毒殺、爆殺、交通事故、あらゆる手を使ってな。どうなったと思う?。奴やその家族に向けて放った暗殺者のことごとくが寝返ったのさ。わかるか!?全員だぞ!?党の重鎮の娘までもが裏切ったのだぞ!?」


「暗殺を防げるとなると、危険を察知する系統の魔法か魔術を使っているな。それとも・・・予知系の術式か?洗脳系の術式もあるのか?ま、どれも魔力制御と魔力総量の勝負だ。人間じゃあ俺たちエルフには勝てるはずもないさ。何なら一当てしてみようか?」


「・・・私の一存では決められない。貴様も独断専行は許さん。くれぐれも余計なことはするなよ?」


 そう言い切ると、エレーナはそのふくよかな身体を持ち上げ、体の重さに似合わない速度でその場を後にした。


「何を怖がってるんだか。それこそ伝説の魔女でも出てこない限り、何とでもなるだろうに・・・。」


 そう呟きながら窓の外を眺めるとすでに傾きかけた夕日が遠くに見えるビルの外壁を赤く染め上げている。


 そういえばこの国には幻想種の里がいくつかあったっけな。たしか南のほうに鉱人(ドワーフ)、北のほうに妖精(フェアリー)、それから・・・あ、そうだ。横浜の久保山霊堂の近くの谷に龍人(ドラゴニュート)の街があったな。


 狭い国土のくせに、大地から吹き上がる魔力のなんと多いことか。火山帯が多いせいか、国民の8割以上が魔力持ちだ。そのくせ本人たちに自覚がないせいか、魔法使いは極端に少ないけどな。


 しかも幻想種が普通に人間に紛れて暮らしてやがる。混血もかなり多いようだ。本人が気づいていないパターンも散見される。


「くそ、俺たちの里もこの国の中にあったら今頃・・・。」


 ひとり呟いたが、どうにもならないことだ。明日からまた退屈で憂鬱な毎日が始まる。だが、党には妹を人質にとられているようなものだ。


 軽く首を鳴らしながらソファーから立ち上がり、未決裁の書類がたまる自分のデスクへと歩き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ