105 スキー旅行・往路
12月25日(水)
西東京市 自宅 早朝
南雲 琴音
昨日は疲れたけど楽しかった。
オタク君、いや理君って結構アリなんじゃないかしら?
館川君とは違ってイケメン風では全くないのに、全身がバランスよく鍛えられていて意外に男らしかった。身長は少し低めだけど。
それに、同年代の男子に比べてかなり落ち着いているのも良い。
彼と初めて話したのは中学2年の夏ごろだったかな。
姉さんがサバイバルゲームに初参加した日の夜、彼の従兄が姉さんの装備一式を家まで車で運んでくれた時のことだったと思う。
当時、やっと使えるようになった回復治癒魔法を使う機会がなくてウズウズしていたところに、ちょうど左足を挫いた理君がいたんだっけ。
魔法というものが世間一般に受け入れられてないことは知っていたから、翌日学校で保健委員の仕事のふりをしてこっそりと治してあげたんだ。
靴下を脱がせて湿布を張るふりをしながら呪文をこっそりと唱えたんだけど、初めてのわりにすごくうまくいったんだよね。
3年も前のことなんだけど、覚えていてくれたみたいだ。
それにデートの後、仄香の誕生日プレゼントを買いに行くことを告げたら、かなり適切なアドバイスをくれたんだよね。
せっかくだからプレゼント選びにも付き合ってもらっちゃったよ。
あ、プレゼントといえば、彼からもクリスマスプレゼント、もらったんだよね。
「琴音・・・。何ニヤニヤしてるのよ。」
スキー旅行に行くための荷物をまとめて置いてあるリビングで、荷物の最終チェックをしている姉さんが少しムッとした顔をしている。
「え〜、別に〜。」
そう言いながら、ハーフアップにした髪を束ねているバレッタを姉さんに見せびらかす。
「ぐ、くそっ。どうでもいいけど、理君に贈ったクリスマスプレゼント、あんた名義なんだから全額負担しなさいよ。」
「えー。・・・いくら?」
「税込みで11,495円。はい、これレシートね。」
「な、なんであんなプラスチックの板を曲げただけの拳銃ケースがそんな高いのよ!?」
「拳銃ケースとか言うな。カイデックスホルスターって言え。チェコからわざわざ取り寄せた実銃用のホルスターなんだから高いのは当然でしょ。それよりそのバレッタ、どう見ても5万円くらいするんじゃないの?」
・・・そんなに高そうに見えるのか。
「これ、理君の手作りだって言ってたよ。自分で柘植の材木から切り出して、螺鈿を張ってから漆を塗ったって言ってたけど?」
いや、確かに言われてみれば、素人が作ったにしてはすごい技術だ。
黒を基調とした漆に、金粉と金箔があしらわれており、中央には貝か何かを薄くスライスして作った螺鈿細工が規則正しく並んでおり、左右には桜の花や蝶の蒔絵が蒔かれている。
「琴音、ちょっと見せて。」
姉さんが真面目そうな顔をして右手を伸ばす。
「う・・・。いいけど壊さないでよ。」
バレッタを外し、その手に乗せると、姉さんはどこからか取り出したルーペでバレッタの表面を食い入るように覗き込んだ。
「うわ、これ、本物の夜光貝じゃない。蒔絵の白と薄ピンクのところは卵殻を砕いたものとそれを何かで染めたもの?それから沈金は・・・。わからない。漆に沈めた金は、くすんだ色になってこんな発色なんてしないのに、どうやってこの色を出してるんだろう?」
バレッタを覗き込んだまま、姉さんが妙に興奮している。それにしても妙に詳しいな?
「そろそろ返してよ。・・・そんなにすごいのこれ?」
興奮している姉さんからバレッタを取り戻し、リビングにある姿見を見ながら髪を束ねてそれで留める。
「琴音、悪いことは言わないから、それ、失くさないようにどこかにしまっておきなさい。5万円なんてレベルじゃなかったわ。たぶん、同じものを本職の蒔絵職人に依頼したら、100万でも作ってくれないよ。というより、そんなに細かい柄なんて下手したら本職でも作れないわよ。」
マジか・・・。たかがバレッタと思っていたけど、そんなにすごいものだったか。
そういえば前に、理君の大伯父にあたる人が、漆芸の人間国宝だったって言ってたっけ。
あれ?もう亡くなっているはずだし、技術は完全に失伝したって言ってたけど、どういうことだろう。
それとも器用なのは血筋で生まれつきなの?
「う、うん。失くさないようにしまっておくよ。」
恐る恐るバレッタを外す。
髪を束ねるのに、そんな高価なものを使って万が一のことがあったら、ショックで数か月は寝込むよ。
ってか、理君、私のこと、そんなに本気だったのか。
これほどのものをもらっておいて、やっぱり付き合いませんというのは非常にまずい。
いや、理君、彼氏としても結構アリなんじゃない?
性格よさそうだし、姉さんで安全証明済みだし。
このまま普通に付き合っちゃえば万事解決じゃない?
・・・あ、そうだ。クリスマスプレゼント代、姉さんに払わなきゃ。でも今月は出費がやばい。
仄香のプレゼントは宗一郎伯父さんにも協力してもらったけど、このままではさらにおこづかいをねだる羽目になりそうだ。
出かける前にお母さんに言って、お年玉貯金から少し借りておこうか。
◇ ◇ ◇
南雲 千弦
朝食もおわり、出発に備えてすべての荷物を玄関に運び終えた。
あとは宗一郎伯父さんが迎えに来るのを待つだけだ。
さすがに妙高まであの和風キャンピングカーで行くわけにもいかず、別の車を用意してくれているらしい。
6人乗りのSUVだって。伯父さんは何台の車を持っているのだろう?
途中で咲間さんと遥香の家にもよってくれるらしいから、ここを出発するのは比較的早い時間を予定していた。
それにしても、昨日は大変だった。琴音のフリをして、理君とデートする羽目になるとは。
理君とはクラス替えのたびに同じクラスになるおかげで、ここ3年くらいの間、毎日よく話している。
彼が琴音と最初に会ったのはいつだったかは知らない。
気が付けばいつの間にか、登下校や何かのイベントで私たちが一緒にいるときに琴音に話しかけるようになっていた。
なんでまた琴音なんだ。顔も声も体も同じで、みんな私と区別がつかないのに。
付き合うなら私でもいいじゃないか。
デート中、彼が私のことを「琴音さん」と呼ぶたびに胸がチクリと痛み続けた。
でもそれ以上に彼と遊ぶのは楽しくて、ズルズルと後戻りできなくなっていった。
そんな時に、あの魔力波長を検知して、つい八つ当たり的に銃を突きつけたのが琴音だったから、残りのデートをそのまま押し付けた。
こんなことなら、適当なところで、いや新橋で合流したときに私は千弦だと理君にいうべきだったか。
まさか、理君があれほど本気だとは思わなかったんだよ。
そんな私の気持ちを多分知らないだろう琴音が、理君へのプレゼント代を持ってきた。
「姉さん、これ。ホルスターの代金。お釣りは5円だと思うけど、いらないから。」
「そう、ありがと。で、いつ断るの?手作りとはいえ、結構すごいものをもらっちゃったんだから断りづらいだろうけど、断り方なら相談に乗るわよ。」
プレゼント代を受け取り、財布にしまう。
昨日のデートは途中から交代したが、琴音がプレゼントを理君に渡すときには「姉さんに取り寄せてもらった」と言わせたから、選ぶときに私が関与しているのは彼も感づいているだろう。
「ん〜。告白らしいことはされてないのよね。それなのにこっちから断るのって無理じゃない?」
「・・・ああ、そうだったよ。あの意気地なしったら、肝心なことはまだ言ってないんだっけ。あ、だったらまだ私にもチャンス、あるんじゃない?」
よし、スキー旅行から帰ってきたら、理君に会いに行こう。
そうだ。別に私だって理君に嫌われたわけじゃない。
「姉さん、そんなにこのバレッタがうらやましかったの?あげないわよ?」
「あんたって子は・・・。あ、もうそんな時間か。」
琴音を蹴っ飛ばそうとしたとき、ドアチャイムが軽快な音を立てる。
どうやら宗一郎伯父さんが迎えに来たようだ。
「あ、おはよう伯父さん。今日からしばらくお世話になります。」
玄関のドアを開け、伯父さんに挨拶をしていると、朝食の片づけをしていた母さんがキッチンから顔を出した。
「あら、兄さん。早かったわね。兄さんのおかげでしばらく家事が楽になるわ。せっかくの年末年始なのに迷惑をかけてごめんなさいね。」
「おはよう、美琴。独り身だとまた寝正月になるだけさ。それに今年はちょっと珍しい人が参加することになっててね。それも楽しみなのさ。」
「ふうん。珍しい人・・・。あ、エルさんね。エルフってホントにいたのね。弦弥さんや父さんからも聞いてたけど、生きてるうちに会えるとは思わなかったわ。」
母さんと伯父さんが盛り上がってるよ。
ああ、そういえば一度ウチに来たっけな。
あの時はホンモノの桃太郎さんに会えて興奮してたけど、エルフってのも十分に珍しい存在だっていうのを忘れてたよ。
・・・仄香のせいで感覚がマヒし始めたみたいだ。気をつけないと。
とりあえず、荷物を運ぶか。ん?あのOD単色の車って・・・。
「伯父さん、6人乗りのSUVって・・・高機動車だったの。しかもこれ、陸軍仕様じゃない。どこで手に入れたのよ・・・。」
家の前の空いたスペースに、どう見ても陸軍の高機動車に見えるものが駐車している。
だが、よく見るとオリジナルではないようだ。後部座席は幌じゃないし、ドアの構造もかなり異なるし。
車内を覗き込むと、6人分の座り心地がよさそうなリクライニングシートがついている。内装は豪華で、完全に民生モデルになってしまっている。
しかしルーフキャリアもついているし、さすがに元軍用車両だけあって、荷物の積載量にはかなりの余裕がありそうだ。
「いや〜、千弦ならわかってくれると思ってさ。健治郎に頼んで払い下げ品を回してもらったんだ。元が96式多目的誘導弾システムでさ。公道を走れるようにするのが大変だったよ。」
「ぐ、も、もったいない!たしかにそのままでは使えないけどさ!・・・いや、運転席の内装くらい残しておきなさいよ!」
そんな私をよそに、琴音は黙々と自分の荷物を車に運んでいる。
「姉さん。よくわからないことで興奮してないで早く荷物運びなよ。遥香とエル、それから咲間さんも待ってるよ。」
「あ、うん。そうだね。今運ぶよ。」
慌てて荷物を積んでいく。キャリーバッグと、ライフルケースと・・・。忘れ物はないかな。・・・ま、私も長距離跳躍魔法が使えるようになったし、忘れ物に気づいたら取りに戻ればいいか。
ほんと、便利だな。魔法って。
◇ ◇ ◇
足立区 遥香の自宅
仄香
朝食を終えて遙一郎が仕事に向かうのを見送り、スキー旅行の荷物を玄関に運び出したところでグローリエルから念話が入る。
《マスター。今からそっちに向かう。玄関前は空いてる?》
《ああ、空いている。吉備津彦は何か言っていたか?》
《ん。特にない。ヒコの召喚符なら持った。》
《ならいい。だが今あいつは蜘蛛退治中だ。箱根神社によって蜘蛛切丸の剣霊を降ろしたところを見ると相当キレているようだし、召喚するなら他の奴にしろ。》
《ん。わかった。そろそろ到着する。》
話してるうちに、玄関先に到着したらしい。
玄関を開けると、妙に大きな荷物を抱えたグローリエルが立っていた。
「すごい荷物だな。・・・もしかしてそれ、全部食材か?」
「ん。宗一郎と約束した。手料理をふるまう。」
グローリエルは、鼻の穴を大きくあけながら自慢げに食材が入ったバッグを叩いている。
あれ、玉山の隠れ家のフードバッグじゃないか。停滞空間魔法がかかってるから内容物は劣化しないけど、ちょっと多すぎじゃないか?
・・・少し置いて行かせようか。
そんなことを考えていると、家の前に軍用トラックのようなデザインの車が止まった。
これ、日本陸軍の高機動車じゃないか。いや、一応は普通のナンバープレートが付いているようだ。
「おはよう、遥香ちゃん。もう玄関前で待ってたのかい?」
宗一郎殿が運転席から顔を出している。
「おはようございます。宗一郎さん。私たちで最後ですか?」
車内を覗くと、後部座席に琴音と千弦、そして咲間さんが乗っている。
空いている席は2つだが、妙に車内が広く感じるのは元が軍用車だからだろうな。
これならグローリエルが持ってきた食材も乗りそうだ。
「ん。おはよう。宗一郎。荷物、載せていい?」
「お、すごい荷物だね。これって例の食材?」
宗一郎殿は車から降りて彼女の荷物を運んでくれている。例の、ということは私の知らないところで手料理の約束でもしたのか。
「ふふん。マス・・・遥香の料理は素材の味しかしない。私は料理が得意。任せて。」
《あー!エルちゃん、マスターを遥香って言いなおした!素材の味しかしないのは私のじゃなくて仄香さんの料理なのに!》
いつの間にかついてきた黒い杖の中の遥香が、念話で抗議している。
残念ながらその抗議の声は宗一郎殿には聞こえないんだよな。
「う、ごめん。」
エルが慌てて謝っている。・・・謝るなら念話にすればいいのに。
「遥香ちゃんの荷物は、あとはこれだけ?」
気が付いたら宗一郎殿は私の荷物まで運んでくれている。
遥香の記憶にもあったが、昔からよく気が回る男だ。
「あ、はい。これだけです。あとはこの杖ですね。」
そういって杖を握り、香織に「いってきます」と伝えて車に乗り込むと、その見た目に似合わない軽快なエンジン音と、力強い加速で車は走り出した。
◇ ◇ ◇
OD単色の車は、首都高を抜けて東京外環自動車道から関越自動車道に入り、上信越自動車道に向かって走っていた。
助手席にはエルが座り、運転する宗一郎殿に飲み物やサンドイッチを渡したり、ナビゲーションをしたりしながら、楽しそうに話している。
いつの間にそんなに仲良くなったのか。
・・・だが、相変わらず会話のほとんどが単語だ。
後部座席では、私と遥香を含めた5人でUNOを楽しんでいるところだ。
「ねえ仄香、その杖出しっぱなしだけど、もしかしてカバーとかしたら遥香が外を見られなくなったりする?」
千弦が杖のほうを見ながら唐突にそう言った。
杖の中の遥香は、ここ数日の間に使い慣れてきた念動呪でUNOのカードを器用に操っている。
同時に何枚ものカードを折らず破かず操るとは、もしかして私より器用なのか?
「いえ、杖に目や耳がついているわけではありませんし、透視呪や振動検知で外界を認識していますから、普通のカバーではほとんど影響ありませんよ。」
《そうなんだよね。千弦ちゃんの言う通り、最初は杖に目とか耳とかついてるのかなーって思ってたんだけど、ちょっと力入れると、家の外もママのお財布の中も見えちゃうんだよね。》
私たちの話に、杖の中の遥香が反応する。・・・今、UNOをやってるのに、なんでわざわざそういうことを言うかね。
「へえ〜。便利だね。・・・ってまさか!さっきから妙に強いと思ったら!もしかして全員の手札が見えてるとか!?」
咲間さんが慌てている。・・・なにも賭けてなくてよかったな。
《あ、バレた。ちなみに千弦ちゃんも琴音ちゃんもワイルドドローフォーを持ってるよ。》
咲間さんが場に置きかけたワイルドドローフォーカードを引っ込める。
・・・今回はドロー返しができるルールなんだよな。
UNOって時代や地方によってルールが少し違うから、初めてのメンバーとプレイするときは事前にルールの確認が欠かせない。
「もう。完全にズルじゃない。無効試合よ、こんなの。」
琴音が手札をバサっとその場に開く。
《あはは、ごめん。なかなか機会がなくて言い出せなかったんだよね。千弦ちゃんたちと理君のデートとか覗いていたとか言えなくてさ。》
またいらん事を言う・・・。そういえば変わり身の衣を渡した後はどうなったんだろう?
「そういえばあの後どうなったんです?ちゃんと最後までデートできたんですか?遥香さん、知ってる?」
《ん〜。それはね・・・。》
「「遥香、ストップ!」」
あ、琴音と千弦の声が完全にハモった。
というか、もしかして知らないのは私だけか?
・・・新鮮な感覚だ。これは珍しい。せっかくだ。深刻な事態にはならないだろうし、聞かないでおこう。
「これは仄香さんに能力の制限をしてもらったほうがよさそうだね。そう思わない?コトねん、千弦っち。」
「賛成。さすがにその能力はヤバい。」
咲間さんの提案に琴音が即答する。
だが千弦の反応はやはり期待していた通りだった。
「う〜ん。サバゲとか戦争とかですごく役に立ちそうな気がするんだけどな・・・。」
「姉さん、あなたって人はなんでこう、戦争バカなんですか・・・。」
琴音が呆れた顔で千弦を見ている。言葉遣いから少しキレているような雰囲気があるな。
《あ、サバゲ、やりたいやりたい!》
遥香、頼むからこれ以上話をややこしくしないでくれ。
それと、なるべく早いうちに透視呪の能力は制限しておく必要がありそうだな。