107 Merry Xmas Ms.Witch②
12月25日(水)夜
南雲 琴音
妙高に到着してまだ初日だというのに、さっそく半日近く滑ってしまった。
仄香はあまり運動が得意なイメージはなかったし、使っているのが遥香の身体ということもあってか、それほど派手な滑り方はせず中級者コースを普通に滑っていたよ。
驚いたのはエルについてだ。最初はみんなと同じようにスキーを楽しんでいたかと思うと、途中からスノーボードに切り替えて楽しんでいた。
無茶苦茶上手で、ほとんどプロのような滑りをしていた。
これにはかなりの熟練者である咲間さんも驚きを隠せなかったようだ。
姉さんについては、スキーウェアの上に訳の分からない装備をゴテゴテとつけて滑ってたよ。
っていうか、ドイツ軍みたいな軍用ヘルメットはやめろ。それからそのゴーグルも軍用だよね。ヘルメットの前には変なアタッチメントまでついてるし・・・。
暗くなるまで滑った後、別荘に戻って露天風呂を楽しんだ後、少し遅い夕食をとることにした。
ちなみに宗一郎伯父さんは本家に何か用事があるらしくて少し遅くなるらしい。
「いやあ・・・エルがあんなに上手だとは思わなかったよ。もしかしたらオリンピックに出場できるんじゃない?」
咲間さんがローストチキンを食べながらエルをほめている。
ちなみに、このポテトサラダもビーフシチューも、すべてエルが料理したらしい。
スキーやスノボの才能もびっくりだが、エルにはこんな才能もあったのか。
「ん。私はエルフ。オリンピックには出場できない。」
エルはあまり興味がないのか、手を止めることなく料理を食べ続けている。
それにしてもこの細い体のどこにあれだけの食料が吸収されていくのか。
「え~もったいない。エルちゃん、金メダル取れそうだよ?仄香さん、なんでエルフはオリンピックに出ちゃダメなの?」
食事の途中から仄香と交代した遥香が、口の周りをビーフシチューで汚しながら仄香に抗議している。
《遥香さん、幻想種と人間では、身体能力に差がありすぎるんですよ。エルフは寒冷地での身体能力が人間のそれを大きく上回ります。特にグローリエルはそれが顕著ですね。公平な試合ができないと競技にならないでしょう?》
へぇ~。エルフって、寒さに強いのか。
「ま、仕方ないか。オーガとかトロールとかが重量挙げに挑んだら、人間じゃ勝てそうにないからね。」
咲間さんが二つ目のローストチキンを自分の皿に移しながら言う。
・・・それにしてもすごい量の料理だな。エルのやつ、普通にスキーとかスノボとか楽しんでいたし、露天風呂にもいたと思うんだけど、いつの間にこんなにたくさんの料理を作ったんだ?
《咲間さん、詳しいですね。トロールは知能が足りないので競技ができるかどうか以前の問題ですが、普通のオーガなら1トンくらい軽く持ち上げるでしょうし。》
「ん。女子に男子が混ざってはいけないのと一緒。」
「そうだね。でも琴音が身体強化魔法を使ったなら、男にも勝てそうだけどね。」
姉さんが茶化している。相手も同じように身体強化魔法を使ったらどうするのよ。
そういえば前のオリンピックでは、自称女性が金メダルを取っていたっけ。
次回、似たようなことがあったらこっそりと対戦相手の女性に身体強化魔法をかけてやろう。
筋出力5倍ぐらいで。おかま野郎め。少しは思い知るがいいさ。
あ、そんなことより大事なことがあった。
ローストチキンに夢中な咲間さんに目配せすると、彼女も気づいたのか首を縦に振り、手を拭いて立ち上がった。
エルも準備ができたみたいなので、遥香に声をかける。
「遥香、ちょっとだけ仄香と交代してくれない?」
「いいよ、あ、ちょっと待って。これ食べてから。」
遥香はそう言って皿の上のビーフシチューの残りを口に運ぶと、口の周りをティッシュで拭いてから目を閉じた。
一瞬遅れて、壁に立てかけてあった黒い杖の宝石に光がともり、フヨフヨと漂い始める。
「・・・交代しました。どうしました?」
遥香から仄香に交代したことを確認すると同時に、キッチンからエルがケーキを持ってくる。
今回はクリスマスケーキではなく誕生日ケーキにするように、事前にエルに頼んでおいたのだ。
ケーキを仄香の前に置き、ろうそくを刺して火をともす。
本数は適当だ。ろうそくを数千本も刺したんじゃ、冗談抜きで火事になる。
姉さんが部屋の電気を消して仄香に火を吹き消すように言うと、一瞬両手でその顔を覆った後、近くにあったナフキンで目の下を拭ってからろうそくの火を吹き消した。
「仄香、お誕生日、おめでとう!」
「マスター。おめでとう。」
《仄香さん、おめでとー!》
「あ、ありがとう、ございます。」
隠してあったクラッカーを鳴らしながら、みんなでお祝いの言葉を言うと、両目を涙でいっぱいにした仄香が笑いながら礼を言った。
しかし、このケーキ、でかいな。6号や7号じゃないな。
直径が40センチを超えるケーキって、何号なんだ?厚さは8センチくらいか?
エルがどこからともなく取り出した、刃渡りが妙に長い刃物でケーキを切り分ける。
「で、でかいわね。こんなに食べきれるかしら。」
姉さんがびっくりしている。宗一郎伯父さんの分を残しても6分の1、半径20センチ、角度60度。
1人前でも、重量にして1キロくらいあるんじゃない?これ。
まあ、甘いものは別腹だし、何とかなるだろう。
咲間さんと二人で席を立ち、隠してあった箱を取り出す。
「はい、これ。誕生日プレゼント。何歳かわからないけど、誕生日おめでとう。これからもよろしくね。」
さすがに姉さんのプレゼントには及ばないが、理君にもプレゼント選びを手伝ってもらったから大丈夫だろう。
咲間さんも紙袋に入ったプレゼントを渡している。
あの感じで行くと、手作りだろうか。
《う、私だけ準備してないよ。こんなにお世話になってるのに・・・。》
杖の中で遥香が悶えている。
仕方ないだろう。サプライズをするためには、同じ身体を使っている遥香に話すわけにはいかなかったんだしさ。
「ありがとう、二人とも。開けてもいいですか?」
「もちろん。仄香に似合えばいいんだけど。」
仄香は丁寧に箱を開け、中のものを取り出した。
「これは・・・。ブレスレットですね。あら、本体が開いて・・・香入れになってるんですか。面白い構造ですね。」
このブレスレットは、宗一郎伯父さんに頼んで都内のアクセサリーショップで見つけてもらった18金のプレートブレスレットだ。
ちょっと面白い特徴があって、本体の裏に隠し蓋があり、アロマなどをしみこませた綿などを入れることができるようになっている。
「これはいいですね。この中に天然の魔力結晶でも入れておこうかしら。そうすれば聖釘で刺されても数発は魔法が使えるかもしれない。」
アロマじゃなくて魔力結晶を入れるって、名案だと思うけどそれは考えなかったな。
ま、喜んでくれているならいいか。
「琴音、ずいぶん実用的なアクセサリーを選んだじゃない。もしかして、理君のアドバイス?」
姉さんが茶化している。いや、実用性で言ったら姉さんのほうが上なんだけどね?
「咲間さんのプレゼントは・・・。マフラーと手袋ですね。両方とも手作りかしら。毛糸のマフラーもすごいけど、手袋を革で作れるなんてすごいですね。」
そういえば咲間さんは、修学旅行から帰ってきた後、仄香の手の型をシリコンで取っていたっけ。
何に使うのかと思ったけど、そうだったのか。
お、手袋に金色のネームプレートが張ってある。おしゃれだな。
でも何語だ?ええと、”Mulier nata brumali mane in tres luscus foraminis”?
「うん。二人に比べると少し地味で高価でもないんだけどね。」
咲間さんは頭の後ろを掻きながら照れている。
「ふふふ、私の名前まで入ってる。」
仄香がそう言っているところを見ると、何語か知らないけど「仄香」と書いてあるんだろうか。
記憶補助術式で覚えておこう。あとで翻訳サイトで調べればいいや。
「マスター。これ。私とボリス、あとリザから。ギリギリ間に合った。」
そう言いながらエルが小さな箱を差し出す。
同じように仄香が礼を言いながら箱を開けると、そこには大豆くらいの大きさの、ルビーのように赤い涙滴型の宝石が裸石で一つ、収められていた。
「これは・・・。もしかして魔力結晶?いったいどうやって・・・?」
仄香はびっくりして目を見開いている。
「私の純魔力を固めた。45年分。術式はボリスが組んだ。制御はリザがやった。」
すごいな。エルフの魔力は人間よりかなり大きいとは聞いていたけど、仄香の話の中に登場する魔力結晶の成り立ちから考えると、あの魔力結晶だってかなり大きいほうに入るんじゃないか?
「グローリエル。あなた、昔から食べても食べても太らないと思っていたけど、もしかして栄養分をすべて魔力に回していたの?」
仄香が少し呆れたように、でもうれしそうな顔で納得がいったかのように言う。
「ん。太らずに食ベられるご飯はおいしかった。」
「「なにそれ。私もやりたい!」」
思わずそう言うと、姉さんと完全に声が重なった。
その言葉に、その場にいる一同が一斉に笑い声をあげた。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
仄香の誕生日兼クリスマスパーティーが終わり、全員でその場を片付けた後、リビングで少し遊んでから2階に上がり、それぞれの部屋に戻った。
仄香に誕生日プレゼントを渡した後、しばらくして宗一郎伯父さんが帰ってきたのでケーキと料理を取り分けて出したら、ものすごく喜んでいたよ。
っていうか、遥香の身体の中に仄香がいることや、仄香が魔女だということは内緒にしてるから、ちょっと説明が難しいんだよね。
エルと知り合ったのだって、琴音が「姉さんが秋葉原で出会って、アニメの話で意気投合して仲良くなったらしい」という身もふたもないウソをついていたし。
明日は朝からスキーをする予定だ。スキーウェアも乾燥室に入れて乾燥させてあるし、スキー板も手入れしてある。
さて、最後に銃の手入れでもするか。
ステアーL9のスライドを外し、バレルの中を掃除する。
クリーニングロッドに柔らかい布を冊状に切ったものをまき、クリーナースプレーを吹いてからバレルに入れ、清掃する。
それが終わったら、リコイルガイドやスプリング、トリガーアッセンブリー周りについたホコリを綿棒でやさしくふき取り、スプレーで軽く汚れを落とす。
最後にガンオイルを要所要所に吹き、馴染ませてからしばらく置く。
マガジンに装填したままだと、スプリングが痛むので術弾は抜いておく。
・・・まだブルーイングはしなくてもいいか。今日は発砲してないし、まだそれほど摩耗もしていないし。
一連の作業を終え、分解したスライドを組み立てていると、琴音が後ろから呆れたような声を上げた。
「姉さん、旅行に来てまで何やってるのよ。」
「何言ってるのよ。旅行中だからなおさらでしょ。バックアップもない状況で装備に不具合でも起きたらどうするのよ?替えは利かないんだよ。」
万が一L9に問題でも起きたら私の戦力は半減以下だ。雪山みたいな場所でタウルスカーブやグロック42に命はかけられない。
一応はリチウムポリマーバッテリー駆動のアサルトライフルとPDWも持ってきたが、そんなものをむき出しで背負ってスキーをしたら、間違いなく警察を呼ばれてしまう。
それに、雪山でフルオートで炸裂術式の術弾なんかをぶっ放したら、下手したら大雪崩だ。
ま、最悪の場合を考えて、新作の秘密兵器も持ってきたけどさ。
「姉さん、あなた、何と戦うつもりなのよ・・・?」
琴音は相変わらず平和ボケだな。
そんなことを考えていたら、左耳の上あたりにピリッとした妙な感覚を感じた。
「ん?なんだ?この感覚。魔力を検知した時とも違う、変な感じ・・・。」
生まれて初めての感覚に戸惑いながらも、素早くL9に術弾を込めていく。
専用の装填装置を持ってきてよかった。
ACRの装弾数は300発、いや、ゼンマイの都合上実際に撃てるのは270発くらいか。給弾ルートに30発くらい残るからな。
でもバレルが長いから高速射出術式の効きがいいし、何より威力がダンチなんだよね。
そんなことを考えながら体に弾帯を巻き付けていると、後ろから琴音の声がかかった。
「・・・何やってるの、姉さん。早く歯磨いて寝なよ。」
琴音は気づいてないか。じゃあ仄香は?さすがに気付いてないなんてことはないだろうな。
それにしても、まったく旅行初日から何だってのよ、ほんとに。
フル装備してから何も気付いていない琴音を放置して廊下に出ると、黒い杖を持った仄香と鉢合わせした。
「・・・千弦。さすがに気付いたか。魔力検知能力が高いだけのことはある。だがもう終わったよ。というかなんだその恰好は?戦争にでも行くつもりだったのか?」
仄香の肩や髪を見ると雪が解けて濡れたのか、ほんのりと湿っている。
気付けば、あのへんな感覚もない。
「何だったの、いったい?」
「明日になればわかる。一匹は逃げたが一匹は捕まえた。明日の朝、玄関横を見ればわかるよ。それにしても珍しい。絶滅したかと思っていたが、まだいたんだな。ふふっ。」
・・・だから何なのよ?まあ、仄香がいれば何がきても大丈夫なんだろうけどさ。
「ねぇー。明日も朝から滑るんでしょ?もう結構遅い時間だし、早く寝ようよー。」
何も知らない琴音が、部屋から顔を出して不満を言っている。
「琴音さんも明日を楽しみにしていてください。面白いものが見れますよ。」
琴音に気付いたからか、仄香の口調がいつものものに戻る。
「面白いもの?雪だるまでも作ったの?あ、わかった。美少女フィギュアの雪像版だ!」
琴音がそんなことを言っているが、真夜中にわざわざ雪の中で美少女フィギュアを作るやつがいたら見てみたいよ。
琴音の言葉に完全に毒を抜かれたような気分になったので、仄香のいたずらっぽい笑みを見ながら部屋に戻り、装備を外して眠ることにした。
何だったんだよまったく。
◇ ◇ ◇
仄香
スキーで疲れていたのか、咲間さんもグローリエルも、ベッドに入ってから5分もしないうちに安らかな寝息を立て始めた。
今日は私の誕生日を祝ってもらってしまった。たぶん生まれて初めて、いや私という存在が発生してから初めてかもしれない。
5000年以上前にはそもそも暦がなかったし、いや地域や国家によってはあったのだろうけども、少なくとも私が最初に生まれた地域には暦も誕生日というものを祝う習慣もなかった。
何度か体を乗り換えるうちに、それなりに社会的地位が高い人間の妻となったり、あるいはその娘に憑りついたりした時には、「その身体」の誕生日を祝ってもらうことはあった。
だが、彼らの祝福の言葉は私に向けたものではなかった。
もちろん自分の愛する妻、あるいは我が娘と思い祝ってくれているのだから嬉しくないはずはないのだが、どこか自分の娘や孫が他の人間から祝われているのを近くで見ているような気分になっていたのだ。
眠る二人を横目に、贈り物の箱をもう一度開く。
「魔女」として贈り物を受け取ったことは当然初めてではないが、誕生日という理由でもらったのは初めてだったな。
琴音のブレスレットに、グローリエルの魔力結晶を収める。
まるで誂えたようにぴったりだ。
蓋が開いてしまわぬよう、術式で封をしておくことも忘れない。
ブレスレットを左手に巻き、咲間さんからもらった革の手袋をしてみると、まるでそれらが身体の一部であるかのように感じられた。
・・・汚れたり傷になったりしないように、もらったすべての物に保護の術式をかけておこう。
それらを箱にしまい、パジャマに着替えてベッドに向かった時に、ふいに嗅ぎなれたような感覚に気付く。
「これは・・・。怪異か。こちらに向かってくる?それも隠れもせず堂々と。知り合いか?それとも私に何か用事でもあるのか?」
琴音と千弦も眠ったころか。この家は宗一郎殿のものだし、知り合いだとしても無断で第三者を家に上げるわけにもいくまい。
そう考え、咲間さんからもらったマフラーを首に巻き、杖を持って玄関に向かう。
うん。本当に暖かいな。
宗一郎殿は長い距離を運転して疲れている。こんな時間に起こしてはいけないだろう。
「術式束、1763を発動。」
消音と気配遮断術式を強めに起動しておく。
風除室を出て雪の中に立つと、敷地内に二人の女性のようなモノが入ってきたのが見えた。
この魔力波長からすると、間違いなく人間ではない。
やはり怪異の類いか。知り合いでもなさそうだな。
面倒だな。怪異の種類によっては会話するだけであちらの領域に引き摺り込まれるタイプの奴らや、見ただけで気が狂うような奴らもいる。
私の抗魔力を超えた精神攻撃を受ける心配はないと思うが、念のため抵抗系の術式を起動しておくか。
「術式束、4,982,053発動。続けて術式束、1,317,919を発動。」
精神防御、抗呪抗魔力、霊的汚染妨害、それから感覚鈍麻。
感受性を下げておけば、この手の精神干渉はかなり防げるんだよな。
ついでに寒いからベクトル制御、圧力制御、熱運動量制御の術式も展開しておこう。
杖をかざし、誰何する。
「何者だ。そこで止まれ。訪問を許可した覚えはない。」
「家」というものには、霊的に強い排他性をもつ境界のようなものがある。
怪異のほとんどはその境界に逆らえない。
そこで怪異が「家」に入ろうとする場合、大きく分けて三つの方法をとる。
一番手っ取り早いのは、強い魔力や妖気を使って無理やり押し入る方法だ。
この方法ならば、相手が誰であろうが関係なく押し入ることができ、かつ何も制限も受けることはない。
ただし境界と同時に「家」を壊したり、中の人間まで殺してしまうことがほとんどで、怪異としてはあまり意味がない。人を襲いたいだけなら屋外にいる者を襲えばいいだけなのだから。
次に少し面倒だが、家の人間に憑りつき、霊的に同化して忍び込む方法がある。
この方法は「家」を壊すこともなく、中の人間を殺すこともなく忍び込むことができる。
ただし、人間と同化すると、怪異自身も自由に離れることができなくなったり、抗魔力が高い相手だとそもそも憑りつくことができなかったり、逆に抗魔力が低すぎる相手だとすぐに衰弱死したりするので匙加減が難しい。
そして最後に一番面倒だが、正攻法ともいえる方法がある。それは「家」の人間に許可を得て招き入れてもらう方法だ。
この方法ならば「家」を壊すこともなく、人間を殺すこともなく「家」に入ることができる。
もちろん「家」の中で行動が制限されることもないし、一度入ってしまえば他の怪異が新たに縄張りを主張したり、あるいは後から結界を張られでもしない限り、以降は出入り自由だ。
特に吸血鬼や夢魔などは、洗脳や魅了の力を使って「家」の人間にその許可を取ろうとするんだよな。卑怯な連中だ。
昼間のうちに結界はすでに張り終えた。
怪異ごときがどれほどの魔力や妖気を持っていても、入れるはずがない。
はっきりと顔が見える距離まで二体の怪異が近付くと若く見えるほうが声を発した。
「あら、お嬢ちゃん。杖なんて持って勇ましいわね。お姉さんたち、寒くて凍えそうだから家に入れてくれない?」
二体とも二十代の若い女の姿をしている。いや、一体は二十代後半くらいか?
・・・珍しいな。雪女じゃないか!
「おお、そなた、すばらしく美しいな。どうだ、儂と褥を共にせぬか?可愛がってやるぞ?」
・・・雪女って、若い男が好みじゃなかったっけ?時代なのかな。少女趣味な雪女がいるとは思わなかった。LGBTの波が怪異にまで押し寄せてるとは。
だが、こいつらの言う「褥を共にする」というのは、生気を吸い取って殺す、という意味だ。
奴ら天然モノの怪異は人間のことをエサ程度にしか思っちゃいないんだろうか。
主食が人間の肉だったり魂だったりする奴は特にな。
「訪問を許可した覚えはないと言った。来た道を戻れ。さもなければその長い生に終わりを迎えることになるぞ。」
言ってはみたものの、怪異が警告に従う可能性は低い。基本的に人間のことを侮っているからな。中には友好的な怪異や、亡くなった人間が変じた怪異もいるんだけどさ。
「おお、怖い怖い。垂氷や。どう終わりを迎えるのか試してみようぞ。」
「六花姉さま。この子、生意気だわ。先に私にやらせて?」
ふうん。年上のほうは六花、若く見える方が垂氷というのか。雪の結晶が六方晶なのを理由につけた名前か。怪異にしてはなかなかいい名づけだ。
そんなことを考えていると、瞬時に周囲の気温が下がり始める。さすがは雪の怪異。妖気で熱エネルギーを高速で吸い出しているのか。まるでスターリングクーラーだ。普通の人間ならば一呼吸するだけで肺が凍り付くだろう。
だが甘い。
「え?なんでこの娘、凍らないの!?」
若いほうの雪女が、驚きの声を上げる。
そりゃそうだ。さっきから熱運動量制御術式がガンガン熱を作っているし、ベクトル制御と圧力制御の壁にさえぎられて冷気も妖気も突破できていない。
「あ~。一生懸命になってるところ悪いんだけど、妖気も冷気もこちらに届いてないから。そろそろ寝たいから帰ってくれないか?」
「この娘、われらを愚弄するか!」
その声と同時に、大量の氷柱のようなものが飛んできた。
「おっと。四連術式、923,521発動。」
慌てて防御障壁を四重に展開する。屋敷をすべて包むように展開したから、ちょっと多めに魔力をぶち込んでおく。
それにしても危ないな。まるで散弾じゃないか。ガラスが割れたらどうしてくれる。
六花とかいう雪女までキレている。あたりの気温がマイナス40度くらいまで下がり始めた。ああ、もう本当に面倒だな。
さて、雪の怪異ならば熱湯か?しかし、雪山を背に戦う雪女はほとんど無敵だ。
いや、熱核魔法とか轟炎魔法の火力なら、妙高山程度の一つや二つくらい、一瞬で溶岩の湖にできるけどさ。
そんなことをしたら、明日からどこで滑るんだよ。
いくら私でも、さすがにそんなことはやらないよ?
さて、どうするか。こいつらだけピンポイントで加熱する?それにしてもこの気温で活動できる生き物って、どれくらいいるんだろう?
・・・ん?そういえばこいつらって、何度くらいが生存に適した温度なんだろう?
まさか下限がない、なんてことはあるんだろうか?
物は試しだ。強制熱振動停止魔法でも使ってみるか。
「・・・すべての元素精霊よ。我は静謐なる歌声を以て汝らを眠りに誘う者なり。暗夜の如き閑寂で、四隅八方を包み込め。」
キン、という甲高い音が響き、一切の音がやむ。
それまで吹きつけていた吹雪も、ピタリと止まり風までもがこおりつく。
・・・これは原子の熱振動エネルギーを瞬時に奪い取り、広範囲を一瞬で絶対零度まで冷やす魔法だ。
この魔法の前では熱触媒となっているヘリウムすら液体になり、核融合中の三重水素すら凍りつく。
屋敷の中の人間を巻き込まないように限界まで出力を抑えた上、さらに指向性を持たせているが制御の難しい魔法だ。今夜はきっと冷え込むだろうな。
「きゃああぁ!」
お、若いほうの声だ。すごいな。かなり手加減したとはいえ、この魔法の効果範囲から逃げられるとは。
玄関灯の光が乱反射して、あたり一面を覆いつくすような大規模なダイヤモンドダストが収まった後には、彫像のように六花とやらが直立したまま凍り付いていた。
ふふん。やっぱり雪女だって凍り付くじゃないか。
多少の寒冷地に適応しているだけでそれ以上の寒さには耐えられなかったか。
そういえば、雪女はオイミャコンにはいなかったっけ。
垂氷とやらは・・・逃げたか?
これだけの実力差を示して、まだ襲ってくるならそれはそれで面白い。
ガッツがあると誉めてやろう。
追跡術式も打ち込んでおいたし、後はどうにでもなる。
さて、明日もスキーだ。これくらいにして寝るか。