101 光陰の魔女・深紫の少女
1979年 8月
香港 香港島 ヴィクトリア市
ヴィクトリア・パーク
ジェーン・ドゥ
完全に新規の魔術を開発したのは何年ぶりだろうか。脅威がいるというのに結構楽しくて没頭してしまったよ。
おかげで、昨日まで一か月近くの間、玉山の隠れ家に籠って魔導書を二冊も書き上げてしまった。
・・・今回、系統ごと新規で開発した魔術は二つ。
一つは、魔力検知術式。
対象となる者の存在を検知する据え置き型の魔術だ。
相手が深紫なら検知範囲が半径100kmにも及ぶ術式で、対人検知でも半径10kmまで可能なシロモノだ。
実は魔法使いや魔術師が何らかの魔法や魔術を行使した際には、必ずその場に魔力波長の痕跡が残る。
だが、それを用いて相手の所在を調べようとすると、人間程度の魔力の痕跡はすぐに散逸してしまう上に膨大なノイズ除去の処理が必要になるため、これまで実用化ができなかった。
理由は簡単で、周囲の魔力的ノイズが時間とともに指数関数的に拡大することによって、それを覆いつくしてしまうためだ。
極端な話、周囲に誰もいなくとも星の魔力があるだけで痕跡を追うのはほぼ不可能になってしまうのだ。
だが今回、深紫が召喚魔法を使ったことで発想を転換してみた。
深紫の魔力は人間のそれと比べて膨大であるため、痕跡はなかなか散逸しないし、そもそも魔力的なノイズが一切ないところを経由して調べればいいのではないか、と。
実は、召喚魔法で喚び出される眷属たちが本来住んでいるところ、すなわち精神世界は、常に魔力が飽和状態になっているため魔力的ノイズが全くないのだ。
要するに精神世界を経由して調べればいいじゃん、というだけなのだが。
結果として、相手が深紫の場合に限るが、かなりの範囲で相手を検知することができる魔術を作ることができた。
そしてもう一つの魔術は、魔導妨害術式。
これは対象となる者の魔法や魔術に対し、魔力の共鳴を利用して詠唱や術式を掻き乱し、無意味な文字列に変えてしまうというシロモノだ。
これは以前手に入れた、「聖者・ワレンシュタインの剣」の音響魔法を参考に開発・・・いや、改造した魔法剣だ。
違いがあるとすれば、私しか使えないこと、指向性があること、そして音ではなく魔力波長を用いて、相手と逆位相の波長を相手に照射し、その詠唱や術式を魔力に分解するというくらいか。
ただの「魔法剣」という名前では味気ないな。ワレンシュタインの名前も使いたくないし。よし、「魔封じの剣」と名付けよう。
・・・とまあ早速意気込んで、仕込杖に拵えた新品の「魔封じの剣」をぶら下げて、長距離跳躍魔法で世界中を回ってみたんだが、深紫の気配が全く感じられないのだ。
「ねえ、マスター。次はあそこの蟹粉豆腐食べたい。買って。」
「ええぇ?、エルってば今小籠包食べたばかりじゃん!」
なぜか同行することになったグローリエルとリザが横で騒いでいる。
っていうか、香港に行くと言ったら、なぜか二人ともついてくるって騒ぎ始めたんだよな。
・・・いや、吉備津彦も一緒だったっけ。
ひと月ほど前だっただろうか。
リザが本格的に魔法を学びたいから教えてやってくれ、とアルバートとエマから頼まれていたのだ。
リザは同年代の少女たちに比べると潜在魔力量が非常に優れているし、魔力制御については魔法の箒でしっかりと練習をしたおかげか、熟練の魔法使いレベルとなっている。
素直で理解も早いため、教える方としては気持ちがいい。
グローリエルについては・・・。なんでついてきたんだ?
いや、オートキャンプの時にリザと意気投合したかと思ったら、ここのところ週末になるたびに長距離跳躍魔法で合流して遊びまわっている。
グローリエルはエルフだし、実年齢が80歳近くだとしても、精神年齢はまだ十代前半だ。
吉備津彦やその他の眷属、そしてボリスくらいしか話し相手がいないのはかわいそうだと思い、友人ができればいいかとリザと合わせたのだが、ここまで仲良くなるとは思わなかったよ。
「マスター。腰と身体が軽いですね・・・。」
吉備津彦が左の腰に時々手をやり、気づいたようにその手を引っ込める。
白のポロシャツにダークブラウンのチノパンという、カジュアルな装いをさせた彼は、普段から着慣れた大鎧や大太刀がないのが心細いのか、落ち着かないようだ。。
「吉備津彦、こんな場所で鎧甲冑に太刀まで佩いていたら警察が飛んでくるわよ。・・・あなた、素手でも虎くらいなら軽くひねれるでしょうに。」
「ええ、まあ、虎くらいなら踏むだけで抑えられますが・・・。」
「・・・虎より強い敵なんてここじゃあ出てこないわよ。それに必要になったら再召喚してあげるから安心しなさい。ほら、二人が呼んでるわよ。」
吉備津彦のやつ、グローリエルが心配だというから、去年からずっと召喚しっぱなしなんだが、いつになったら日常生活に慣れるんだろうか?
ま、いっか。グローリエルも懐いているみたいだし。
噴水前で駆け回っている三人を横目に、ヴィクトリア女王の銅像の前に立つ。
銅像に深紫を検知するための専用の術式を打ち込み、しばらく様子を見るが、やはり反応がない。
うーん。地球の陸地面積って、1億3千万平方キロメートルだっけ?
魔力検知術式の検知範囲が約3万1千4百平方キロメートルとすると・・・。
うわ、単純計算でも4200か所に設置しなくてはならないのか。
今からでも何か別の方法を考えたほうがいいか?
「マスター。難しい顔してないで、とりあえず食え。リザが心配してる。」
しばらく無言で考えていると、グローリエルが右手に持ったアイスクリーム差し出してきた。
うん、グローリエルのやつ、左手にもしっかりとアイスクリームを持っているよ。
「ありがと。そうね、リザにとっては初めての海外旅行だからね。ちょっとは楽しみましょうか。」
パスポートは取得してないけどな。
「ミーヨ。何か術式を刻んでいたみたいだけど、終わった?」
「ええ、今終わったところよ。リザ、次に行きたいところはどこかしら?」
「う~ん。九龍城塞に行ってみたいんだけど、危ないかな?」
・・・あそこか。まあ、吉備津彦がいれば大丈夫だろう。
「いいわよ。行ってみましょ。・・・はい、吉備津彦。いざというときはこれを使いなさい。」
とりあえず「魔封じの剣」を吉備津彦に渡しておこう。
彼が普段から腰に佩いている太刀と違って、これは完全に実装だが、強度といい切れ味といい、決して劣るものではないはずだ。
「ありがとうございます、マスター。」
・・・結論から言うと、九龍城塞はそれほど危険でもなかった。
そういえば、十年位前から住民たちが一丸となって自警団を組んで治安維持に励んでるってニュースが流れていたっけな。
次は、日本か。札幌、仙台、東京、名古屋・・・ああ、めんどくさい。
◇ ◇ ◇
コーカサス地方 アゼルバイジャン共和国
シャキの町近郊の森
???(深紫)
コーカサス山脈を北に見ながら、誰かの記憶に従って森の中を歩いていた。
この森は、カフカスの森と呼ばれているらしく、ノルウェーの森や南ウラルの森林と並んで森型の魔力溜まりだそうだ。
・・・最近、やっとこの世界の人間に溶け込む方法を覚えることができた。
人は殺してはいけないらしいし、モノを手に入れるにはお金で買う必要があるらしい。
そういえばそうだったな。なんで忘れていたんだろうか。
お金は、大きな街で夜、街角に立っていると、自称「お客」の大人たちが恵んでくれる。
だいたい宿みたいなところに連れていかれるので、気持ちよく眠れるように強制睡眠魔法と夢操術式を併用して好きな夢を見れるようにしてあげたら、約束以上のお金をくれるようになった。
あんなに安眠したい大人が多いなんて、世の中大変なんだな。
だけど人によっては、この魔力量だと近くにいるだけで気分が悪くなることもあるらしい。
だから「お客」を逃がすことがないように、魔力を少しずつ使う方法と、隠す方法を覚えた。
そのうち「お客」の中でボクは人気になって、洋服やカバン、クツなどを買ってもらい、ボクの見た目はずいぶんキレイになった。
一つの町でたくさんの「お客」を相手して、カバンの中がお金でいっぱいになったところで次の町へ行くのを繰り返しているうちに、一人の「お客」が面白いことを教えてくれた。
なんでも、アゼルバイジャンのカフカスの森にはエルフが住んでいるらしい。そのエルフは魔法を使うそうだ、と。
ボクの中にある、魔法の知識の人の記憶では、そこは森型の魔力溜まりだったはずだ。
ということは、ノルウェーや南ウラルの魔力溜まりにもエルフがいるんだろうか?
いずれにせよ、エルフならば「お客」の言うとおり魔法のことも知っているかもしれない。
今、頼りにしている魔法の知識の人の記憶は様々な魔術や魔法を教えてくれるけど、どういうわけかその知識は虫食いだらけだ。それと、難しい言葉が多すぎる。
特にカガクというのがさっぱりわからない。ブツリとか、カガクとか、あとレンキンジュツとか、そういった知識に至っては意味不明な呪文のようだ。
もっと勉強しなくては。魔力だけなら、すでに相当の量を手に入れられたはずだけど、それだけでは「アイツ」に勝てないかもしれない。
そんなことを考えながら森の中を歩いていると、突然木の上から子供の声が響き渡った。
「止まれ!人間がこの森に何の用だ!」
その言葉に従い、歩みを止めて木の上を見ると、十代後半くらいの金髪の男の子が弓のようなものをコチラに向けて構えている。
「ん?おまえ、子供か?・・・かなり強い魔力を感じたんだが、気のせいか?」
・・・どうやら魔力を隠しきれていなかったらしい。
そんなことより、その男の子は話に聞いた通り耳が尖っている。ボクほどではないが、濃密な魔力の気配をまとっている。
「ねえ、君ってエルフさんだよね?」
初めて見るエルフに少しウキウキしながら声をかけると、あきれるような声が返ってきた。
「おまえ、迷子か?誰にこの森の話を聞いたんだか知らないけど、こんな奥深くまで来るのは危険だ。魔物もいるし、森の入り口まで送ってやる。」
その男の子は軽い足音ともに、目の前に飛び降りてきた。
じっと顔を見ると、その翠色の瞳が吸い込まれそうなほどきれいなことに気付いた。
思わず見とれてしまったが、ボクはこの森に迷い込んだわけではない。エルフに用があってきたのだ。
「ボクは迷子じゃないよ。エルフに会いたくてこの森に来たんだ。ねえ、君の村まで連れて行ってよ。」
金髪翠眼が美しい男の子に頼み込むと、その男の子の気配がいきなり怖いものへと変わった。
「へぇ?エルフに会いたい・・・ね。お前、まさかエルザ姉さんの仇じゃないだろうな?姉さんはそう言って近づいてきたやつに連れてかれたんだよな。」
そう言うと同時に男の子は大きく距離を取り、弓に矢をつがえる。
これは殺気?よくわからないけど首の後ろがピリピリする。
・・・あの矢、先端についているのは石?ガラス?あ、黒曜石とかいうやつだ。
当たったら痛そうだな。
「う~ん。ボクは敵じゃないんだけど。・・・雷神の乳山羊、アマルティアの皮を張りし霞の盾よ。蛇神の首を飾りし無敵の盾よ。我らに仇なす邪悪と災厄から我を守り給え。」
素早く光膜防御魔法を展開し、男の子に向かって一歩前進する。
「なんだ!?この魔力量は!くそ、こいつ、人間じゃなかったのか!」
男の子は弓を引き絞り、矢を放った。
一直線にこちらに迫る矢は、光の膜に絡めとられ、あっけなく空中で静止する。
「ねえ、エルザ姉さんって人は人間?それともエルフ?」
空中に黒曜石の鏃の矢を静止させたまま、男の子に問いかける。
「・・っ!エルザ姉さんはエルフだ!人間なんかと一緒にするな!」
そうか、エルフか。
「それなら、ボクは仇じゃないよ。それに多分、ボクは普通の人間じゃないから。」
そう言いながら、ゆっくりと魔力を開放していく。
「・・・!お前、まさか魔族か!?くそぅ、だったら初めからそう言えよな。間違えて攻撃しちゃったじゃないか。っていうか、絶滅したんじゃなかったのかよ。」
男の子の殺気が急激にしぼんでいく。
魔族?ボクは魔族なのか?よくわからないけど、一応正直に言っておこうか。
「いや、実は記憶がないんだ。自分が何者か、名前すら思い出せない。」
「あ~。そうか、苦労してるんだな。ま、それだけの魔力量なら人間ってことはないだろうよ。瞳も独特な色だしな。で?カフカスの森に何の用だっけ?」
魔族は瞳が独特なのか。ボクの瞳はどちらかというと深い紫なんだけどな。
「いや、実は魔法を教えてほしくてさ。」
そういうと、男の子はあっけにとられたような顔をした。
「魔族がエルフに魔法を教えてほしいって・・・。ああ、記憶喪失なのか。まあ、魔法を覚えようと思うんなら手っ取り早い判断ではあるな。まったく、南ウラルの方に行かなくてよかったよ。」
どこかに向かって歩き始めた男の子の後を、遅れないようについていく。
「南ウラル?なんでダメなの?」
「なんだ、それも覚えていないのか。南ウラルの連中はルィンヘン氏族、こっちはフェアラス氏族。まったく違う氏族さ。ルィンヘンの連中は人間寄り、フェアラスは魔族寄り。南ウラルに行ったら、氏族総がかりで攻撃されてたかもしれないぞ。」
「そうなんだ、気を付けるよ。ん?そうするとノルウェーの森は?」
「そういったことは憶えているのか。ノルウェーの方はダークエルフだな。あいつらはファウンロド氏族っていうんだが、魔族なら付き合いがあったはずだな。機会があったら行ってみるといい。ほれ、もうすぐ村だ。」
どうやら村まで連れて行ってくれるようだ。
「ところで、君の名前は?あ、いや、ごめん。自分から名乗るべきなんだけど、名前が思い出せなくてさ。」
「はははっ。いいさ、俺の名前はギルノール。ギルノール・フェアラスだ。ギルでいいぜ。よろしくな。お前のことは、そうだな・・・バノヴシャなんてのはどうだ?」
「バノヴシャ・・・どういう意味?」
「アゼルバイジャンの言葉でスミレの花という意味だ。瞳の色がスミレ色だろ?気に入らないなら他の名前を考えるけどさ。」
そう言いつつ、ギルはその右手を差し出した。
バノヴシャ・・・不思議な語感だけど気に入った。
「よし、じゃあこれからボクはバノヴシャだ。よろしくね、ギル!」
はじめて自分だけのものを手に入れた喜びを感じながら、彼と手をつないで歩きはじめた。
ギルに連れられて深い森の中を潜るように進んでいく。
木漏れ日の中、不思議と足元はシッカリしていて木の根に足を取られることもなく、枝や葉が白い肌を傷つけることもなく、森の浅いところよりも快適に土の上を歩いて行った。
次回から現在に戻ります。
バイオレット、バノヴシャはしばらく登場しませんが、必ず活躍?することでしょう。