116 世界最強 VS 史上最強(真)
12月29日(日)
仄香
エルリックの襲撃から一夜明け、琴音たちは何とか平穏を取り戻していた。
北陸旅行はしばらくの間シェイプシフターを同行させることとし、遥香の入った杖は彼に持たせることにした。
遥香には申し訳ないが、しばらく身体を借りっ放しになることを伝えると快く了承してくれた。
彼女には、いつか何らかの形で埋め合わせをしなくてはならないだろう。
琴音たちは宗一郎殿の運転する車で加賀温泉に向かうそうだ。
いくら新型の魔力貯蔵装置を使ったとはいえ、自身の魔力回路に相当な負担をかけているはずだ。
琴音と千弦にはしっかり静養してもらいたいと思う。
彼の同行者のオリビアとかいう女性が気になるものの、まずはエルリックを尋問する必要があることから彼を玉山の隠れ家にある尋問室に監禁していた。
「さて、そろそろ起きてもらおうか。エルリック。・・・水よ。礫となれ。」
椅子に縛り付けられたエルリックの頭から冷水をぶっかける。
当然、琴音の強制身体制御魔法で叩き割られた額と鼻、圧し折られた右膝と左ひじはきれいに修復してある。
「ん・・・。ここは?」
よし。無事目が覚めたみたいだ。
・・・うん。脳に異常はないみたいだな。
それにしても琴音のやつ、強制身体制御魔法で重力加速度制御魔法並みの威力をたたき出すとは大したものだ。
半殺しどころか、私が治さなければ殺してるところだったよ。
強制系の魔法は術者側の魔力×抗魔力と被術者側の魔力×抗魔力の戦いになるからな。
ふつうの魔法使いなら、ここまでの威力にはならないだろう。
あいつの抗魔力は間違いなく世界でも五本の指に入るだろうし、千弦の魔力貯蔵装置を使った以上は、あの強制身体制御魔法に抵抗できる人間なんているのだろうか。
「さて、エルリック。私が誰だかわかるか?」
「・・・これは驚いた。あの時検知したのはそっちの身体だったのか。・・・100年ぶりだな。仄香。」
「まったく。お前は何を考えているんだ。相手が私かどうかわからないのにいきなり襲い掛かるとは。正気か?」
一応はおとなしくしているようだが、こいつはあの戦闘狂エルリックだ。いきなり暴れだす可能性も捨てきれない。
だが、この尋問室は特別性だ。
こんなこともあろうかと、壁や床、エルリックが座っている椅子に至るまで、対魔法・対魔術分解術式、そして呪詛返しの術式が織り込まれている。
よってこの部屋の中では、私以外の者は一切魔法や魔術、呪いは使えない。
ついでに強制身体制御や重力干渉術式も盛りだくさんだ。
「・・・何としても君に会いたかった。それがどのような手段を使っても、だ。」
エルリックは絞り出すように答える。
「なんでたった四年しか一緒にいなかった私にそこまでして会いたいんだよ。それにおまえ、かなりの戦闘狂だったが、女子供にいきなり襲い掛かるような奴じゃなかっただろう?」
「仄香。それは買い被りというものだ。僕はその見た目が女子供でも容赦はしない。その首を落とし、すり潰すまでは決して安心できん。」
うわ、こいつ、結城上野入道みたいなことを言ってるよ。
「おまえ、私と別れてから何があったんだ?」
「君と別れてから様々な強者と戦った。老若男女、様々な魔法使い、魔術師。見た目はヨボヨボの老婆が人狼の如く牙を剥き、歩き出したばかりの幼女が一息で村を焼き尽くすほどの火炎を吐いた。君もわかっているだろう?魔法を使う者の強さは外見に比例しないということを。」
「なるほどね。なまじ魔力検知能力が高いせいで相手の強さに敏感になりすぎたのか。で?琴音と千弦を殺そうと襲ったわけだな。」
「・・・?殺さないよう手加減はしたぞ?特にあの銃を持っていた方の娘。空間浸食魔法を多重詠唱で使おうとしたからあわてて躱しも殺しもせず、素手で止めたんだが・・・。聞いてないか?」
ああそうだ。こういうやつだった。本人の判断基準だけで考えるから、腕が折れていようが首の骨が折れていようが、「殺す気はなかった=手加減した」という恐ろしい理屈が成り立っているんだよな。
ん?だがこいつ、どのような手段を使っても、といったな。
「今先ほど、『どのような手段を使っても』といったな。具体的には何をやった?」
「双子の姉を人質に取って君所縁の杖を奪おうとしたり、オリビアを唆して教会に近付き君の情報を奪おうとしたり・・・。君の残り香を見つけて自作の付喪神を憑りつかせたこともあったっけ。そうそう、大掛かりなヤツで君へのメッセージを込めてアトラクションを作ったりもしたな。それ以外にも東西両方の陣営に常温常圧窒素酸化触媒術式をばらまいたりもした。戦乱があれば君も動きやすいだろう?」
常温常圧窒素酸化触媒術式って・・・お前だったのか!
だめだこいつ。早く何とかしないと。
予想のはるか斜め上を突っ走ってるよ。
っていうか、あの″山罪”とかいう概念の付喪神もこいつの仕業か。
呪いや怨霊だの付喪神だのといった、霊体や魂が剥き出しの存在が私に効くとでも思ったのか。
まったく愚かな奴だ。そんなくだらないモノを繁華街から1kmしかないようなところに放すなよ。一般人がおそわれたらどうするんだ。
っていうか、ストーカーに追いかけられる女性の気分がわかったよ。
すごい不快感だな。まるで何かが服の下を這いずり回っているような悪寒だ。
「・・・ってちょっと待て。アトラクション?まさかお前、妙高の魔力溜まりに八門金鎖の陣とか敷いてないだろうな?」
「なぜそれを知っている?ミョウコウの八門金鎖の陣は純粋に物理的な力で破壊されたはず。まさか君が?」
「ああ。正確に言うなら私の眷属が、だな。桃太郎とその一味だよ。」
エルリックは一瞬目を丸くした後、天井を仰ぎ、大きく息を吐いた。
「ああ。やはり僕は間違えていなかった。メッセージは届いていたんだ。いつか君に会えると信じて、世界中に種をまき続けた。それがやっと実を結ぶとは。何でもしておくものだな。」
こいつ、泣きながら感動している。
っていうか、メッセージ?届いてないよそんなもん。
うげ。なんというか、本格的に気持ち悪くなってきたんだが、どうしたらいいんだろう?
それと、私へのメッセージは分かるように人間の言葉で書け。とりあえず何語でもいいから。
「・・・まだ聞きたいことがある。おまえ、なんでそんなに私に会いたかったんだ?たしかに前世紀末以降、私はアメリカ国防総省などの政府機関と手を切った。それも穏便にな。結果、私の足取りがつかめなくなったことは事実だ。で?何かしてほしいことでもあるのか?それとも私を排除したかったのか?」
「そのどちらでもない。もっと大事なことだ。それも三つある。」
「どちらでもない?じゃあなんだ?もったいぶらずに早く言え。」
「・・・そう、だな。じゃあ、約束してもらえないか。僕の答えが気に入ったなら、全力で僕と戦ってくれると。ついでに万が一勝てたら、僕の願い事を一つかなえてほしいかな。」
・・・ああ、こいつ、もう末期症状だな。私の手で引導を渡してやるしかないのか。
「いいだろう。この部屋から出して勝負してやる。私が負けたら、どんな願いでもかなえてやる。とはいえ、私は死なないしな。お前の勝利条件は何だ。願い事も言ってみろ。」
「感謝する。勝利条件は・・・翌日の朝、僕が生きていること、かな。だが願いは勝ってから言おう。さて、僕の答えだが・・・まず良い方のニュースからだ。君の息子が封印されていた場所が分かった。」
「・・・!今、何と言った!?私の、息子、だと・・・?」
・・・息子・・・まさか、あの子が、あの子の居場所が分かったのか!生きているのか?いや、遥香の入っている杖の、かつて魔王の心臓と呼ばれたあの子の心臓は動いている。
間違いなく、生きている。
「ああ。君にとっての長男だ。最初の身体の時に、土砂降りの日の夜に、苔むした岩の上に敷いた藁のベッドの上で産んだ息子だ。続けていいか?」
「あ、ああ。・・・いや、待て。『封印されていた』と言ったな。封印は解けたのか。」
感動、なのだろうか。数千年の間、一度も味わったことがない、まるで世界が揺れているような感覚が、足元から這い上がってくる。
「・・・それが二つ目だ。日本の深海探査船、何と言ったっけかな。『させぼ』だったかな?いや、『しんかい』だったかな?とにかく、そいつらが、彼が封印されている棺を深度4000メートルの深海から引き揚げたんだ。」
「それで、あの子は今どこにいるんだ!?無事なのか!?」
「・・・中は空だった。引き揚げた連中、海洋研究開発機構だったかな。そいつらが、呪物の可能性があるからと僕を呼び出したのさ。君にそっくりな魔力残滓の検知をしてびっくりしたよ。引き揚げる直前まで中にいて、水圧で封印がほどけた瞬間、棺から飛び出したようだ。」
あの子は・・・無事なのか。少なくとも、封印が解けた瞬間に動ける程度には。
「それで、引き揚げたのはいつのことなんだ?ずっと私を探していたということは、かなり前の話なのか?」
「・・・いや、引き揚げられたのは今年の9月半ばだったかな。ここまでは僕が急いでいた理由さ。時間をかけてメッセージを送り続けた理由、つまり本題は最後の三つ目なんだ。」
・・・三つ目?これ以上何の話があるのだろうか。今すぐあの子を探しに行きたいというのに。
「まだ何かあるのか?いや、そういえば、お前はずっと私のことを探していたといったな。その理由を聞いていない。三つめはそれか?」
「ああ。そうだ。教会の連中が崇め奉っている女神・・・その名を口にすることもできないという、例の女のことだ。長い間、魔法協会や魔術結社がその正体を追い続けていたらしいが、今から50年ほど前、最後に召喚された後に、偶然らしいけど河辺機関の諜報機関員によってその正体が判明したんだ。」
「ん?なんでそんなことが私に関係あるんだ?くそ女神の正体なんて私には関係ないんだが?」
そういえばあのくそ女神、最後に何か叫んでいたっけ。ええと、何だったかな?とにかく知性があったんだよな。出来の悪い怪異か怨霊としか思ってなかったよ。
「・・・君の、最初の身体の時の、妹だ。」
今度こそ。本当に今度こそ。私は何も言えなくなってしまった。
息子が封印されていた場所が分かった。とてもうれしい。
封印を解かれて、今どこかで生きている。とてもとてもうれしい。
だが、女神、いや、女神が私の妹、だと?あの時、石板の破片で頭を割られて死んだ、あの子、だと?
それが本当なら、私はあの子に何をした。
この世界に出てくるたびに、憎しみを込めて魔法を放ち、魔力で打ちのめし、その心を折り、具現化できないよう、その幽体をすり潰した。
それでもあの子は、妹は名前を呼ばれるたびにこちらの世界に出てきた。
誰かに名前を付けてもらっていたことも驚きだが、名前というものを足掛かりにして何とかこの世界に戻ってこようとしたのだろう。
そして、なぜかそのたびに周囲を魔力に還元した。
そうだ。あの子は私と違って自分の子孫が一人もいない。
もし、あれが「攻撃」のためではなかったとしたら?
自分の身体を再構築するために、手探りで魔力をかき集めているだけだとしたら?
どうしよう。私は、何ということをしていたんだ。
息子のことしか考えていなかった。今の今まで、妹のことなど完全に忘れていた。
愕然として立ち尽くす私に、エルリックは朗らかな声で言い放った。
「どうだ。仄香。僕の答えは気に入ったか。気に入ったのなら・・・わかるよな?」
エルリックは、犬歯を剥き出しにしたオオカミのような顔で破顔している。
彼の答えは、予想をはるかに上回るものだった。
彼が私を追いかけ続けた理由は、かつて別れた女を惜しむかのような、恋だの愛だのと言ったものだと思っていた。
分からない。この男の考えていることが全く分からない。
話に脈絡がない。何をしたいのかも分からない。
だが、私がどうしたいのかはもう決まっている。
「いいだろう。勝負してやる。小笠原諸島にちょうどよさそうな島がある。そこでいいか。」
「もちろんだ。・・・あ、そうそう。僕が死んだらミョウコウの例の廃村、いや、アトラクションの神社の本殿の床下を調べてみるといい。僕の研究室がある。」
「わかった。遺言はそれだけだな。ついてこい。」
エルリックを尋問室から解放し、預かっていた白い長杖を返す。
そして、彼を連れて定点間中距離転移術式で玉山の中腹に出た後、小笠原諸島で噴煙を上げ続ける西之島に向かって長距離跳躍魔法を使い、飛び立った。
◇ ◇ ◇
小笠原諸島 西之島
東京の南約1000km、小笠原諸島の父島から西北西約130kmに位置するこの島は現在でも火山活動を続けており、大きな噴煙を上げ続けている。
東京ドーム90個以上の面積があるにもかかわらず、人っ子一人いない。それどころか木の一本も生えていない、岩と砂、そして海鳥の糞と草だけの殺風景な島だ。
以前、長期的な環境変化が長距離跳躍魔法の道標の設定にどう影響するかを実験するために訪れていたが、こんな使い道をすることになるとは夢にも思わなかった。
西之島の北側、開けた平地に二人で降り立つと、エルリックはゆっくりと私から離れ始めた。
100メートルほど離れただろうか。わざわざ拡声術式で声をかけてきやがった。
「ふうん?なかなかいい場所じゃないか。さすがは仄香。いい死に場所を知っているね。」
「・・・お前が何を考えているのかは知らん。私は今、余計なことを考えられるような心の余裕はない。全力で殺してやるからかかってこい。」
同じように拡声術式で返事をしてやるとエルリックは白い長杖を振るい、瞬時に人間とは思えないほどの魔力を練り上げた。
・・・遥香の身体に無理をさせないようにとは言ってられないか。後で詫びよう。
「術式束682,534、術式束740,037、術式束1,275,449、術式束699,413を連続発動。続けて八連術式852,891,137,441。再発動852,891,137,441を発動。」
術式強化、思考加速、多重詠唱、術式反復。
身体強化、感覚鋭敏化、乱数回避、直感鋭敏化。
精神防御、物理防御、抗呪抗魔力、霊的汚染妨害。
高起動、照準妨害、熱運動量制御、解析・鑑定。
そして防御障壁を8枚。さらにそれを再詠唱で16枚。
合計、32個の術式を一気に発動する。
この身体にとっては、さすがに同時発動した術式の数が多すぎたのか、視界の隅が歪み始める。
「−−−−!−−−−!」
エルリックが超高速詠唱を行うとともに、彼の杖の周りに数百の炎と雷、そして石弾が浮かび、続けてそれらが一斉にこちらに殺到する。
一発一発はまるで轟雷魔法にも迫る威力と勢いだ。それを数百発。
さすがだ。発動遅延詠唱と同じことができる杖を作ったのか。よくぞたった100年でここまでの高みに届いた。
並みの魔法使いなら数十人、いや百人を超えても相手にできそうな火力だな。
なるほど、琴音や千弦にはしっかりと手加減をしていたということか。
だが、お前の前に立っているのは私だ。
戦艦の主砲で6枚。業魔の杖で7枚。あのビ・・・いや、女神の純魔力砲で11枚。
今展開している防御障壁は16枚だ。
抜けるものなら抜いてみろ。
轟音、熱気、衝撃。おそらくは周囲に鳴り響いているのだろう。防御障壁の向こうで地面の岩や砂が赤く煮えたぎっているのが分かる。
だが私のもとにはそよ風すらも届かない。
それでも、16枚の防御障壁はすでに外側から4枚目までひびが入っている。
そして今5枚目にひびが入った。
大したものだ。ただの人間が遺物や聖遺物、そして呪物も使わずに私の防御障壁の5枚を打ち抜くとは。
・・・エルリック。お前に敬意を表してとっておきをくれてやろう。
使う相手もいなくて、まだ名前すら付けていない魔法だ。
「百連唱、風よ。不羈奔放なる神翼よ。叫びて遥か遠巒を切り刻め。」
私の詠唱が終わると、周囲の音が一瞬掻き消え、直後、至近距離で子供の金切り声のような、あるいはガラスを連続して叩き割るような不快な音が響き渡る。
私の魔力を受けて発動した風は、その余波である空振だけで周囲の岩石を瞬時に粉微塵にし、砂漠のようになった周囲の大地を引き剥がしながらエルリックに殺到した。
「−−−!−−−−!」
エルリックは大きく杖を振るい、半球状の障壁のようなものを展開する。
だが彼に押し寄せた、圧力の差だけで電離してその濃淡が目で見えるほどになった爆風の塊は、彼の展開した障壁を一瞬で叩き割り、その身体だけではなく、その後ろにある安山岩質のまだ名前すらついていない火山を根こそぎ吹き飛ばした。
「−−−−−−!」
遠く、エルリックの詠唱が響いている。いや、これは幻聴だ。この爆音の中で聞こえるはずなんてないだろう。
大きく砕けた山体は巻き上がって海に落ち、衝撃で津波のようなものが残った西之島に殺到する。
「エルリック。これで満足か。自分より強い敵・・・上ばっかり見てたってキリはないんだよ。私だってそうさ。何か大きな力には絶対に勝てない。いくら歳を重ねても、力を増してもこの手からあり得ないほど多くのものが零れ落ちていく。そして何も残らない。」
轟音はまだおさまらない。私が展開した防御障壁に何度も何度も津波が押し寄せる。
私は何をしているんだろう。
100年前、あの少年は私が声をかけるまでずっとあの喫茶店の前で泣きべそをかいていたっけ。
彼は自分の両親を叔父たちの謀略で失ったけど、私と旅をする四年の間になんとか闊達に笑うようになった。
私は良かれと思って、彼と別れる直前にその家督を取り戻し、財産を回収してやった。
叔父によって奪われた父親の功績を取り戻した。叔母によって貶められた母親の名誉も回復した。
その結果がこれか。すべて力で取り戻したのが悪かったのか。それとも、エルリック自身の力でやらせるべきだったのか。
かつて闊達に笑っていた少年は、もういない。
今、私が殺した。
・・・もう疲れた。あと何年、いや何千年繰り返せばいいんだろう。
根こそぎ吹き飛ばされ、その形を大きく変えた西之島で、炭酸飲料のキャップが外れたかのように溶岩を噴き出している火山を背に一人、膝を抱えて座り込んだ。
◇ ◇ ◇
何時間座っていただろう。展開したままの防御障壁に、私が上半分を吹き飛ばした火山から噴き出たマグマが押し寄せ、壁のように折り重なっている。
濁り切った眼で空を見上げると、西の空が赤く染まり、頭上にはいくつかの星が瞬き始めていた。
ぐらぐらする頭を振り、これからのことを考える。
そうだ、私の息子が生きている。迎えに行かなきゃ。
でも、どこに行ったらいいんだろう。
女神、いや、妹はどうしようか。
たぶん、許してはくれないだろうな。
じゃあどうする?
ああ、そうだ。人がいないところで呼び出そうか。こんなところではなくて、もっときれいなところ、魔力がたくさんありそうなところで。
それでも魔力が足りなけりゃ、私の魔力を都合してやればいいか?多分足りるだろ。
それと、何だっけ。そうだ、妙高の廃村の神社にいこう。
エルリックの研究データは見ておいた方がいいかな。
まるで炎症でも起こしているかのように、そう、興津の辺りの言葉でいえば「いらひずい」だっけ?いや、もっと西の方の言葉だっけ?
まあ、いいや。そんなモヤモヤ、イライラする心と頭のまま、妙高の廃村に向かって大きく形を変えた西之島を飛び立つことにした。
「・・・勇壮たる風よ。汝が翼を今ひと時我に貸し与え給え・・・。」
眼下に遠ざかる不格好な形になってしまった島を見下ろして、ああ、これはエルリックの墓標なんだな、なんて馬鹿なことを考えつつ、星が降るように晴れ渡った、でも凍てつくような空を一人で駆けて行った。
◇ ◇ ◇
久神 遥香
仄香さんが作ってくれた杖の中の仮想空間で一人、ボケーっとポテチを食べながら有料動画サービスの映画を見ていた。
この杖の中は快適だ。私が今いるところは3LDK、庭付き一戸建て。
そう、足立区の私の家そっくりな家だ。
電気ガス水道は使いたい放題、スマホやインターネットにいたっては現実世界に直接繋がっているから、実際にパパとLINEや通話だってできちゃう。
それだけじゃない。お菓子や飲み物、雑誌などを扱うコンビニみたいな店が家のすぐ近くにあり、その向こうの商店街には参考書やマンガを扱う本屋、向かいにはゲームショップ、ファミリーレストラン、それから可愛い服や小物を扱うお店。
家の外はちょっと現実世界とは違うけど、町が丸ごと再現されているのだ。
ビックリなことに、私のお財布の中には定期的にこの世界の通貨がチャージされる。
・・・金銭感覚が狂わないように気をつけなきゃ。
少し歩けば大きな公園があって、その向こうには泳げそうなほどキレイな川がある。
ちょっとした地方都市くらいの世界が構築された仮想空間が広がり、まるで人のように振る舞うNPCの人達が暮らしている。
仄香さんが私のためだけに作ってくれた世界だ。
おかげさまで退屈せずに過ごせている。
そんな世界の、私の部屋のベッドでゴロゴロしながら考え事をしていた。
実は、みんなに秘密にしていることがある。もしかしたら、仄香さんも気付いていないかもしれない。
初めのうちは、色々な知識が思い出すように頭に浮かんだから、自分が知っていたことだと思った。
私は11月4日にあの身体に戻って、いや仄香さんのおかげで生き返れた。
でも、いきなり日本でも五本の指に入る・・・いや、一位二位を争うような超進学校に通うことになっていたから、かなり慌てたのよね。
優しい友達たちに囲まれて、何とか一緒に卒業だけはしたいと思って、目が覚めた日から私なりに勉強を頑張った。
でも、頑張ったのは「私なりに」だ。
私が通っていたのは公立のどこにでもある中学だ。
高校一年だって、一般的なことしか教えないアメリカの日本人学校だ。
そこで平均点よりちょっと下くらいの点数しか取れなかった私が、開明高校の授業についていけていること自体異常だったのだ。
最初に違和感を感じたのは、仄香さんが私の身体を使って召喚魔法を使った時だ。あれは確か敦賀の港でスキュラさんと蛟さんを喚んだんだっけ。
初めて見るはずの眷属なのに、その名前が瞬時に頭に浮かんだんだ。
最初は、近頃は一生懸命勉強してるからかなー、なんて思っていたけど、私は神話や怪異といったものにそれまで興味はなかった。
知っているはずがないことを、知ることができてしまったのだ。
仄香さんは「魔女のライブラリにアクセスできるんじゃないか」って言ったけど、何のことかわからなかったよ。
もちろん、何でも知ることができるわけではない。
仄香さんの記憶、まるで宝箱か金庫のように守られた情報は、どうやっても見ることができない。
でも比較的機密性が低い情報、例えば高校で学ぶような内容、あるいは世界中で話されている言語。頻繁に使う魔法の詠唱や魔術の術式。そういったものは簡単に知ることができた。それも、まるで思い出すかのように。
まあ、これは私には魔力なんてないから、魔法は知っていても使えないんだけどね。
そして知ってしまった。
11月5日の、千弦ちゃんの身体から見た視界の記憶。
あの日、廃工場のような場所で私の身に何が起きたのかを。
琴音ちゃん、千弦ちゃんが必死になって隠してくれた真実を。
仄香さんが消してくれた、忌まわしき記憶を。
幸いというか何というか、第三者視点で繰り広げられる映画のような描写のおかげであまり実感もわかないし、それほどショックにも感じなかった。
うわー、ひどいなー、とか、グロいなーとか思っただけだ。
いや、嘘だ。それなりにショックは受けている。でもそういうことにしておきたい。
もしかしたら、まだ生きている実感がわいてないのかもしれない。でもその方がいい。
あははっ。そんなことよりも、9月23日の新宿御苑の記憶の方がショックだったよ。
仄香さんってば、眠っている千弦ちゃんにいきなりキスをするんだもの。それも口を開かないからって歯の間に舌まで入れちゃってさ。
思い出したかのように知ったとき、しばらく千弦ちゃんの顔が見れなかったよ。
ははっ。ファーストキスの相手が千弦ちゃんでよかったよ。ほっぺにしたのもカウントするなら剛久君だけどね。
でも、こんな私と違って、怒涛のような荒波のなかでみんな頑張っている。仄香さんも、琴音ちゃんも、千弦ちゃんも。
もっと強くなりたい。魔力とか、腕力とかそんなことじゃなくて、何かあったときに自分で立って解決に向かって走り出せるようになりたい。
まずは仄香さんには頼らず、自分で何ができるか考えよう。
◇ ◇ ◇
小笠原諸島 父島
二見港
エルリック・ガドガン
・・・いや、死ぬかと思った。久しぶりに会った仄香の魔法は、これまで戦ってきたどの魔法使いとも一線を画していた。
・・・いや違うな。次元がいくつも違った。
まさか、これほどまでとは。西之島の地形が多少変わるくらいのことは覚悟していた。
だが、活動中の火山を裾野付近からえぐり飛ばすとは。
それも、見た限りだとただの風系列の魔法でだ。それも、あれは元素精霊魔法や禁呪の類いではなく、ただの概念精霊魔法だ。
あれだけの現象を起こすために、いったいどれほどの魔力を概念精霊に捧げているのだ!?
彼女は人間じゃないとか、そういうレベルではない。完全に一個の災厄だ。
なんと素晴らしい!
いや、全身全霊で堪能してしまった。役得役得。
じゃあなくて。僕は彼女のことを知っている。人間として感情を持つ、ただの女性であることを知っている。
困った人間を見ると反射的に身体が動くレベルで優しく、そしてツライことがあれば泣き、うれしいことがあれば喜び、ちょっとしたことで笑う、ほとんど見た目通りの精神年齢の女性であることを知っている。
彼女には是非、理解してもらいたいことがある。かなえて欲しい願いがある。
彼女がミヨと名乗っていたころ、その半生をかけて女神の正体を調べ上げた河辺機関のミチオ・タドコロの遺言を守るためにも。
そのためには、僕は何が何でも、生きてもう一度彼女に会わなければならない。
軋むように激痛が走る身体を動かし、ポケットから一枚のコインを取り出す。
日本のキンキ地方の祠で見つけた、彼女が教会から奪って隠したらしい遺物。
その最後の一枚。僕が式神”ヤマツミ”と引き換えに手にすることが出来た、魔女の最後の残り香。
教会の贋い物の奇跡。
「・・・行先を指定。ミョウコウ102。ジャンプ!」
何とか絞り出したその言葉に反応し、コインに込められた最後の魔力が解き放たれる。
乱雑な魔力で無理やり形成された、最後の長距離跳躍魔法の光に包まれ、僕は北に向かって星空を駆けて行った。
次週から更新日が変わります。
毎週水曜日午前0時⇒毎週金曜日午前0時
なお、次回の更新日は、今週金曜日です。