120 空前絶後の大魔法
1994年 8月13日(土)
ジェーン・ドゥ
なかなか忙しい三か月だったが、何とか準備が終わったようだ。
今私がいるところはオーストラリア大陸、ウーメラ砂漠だ。
ウーメラ立入制限区域とも呼ばれるこの場所は、広さは5万平方マイル(12万7千平方km)の面積を持つ、世界最大の軍事実験場であり、演習施設および航空宇宙施設でもある。
私がこの場所を選択した理由は、SL9の衝突コースから逆算して、迎撃を行うにあたり二番目に成功率が高いポイントであることと、そしてとにかく面積が広く周囲への影響を考慮しないで済むことだ。
「ウィッチワン、聞こえますか?こちらオーストラリア連邦科学産業研究機構所属、ウーメラ天文台、コード・スカイウォッチャーです。まもなくすべての準備が完了します。作戦開始まで残り30分。制御コンピューターCSIRACとのリンクを開始してください。」
ヘッドセットから男の声が聞こえる。
スカートの腰の後ろにつけた軍用無線機からヘッドセットまで伸びたコードが鬱陶しいが、私と眷属以外は念話ができないから仕方がないか。
そのうち誰でも簡単に念話ができる術式の開発でもしてみよう。
ウーメラ天文台に仮設されたオーストラリア連邦科学産業研究機構とアメリカ航空宇宙局の合同チームが作戦の管制を行っているのだ。
それにしても私のコードネームが「ウィッチワン」って、もっと洒落がきいた名前はなかったのか。
「こちらウィッチワン。CSIRACとのリンクを確立。今SL9の追跡情報の共有を開始したわ。」
「スカイウォッチャー了解。ウィッチワンは最終安全チェックを開始してください。」
「ウィッチワン了解。」
魔法の箒に跨り、敷設された大規模な魔法陣を上空から確認していく。
周囲の上空や亜宇宙空間にはスカイフィッシュやスカイゼリーを複数配置し、妨害対策やSL9の直接観測も行っている。
今回使う魔法は、「陽電子加速衝撃魔法」という、私の長い人生の中でもたった3回しか使ったことがないものだ。
その理由はただ一つ。怖いからだ。
初めて使ったのは天啓6年5月初6日(西暦1626年5月30日)の朝、場所は北京西南部だったか。標的は明の王恭廠という施設だ。
そういえば当時の明はほぼ末期状態で、皇帝の天啓帝は父親である泰昌帝が暗殺されたために急遽即位し、宦官である魏忠賢と乳母の客氏の暴政のもと、皇帝であるにもかかわらず大工仕事をしていたという有様だったんだよな。
忠賢は玉無しの分際で自分のことを「堯天舜徳至聖至神」とか抜かすわ、自分の祠は立てるわ、後金との戦いに負けた将軍に対し賄賂を贈ったら許してやると脅すわ・・・。
しかもどこで見つけたのか、私の孫娘を後宮に入れた挙句、天啓帝との間に子供ができたと知ったとたん、孫娘ごと皇子を殺しやがった。
ああ、あの時は完全にキレていてたんだよね。
それに、ちょうど反物質というものを知って興奮していた時期だったんだよな。
当時の北京城内には複数の火薬局が設置されており、そのうち王恭廠は火薬製造工場や保管のための火薬庫として役割を担っていたから、そこをめがけて陽電子加速衝撃魔法を軽く撃ち込んでやったんだ。
一応、この魔法を使うのは初めてだし、理論上の破壊力がかなり高いと思われたから最低出力で撃ったんだけど、それでもあそこまでの被害が出るとは思わなかった。
紫禁城内では2000人を超える死者が出るし、それ以外にも倒壊家屋が1万戸を超える騒ぎになったらしい。
そして北京の街は完全に廃墟になったそうな。
らしい、というのは魔法の余波で私自身も身体を失い、代わりの身体が見つかるまで身動きができなかったからだ。
あの後何とか新しい体を手に入れたころ、すでに死んでいた天啓帝の弟である崇禎帝が傾きかけた国を立て直そうと努力し、奸臣忠賢のアホの始末をしたがもう遅い。私を敵に回したんだ。国家として最低の終わり方を与えてやった。
崇禎帝の娘の長平公主だけは助けてやったが、それも明の滅亡からわずか2年でなくなったらしい。
次に使ったのは1883年の8月だったか。クラカタウの頂に眠る邪神が火山活動によって目覚めようとしていたんだよな。
いや、近隣の村では少し前から結構な人数の犠牲者が出ていたんだっけ?
傲慢で会話が成立しないし、目が合った人間の生気を吸い取って命を奪うという、傍迷惑極まりないシロモノだったから問答無用で吹き飛ばしてやることにしたんだ。
すこしだけ出力を上げたら、邪神の霊核の破片が時速約75万キロくらいの勢いで宇宙にすっ飛んでいきやがった。
第三宇宙速度が時速6万キロくらいだったから、間違いなく太陽の重力を振り切って遠い遠い宇宙の果てに飛んで行っただろう。
天の川銀河中心方向に向けて飛んで行ったから、星座としては射手座方向かな?
ま、二度と戻ってはこないだろう。
でも、山頂に向かって撃ったにもかかわらず、クラカタウの山体は消し飛ぶわ、衝撃で地殻は割れるわ、噴き出した溶岩や噴煙が大気圏外まで到達するわ、爆音がインド洋のロドリゲス島でも聞こえるとかいう、とんでもない騒ぎになってしまった。
巻き上げられた噴煙が北半球の上空を周回していたおかげで太陽光が遮断されて、翌年はとても涼しい夏だった。
さすがに異常すぎる威力のせいで、この魔法は大気圏内では使えないと思って、即刻禁呪指定にしたよ。
それで代わりの強制惑星間跳躍魔法を開発したんだよね。
だけど、今から15~6年前に星が落ちてくるという神託を受けて、手持ちの光撃魔法では威力が不足しそうで仕方なく禁呪を解除したんだ。
熱核魔法は元素精霊魔法だから宇宙空間のターゲットには効果がないしな。
そして、この魔法を最後に使ったのは、三好美代の身体を失う直前だった。
あくまでも試射ということだったから、特に目標を定めず、上空に向けて中程度の威力で撃ち出したんだが、周囲の大気を電離させて気違いじみた熱量を生み出した挙句、数百キロ先から見えるほどの大きさのキノコのような形の雲ができてしまった。
昔のことを思い出して軽く身震いをしていると、視界の端には、軍事実験場内での各種業務を担っているウーメラ村の職員が忙しく働いているのが見える。
あの職員は先ほど気持ちのいい挨拶をしてくれたが、この仕事が終わったらきっと対応が変わるんだろう。
化け物扱いされるのは慣れているんだが、あまり気分のいいものではない。というか、これほど使いたくない魔法というのも珍しいんだよな。
「スカイウォッチャーよりすべての職員へ。これより作戦開始。発射地点より半径50km以内の作業員は直ちに退避を開始してください。ウィッチワンは発射位置に移動してください。」
これまでのことに思いをはせていたら、いつの間にか結構な時間が経過していたらしく、ウーメラ天文台の管制官からの作戦開始の宣言で意識が引き戻された。
眼下を見ると、作業を完了した係員たちが足早に軍の輸送車で撤収していく。
周囲が完全に無人となり、太陽が地平線に係り始めたところで、両手で軽く頬を叩き、気合を入れなおした。
迎撃ポイントの座標確認などを終えて、続けて手持ちの魔法陣と術式の確認を行う。
ウーメラ砂漠に展開した、陽電子加速衝撃魔法の補助術式、補助魔法陣、反動軽減・防御術式のいずれもが問題なく作動している。
当然、この魔法や補助術式の暗号化は最大限行っており、暗号部分を含めて完全にコピーしても使うことができないよう、一度限りのパスコードを使用する設計になっている。
っていうか、こんな危ない魔法を真似されたらたまらないよ。
そして、万が一迎撃に失敗したときのために簡易展開型の予備術式を2セット。
これでもし邪魔が入って魔法陣を破壊されても、妨害勢力を排除した後に再度敷設することができる。
《メネフネ、スカイフィッシュの情報を確認しろ。シェイプシフターはスカイゼリーの情報を確認しろ。》
《メネフネ、了解デス、マスター。スカイフィッシュA1からA5までの情報を確認、迎撃ポイント南緯30.923, 東経133.902。半径100km以内に障害ナシ。天候は快晴。接近する航空機ナシ。》
《シェイプシフター、了解デス。スカイゼリーB1からB3までの情報を確認、グレートオーストラリア湾内を航行中の船舶は、すべて退避行動を終了しマシタ。》
よし、すべての準備は整った。
「ウィッチワンよりスカイウォッチャー。すべての発射準備完了。射撃管制魔法陣を始動。間接照準による自動追尾を開始。」
「スカイウォッチャー了解。全作業員の退避を確認。以降の射撃はウィッチワンに一任します。幸運を!」
迎撃を行える時間は、ここウーメラ砂漠では本日の現地時間で午後18時から約3分間。
そしてアフリカの東海岸にある予備ポイントで、今日の現地時間で午後19時頃に約4分間。
時差は約6時間。要するにSL9はオーストラリア上空からアフリカ東海岸までわずか7時間で駆け抜けるのだ。
もし失敗すれば、明後日の昼過ぎにインド洋のどこかに衝突する。
アフリカの予備ポイントは迎撃角度上、一番成功率が高いポイントではあるが、その国の首都のすぐ近くであり、相当な人的被害が予想されるので使いたくない。
全人類との天秤にかければ、迷わず使うことになるだろうが。
発射地点の上空を見つめ、魔力を集中する。
《シェイプシフターよりマスター。B4、5がターゲットSL9を直接光学捕捉、ウーメラ天文台とリンク完了。SL9の質量、予測比プラス120%。もう間もなくスカイゼリーの直接観測範囲に入りマス。》
・・・おいおい、アメリカ航空宇宙局の連中、ハッブル宇宙望遠鏡で直接観測していたくせに質量の計算が正しくないとか問題じゃないか?
彗星だと思っていたが、中身は小惑星だったか。だが陽電子加速衝撃魔法の威力なら誤差の範囲だ。私が狙いを外しでもしない限りはな。
《シェイプシフター。迎撃を開始する。スカイゼリーと私のリンクを確立しろ。メネフネ。リンクが確立次第、陽電子加速衝撃魔法の詠唱を開始する。シェイプシフターの合図で直接照準領域までのカウントを頼む。》
シェイプシフターが管理する照準データをタイムラグなく受け取り、SL9の正確な情報を確認する。
・・・SL9は月軌道の外側、地球の公転方向と反対側から、地球の自転方向に沿って接近した。
すでに月の重力で減速スイングバイを行い、そのまま月軌道内に侵入。そのまま地球の自転と逆方向に地球を2回周回し、3回目の周回の途中でインド洋、マスカリン諸島に衝突する。
「すぅ~。ふう~ぅ・・・。」
全身を流れる魔力を、深呼吸とともに魔力回路に流し込んでいく。
・・・迎撃の機会は今日と明日のうち、SL9を直上に捉えられる数分間ずつをたった2回。
ここ、ウーメラ砂漠でのチャンスは侵入角度的に実質1回。
まもなくその瞬間が訪れようとしている。
「・・・術式束、26,162、術式束、32,635、術式束、45,017、術式束、24,973を連続発動。術式制御リミッターをオフ。九重術式26,439,622,160,671を全力発動。」
術式強化や収束、肉体の強化に加え、圧力や自由電子、熱運動量の制御術式を起動。
そして姿勢制御が足だけでは不可能なので慣性制御術式を順番に起動していく。
最後に、防御障壁を全力で9枚展開。これで下準備が揃ったか。
《マスター。まもなくSL9が直接照準可能領域に入りマス。メネフネ!カウントを開始してクダサイ!》
《了解デス!カウント25!24!23!・・・・》
メネフネのカウントを聞きながら、両手を空に向かって大きく開き、大地を踏みしめて陽電子加速衝撃魔法の詠唱を開始する。
「・・・万物の礎にして万象を織り成す小さき者よ。理の陰に潜みし第二階梯第一逆位の根源精霊よ。我は今、一筋の力強き灯を以て汝を輩とともに虚空より喚びだす者なり。」
呪文の詠唱はまだ終わらない。
《15!14!13!・・・緊急事態発生!SL9が二つに割れマシタ!》
メネフネの悲鳴が頭の中に響き渡る。
なんだと!まだロシュ限界に達していないはず!
スカイゼリーの索敵情報には、何かが衝突したなどというデータはなかったが・・・まさか月の周囲で減速スイングバイを行ったときに月の重力で何か影響が出たか!?
《構わん!詠唱を続ける!メネフネ!大きいほうの直接照準可能領域までのカウントを再計算!シェイプシフター!小さいほうの軌道を確認!情報を更新しろ!》
可能な限り早く眷属に指示を送り、詠唱を継続する。
《破片大をSL9-1とプロット!カウント再計算完了!9!8!7!・・・》
「・・・我が声に応えし刹那の根源精霊よ。我は奇跡の御手を以て汝を光の如き甲矢と為さん。その大いなる原初の力を振るい、天地万物森羅万象を打ち砕け!」
《マスター!スカイフィッシュA2が高速の飛翔体を確認!機数は3!弾道ミサイルです!》
「ウィッチワン!敵性飛翔体による攻撃を確認!発射地点はグレートオーストラリア湾内!潜水艦からです!着弾まであと20秒です!」
シェイプシフターの念話と、ウーメラ天文台のスカイウォッチャーの無線がほぼ同時に叫び声をあげる。
《なんだと!誰の仕業だ!くそ、今は呪文の詠唱が終わって手が離せないというのに!構わん、まずは迎撃を優先する!》
《3!2!1!SL9-1、直接照準領域に突入!続けて破片小SL9-2、低高度に大きく逸れて直接照準領域南端に突入シマス!あと5秒!》
「いっけえぇぇ!」
全身をこれまで感じたことがないほどの莫大な魔力が循環し、体中のいたるところでパチッ、パチッという音が聞こえる。
空に掲げた両手の上には直径が1kmを超えるさまざまな色の魔法陣が展開し、それぞれの方向に回転し始め、魔法陣同士の境界では虹色の火花が飛び散り、恐ろしく耳障りな、大地が軋むような悲鳴を上げ始めた。
魔法陣の回転が一定の速度に達した瞬間、轟音とともに世界を白く染め上げるかのような閃光の柱が立ち上る。
これは生成した陽電子を加速する光の銃身にあたる部分だ。
次に私の両手の間に、握りこぶし一つ分の大きさの漆黒の、一切の光を反射しない球体、すなわち中性子でコーティングされた陽電子塊が現れ、瞬きのようなわずかな時間の後、SL9の大きな方の欠片に着弾した。
光柱が陽電子塊を秒速299792.457km、すなわち光速の99.99999966643%まで加速した際の余波が吹き荒れ、アメリカとオーストラリアが設置したさまざまな観測機器を根こそぎ吹き飛ばしていく。
そしてフルパワーで展開した9枚の防御障壁は、事前に敷設した反動軽減・防御術式とともに砕け散り、最後の一枚を残してすべて消失していく。
・・・相変わらず恐ろしい反動だな。今吹き飛んだ防御術式って、マジノ要塞よりも頑丈なはずなんだが・・・。
ふと見れば右前方、約300mに設置された分厚いコンクリート製の掩体壕がまるで巨人に踏みつぶされたかのように砕け散っている。
・・・あそこ、やたらと高価な観測資材を収めてなかったっけ?まあ、ウーメラ砂漠には今私しかいないから人的被害は気にしなくてもいいんだけどさ。
視線を空に戻す。SL9-1までの距離、実に11万km。
その距離を0.4秒を切るような、わずかな時間で着弾したそれは、この世に一瞬の存在も許されない反物質という特性を、SL9の奥深くまで突き刺さったうえで容赦なく発揮した。
わずか0.5gで90兆Jの熱量を発生するシロモノを20kg近くぶち込んでやったんだ。
しかも亜光速で相対論的質量エネルギーは静止質量に対して12,243.21倍。実に22ZJ。
効かないはずがない。
太陽は沈み始め、中天に輝き始めた上弦の半月のやや下あたりで、月の直径の数倍はあろうかという巨大な白い閃光が夜空に浮かび上がる。
《マスター!SL9-1の消滅を確認!それよりミサイルが着弾しマス!防御を!》
シェイプシフターの悲鳴のような念話の直後、3発の弾道ミサイルが私の直上でその力を解き放った。
白銀色の粉末のようなものがパッと広がり、周囲の大気が一瞬で赤熱する。
これは!まさか常温常圧窒素酸化触媒術式弾頭!?
エネルギーの開放が速い!術式束を使う暇もない、念動呪の類いでは防御が追い付かない!
「ぐっ、緊急離脱術式、発動!」
やむを得ず、緊急離脱術式を行使する。
とにかく安全なところへ離脱することしか考えていないこの術式は、全自動で行き先を選択し私の身体を転移させた。
・・・ほとんどランダムで選ばれた移動先は、ウーメラ天文台の近くだった。
「う、うぇぇ。口の中が砂だらけだわ。邪魔が入る可能性は考えていたけど、まさかコナンタップ弾頭のミサイルを3発も撃ち込んでくるなんて。戦争でも始める気なのかしら?・・・水よ。礫となれ。」
乾いたアスファルトの上に放り出された私は、水弾魔法を使って口の中をゆすぐ。お気に入りのスカートの裾が破れてしまったが、下着が見えるわけではないので我慢しておこう。
よりによって常温常圧窒素酸化触媒術式かよ・・・。
Catalyst that Oxidizes Nitrogen At Normal Temperature And Pressure.(常温常圧で窒素を酸化する触媒)の頭文字をとってコナンタップと呼ばれる術式は、ベトナム戦争が終結したころに「魔法協会」の何者かが作った悪魔のような術式だ。
プラチナメッキを施した微細なタングステン製の術札に、極小印刷の技術を用いて転写された術式は、ハーバー・ボッシュ法、オストワルト法を魔術的になぞり、それに込められた魔力を消尽するまで周囲の酸素と窒素を結び付ける。
しかし、発生した窒素酸化物は化学的に極めて不安定であるため、瞬時に分解して莫大な熱量を発生させていく。
この術式の恐ろしい点は、魔力を熱エネルギーに変換するにあたり、火炎系ならば最低限必要な火の概念精霊の力すら介することなく、単純な化学反応を促す術理魔法のみで実現しているために、概念精霊などにささげる魔力が一切要らない、つまり全くと言っていいほどロスがないという事だ。
結果として大気圏内、要するに窒素と酸素がふんだんにある空間でしか使うことができないという制約はあるものの、この術式は魔力を熱エネルギーに変換する効率が異常に高く95パーセントに迫るという。
威力で言えば実にTNT換算で25,000t相当、私が断念させたトリニティ実験の核爆弾「ガジェット」に匹敵する。
それを3発も撃ち込みやがった!どこの国かは知らんが、間違いなく戦争を始める気だろう。
だが、今はそれどころではない!
《マスター!ご無事デスカ!?》
シェイプシフターの悲鳴のような念話が頭に響く。
《・・・大丈夫だ。ちょっとスカートの裾が破けただけだ。それより、残りの破片はどうなっている?》
《・・・残念ながら、SL9-2は迎撃可能範囲から外れマシタ。それから、先ほどの攻撃でスカイフィッシュのすべて、そしてスカイゼリーはB3以外のすべてが信号消失デス。》
《そうか。先ほどの攻撃は誰の仕業か分かるか?》
《残念ながら不明デス。》
《とりあえず敵が誰かは置いておこう。最悪の場合でもアメリカとオーストラリアに任せておけばいい。攻撃を受けたのはオーストラリアの領土内だからな。それより、SL9-2の軌道データをくれ。早く迎撃しないと手遅れになる。》
私の言葉に、シェイプシフターは念話の機能を使ってSL9-2の軌道データを映像で共有する。
《・・・申し上げにくいのデスガ、割れた瞬間に下向きに加速、そして先程の陽電子加速衝撃魔法の影響でさらに加速しマシタ。細かな破片を伴い、明日早朝、上海付近に衝突しマス。迎撃可能ポイントはセイシェル諸島またはソマリアのみデス。》
《セイシェル諸島はここ千年の間は行っていないな。長距離跳躍魔法で行けないから論外だ。となるとソマリアか。正確な迎撃可能ポイントは?》
《ソマリアの東海岸でアレバ、どこでも大丈夫デス。デスガ、長距離跳躍魔法で移動しても、そこから移動している時間があまりありマセン。マスターが行けるポイントはどこデスカ?》
《首都モガデッシュのみ、だな。詳細な時間の余裕は?》
《残念ながら移動と魔法陣、術式の展開を考エルト、あと3時間程度デス。》
街中で先程の魔法を使えば、犠牲者は恐ろしい人数に達するだろう。
だが、SL9-2の質量は未だにチクシュルーブ衝突体の大きさを超えている。
迎撃しなければ、この星の生命が死に絶える。私の子供たちが皆死んでしまう。
そしてなにより、二度とあの子に会えなくなってしまう。
要求されている決断に、歯茎から血がにじみ出るほど顎に力が入るが、あまりにも長く歳を重ねたこの魂は考えるよりも先に私の身体を動かし始めた。
《仕方がない。また罪が増えるのか・・・。せめて私の子や孫がいないことを祈るよ。》
《心中、お察しシマス。・・・メネフネ!作戦内容を更新。プランBを開始シマス。》
さすがはシェイプシフター。この可能性も考えていてくれたのか。まったく頼もしい奴だ。
「よし・・・。スカイウォッチャー!こちらウィッチワン。SL9の迎撃を継続する。アメリカ航空宇宙局に管制権を移譲してくれ。」
「スカイウォッチャー了解。ウィッチワン、無事でよかった。分裂後の破片は加速しつつ進入角度を変えています。追尾はしていますか?」
「いや、直接捕捉はしていない。だれか誘導を頼む。」
「スカイウォッチャー了解。ウィッチワンの指示に従い、以降はアメリカ航空宇宙局が誘導します。」
「ハロー、ジェーン。こちらマクスウェルだ。偵察衛星のデータを送るから確認してくれ。SL9の残りかすは、インド洋上空を北西に向かって移動中だ。ソマリアからアフリカおよびブラジル上空を通過、太平洋上空で大気圏に突入し、東アジアのどこかに落ちると考えられる。」
「こちらの計算では上海みたいよ。それより、ソマリア・モガデッシュで迎撃するわ。ムリだとは思うけど一応は現地に警報を出して。可能な限り民間人を退避させてちょうだい。」
「了解。だがソマリアの米軍は去年撤退済みだ。外交ルートもほとんどないようなものだ。・・・だが、ソマリア以外で迎撃することはできない、ということだね。こちらも全力で対応する。すまないが人類の命運は任せるよ。」
「成功したらホワイトハウスに一泊したいとビルに伝えて。それから料理はパックスにお願いするとソフィアに伝えて。」
「了解!はは。久しぶりにパックスのキャンプ飯が食えるのか。そりゃ楽しみだ。では、幸運を!」
アメリカ航空宇宙局を通じて軌道上を飛び回る人工衛星の情報を収集、統合する。
SL9-2を捕捉。インド洋上空、対地距離8万km。
この星との相対速度は時速8000km。
何もしなければ約10時間で衝突。
SL9が割れさえしなければ衝突は明後日だったのに、ずいぶんと加速したものだ。
「勇壮たる風よ!汝が翼を今ひと時我に貸し与え給え!」
もはや時間的な余裕はない。頭を大きく振り、雑念を振り払いながら、ソマリアの首都に向かって大地を蹴り、空へ飛びあがった。
◇ ◇ ◇
???
グレートオーストラリア湾内、潜望鏡深度よりゆっくりと沈降する三つの鉄塊の中では、何人もの下士官たちが戦果の確認を今か今かと待ちわびていた。
コンソールパネルを睨み続けていた下士官の一人が、やや青ざめた顔をあげ、震える声を発する。
「艦長。報告です。僚艦「長征6号」より入電。常温常圧窒素酸化触媒術式弾頭ミサイルの着弾を確認、3発とも正常に作動したとのことです。」
艦長席に座る、やや小柄で筋肉質な男は、満足そうに頷いた。
「そうか。これでいよいよ魔女も終わりだな。泣きついてきたのは教会とか言ったか。何年かけてもこの程度の相手を殺せないとは。情けない連中だ。」
「・・・続けます。ネズミより続けて入電、魔女の生存を確認、一切のダメージは確認できず。以上です。」
「なに!?常温常圧窒素酸化触媒術式弾頭の直撃を受けて無傷だと!?・・・化け物め。これだけの力でも傷つけることもできないのか!」
「総参謀部第二部第三処の報告によれば、日本の諜報機関員が32口径で魔女を無力化した事例も報告されていますが・・・。」
艦長席の隣に立つ胸にいくつもの略綬をつけた男が、艦長の言葉に注釈を入れる。
「それは何かの間違いだろう。常温常圧窒素酸化触媒術式弾頭の威力を32口径と一緒にするな。まあいい。結果はどうあれ作戦は完遂した。あとは洋上艦と航空宇宙軍が何とかするだろう。予定通り転進する。進路1-6-5。深度150へ。」
「了解。進路1-6-5、深度150につけます。」
最新型の鉄塊は、静かに海水をかき分けながら暗く冷たい水の底を南南東にむけてゆっくりと進んでいった。