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110 Hide and Seek in snow

 12月27日(金)


 九重 宗一郎


 非常に厄介なことになった。救助した女性を後部座席に乗せたまま今来た道をUターンして走り出したんだが、走っても走っても一本道が終わらない。


 それだけじゃない。林の中で、先ほど散布した呪病に複数の動体反応があったのだ。

 しかも、そのほとんどが大型の野生動物のそれだ。

 中には二足歩行らしい個体もいる。

 

 この車のシャーシは陸軍の高機動車のものだし、ボディだってそれなりに頑丈にできてはいるが、鹿やイノシシ程度ならともかく、ツキノワグマなどと衝突すれば立ち往生してしまうだろう。


「ん・・・。む・・・前髪カットは1,000円ですぅ・・・。カラーは7,000円、ブリーチは12,000円ですー。すぴー。ぐー。」


「・・・この状況で夢の中まで仕事してるのかよ。まったくご苦労なことだ。」


 丘島千歳(おかじまちとせ)、とかいったか。この状況で寝ていられる胆力は大したものだ。まさかと思うが、降り積もる雪の中でマフラーと帽子を枕にして寝ていたんじゃないだろうな?


「むふー。年末年始は休まず営業してますー。おせちはもう飽きましたー。」


 ・・・駄目だ、気が散って呪病の制御に集中できない。

 外に出てちょっとタバコでも吸うか。


 車を路肩に停車し、降りてオイルライターでタバコに火をつける。


 残念ながら俺の車は全部禁煙車だ。ウィンストン・キャスターマイルドはそれほど強い匂いのタバコでもないと思うが、姪っ子たちがタバコの匂いを嫌がるかもしれないからな。


 さて、濃度を上げて詳細に観測できるようにした呪病の反応は・・・。

「・・・マジかよ。なんで遥香ちゃんがこんなところにいるんだよ。」


 車の向かう先の2キロほどのところの路上に人間の反応があるようなので、呪病を集中して調べてみたところ、それは遥香ちゃんだということが分かった。


 見覚えのある桜色のショートダウンと薄茶色のトレンチスカートを着た黒髪の少女が、雪の中を一人歩いている。


 しかも彼女から500メートルくらいのところに大型の動体反応がある。

 2メートル半以上の二足歩行の個体だ。


「おいおい、もし遥香ちゃんに何かあったらシャレにならないぞ!久神先輩に殺されちまう!」


 慌てて車に飛び乗り、アクセルを踏み込む。

 呪病の索敵能力を効率よく使うために窓は薄く開いたままだ。


「んがっ。んがっ!・・・え?ここどこ?車の中?」

 後部座席で女性が目を覚ます。少し乱暴になった運転で目が覚めたようだ。


「目が覚めたか!君は林の中で遭難していたんだ!このまま近くの町の交番か警察署まで行くから安心しなさい!」


 目が覚めたらいきなり見知らぬ男の車に乗せられているんだ。女性が心配しないよう、行先を交番か警察署と告げておく。

 というか、この先に交番なんてあったかな?


「へぁ?そーなん。そうなんですかぁ。それはありがとうございます?」


 緊張感のない女性だ。だが今起きている状況については黙っていたほうがいいだろうな。

 それよりも遥香ちゃんのほうだ。


 可能な限りの速度で三分ほど走ると、路上に立つ遥香ちゃんの姿が見えてくる。

 パッシングをするとあちらも気づいたようで、こちらに向かって手を振ってきた。


 真横に車を止めると、すぐに助手席側に駆け寄ってきてドアに手をかける。


「宗一郎さん!無事ですか?ケガはありませんか?」


 例の杖だろうか、黒字に金の刺繍が施された袋に入った長い棒を持ったまま助手席に滑り込んできた。


 遥香ちゃんが自宅を出た時から肌身離さず持っているが、あんな杖を使うアニメのキャラなんていただろうか?

 それに、妙に出来がいい。

 金や銀の質感といい、はめ込まれている宝石といい、到底おもちゃとは思えない。


「無事かって、こっちのセリフだよ。なんでこんなところにいるんだ?まさか君もこの異変に巻き込まれたのか?」


「異変・・・あ、しまった・・・。」

 ・・・?何が「しまった」なんだ?半ドアだったか?


「まあいい。ん?動体反応が一斉にこっちに集まってきた?なんだ?」


 ひときわ大きな反応が一つ、ちょうど車の後ろの路上に現れた。

 バックミラーを見ると、そこには信じられないようなサイズの赤黒いモノが仁王立ちになっていた。


「なんだ、ありゃあ?熊?ツキノワグマって大きさじゃねぇな。ほとんどヒグマじゃないか!」


 いくらこの車が頑丈でも、あんなものに襲われてはひとたまりもない。

 素早くクラッチをつなぎ、アクセルを吹かす。


 降り積もった雪をかき分けながら走ると、たとえオフロード車でも大した速度は出ない。

 時速50キロも出ればいいほうだ。

 ヒグマならばそれくらいの速度が出るだろう。逃げ切れるだろうか。


 ・・・ヒグマ?いや、ヒグマがこんなところにいるはずはない。あいつは直立していたし、手に何か持っていたようにも見える。

 バックミラーを見る限りでは、追ってきてはいないようだ。

 呪病を撒き続けて様子を見るか。


 少しだけ窓を開き、隙間からさらに呪病をまき散らす。


 呪病は最初にプログラムして生成するとき、そしてプログラムの書き換えなどの信号を送る時に自分の魔力少し消費するだけの省エネな魔法だ。


 あとは勝手に周囲の魔力を食って一定の濃度になるまで増殖していく。

 作ってから何か月も経つと消滅してしまうが、パンデミックを起こすわけではないから消費期限が問題になることはない。


 それにしても、この森はおかしい。あまりにも魔力に満ち溢れている。

 かなりの勢いで呪病が増殖していく。

 ・・・俺にとっては都合がいいだけだが、いったい何が起きているのだろうか?


「宗一郎さん!前!」


「っ!」

 遥香ちゃんの声に慌ててブレーキを踏む。


 車は雪煙を巻き上げながら横滑りし、ぎりぎりのところで止まることができた。


「すまない、助かった。」


 まっすぐ戻れるはずの道路が、雪の壁で行き止まりになっている。

 土砂崩れ?そんなはずはない。この辺りは比較的平坦なところで、道路の左右に崖はなかった・・・はずだ。


 片方の崖には石造りの階段のようなものがある。少なくとも人工物があるということは、この先に人家があるということだろうか。


 今来た道を振り返るが、ヒグマもどきはまだ追いついてないようだ。

 普段の俺なら、(ケツ)に帆をかけて逃げ出すんだが・・・。

 道路がこれじゃあ、逃げることも難しそうだ。


 助手席の遥香ちゃんと、後部座席で目を回している金髪の女性を交互に見る。


 あまり戦闘は得意じゃないんだがな。

 この場で戦えそうなのは俺だけだ。


 まずは道をふさいでいる雪の山をどけられるか調べなくてはならない。


「遥香ちゃん、車から絶対に降りないでくれ。大丈夫、俺が何とかするから。」


 そういってドアを開け、車から降りる。さて。呪病だけでどこまでやれるか。


 ◇  ◇  ◇


 仄香(ほのか)


 別荘を飛び出して宗一郎殿と合流したが、この体が遥香のものだということ、そして魔女である私が入っていることを宗一郎殿が知らないことを忘れていた。


 宗一郎殿に感づかれないようにするには、どうやって戦えばいいだろうか。

 会敵早々、問答無用で空間浸食魔法でも叩き込むか?


 魔力探知をした限りでは、敵は、・・・いやまだ敵対しているかはわからないが、アレは大多鬼丸とかいう古い鬼のはずだ。

 確か、蝦夷(えみし)に伝わる、坂上田村麻呂と戦ったという伝説の鬼だ。

 他にも似たような連中が数体いる。


 福島県田村市にある、あぶくま洞東本洞と連結している鬼穴に財宝を隠したと伝えられる鬼で、霧と雲を妖術で操り、大滝根山に白金城を構えて朝廷軍と対峙したんだったか。

 自害したと聞いていたが、生きていたのか。


《宗一郎さん、無事でよかったね。これからどうするの?》


「とりあえずこの結界を内側から壊そうかと思っていたんですが、それをやると宗一郎さんに私が遥香さんではないと気付かれる恐れがあるんですよね・・・。」


 宗一郎殿が車から降りて周囲を調べているのを見ながら車の中で思案していると、後ろの座席から間延びした声が聞こえた。

「どーもー。これってどういう状況ですかー。」


 ・・・?どこかで聞いた声、聞き覚えのある口調だな。

 それに、この魔力波長は・・・。

「まさかと思うが、お前、比丘尼(びくに)か?」


「うわ、え、そ、ソンナコトナイヨー、お姉さんはまだピチピチの二十代だよー。ただのカリスマ美容師だよー。八百年も生きてナイヨー。」

 比丘尼(びくに)、という言葉でここまで反応するとは。


仄香(ほのか)さん、知り合い?》


「ええ、古い顔馴染みです。・・・垂氷(たるひ)が新しいパソコンの処理速度が速くて助かるって言ってたぞ。」


「え、そりゃあHDDじゃなくてSSDだからねー。っていうか、パソコン使ったの初めてじゃなかったっけー?違いなんて分かるのー?」

 ・・・語るに落ちてやがる。


「やっぱり八百比丘尼(やおびくに)じゃないか。いや、そう呼ばれたのは200年位前だっけか?おまえ、今何歳なんだよ?」


「う、私はまだ若いのー。すっごく苦労して今の戸籍を手に入れたのにー。あなた、誰なのよー。」


 そりゃあ、苦労もするだろうな。ちょっと昔ならともかく、今は身分証明がうるさいから定期的に戸籍を乗り換える必要があるだろう。


「私だ。って言ってもわからないか。古くは藻女(みずくめ)玉藻前(たまものまえ)、いろんな名前で呼ばれていたな。最後に会ったときはナーシャと名乗っていたはずだ。」


「うっそ。うわ、500年ぶりくらいじゃないー?」


「おまえ、しばらく見ないうちに物忘れがひどくなったか?私がナーシャと名乗っていたのは戊辰戦争のころだろうが。」


「あれ、そうだっけー。まいいや。これってどういう状況なのー?」


 相変わらず緊張感のない奴だ。ファブ〇みたいな喋り方をしやがって。


 最初に会った時には死にきれなくて悲壮感の塊みたいなやつだったが、どうやら悩んでも仕方がないことを悟ったようだ。

 両極端に振るのはこいつの性格なんだろうな。


「状況ね。私も知りたいくらいだ。お前、何か知らないか?」


「う~ん。私はー垂氷(たるひ)のところに差し入れに行った帰りに迷子になってー、歩き疲れたからー寝てただけなんだけどー。こまったなあー。スマホのバッテリーはなくなるしー、おなかすいたしー。」


 だめだな。やっぱり役に立たなそうだ。

 宗一郎殿の手前、とりあえず口裏だけ合わせておくか。


「おい。比丘尼(びくに)。お互い人には言えない身の上だ。口裏は合わせておく必要がある。いいな?」


「うんー、わかったー。それでどうするのー?」


「お前と私は今日初めて出会った。自己紹介をしあって名前を知った以外はお互いに何も知らない。いいな?この身体の名前は久神遥香だ。遥香と呼べ。」


「遥香ちゃんねー。私は千歳。丘島千歳(おかじまちとせ)よー。」


《・・・仄香(ほのか)さん、自分の呼び名が相手によって変わって大変そうだね。》


「こればかりは何ともなりませんからね・・・。」


 全くそのとおりだが、魔法や魔術の運用には「名前」というものが非常に重要な意味を持つ。

 魔法や魔術は身体側の魔力回路を使用する。ごく一部の例外を除いて、魔力回路にはその身体の名前が銘記(めいき)されている。

 そのため、よほどのことがない限りはその身体の名前を名乗らなければならないのだ。


 もちろん、自分での名乗りが重要なだけで、ほかの人間が私をどう呼ぶかは関係ない。よって琴音や千弦、遥香や咲間さん(サクまん)が私を仄香(ほのか)と呼ぶことで問題が起きることはない。


 比丘尼(びくに)と私のお互いの呼び名が決まったところで、ちょうど宗一郎殿が戻ってきた。


「やっぱりだめそうだ。遥香ちゃん、車はここにおいて徒歩で移動するしかなさそうだ。それと丘島さんだっけ?スカートと靴下、ブーツを履いてくれ。ヒーターで乾かしてある。」

 宗一郎殿はそう言いながら座席下の収納をあさっている。


 歩きか。仕方がない。こちらでも琴音たちに念話で連絡を入れておこう。心配させるといけないからな。


《琴音さん。宗一郎さんと合流しました。救助された女性も意識が戻っています。二人にケガはありません。そちらはどうですか?》


《あ、仄香(ほのか)。無事でよかった。こっちは何も問題ないよ。せいぜいエルがリビングでおなか出したまま寝ちゃったことくらいかな。ところで伯父さん、暴走してない?》


《暴走?宗一郎さんが?もしかして宗一郎さんも魔法使いなんですか?》


《そういえば言ってなかったっけ。宗一郎伯父さんはちょっと特殊な魔法使いでね。本人は呪病・呪毒使いって言ってるけど、超極小の式神使いだよ。いわゆるナノマシンってやつだね。周囲の魔力を食べて勝手に増殖するってさ。詠唱も術式も、魔力回路(サーキット)もいらないみたいだよ。》


《勝手に魔力を食べて増殖するナノマシンを使う魔法使いなんて、今まで聞いたことがありませんよ。そうか、それほど微細な魔力だから魔力探知しても魔法使いだってわからなかったんですね。》


 長く生きているが、そんな魔法使いなんて聞いたことがない。


 魔法といえば、基本的には自分の魔力を魔力回路(サーキット)を使って制御し、詠唱により出力して行使するものだ。

 もちろん、詠唱の部分を魔法陣や儀式で代用することも可能で、一般に無詠唱といわれるものがそれだ。


 最近では空木(うつろぎ)とかいう女の使っていた呪縄印がそれにあたる。

 アレはあれですごく大変なんだけどな。


 だが、威力が大幅に下がったり、一種類しか魔法が使えなかったりするなどの問題があり、よほどのことがない限りは普通に詠唱を行ったほうがいい。


 例外としては、起動中の魔法は魔力回路側で制御をするだけですむので、遥香の魅了魔法のような常時起動状態の魔法ならば詠唱は不要だ。


 魔術は魔力貯蔵装置(バッテリー)、または魔力発生装置(ジェネレーター)から得た魔力を、魔力回路(サーキット)の代わりに術式で制御し、詠唱の代わりに起動信号で発動する。


 つまるところ魔法も魔術も根本的な部分は変わらないのだが、宗一郎殿の魔法だけは明らかに異質だ。

 本人の魔力も、蓄積しておいた魔力も使わず増殖する?

 制御に術式も魔力回路も不要?

 ナノマシンへの命令はどうやっている?


《伯父さんに魔法について詳しく聞いたことはないけど、魔女でも知らない魔法使いっているんだね。》


《世界は広いですからね。あ、そろそろ移動します。定期的に連絡をしますから、私が帰るまで絶対に家から出ないでくださいね。》


《りょーかい。》


 通行止め状態の道路上にいるわけにはいかない。やはり車を置いて移動しなければならないか。


 宗一郎殿は、車のルーフキャリアからいくつかの装備をおろすと、それらをまとめて背負った。

 どこからか取り出したストックを比丘尼(びくに)、いや千歳にも渡し、荷物の一部を背負わせている。


「すまないがここからは歩きだ。遥香ちゃんはその杖だけで大丈夫かい?」


「はい。体重をかけたくらいでは折れませんから。」


 宗一郎殿は満足そうにうなづくと、車が停まっている路肩のすぐ横にある石造りの階段に向かって歩き始めた。


 ◇  ◇  ◇


 九重 宗一郎


 車から登山用の装備などを二人分取り出し、一つを俺が、もう一つを丘島さんに持たせて石造りの階段を上り始めた。

 隊列は前から丘島さん、遥香ちゃん、俺の順番だ。


「遥香ちゃん大丈夫か?疲れたらいつでも言ってくれ。」


 久神先輩から聞いているとおり、遥香ちゃんは体が弱いから無理はさせられない。

 幸いなことに丘島さんはかなり健脚なようで、余裕をもって前を進んでいる。


 何に追われているのかわからないが、車で数分走った程度は引き離したはずだ。

 だが、降り積もった雪の上にはどうしても足跡が残ってしまう。だがそれを逆手にとって、追跡者をあらぬ方向に誘導してやることにした。


「宗一郎さん、さっきから何をしているんですか?」

 遥香ちゃんが不思議そうに尋ねてくる。


 俺は、先ほどから呪病を撒きながら歩いているが、はたから見たら確かにおかしな動きかもしれない。

 凍えるほどの寒さの中、定期的に手のひらを上に向けてふっふっと息を吹きかけているのは、たしかに少しおかしく見えるだろう。


「ああ、ちょっとしたおまじないさ。」


 こうして空中に飛散した呪病は、俺たちが歩いたのとは完全に違うところに足跡をつけていく。

 熱を作る呪病で足跡の形に雪を溶かし、木々を腐らす呪病でまるで人間が(やぶ)をかき分けたかのように枝や葉を散らす。

 俺たちの体臭を再現する呪病も欠かさない。

 軍用犬も(だま)せる、ちょっとした俺の特技だ。


 当然だが、俺たち自身の足跡やにおいを消すのも同じ呪病がやってくれている。


「あ、前方に民家がありますー!」

 前方を歩く丘島さんが声を上げる。


 たしかに民家のようだ。住民がいるなら、警察を呼んでもらおうか。

 ・・・警察にはあまりいい思い出はないけどな。


 民家の軒先につき、呼び鈴を押してみるが何も反応がない。鍵もかかっているし、残念ながら無人のようだ。


 遥香ちゃんが引き戸に手をかけ、ぶつぶつと何かを(つぶや)いている。

 かわいそうに、もう疲れてしまったのか。


 ふと、遥香ちゃんの身体に不思議な気配が漂う。

 ・・・なんだろう?この沼の水底のような、冬霧の深い極夜の森のような、不自然に淀んだ薄闇と、骨の髄から凍るような寒さに包まれているかのような気配は・・・?


「鍵、開いてますよ。緊急事態だし、中に入れてもらってもいいんじゃないですか?」

 ・・・先ほど開かなかったのは、建付けが悪いせいか。しかし、今の気配は一体・・・?


「すみませーん。お邪魔しまーす。」

 丘島さんが恐る恐るその家の中に入る。


 電気は・・・来ていないようだ。ずいぶんと古いデザインのブレーカーを上げるが、照明器具の反応はない。


 玄関の片隅にある、やたらと古い電話機も何も反応がない。

 ・・・黒電話なんて子供のころに見たのが最後で、ここ40年近く見てないぞ?


「宗一郎さん、この家はかなり古いようですが、見たところ床に埃がたまっていません。網戸もキレイですし、蜘蛛の巣もありません。ついこの間まで人がいたんじゃないでしょうか?」


 遥香ちゃんの言葉のとおり、まるでつい先ほどまで人がいたような気配すらある。

 家の中が妙に暖かいのだ。


「外はかなり吹雪いています。吹雪がやむまでこの家で待ちませんか。」


 遥香ちゃんの言うとおりだ。強い風で呪病がかなりの広範囲に撒き散らされている。

 こう濃度が下がったんじゃ、索敵ができなくなってしまう。

 仕方がない。少し様子を見ることにしようか。


 ◇  ◇  ◇


 不思議なことに、俺たちが入ってきたとたんに室内の温度が下がり始めた。

 壁に掛けられた温度計の針がだんだんと下がってきている。


 玄関前の廊下に面した少し広めの居間のような部屋を見つけ、雨戸や扉を閉めて冷気が入らないようにする。

 廊下へと続く扉は曇りガラスの扉で建付けが悪くてしっかり閉まらず、断熱性があまり良くないが、ないよりはマシだ。残念ながら、ストーブはあったが灯油は空だった。


 仕方なく居間とつながった小さな和室の押し入れから布団や毛布、綿入れのようなものを見つけ、三人で頭からそれらをかぶって暖をとることにした。


 家の周囲に散布した呪病は吹雪に散らされてしまって残りわずかだ。索敵を続けてはいるが、その範囲は周囲数十メートルまで精度が下がってしまっている。

 仕方ない、もう一度散布してくるか。


「ちょっと様子を見てくる。ここを動かないでくれ。」


「宗一郎さん、私も行きましょうか?」


「いや、玄関の隙間から外を(のぞ)くだけだ。心配はないよ。」


 その言葉のとおり、玄関に向かう。

 居間の扉を力を入れて閉じるとカチッという音がした。

 建付けが悪いが、これで隙間風はなんとかなるようだ。


 玄関の引き戸をほんの少し開け、隙間から呪病を散布する。

 わずかな一瞬で隙間から入り込んでくる風が肌を切りつける。


 犬のような獣が家の周りをうろついている。

 ずいぶんデカいな。ピレネー犬くらいのサイズがありそうだ。・・・犬?緑色の犬なんていたっけ?


「・・・風下に3体。風上は分からない。こちらには気づいてない様子だな。」


 あれが危険な生き物か、ただの犬かはわからない。せめて二人を、最悪の場合は遥香ちゃんだけでも守らなければならない。

 そう決心して玄関から居間に戻ろうとしたとき、それまでにない違和感を感じた。


「居間に続く扉・・・なんで曇りガラスの扉じゃないんだ?裏表でデザインが違うのか?」


 首をかしげながら木の一枚板の扉を開けると、そこはなぜか居間ではなく小さな子供部屋があった。


 部屋を間違えた?慌てて扉を閉め辺りを見回す。

 玄関前の廊下に面した部屋はあと三つある。収納らしき扉は四か所。

 振り向いてそれらを見るが、やはり木の一枚板の開き扉、またはふすまだ。曇りガラスの扉は見当たらない。


 二つの扉、そしてふすまを開けてみると、中はそれぞれ台所、アップライトピアノが置かれた洋間、そして八畳ほどの和室のようだ。

 それぞれずいぶんと変形した部屋だ。四角形の部屋がない。


 首をかしげながら先ほどの子供部屋の扉を開けると、今度はなぜか妙に奥行きがある洗面脱衣所につながっていた。

「なんだよ、これ?」


 明らかにおかしい。手のひらを上に向け、呪病を散布する。

 魔力的なリンクを確立し、鍵穴や扉の隙間からでも通信が可能な状態にする。


 そのうえで恐る恐る扉を閉め、もう一度開けてみる。

 するとなぜか、部屋の中は複数の個室のあるトイレになっていた。

 驚きのあまり、何度も何度も開閉してみる。


 開閉を繰り返すたびに部屋は切り替わり、何度呪病を散布しても魔力的リンクが切れてしまう。

 いずれの部屋も妙に広く、ほかの部屋につながる扉が多いのが特徴だ。


 十回くらい繰り返すと、再び見覚えのある洗面脱衣所につながった。散布された呪病とのリンクが瞬時に回復する。

 さらに繰り返すが、どの部屋につながるかは完全にランダムのようだ。

 だが、もう一度二人がいる居間につながることはなかった。


「扉が閉まったとたん、魔力的リンクが切れる・・・?そして何度か同じ部屋につながっている。それぞれ散布した呪病も残っているようだし、つながる部屋の数は有限のようだ。だが居間にはもうつながらない。」


 言葉に出して状況を整理する。

 何とかしてこの状況を解決しないと。遥香ちゃんが心配だ。


 ◇  ◇  ◇


 仄香(ほのか)


 不幸中の幸いか、風をしのげる家が見つかった。

 家具もしっかり残っていて掃除が行き届いており、かつ玄関の鍵がしっかりとかかっていたということは、この家はつい最近まで誰かが管理していたということだろう。


 電気と水道が止まっているのは、冬の間だけ親戚の家にでも行っているのかもしれない。

 とにかく、後日この家の人に謝罪をしなければ。こっそりと強制開錠魔法で開けてしまったが、ガラスを割るより良かっただろう。

 

 宗一郎殿が玄関に向かってから5分ほどが経った。

 玄関の隙間から外を(のぞ)くだけにしては少し遅すぎる。


 心配になって立ち上がると、比丘尼(びくに)、改め千歳が腰にしがみついてきた。


「ひ、一人にしないで下さいよー!」


「・・・子供か。私ほどでないにしても、お前だっていい歳だろうが。」


 かなりの力でしがみついてきている。振り払おうとしても、まるで溶接したみたいに離れない。


「私はナーシャ・・・じゃなかった、遥香ちゃんみたいに魔法が使えないんですよー。長生きしてるだけの一般人なんですよー。」


「首を切り落とされない限り煮ても焼いても死なないような奴が一般人とか言うな。ついてくるなら普通についてこい。」


 右手に持った杖でポカっと頭をたたくと、やっとその手を放してくれた。

 千歳を放置して、建付けの悪い曇りガラスの扉を開けた瞬間、思わず息をのむ。


「なんだ?これ?」


 この扉の向こうは玄関のある廊下だったはずだ。決して中庭に面した回廊ではない。

 思わず魔力探知を行うが、幻覚や幻灯ではない。曇天の空は確かにそこにある。

 回廊を囲む部屋はこの居間を含めて八つ。木製の開き戸や引き戸、そしてふすまや障子など、統一性がない。


「どうしたんですかー。」

 後ろでのんきそうな声を上げる千歳に、声を低くして言葉を絞りだす。


「絶対に一人で扉を開けるな。万が一、扉を開けてしまったら、絶対に閉めるな。つっかえ棒でも何でもいい。最悪、扉の蝶番を壊してもいい。」


「え?あれ?この向こうって玄関じゃなかったっけ?扉、間違えた?」


 ・・・能天気なやつめ。今更かよ。


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