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108 Good Bye Snow Fairy(ies)

 12月26日(木)


 南雲 琴音


 昨日の夜、姉さんがまるでサバイバルゲームに行くかのような格好で外に出ようとしていた時、仄香(ほのか)に何かを言われてやめていたみたいだけど、仄香(ほのか)自身も外に出て雪の中で遊んでいたようだ。


 仄香(ほのか)は「明日の朝、面白いものが見られる」と言っていたけど、いったい何のことだろう?

 朝食が終わったら、みんなで見に行こうか。


「いやあ、昨日の夜は冷えたね。外気温は何度だったんだろう?」


 宗一郎伯父さんがリビングの暖炉に(まき)をくべながら首をかしげている。


「なんというか、すみません。」


 仄香(ほのか)・・・。なぜ謝ってるんだ?天候制御系魔法でも使ったのか?


《・・・?仄香(ほのか)さん、なんで謝ってるんだろ?》


 遥香まで首をかしげている。いや、杖が傾いている。

 ずっと一緒にいるはずの遥香にも分からないんじゃ誰にもわからないよ。


 まあいいや。暖炉の横の(まき)がなくなったら外にある(まき)小屋から運ぶ必要があるから、スキーに行く前に姉さんか咲間さん(サクまん)に手伝ってもらおうか。


 それにしてもよく晴れた。まるで雲がすべて吹き飛んだみたいだ。


「あ、琴音。トーストが焼けたから一緒に運んでくれる?朝ごはんはパンとサラダ、ベーコンエッグとハッシュドポテト、コーンスープだって。」


「フルーツもついてる。」


 姉さんと一緒に、盛り付けられたフルーツを持ったエルがキッチンから出てきた。

 昨日仄香(ほのか)に聞いたところによると、料理が趣味なのだそうだ。

 人は見かけによらないな。・・・人?いやまあ、人ってことで。


「おっはよー。お、今日も朝から豪勢だね。」


 洗面所から咲間さん(サクまん)が出てきた。

 全員揃ったところで一斉に席に着き、朝食を始める。


「そういえば伯父さん、昨日はものすごく冷えたよね。そんな予報、出てたっけ?」


 姉さんがフォークでベーコンエッグを突きながら言うと、宗一郎伯父さんも首を傾げた。


「新潟と長野、富山の天気予報では、それほど冷え込むとは言ってなかったんだよなぁ。それに今日は曇りだったはずだ。珍しく天気予報が外れたのかな。」


 吹雪になるよりも晴れたほうがいいし、あまり暖かくなるとゲレンデの状態が悪くなるから寒いくらいのほうがいいとは思う。

 でも、雲一つないような青空だと雪の照り返しで日焼けしてしまうかもしれない。


「誰か日焼け止めって持ってるかな?持ってくるの忘れちゃったよ。」


「あ~。それは私も盲点だった。持ってきてないや。」


 だれか持っているかと思って聞いてみたんだけど、咲間さん(サクまん)も姉さんも持ってきていないようだ。姉さんにしては珍しいな。


「ああ、日焼け止めなら夏ごろに買ったものが何本か物置にしまってあったな。後で探しておこう。」


 宗一郎伯父さんが思い出したように言う。

 女性の悩みをよくわかってらっしゃる。ほんとこの人、なんでモテないんだろう?


 ◇  ◇  ◇


「うひゃあ!」


 朝食が終わり、洗面所で交代で歯を磨いていると、玄関先から悲鳴のような声が聞こえた。

 その声に慌てて飛んでいくと、風除室に咲間さん(サクまん)が駆け込んできた。


「そ、そとで人が!人が立ったまま凍り付いてる!」


 少し腰が抜けているようだ。


「人?立ったまま?」


 恐る恐る外に出てみると、たしかに門から玄関に向かう飛び石の上で白い着物を着た女性が立ったまま凍り付いている。

 あたりには冷気のようなものが流れ続けているところを見ると、恐ろしく低温で凍らされたようだ。


「なに・・・これ?」


 姉さんも外に出てきた。しっかりとライフルのようなものまで持って。

 っていうか、スキー旅行にそんなもの持ってこないでほしい。


「あら、やっぱりまだ溶けてませんでしたか。」


 仄香(ほのか)が黒い杖を持って玄関から出てきた。どうやらこの女性のことを知っているらしい。


 そういえば昨日の夜言っていた、「面白いもの」ってこれのことか?


「・・・仄香(ほのか)。さすがに旅行に来ていきなり人を殺しちゃうのはまずいと思うんだけど・・・。」


 私がそういうと、仄香(ほのか)は何を言われているか分からないというような顔をした後、「あ。」という声とともに笑い始めた。


「ふふっ、すみません、説明が足りませんでした。これは怪異です。人間ではありません。いわゆる『雪女』ですね。昨日、この別荘に押し入ろうとしていたので凍り付かせました。多分まだ生きてますよ。」


「雪女・・・。雪女を凍らせたぁ?えっ?ど、どうやって?」


 思わず叫んでしまう。え?雪女って凍るの?っていうか、雪とか氷の怪異って、火とか熱湯とかで倒すもんじゃないの?


「強制熱振動停止魔法で身体のすべてを絶対零度まで下げました。雪女といえども、水素が固体になる温度では動けなかったようですね。それにしても・・・、溶けないように魔力の維持はしていましたけど、まったく変化がないなんて雪女は熱を生産する能力がないのかしら?」


 ・・・そんな簡単そうに言ってるけど、雪女が凍らされて負けたとか、本人にしてみれば屈辱なんてレベルじゃないと思うよ・・・。


「で、これ、どうするのよ?溶かして帰すの?それとも殺すの?人殺しはちょっとやだなぁ。」

 姉さんが凍り付いた雪女をライフルの銃口で突っついているが、私としても言葉が通じそうな相手を殺すのはちょっと気が引ける。


「・・・雪女は人間ベースの幻想種、いわゆるエルフみたいなものとは違って、魔力溜まり(ダンジョン)で発生した人間にそっくりの魔物の一種なんですけどね。」


 仄香(ほのか)はそう言いながら、凍り付いた雪女に近づいていく。


「それ、どうするの?」


 咲間さん(サクまん)が戻ってきた。どうやら腰が抜けていたのは治ったらしい。


「もちろん殺します。いや、駆除かしら。人間どころか、まともな生き物でもありませんしね。」


 仄香(ほのか)はそう言いながら、杖をかざした。


《うわ・・・。人型のものを殺したとかいうと、さすがに夢に見そうだよ。何とかならない?》


 遥香がそう言うと、一瞬仄香(ほのか)は戸惑ったようなそぶりを見せた後、杖を下げた。


「仕方ありませんね。せっかくのスキー旅行に水を差すようなことはやめておきましょう。でも、ここに置いておくと邪魔ですから、移動だけさせましょうか。」


 その言葉に、仄香(ほのか)以外の全員が胸をなでおろす。


「・・・さて、どこに送ろうかしら。よし。あそこがいいわね。()()()()()(きら)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(いざな)()()()()。」


 詠唱が終わると同時に、轟音とともに光の柱のようなものがその場に立ち上がり、凍り付いた雪女が恐ろしいほどの速さで空のかなたに消えていく。


「ん。飛んでった飛んでった。」


 いつの間にか出てきたエルが、青空を仰ぎながら笑っている。


 ・・・ん?今のって長距離跳躍魔法(ル〇ラ)と詠唱も魔法の効果(エフェクト)も全然違ったけど?


「ねえ、仄香(ほのか)。今の詠唱、長距離跳躍魔法(ル〇ラ)とだいぶ違ったみたいだけど、どこに送ったの?」


 あ、姉さんも気付いたか。詠唱が高度に暗号化されてて私は分からなかったけど、明らかに消費された魔力量が違ったからね。そんなに遠くに送ったんだろうか。


 もしかして南極とか?かわいそうに。簡単には帰ってこれないじゃん。


「ああ、行先は冥王星です。あそこなら絶対零度とまではいかなくても、平均温度がマイナス220℃くらいですからね。溶ける心配もないでしょう。」


 うげ。南極とかいうレベルじゃなかった。っていうか、絶対に帰ってこれないじゃん。


《冥王星・・・。え、冥王星って、一番外側の惑星の?》


「惜しい。冥王星は準惑星だね。2006年に国際天文学連合が惑星の定義を定めたときに、軌道上の他の天体を排除していないことを理由に惑星から外されたんだよね。カロンとかさ。」


「遥香、咲間さん(サクまん)、そういう問題じゃないと思うけど。」


 思わず突っ込んでしまったが、なんという恐ろしい魔法だ。

 たとえ、相手が不老不死の化け物でも倒せそうな、いや宇宙の彼方に追放できそうな魔法ではないか。


 姉さんもそう思ったのか、震えながら声を絞り出す。


「雪女・・・。くっそ、こんなことならスマホで写真を撮っておけばよかった・・・。」


 だから論点が違うって!?


 ◇  ◇  ◇


 南雲 千弦


 昨日の夜に感じたあの妙な感覚は、怪異が接近していることを示すものだったのか。


 それにしても雪女ってホントにいたんだな。しかも魔力溜まり(ダンジョン)産の魔物の一種とは。

 てっきり人間ベースの怪異か幻想種だと思っていたよ。


 小泉八雲の「怪談」では、お雪とかいうベタな名前の雪女が巳之吉とかいうイケメンに惚れて10人くらい子供を作ってなかったっけ?


 もう少し人間に好意的な種族かと思っていたけど、あの妙な感覚の中にははっきりとした殺意、いや食欲のようなものを感じた。

 完全な害獣じゃないか。仄香(ほのか)がいなけりゃ、この家の人間だけで対応できなかったんじゃないの?


 ・・・いや、宗一郎伯父さんも結構ヤバい属性の魔法使いだからな。何とかなったかもしれない。

 あの人なら雪女に効きそうな呪病とか生成できそうだし。


 それはさておき。

 せっかく珍しいものを見れたんだから、スマホで撮影しておけばよかったよ。

 そうしたら(おさむ)君にLINEで映像とか送れたのに。


 そんなことを悶々と考えながら今日もスキーに行く準備をしていると、咲間さん(サクまん)と琴音が(まき)小屋に向かうのが見えた。


「あ、姉さん。手が空いたら(まき)小屋から新しい(まき)を運ぶのを手伝ってくれる?」


「あ、ごめん、気付かなかった。あと何往復くらい?」


「あと2回くらいかな。もともとリビングに置いてあった(まき)は少なかったからね。昨日みたいに寒いときは外に出たくないから、ちょっと多めに運んでおきたいんだ。」


 二人と一緒に(まき)小屋に向かい、積まれた(まき)の一つを手に取ると、(まき)が異常に乾燥していることに気付いた。

 まるでフリーズドライ状態だ。これって仄香(ほのか)の例の魔法のせいなんじゃ?


 そんなことを考えていると、ふいに咲間さん(サクまん)が真面目そうな顔をしてつぶやいた。


「雪女って結構年増だったね・・・。」


「「いやそこかい!」」


 琴音と私の声が揃う。

 いや、意外に老けててキツいイメージの女性のように見えたけどさ。


「ま、いっか。おわったら今日もゲレンデに行こう。天気予報では明日の午後から吹雪になるらしいから、今日のうちにたくさん滑っておこうよ。」


 琴音の言うとおりだ。仄香(ほのか)とエルも待っていることだし、とっとと終わらして滑りに行こう。


 ◇  ◇  ◇


 別荘からゲレンデまでは、地元の交通機関であるバスが利用できる。

 バスという名前がついているが、軍用の雪上車みたいなゴツイ車だ。


 朝7時から11時の間に4往復、お昼時は運休で午後3時から7時の間に6往復するので、その時間にバス停で待っていれば迎えに来てくれる。


 巡回ルートにあるスキー場のリフト券があれば、何度でも無料で乗れるらしく、結構混み合っていることを除けば非常に便利な存在だ。


「ねえ千弦っち、この雪上車、九重自動車のマークがついてたけどもしかして軍用?」


 咲間さん(サクまん)がスキー板を片手に琴音に話しかけている。

 残念、そっちは琴音だ。千弦はこっち。


 ま、今日はL9(Steyr)しか持ってきてないからな。

 それ以外のウェアのデザインも似たようなものだし、まだヘルメットもゴーグルもかぶっていないから区別がつかなかったんだろう。


「あ~。そうなんじゃないの。見たことないけど。」


 千弦と呼ばれた琴音が、適当に返事をしている。

 あ、いちいち否定するのが面倒になってきたな。


咲間さん(サクまん)。千弦さんはこっちですよ。そっちは琴音さんです。」


 仄香(ほのか)が訂正している。ホント、なんで区別がつくんだろ?


 「見ればわかります」って言ってたけど、沖縄で二号さん(シェイプシフター)が琴音に化けていた時、私でもどっちか分からなかったよ。


「あ、ごめん。二年近くになるのに区別がつかなくて。」


 咲間さん(サクまん)が謝っているが、学校などで区別のために顔に名前や記号を書かれたのは一度や二度ではない。

 一度は名前を書くのも間違えられたからな。


「いいよ。ぶっちゃけ私たちでも、写真とかで自分か姉さんかの区別がつかなくなることがあるし。」


「・・・この雪上車は陸軍の78式雪上車の払い下げ品だね。本来は後ろ半分は荷台と(ほろ)なんだけど、見たところ九重自動車でその部分を改造されたんでしょ。本体は新潟に本社がある大原鉄工所で製造しているはずだよ。」


「へえぇ。さすがは千弦っち。軍用車両は特に詳しいね。」


「―――まもなく妙高杉ノ原スキー場、妙高杉ノ原スキー場です。降りる方はお近くの降車ボタンを押してください。・・・次、止まります。―――」


 エルが降車ボタンを素早く押すと、バスは減速を始めた。

 なんでずっと無言なんだろうかと思ったら、この騒音の中なのに寝ていたみたいだよ。


 ぞろぞろと5人でバスを降りると、昨夜も雪が降ったんだろうか、粉のような雪が降り積もったゲレンデが見える。

 うん、雪の照り返しが無茶苦茶強い。伯父さんに日焼け止めを貰っておいてよかった。


「さあ、今日も思いっきり滑るわよ!・・・って仄香(ほのか)?どこに行くのよ?」


 意気込んでリフトに向かおうとすると、仄香(ほのか)はスキー板をエルに預けて売店の建物の裏手に歩いていく。


「ちょっと野暮用がありまして。10分ほどで戻りますから、エル以外は先に滑っていてもらってもいいですか?」


「野暮用?・・・仄香(ほのか)の言う野暮な用事って、平和な用事とも思いにくいんだけど・・・。なるべく危険なことはしないでね。すぐ治ったとしても痛いことは変わらないんだからね。」


「ええ、大丈夫ですよ。」

 仄香(ほのか)は軽く微笑み、素早く電磁熱光学迷彩(ステルス)術式を発動し姿を消す。


 その直後に飛翔魔法でも使ったのか、一陣の風と共に雪煙が舞い上がった。


 ◇  ◇  ◇


 雪女(垂氷(たるひ)


 物心ついたときからずっと一緒に山で暮らしてきた立花(りっか)姉さまをその場に残したまま、夏の間隠れ住んでいる山の洞窟に逃げ込んで震えていた。


 なんなのよ、あの娘は。

 人間よりずっと長く生きてきたけど、あんなに訳の分からない存在に出会ったのは生まれてはじめてよ!

 いや、あの娘は人の皮をかぶった化け物だわ。


 まさか姉さまを、雪女を凍らせるなんて。

 どれほど凍てつく夜でも吹き荒ぶ吹雪の中でも、人間の言う「寒さ」というものが私たち雪女には全く分からなかった。


 アレが「寒さ」というものなの?

 身を()ぐような鋭い痛み、一瞬で身体の芯まで固まるような不快感。

 脱力感とも無力感ともつかない、絶望のような気配が指先から、つま先から迫ってくる感じ。


 ・・・暗い洞窟の中に逃げ込み、あたりを見回すと心地よい暗さと静寂に包まれている。

 どうしよう。


 150年ほど昔は、里に下りても斧や(なた)を持った男しかいなかった。

 屋根は(わら)ぶきだったし、100年位前に銃というものを持った猟師が増えたくらいだった。


 ・・・猟師の銃も怖くはなかった。鉛の(つぶて)が飛んできても、私たちの身体は雪でできているからただ穴が開くだけだ。そんな傷はすぐに塞ぐことができる。


 松明(たいまつ)篝火(かがりび)といったものはそれなりに怖かった。

 もし触れてしまえばその部分がしばらく溶けて使い物にならなくなるし、とても熱い。

 火はまるで夏の間の太陽の光を煮詰めたようなものだった。


 でも姉さまは笑いながら吹雪で消し飛ばしてくれた。

 姉さまの吹雪は人が使う火よりもずっと強い。さすがは300年以上生きた雪女だ。

 そう、思っていた。その姉さまが立ったまま凍らされるなんて。


「帰っていたのか、垂氷(たるひ)。うん?六花(りっか)はどうした?」


 洞窟の奥から低い、獣がしゃべっているような声が聞こえる。


「牛女・・・。あなたがしゃべるなんて珍しいわね。何かの予言かしら?」


「私は予言などできない。その力は生まれたときに捨て去った。それより六花(りっか)はどうしたと聞いている。」


 牛女はめったに言葉を発することがないが、千年近く生きているという噂のとおり、人間の世界についてはかなり詳しい。

 180年ほどしか生きていない身としては、やはり助言を仰ぐべきだろうか。


「・・・姉さまは人の娘の皮をかぶった化け物に凍らされたわ。」


 雪女が凍らされたなど、屈辱の極みだ。あの娘、ただでは済まさない。生きたまま凍らせて手足の先から順に砕いてくれようか。


「凍らせた?雪女を凍らせただと?(にわ)かには信じられぬ。それでどうするつもりだ?」


「もちろんただで済ますつもりはないわ。生かしたまま凍らせて、指の先から順に砕いてやる。親類縁者、飼い犬に至るまで目の前で凍らせてやる。」


 全身に怒りを込めてそう言い放つと、突然洞窟の中に鈴が鳴るような声が響き渡った。


「やっぱりね。そうなるんじゃないかと思ったよ。」


 反射的に振り向くと、そこにはあの化け物が黒い杖を持って立っていた。


 長く、輝くように艶やかな黒髪と、透きとおるような白い肌、長く揃ったまつ毛と切れ長の目。

 形の整った唇は紅を引いたように鮮やかで、頬は薄く朱が差している。


 少し痩せ型だろうか。

 ダボっとした服(スキーウェア)を着ているせいで、体形まではわからないが、庇護欲をそそるような、触れただけで壊れてしまうような印象の少女がそこに立っていた。


 いかにも六花(りっか)姉さまが好みそうな可愛らしい少女だ。

 だがこの娘は、明らかに人ではない。


 遠く噂に聞く、天之冬衣神(アメノフユキヌノカミ)の化身だとでもいうのだろうか。

 五尺(151.5cm)にも満たない身体が、まるで巨人のように思える。


「・・・あなた、六花(りっか)姉さまに何をしたのよ?」


「まったく、怪異ってやつは人のように話すくせに、人のことをエサとしか思ってないのか。あれ?最近読んだ漫画の中に登場する魔族も似たような描かれ方をしていたよな。(あなが)ちただの創作とも言えないのか?」


「私の問いに答えなさいよ!」


「・・・お、ここって魔力溜まり(ダンジョン)じゃないか。もしかして未発見なのか?シェイプシフターにスキーを任せて探検してみるのもアリか?いや、探検はまた今度でもできるしな・・・。」


 娘の形をした化け物は私の問いに答えることもなく、ブツブツとつぶやきながら洞窟の中を興味深そうに眺めている。


「下がれ、垂氷(たるひ)。こいつの中にいるのはおそらく、藻女(みずくめ)、いや玉藻前(たまものまえ)だ。・・・なぜこんなところにいる?三浦介と上総介に討たれたのではなかったのか?」


 牛女の言葉に反応した娘はその牛面(うしづら)をじっと見ると、まるで得心が言ったように頷いた。


「なんだ、お前か。何年ぶりだ?比丘尼(びくに)は息災か?いや、首さえ落ちていなけりゃ生きてるだろうな。ああ、この私が殺生石(せっしょうせき)になんぞ封じられるわけなかろう。おまえ、ボケたのか?」


 この娘、牛女と知り合いなのか?

 いや、ミズクメ?タマモ?何のことだ?


「・・・比丘尼(びくに)は息災だ。金沢市内でマンスリーマンションを借りて生活しているよ。今は市内で美容師をやっているはずだ。」


「あいつ、今何歳なんだよ?それに戸籍はどうしたんだ?いくら人魚の肉に完全適応したからって長生きしすぎだろう?まあいいや。そこを退()け。私はそいつに用があってきたんだ。」


 少女はずいっと一歩前に踏み出す。

 生まれて初めて感じる感情に、頭が追い付かない。


藻女(みずくめ)。ここは私に免じて(ほこ)を収めてくれないか。」


 牛女が娘の前に立ちはだかる。足は震え、声は上ずっている。

 千年も生きた牛女でも恐怖を感じるような相手なのか。


「う~ん、人を襲わなけりゃ私としても特にどうすることもないんだがな。っていうか、私の友人や子孫でなければ別に襲われても気にしないんだがな・・・。」


「では!」


 藻女(みずくめ)とかいう娘の言葉に、牛女の顔に喜色が浮かぶ。


「いや、お前ら怪異には、私の友人とか子孫の区別はつかないだろ?間違って殺したらどうするんだよ?」


「う、ならば、垂氷(たるひ)が二度と人間を襲わないと誓えばよいか?」


「・・・人間が主食なんだろ。信じられんよ。というわけで退()け。退()かねばもろともに灰に・・・はならんか。雪だし。()()火坑(かきょう)()()()()()死火(しか)()(たけ)()()・・・」


 その歌声が始まるのを皮切りに、洞窟内の温度が急上昇する。

 火?火だって?火種(ひだね)もなく、こんな極寒の洞窟で!

 凍らせるだけじゃなかったの!?


 こ、殺される!いやだ、死にたくない!


「誓います!もう人は襲いません!仲良くなっても、ちょびっとだけ生気を貰って我慢します!そもそも主食は人間じゃありませんから!かき氷のほうが好きです!生気だって、動物がだめなら草とか木とかで我慢します!」


 必死になって土下座する。もう人間を襲うなんてこりごりだ。むしろ怖くて近寄りたくもない。


「・・・。なんだよ、殺さずに生気を吸えるんなら、はじめからそうすればよかったじゃないか。人騒がせな連中だ。」


 ・・・人騒がせなのはあなたよ!

 喉元まで出かかった言葉をこらえて、一つだけ聞かなけばならないことを聞いてみる。

 どのような答えでもどうしようもないのだけれど。


六花(りっか)姉さまはどうしたの?やっぱり殺したの?」


「いや?生きてるぞ。多分。凍らせたまま強制惑星間跳躍魔法で冥王星までぶっ飛ばしたから、そのうち帰ってくるだろ?あそこには夏はないし。・・・いや、帰ってこれるのは私だけか?」


 メイオウセイ・・・。夏がない場所なんてあるのか。いつか機会があったら行ってみるか。

 そういえば明日、比丘尼が十何年振りかで差し入れに来るって言ってたっけ。

 メイオウセイの場所も聞いてみよう。


 なぜか頭を抱えている牛女をよそに、藻女(みずくめ)と呼ばれた娘は軽やかな足取りで洞窟を出て行った。

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