102 日常、ふたたび。
12月15日(日)
東京都足立区 遥香の自宅
仄香
ふと感じた喉の渇きに目が覚め、ベッドサイドにあるスマートフォンを手に取るとすでに日の出まで3時間ほどだった。
暖房のせいだろうか、少し空気が乾燥している。
ベッドから起き上がり、カーテンの隙間からまだ暗い空を覗くと、星の少ない東京の空にあっても、いくつかの星が瞬いている。
ベッドの横を見下ろすとそこには、来客用の布団を敷いて琴音と千弦、そしてグローリエルの三人が川の字で眠っていた。
また、壁に立てかけた無名の黒い杖からは、遥香の安らかな寝息のような思念波が漏れていた。
昨夜は4人そろって夜遅くまで私の昔話を幻灯術式で見ていたが、この世代の娘にはかなり刺激の強い内容だろうに、目を背けるどころか、嬉々としてのめり込んでいる。
・・・エル以外の3人については、ありのままの私を見て幻滅するんじゃないかと思っていたが、どうやらそういったことはなかったらしい。
千弦と琴音はそろって布団をめくってしまっている。
さらに千弦は枕を抱きしめて眠っているせいで、顔が変なほうを向いている。
寝違えたりしないだろうか。
暖房はつけているものの、12月の朝は冷え込む。
病気くらいなら回復治癒呪ですぐ治してやれるが、だからと言ってわざわざ風邪をひく必要もない。
ベッドから降り、琴音の布団をかけなおしてやると、彼女が目を覚ましてしまった。
「ん・・・。遥香、じゃなかった仄香。起きてたの?もう朝?」
「いえ、ちょっと前に喉が乾いて目が覚めてしまっただけです。起きるにはまだ早いですからまだ寝ていても大丈夫ですよ。」
千弦の頭を持ち上げ、近くにあったクッションを差し込む。
これでは枕の意味がないな、と思いつつ彼女が抱きしめている枕に触れると、妙な感触がした。
「ん?妙に硬い感触が・・・。」
思わずソレをまさぐろうとすると琴音が私の手をつかんで止めた。
「あ、ストップ。・・・姉さん、まだ枕の下に銃を持って寝てるの?」
薄暗い中で目を凝らしてみると確かに、枕の下になった右手にリボルバーのような銃を握って眠っている。
この暗さでは、装弾されているのかどうかまでは分からない。
トリガーに指をかけていないのは、日ごろの訓練のたまものだろうか。
「・・・千弦さんは何と戦ってるんですか?まさかコレ、術弾とか入ってないでしょうね?」
琴音と顔を見合わせてしまったが、琴音は苦笑いをしながら肩をすくめている。
銃口に鉛筆でも突っ込んどいてやろうか。
「はあ・・・。まあ、いいでしょう。水でも飲んできます。琴音さんは?」
そういいながら廊下に出ると、琴音も起き上がり、ついてきた。
「あ、私も行く・・・。ねえ、深紫は未だに行方不明なの?魔女並みの魔力を持った人間がもう一人いるってのは、ちょっと落ち着かないんだけど。」
1階に降りてキッチンに入り、冷蔵庫の中からミネラルウォーターのペットボトルを出し、二つのコップに注ぐ。
「・・・深紫の所在が分かったのは、あれから15年ほどしてからです。次回以降のお楽しみにしようと思っていたんですけど、ネタバレしてもいいんですか?」
「う〜ん。お楽しみとかネタバレって言えるレベルなら問題ないのかな。」
そういうと、琴音は受け取ったコップを口につけた。
そういえば、千弦はなぜあんなに銃やら術式榴弾やら、物騒なものを持ち歩いているのだろうか。平和なこの国にしては、妙に装備が良すぎるのも気になるところだ。
「・・・千弦さんについて聞いてもいいですか?」
「へ?姉さん?何かあったの?」
「いえ、彼女自身に何か問題があるわけではないのですが、なぜ普段から武器を手放さないのかな、と思いまして。」
「・・・聞いても気分が悪くなるだけの話よ。ま、それがあるから家族は誰も何も言わないけどね。今度時間があるときでいい?」
「わかりました。ではまたの機会にしましょう。」
聞いても気分が悪くなるだけの話、か。直接千弦に聞くのはやめておいたほうがよさそうだな。
飲み終わったコップを軽くゆすいで自動食器洗い機に放り込み、二人で階段を上って遥香の部屋に戻ると、千弦とグローリエルは安らかな寝息を立てて眠っていた。
起きたら宗一郎殿の車でスキーウェアを買いに行く約束だったな。
一日中滑れるわけでもない遥香のこづかいを使うのもなんだし、今回は私の貯金から出しておこうか。
壁に立てかけた杖を見てそんなことを考えながら、再びベッドにもぐりこんだ。
◇ ◇ ◇
6時間後 都内 高速道路上
南雲 千弦
今日は宗一郎伯父さんの車でスキーウェアを買いに行くことになった。
遥香の家の前までキャンピングカーみたいな車で迎えに来てくれたよ。
・・・なんでも、ちょっと前に琴音が白いハイエースには乗りたくないと言ったらしく、急遽、原型がなくなるまで改造したんだってさ。
予定ではスキーウェアもレンタルにしようかと思っていたけど、仄香から「一週間以上使うんなら、ちゃんとしたウェアを買ってもレンタルより安くなるのでは?」と言われ、計算したらその通りだったのだ。
今年は曜日の並びが良いらしくて、会社員や公務員も長い休みが取れることもあって、さすがにホテルや旅館はどこも予約でいっぱいだった。
私たちは伯父さんの別荘を使うから関係ないけど。
ただ、さすがにスキー板やスキーブーツまでは手が出ないと思っていたら、そこはさすが宗一郎伯父さん、足のサイズだけ言えば全部揃えてくれるってさ。
やっぱり持つべきは金持ちの親戚だね。
相変わらずネクタイの柄はアニメのキャラクターだけどさ。
今回のスキー旅行の参加者は、私、琴音、遥香(仄香)、咲間さん、そしてなぜかエル(グローリエル)の5人(+1人)だ。
ちなみに咲間さんはかなりの熟練者なので板もウェアも、全部揃っているらしい。
遥香については、滑り方がわからない間は仄香が、慣れたら自分で体を制御するらしい。
他にスキーの経験がないのはエルだけらしいが、なぜかものすごく自信がありそうだ。
「エル。スキー、滑ったことないって言ってたよね?いきなり中級者コースで大丈夫?」
琴音が心配そうに聞いている。
「ん。生まれは南ウラル。板切れでよく滑っていた。」
「ふ〜ん。ウラルってソ連の?エルってソ連の人だったの?」
つい横から話に割り込んでしまう。この国ではソ連といえば鉄のカーテンの向こう側で、その詳細を知る人間はほとんどいない。
「私はソ連人じゃない。国籍もない。」
エルは特に気にした様子もなく淡々と答えている。オレンジのグミを食べながら。
「エルは厳密にいえば人間ではありませんからね。エルフに人間同士の国境問題なんて関係ないんですよ。ロシア語は話せますけどね。」
仄香が補足する。
外見があまり変わらないから気にしてなかったけど、そういえば人間じゃなかったっけ。
「楽しそうだね。それにしても先輩のお嬢さんがウチの姪っ子と友達になるなんて思わなかったな。世間は広いようで狭いね。」
運転席にいる宗一郎伯父さんの言葉にその場にいる全員が同意する。
《そうだ。仄香さん。宗一郎伯父さんに代わりに謝っておいてくれない?今年の2月から一度も挨拶してなかったから。あるいは交代してくれたら自分で言うよ。》
仄香の持っている黒い杖から念話が聞こえる。この場にいる宗一郎伯父さん以外のすべてに聞こえているようだ。
《ああ、それなら大丈夫です。つい先日にご挨拶をしてあります。その時、「すごく礼儀正しくなった」って褒めてくれましたよ。》
《うわ。知らないところでまたハードルが上がってるよ。仄香さん。私の霊的基質とかいうのが治っても一緒にいてね。》
ハードルねぇ・・・。たしか、遥香が戻る前に予備校の公開模試で1位とかとってなかったっけ?それも手当たり次第に。結果、国内すべての大学でA判定だ。
すでにハードルはエベレスト級だ。
礼儀正しさとか気にしてる余裕はないと思うんだけど。
《ええ。大丈夫ですよ。・・・っていうか自分の中に他人がいたら、普通は嫌がると思うんですけどね?》
いや、遥香にしてみればそれどころじゃないって。
まあ、私も先月の初め頃に身体を乗っ取られたときは、少し慌てたけど不思議と嫌な気分にはならなかったんだよな。
なんというか、妙な安心感というか爽快感というか。
まあいいや。そんなことよりももうすぐスキー専門店に到着する。
「お、あそこだ。駐車場は空いてそうだな。・・・よし。立体駐車場じゃなくてよかったよ。高さ制限に引っかかると結構悲しいからな。」
伯父さんのキャンピングカーはお店の入り口のすぐ近くに駐車した。それにしても目立つ車だ。キャンピングカーで瓦葺はやめてほしい。
「さて、順番に見て回ろうか。それとみんな。手持ちが足りなかったらオジサンに言いなさい。少しぐらいならカンパしてあげよう。」
「伯父さん。そういうことはあまり外で言わないの。何かそういう危ない付き合いと勘違いされると困るでしょ。」
琴音が伯父さんの腰を突っついている。
「そうね。琴音も私も、和香大叔母様とか九重の仕事でアルバイトしてるから、それなりにおこづかいはあるから大丈夫。それと・・・。」
振り向いて黒い杖を持っている仄香(遥香)を見る。・・・どうせ仄香のことだ。財布の中は札束が丸ごと入ってるんだろう。
「ああ、大丈夫ですよ。私もエルも、こんなこともあろうかとしっかり貯蓄はしてありますから。」
「ん。」
そういいながらエルが腰のポシェットを開けると、帯付きの万札が5束ほど見えた。
おい。ただ洋服を買うだけなのに現金を500万円も持ってくるなよ。車でも買うつもりか。
それから国家を敵に回しても負けないくらい強くても、馬鹿どもには分からないからこんなところで財布を開けるな。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
4人ともスキーウェアやその他必要なものなどを買い終わって車に戻ると、いつの間にかお腹が空き始めていた。
スマホの時計を見るとお昼を少し回っている。
「ねえ、伯父さん。そろそろお腹空かない?」
全員の買い物袋を運び終わり、運転席に戻った伯父さんに声をかける。
宗一郎伯父さんは、さっきから荷物運びや大型の荷物の発送、リフト券の手配などで動きっぱなしだ。
見た目は少しオタクっぽいのだが、気の利き方やコミュニケーション能力は健治郎叔父さんより高いような気がする。言動もずっとスマートだしね。
「そうだな。買い物中に近くのイタリアンレストランで人数分予約を取っておいたが、かまわないか?」
伯父さんは車を運転しながら事もなげに言うが、人数が合わなかったり好みが合わなかったりで予約を取るのって結構気を使うものだ。
ここで勘違い女は「私、イタリアンじゃなくてお寿司の気分なの。」とかいうんだろうな。・・・いや、伯父さんのことだ。二の矢、三の矢を用意しているかもしれない。
「・・・これだけ気が利いて金持ちで、見た目も悪くないのになんで恋人の一人や二人できないのかしらね。」
横で姉さんが呆れたように言っている。
「そうなのよね。宗一郎伯父さんがもう少し頑張れば、私たちも九重の家を継げとか言われないで済むんだけどね。」
「イタリアンでいいということにしておくぞ。っていうか、褒められたのか貶されたのか分からなかったんだが。」
宗一郎伯父さんはムッとすることもなく、笑いながら文句のようなものを言っている。
「ん。私と付き合う?歳が気にならなければ。」
エルが突然妙なことを言う。エルフって、人間の男と付き合えるの?いや、ハーフエルフという概念があるのだから不可能ではないのか?
「・・・そうだな。エルさんが歳の差を気にしなければ、時々美味しいものを食べに行くとかアリかもしれないね。」
伯父さんは一瞬だけ回答に詰まったが、うまいこと躱したつもりになっているのだろう。・・・多分、二人の「歳の差」の認識が大幅にズレているような気がする。
仄香の方を見ると、ため息を吐いた後のような微妙な顔をしていた。
「ん。決まり。じゃあ、連絡先を教えて。」
その場にいる全員を放置して、エルはどんどん話を進めていく。
「ははっ。今運転中だからレストランに着いてからね。・・・さて、見えてきた。あそこだよ。うちの系列店だからね。遠慮はいらないよ。」
普通なら、かなり高級そうなレストランの駐車場に、どう見ても魔改造された和風キャンピングカーで入っていくのは結構勇気がいるんじゃないかと思う。
宗一郎伯父さんはそんなことを全く気にする素振りなどなく、堂々と駐車場に車を止め、レストランの中に入っていった。
まあ、本物の金持ちからすればファミレスと変わらないのかもしれないけどさ。
「・・・こんな高級レストランだって知ってたら、もうちょっと格好に気を付けてたのに。最悪でも制服とかさ。」
姉さんがボソッとつぶやく。
ああ、なるほど。モテない理由はこういうところか。
◇ ◇ ◇
・・・値段が書いてないイタリア語のメニューと、やたらと高級な雰囲気に気圧されて妙に緊張した。
アンティパストとかピアットとか、コントルノなんて何のことかわからなかったよ。
かろうじてドルチェがデザートらしいことだけはわかったけどさ。
遥香なんて、最初は仄香から身体の制御を返してもらって嬉々としていたのに、いつの間にか制御を委ねていたくらいだし。
全く動じなかったのは仄香とエルだけか。さすがは年の功。
「宗一郎。すごく美味しかった。」
エルは意外にもしっかりしたテーブルマナーで食べ終わり、味の感想を言っている。相変わらず言葉数は少ないけど。
価値観が一致したのか趣味が近かったのかは分からないが、食事の最中に伯父さんとエルは意気投合し、LINEの連絡先やメールアドレスなどを交換していた。
エルが本物のエルフだということを説明したら、伯父さん、ものすごく驚いていたな。
九重の家は代々魔法使いの家系だからエルフの伝承は知っていたらしく、エルのフルネームが「グローリエル・ルィンヘン」だと聞いて妙に納得したような顔をしていたよ。
フェアラス氏族じゃなくて良かったとも言っていたところを見ると、私たちよりそういったことに詳しいのかもしれない。
「それにしてもエルフか・・・。生きてるうちにお目にかかれるとは思ってなかった。うわさ程度には聞いていたが、とにかく数が少ないらしいからね。」
「ん。ルィンヘン氏族はまだまし。ファウンロド氏族は100人もいないはず。」
「ファウンロド?エルフにも違いがあるの?」
思わず聞いてしまったが、種類?種族?なんといえばよかっただろう?
「ん~。ファウンロドはダークエルフ。ルィンヘンはハイエルフ。」
「へぇ~。ダークエルフってホントにいるんだ。っていうか、ハイエルフとそうでないエルフの違いって何?いや、そもそもエルフって人間とどう違うの?」
姉さんがかなり突っ込んだ質問をするが、私としても気になる。そもそも幻想種って召喚魔法で喚ぶ以外にどこにいるんだろう。
「ん・・・。マスター。」
「はいはい。千弦さん、琴音さん。幻想種やエルフについての説明はかなり時間がかかりますから、まずはお店を出ましょう。宗一郎さん。この後はどうするんですか?」
「そうだな・・・。買い物も済んだし、この後は帰るだけだが、どこか行きたいところでもあるのか?」
「「秋葉原!」」
姉さんとエルの声が重なる。
「秋葉原か・・・。この車が入りそうな駐車場がないんだよな。駅前まで送ってやるから、そこで解散にするか。」
「そうですね。せっかくのお休みなのにこれ以上ご迷惑をおかけするのも悪いですし、そうしましょうか。」
仄香がそういうと、エルが少し名残惜しそうな顔をした。
「伯父さん。今日買った荷物はどうする?姉さんの分まで持っていくのはちょっと重いから・・・。」
どうせ姉さんは新しい銃とか弾とかを買うのだろう。その分の荷物を持たされるのは勘弁願いたい。
「ああ、後で青木君にそれぞれの家まで届けるように頼んでおくよ。エルさんは・・・久神さんと一緒の宛先でいいんだね。」
「ん。ありがと。」
話がまとまったところでそれぞれ席を立ち、そろって出口に向かう。
「あれ?お会計は?」
「ああ、もう払っておいた。安心しろ。食い逃げじゃないから。」
後ろを見ると、お店の人が深々とお辞儀をしている。
・・・うーん、モテるまでもうちょっと、なのかな?