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106 Merry Xmas Ms.Witch①

 12月25日(水)


 南雲 千弦


 関越自動車道から藤岡ジャンクションを経由して上信越自動車道に入ったところで、ちょうどお昼時になった。


「みんな、そろそろお昼だけど、お腹空いていないかい?次の横川サービスエリアでお昼ご飯にしようと思うんだけどどうだろう?」


 運転席から宗一郎伯父さんがみんなに声をかける。


「あ、横川サービスエリアといえば、荻野屋(おぎのや)の『峠の釜めし』が有名だよね。あれ?売ってるのって上りだけだっけ?」


 琴音がスマホで検索をしている。

 釜めしか。釜めしの容器って、確か益子焼(ましこやき)だったよな。

 飯盒炊爨(はんごうすいさん)も好きだけど、キャンプとかで釜めしの容器を使うのも面白そうなんだよね。


「たしか下りでも販売していたはずだ。買って車の中で食べるか。それともゆっくり座りたいか?」


 この車は居住スペースが広く、それぞれの座席に小さなテーブルスペースもついており、中央座席に至っては回転させて向かい合わせにもできる構造になっている。

 補助座席を開けば3対3のちょっとした会食スペースにもなるのだ。


「この車、見た目の割に居住性がいいからね。暖房も利いてるし、Wi-Fiも飛んでるし。サービスエリアの椅子より車の中のほうが快適なんじゃない?」

 伯父さんの提案にそう答えると、全員一致で釜めしを買ってきて、車内で食べることになった。


 ・・・スターリンク衛星でインターネットを利用できる車って、どちらかというと社用車とかだけだと思ってたよ。


 ◇  ◇  ◇


 横川サービスエリアの荻野屋(おぎのや)の売店で、宗一郎伯父さんが人数分の釜めしを購入し、車の中で食事会を始める。


 うん。いい器だ。食べて終わりの弁当にこんなにしっかりした陶器を使うとは。きれいに食べて器はとっておこう。


「千弦ちゃん、もしかしてこの釜、何かに使うつもりなの?」

 仄香(ほのか)、いや、この口調は遥香か。いつの間に交代したのか。


「さっき調べたんだけど、再利用して炊き込みご飯とか作れるらしいんだよね。キャンプとかで使ってみようかと思って。」

 かなりしっかりした益子焼(ましこやき)だ。よほどの加熱をしない限り、そう簡単に壊れないだろう。


「ふ~ん。じゃあ春になったらみんなでキャンプに行かない?みんなでこの釜使って炊き込みご飯、作ろうよ。」


「そうだね。私も遥香っちの意見に賛成だよ。仄香(ほのか)さんの意見はどうだろう?」

 咲間さん(サクまん)が念のため仄香(ほのか)にも確認を取っている。

 今は遥香の保護者みたいなものだしな。


《私は構いませんよ。それに、行先に困ったらアスピドケロンを召喚して島に、マヨヒガを召喚して別荘にするって手もありますしね。》


「なにそれ。ほとんどド〇えもんレベルじゃん。」


 ・・・琴音。お前は訴訟が怖くないのか。仄香(ほのか)でもド〇えもんには勝てないだろうし、ましてや出版社に訴えられたら魔法でもどうにもならんぞ。・・・勝てない、かな?


「ん。私もキャンプ行く。」

 助手席からエルも乗り出してきた。


《グローリエルが行くのなら、食料や料理の心配はありませんね。彼女の料理の腕はプロ級ですから。》


 そうか。・・・いや、そう、なのか?

 その割にはかなりの悪食(あくじき)じゃない?

 ジャンクフードから駄菓子、ジャガイモとかの生の食材に至るまでボリボリと食べているのを見たことがあるけど?


「姉さん。心配しなくても、きっと一食のカロリーが5000kcalを超えることはないよ。」


「そっちの心配じゃない。ってか私の戦闘糧食(コンバットレーション)はそこまで高カロリーじゃないわよ!」


 私と琴音の掛け合いに、車内で笑い声が上がる。

 平和だ。一日に数時間しか杖の外に出られないとはいえ、遥香が戻ってきてくれて本当に良かった。


 昼食を終え、車から降りてぞろぞろとお手洗いに向かった。


 食べ終わった釜めしの容器をその手に持ったまま、5人の高校生がトイレに向かうのは異様なのか、近くを歩く男性が後ずさるように道を開けた。


《美味しかったねー。そこの手洗い場で釜を洗うの?》


「ええ。食器として使うときにはしっかりと洗って消毒してから使いますが、食べ残しがついているだけでも不衛生ですからね。」

 いつの間にか交代した仄香(ほのか)が手洗い場で器を手洗いしている。


 ああ、原因はむしろこっちか。


 漆黒に金銀の金具や色とりどりの宝石があしらわれ、見たこともない文字で書かれた術式の環が回っている杖が、仄香(ほのか)の後ろで何の支えもなしに宙に浮いている。


 少し感覚がマヒしかけていたが、早いうちにアレを渡してしまったほうがよさそうだ。


 そうと決まればお手洗いと食器洗いを早く済ませ、急いで車に戻って宗一郎伯父さんが来る前に済ませてしまおう。

 遥香の誕生日でもない日に、誕生日プレゼントを渡すのも不自然だからな。


 積まれた荷物の中から私のキャリーバッグを引きずり出し、その中から簡単に包装してリボンを付けただけの箱を取り出す。


仄香(ほのか)。夜にしようと思ったけど、今のうちに渡しておくわ。お誕生日、おめでとう。私とししょーからよ。」


「え・・・?健治郎おじさまも?ありがとうございます。まさかプレゼントなんてもらえるなんて思っていませんでした。」


 長く生きてると自分の誕生日なんてどうでもよくなる人がいるみたいだが、仄香(ほのか)も同じだったのか?


「そういえば遥香の誕生日っていつだっけ?」


 身体と魂の誕生日が違うから、ちゃんと確認しておかないと。

 仄香(ほのか)にだけあげて遥香はプレゼント無しとか言ったら、さすがに泣くだろうしな。


《え、私?3月14日だけど。あ、そういえば琴音ちゃんたちと咲間さん(サクまん)の誕生日も知らないや。教えて教えて!》


 3月14日って・・・誕生日が一回目の命日だったのか。

 そういえば聞いたことがあるな。自分の誕生日に亡くなる人の割合が15パーセントを超えるって。


「へえ、遥香っちの誕生日はホワイトデーだったのか。奇遇だね。私の誕生日はバレンタインデーだよ。」


 仄香(ほのか)の誕生日がクリスマスで、遥香の誕生日はホワイトデー。咲間さん(サクまん)の誕生日はバレンタインデー。

 覚えやすいな。というか、二人とも早生まれか。


「いいわね、みんな覚えやすくて。私たちの誕生日は6月18日よ。」


 あ、琴音め。勝手なことを。・・・梅雨の真っただ中で、生まれた日は土砂降りだったらしい。

 ・・・それに、別の理由で私たちは自分の誕生日が好きじゃないのよ。


《へー。じゃあ、二人とも私たちよりお姉さんなんだね。》


 仄香(ほのか)の実年齢はやばいことになっているけどな。


「私たちの誕生日はどうでもいいから、開けてみてよ。」


 仄香(ほのか)を置いて騒ぎ始めた面々を制止してプレゼントを開けるように言うと、仄香(ほのか)は丁寧にリボンを外し、包装紙を綺麗にたたんでから箱を開けた。


「これは・・・鞘袋(さやぶくろ)?いえ、拵袋(こしらえぶくろ)かしら?それにいくつも術式が刻まれていますね。もしかして・・・この杖用の袋ですか?」


「そう。まるで刀の拵袋(こしらえぶくろ)みたいでしょ。その杖すごく派手だし、勝手に動くし、さっきみたいにすれ違った人が驚くこともあるからさ。これなら学校に持ってきてもおかしくないんじゃない?」


「ありがとうございます!そうか、これなら竹刀か何かが入ってるように見える。杖を学校に持っていけますね。それと、この術式は・・・?」


「ああ、それ。ししょーと二人で研究して作ったんだけど、干渉隔離術式と干渉妨害術式って言って、術式や詠唱に対する干渉を無効化したり妨害したりする術式なんだよ。理論上は聖釘(アンカー)の干渉も妨害できると思うけど、試してないから何とも言えないかな。」


 ちなみに必要な魔力は拵袋(こしらえぶくろ)の中から供給されるようにしてある。だから半永久的に使えるはずだ。


「・・・!すごいですね!そうか、対干渉防御は自分でやることしか考えてませんでした。領域の外部からピンポイントで干渉に対してだけ妨害すればよかったんだ・・・。」


 仄香(ほのか)でも気付かない術式を組めるって、師匠って実はすごいのか?


拵袋(こしらえぶくろ)は私が作ったけど、術式はししょーと二人で刻んだから二人からのプレゼントってことでよろしく。」


「ありがとうございます、大事にしますね。」


 すごく喜んでくれている。後で師匠にも連絡しておこう。


「・・・どうする?咲間さん(サクまん)。私たちも今渡しちゃう?」


「う~ん。私たちのは夜でいいんじゃない?っていうか、私の作ったのは千弦っちのと比べると魔法とか使ってないから地味なんだよね・・・。」


 琴音と咲間さん(サクまん)がヒソヒソと話している。

 今回は私の勝ちかな。


 とりわけ術式を刻んだアイテムを作る場合においては、私と師匠のタッグに勝てる人に会ったことがない。

 魔女が驚くようなものが作れるとは思ってもなかったけどね。

 ・・・あれ?リングシールドの時も仄香(ほのか)はすごく喜んでいたっけな。

 もしかして師匠って、マジですごいのか?


 ◇  ◇  ◇


 仄香(ほのか)


 千弦から思いもよらないプレゼントをもらって喜んでいると、グローリエルが宗一郎殿と一緒に両手に荷物を抱えて戻ってきた。


「ん。マスター。何かいいことがあった?」


「ええ。向こうについたら話します。」

 やはり顔に出ていたか。この身体を使い始めてから9か月、さすがに表情筋の制御も慣れてきたようだ。


「お、みんな揃っているね。忘れ物はないかな?」

 グローリエルは後部座席の後ろに買ってきた何かを乗せている。


「ねえ、伯父さん。何をあんなにたくさん買ってきたの?」

 千弦がそう聞くと宗一郎殿は、サービスエリアに店舗があるコーヒーショップの紙袋を後部座席に向かって差し出してきた。


「飲み物とお土産を買ってきた。車の中は暖房が効いてるとはいえ、この辺りは標高も高くなって冷え込むからね。いくつかの種類のコーヒーを入れてあるから、相談して仲良く選んでほしい。」


 荷物を載せ終えたグローリエルが一人だけ別の紙袋の中から一本のドリンクを抜いて助手席に座る。


 あれ、氷が浮いてるところを見ると冷たいドリンクじゃないか。そういえばグローリエルってエルフだし、無茶苦茶な寒さでも平気なんだよな。

 何年か前、オイミャコンに用事があって行った時も一日中サラッサラの雪の中で遊んでいたっけ。代わりに暑さにはとことん弱いけどな。


 幸い、ほかのドリンクはホットだった。いや、当たり前か。


仄香(ほのか)、先に選んでいいよ。」

 咲間さん(サクまん)が紙袋を広げて差し出す。


「じゃあ、遠慮なく。」

 そう言いつつロイヤルクリスタルブレンドを選択する。


 さっそく一口飲んでみると、甘さと香ばしさが鼻腔に抜けていく。

 よくこの値段でこの味が出せるものだ。販売店の人や豆の栽培をしている人たちだけではなく、企業努力と大規模物流網を作り上げた人類すべてに感謝だな。


 さて、せっかく拵袋(こしらえぶくろ)をもらったんだ。使ってみるか。


 杖を石突から拵袋(こしらえぶくろ)に入れると、余裕をもってすっぽりと収まった。

 黒地の絹布に金糸で術式が織り込まれており、所々に暗号化のための紋様が飾りのようにあしらわれている。


 2本の赤い房紐(ふさひも)が大きな存在感を放っているが、上品でいやらしさがまったくない。ここにも術式が編み込まれているのか。


 至る所に複雑で有機的な術式が編み込まれており、この拵袋(こしらえぶくろ)だけでも複数の防御術式が組まれているのがわかる。


 劣化防止や汚れ防止の術式までついてるよ。多分これ、刃物で切れないどころか、火に()べても燃えないだろうな。


 健治郎殿はすごいな。今までこれほど精緻な技術を持った魔術師を見たことがない。


《ねえ、仄香(ほのか)さん。まるで着物を着たみたいな気分だね。》


「そうですね。絹織物で和柄だから、ほとんど着物みたいなものですね。」

 どうやら遥香も気に入ったようだ。

 大切に使わせてもらおう。


 宗一郎殿の運転する車の中で楽しく過ごしているうちに、カーナビが新潟県に入ったことを知らせる音声が鳴った。


 長野側から県境を超えれば妙高市はすぐだ。

 琴音から聞いた話によれば、宗一郎殿の別荘は温泉地の一角にあり、その敷地内に露天風呂まで備えているという。


 スキーも楽しみだが温泉も楽しみだ。年末年始は思い切り楽しませてもらおう。


 ◇  ◇  ◇


 南雲 琴音


 東京外環自動車道で少し渋滞に巻き込まれたけど、比較的順調に伯父さんの別荘に到着することができた。


 車内で姉さんが仄香(ほのか)に誕生日プレゼントを渡していたけど、健治郎叔父さんの力を借りるなんて、反則じゃない?

 だってあの人、リングシールドとかフレキシブルソードとかを作るレベルの魔術師なんだよ?


 案の定というかなんというか、(おさむ)君が作ったバレッタと同じようなレベルのシロモノが出てきたよ。


 まあ、私も宗一郎伯父さんの力を借りたから人のことは言えないけどさ。

 伯父さんの手前、一応は遥香へのクリスマスプレゼントということにしている。


 ・・・ん?待てよ?(おさむ)君にいくつか術式を教えて、蒔絵漆器(まきえしっき)のような形で作らせたら結構すごいものができたんじゃない?


 もう、こんなことならもっと早くから(おさむ)君と仲良くなっておくんだったよ。こんなことを言ったら姉さんもおさむ君も怒ると思うけどさ。


「琴音、何を悶々としているのよ。ほら、早く荷物運び込んで。」


 姉さんはもう何度も車と別荘の玄関の間を往復したらしく、後は私とエルの荷物だけのようだ。

 慌てて荷物を車から降ろす。


「部屋割りなんだが、2階の8畳の方の部屋を琴音と千弦、もう一つの12畳の部屋を咲間さんと遥香ちゃん、エルさんでいいか?それぞれにベッドや衣装ケース、ミニテーブルといった家具類は搬入してあるから好きに使ってくれ。」


「うん、ありがと、伯父さん。伯父さんは一階の小さな部屋で寝るの?」


「ああ。小さいといっても、6畳以上あるからな。さすがに女性と同じ階で寝るわけにはいかんだろ。心配するな。ここは本家の近くだし、もし気になるようなら俺だけそっちに行っても構わないしな。」


「まさか追い出したりはしないわよ。家主が一番狭い部屋で寝るなんて、何というか、申し訳ない。」


 リビングやダイニング、二階のミニキッチンなど、かなり豪華な設備があるのはうれしい限りだ。


 リビングには西洋風の暖炉まである。

 その割には、リビングが一段高くなった畳張りになっているのがちょっと面白い。


 別荘全体も遠くから見ると、青い瓦葺きの日本家屋にサンタクロースが入りそうな大きな煙突がついているという、なんとも徹底した和洋折衷住宅だ。 


「宗一郎。食材をしまいたい。冷蔵庫を使ってもいい?」


 ものすごい量の食材を担いできたエルがキッチンの入り口で仁王立ちになっている。

 あの体格でよくあれだけの荷物を運べるものだ。身体強化魔法、使ってないよな?


「ああ。キッチン入ってすぐ右が冷蔵庫、その隣の背の低い方が冷凍庫だ。それと、各部屋にもミニ冷蔵庫を用意してあるから個人の物はそっちに入れるといい。」

 伯父さんの話が終わると同時に、エルは冷蔵庫を開けて食材を入れ始めた。

 でかい冷蔵庫だな。


「ねえ、コトねん。伯父さんってすごい大金持ちだよね。もしかして九重家ってすごい名家なの?」

 咲間さん(サクまん)が私に耳打ちする。


「あれ?言ってなかったっけ?宗一郎伯父さんって、九重和彦の長男だよ。」


「九重・・和彦・・内閣総理大臣!?」


 そういえばクラスメイトにも私たちが現職総理の孫だって言ってなかったっけ。魔法に関しては口止めされてるけど、そっちは口止めされてないからな。


「うわ、やばい。もしかして庶民なの、私だけ?うちの親なんてコンビニ経営者だよ。」


 たしか咲間さん(サクまん)の母親がオーナーさんでお兄さんが店長さんだったよね。

 武蔵小杉の医大モールの店で、咲間さん(サクまん)がアルバイトしてた時にこっそり買い物に行ったから知ってるよ。


「そうなんだ。でもたぶん、うちのお父さんの給料よりも手取りが多いんじゃないかな。考古学の先生だしね。それにすごいのは伯父さんとお爺さんであってウチらじゃないし、政治家みたいな左右からフルボッコになる職業なんて頼まれてもやりたくないしね。」


「左右からフルボッコ。あははっ。まあ、そうかもね。うん。ウチはコンビニでよかったよ。」


 たしか、咲間さん(サクまん)はミュージシャンになりたいんだよね。大学受験はシッカリするように言われてるらしいから、デビューは大学入試の後になるだろうけどさ。


「みんな。スキー板やウェア、靴などは風除室横の納戸に入ってるから確認してくれ。届いたままになってるから仕分けもな。それからリフト券はここに置いておくぞ。」

 リフト券は伯父さんに手配してもらった。


 伯父さんに言われて納戸を(のぞ)き込むと、整然と荷物が並べられている。

 これで初日からスキーを楽しめそうだ。


咲間さん(サクまん)。荷物が片付いたらさっそく滑りにいこう!」


 まだ午後2時過ぎだ。

 夕飯まで滑ったとしても、4時間くらいは滑れるだろう。

 いよいよ楽しいスキー旅行の始まりだね。


 ◇  ◇  ◇


 妙高山 中腹


 12月後半となれば、日本海に面した地域は毎年豪雪に見舞われる。

 例年になく冷え込み、例年の平均を大きく上回る降雪量となったこの年は、大小を問わず生態系に大きな影響を及ぼしていた。


 ホワイトアウトを起こす寸前の山林の中、1メートル半ほどの黒い塊が億劫そうに体を動かす。

 夏から秋になるのが遅すぎた上、秋が短くいきなり冬になったために十分なエサが取れなかったのか、あるいは冬眠する穴が見つからなかったのか。


 胸に特徴的な白い三日月模様がある熊は、雪を掘り返して木の実などのかろうじてまだ食べられるエサを探していた。


「ほほ、こんなところに熊が歩いておる。つぶして肉にでもするか。」

 ふいに、雪の上に声が響く。女性の声にしては少し低めの声だ。


 続けてやや幼く、甲高い声が響く。

六花(りっか)姉さま。熊なんて食べたくないわ。早くヒトの精気を、それも若い男の生気を食らいたいわ。」


 年の頃なら20代後半くらいと半ばくらいだろうか。

 長くつややかな黒い髪が特徴の、青白い肌をした二人の女が雪の上にたたずんでいる。


「わかっておる。ここのところ山に来る者がおらんかったからの。腹が減ってたまらぬわ。」

 真っ白な装いに身を包む二人の女は氷点下を大きく下回る気温だというのに、その足には履物すら履いていなかった。


 先ほどまで雪を掘り返していた熊は、その二人を見てエサだと思ったのだろうか。

 鼻を鳴らしながら近づいていく。


「のう、垂氷(たるひ)や。里によき(おのこ)がおるといいのう。」

 そう言いながら、姉さまと呼ばれた女が左手を軽く振るうと一陣の風が巻き起こり、二人に近づいていた熊の体を雪煙が覆う。


 雪煙の中には冷気を肺まで吸い込んでしまったのか、のたうち回る黒い塊があった。


「そうね。六花(りっか)姉さまは可愛い女の子が好みでしたよね。どちらが早く見つけられるかしら。」

 垂氷と呼ばれた女は、カラカラと笑いながらのたうち回る黒い塊に指先を向ける。


 その指先から次々と氷柱のようなものが飛び出し、熊の身体を穿(うが)っていく。

 氷柱で針山のようになった熊は身動き一つせず、その場に崩れ落ちていた。


 六花(りっか)が山の中腹から下を見渡すと、その灰色の瞳に青い瓦葺の屋根と突き出た煙突が特徴的な一軒の家を遠くに捉えた。


「む?あんなところに小屋、いや屋敷ができておるな。今宵はあの家に行こうぞ。」


 二人の女は、深く積もった雪をかき分けることもなくその上を歩いていく。

 柔らかく積もった新雪の上に足跡も残すこともなく。

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