九話 期待
日も上がらぬ朝方、一足先にギルドへ帰還したアルマンはいつになく口を引き結び、眉間にしわを寄せていた。ギルド長室までの階段は長く、疲れが蓄積された体に鞭打って目的の部屋へとやってくる。
「楽にしてくれ」
黒い髪、碧い目の優男。ロッシュと似た男がにこやかに出迎えてくれる。
アルマンは遠慮なくソファに座らせてもらった。
「巨熊討伐、お疲れさま。それで、急ぎの報告があると聞いたけど」
「急ぎではないが、話したいことはある。けどまずその前に、あの巨熊は冬眠明けで腹を空かせていた。食べ物を探すうちに山道へ入り込み、果樹園へと下りてきていたと思われる」
討伐後、一体は被害を受けた果樹園に金策に、もう一体は魔物討伐ギルドで引き取ることになった。
今後の対策として、かなり高額にはなるが魔物除けの柵を設置するそうだが、その代金も巨熊の素材で賄えるだろう。
「二つ目、巨熊は『威圧』を使う……個体もいる。今回、全員が浴びたがイリスだけが耐えられなかった」
『威圧』とは、簡単に言えば自身の持つ魔力を用いて精神的にぶん殴る攻撃だ。主に相手を威嚇するとき、押さえつけたいときに使われる。
「『威圧』か……わかった。王室の魔物対策課には俺から報告しておくよ」
アルマンは静かに息を吸う。
「ここからが、僕の本題だ」
居心地の悪さをひしひしと感じながら、それでもアルマンは言わなくてはならない。
「ロッシュを戦地に連れていくなとは言わないが、戦闘に組み込むべきではない」
「それは、どうして?」
貴族というものは本当に、不気味だと思う。怒ったのなら、癪に障ったのなら、頭ごなしに怒鳴りつけられたほうがまだましだ。
「今はまだ、という話でもあるが」
アルマンは巨熊との戦いを思い返す。
今までだったら自分の魔法を主軸に、そこにある駒を動かすように作戦を組み立てていた。けれど、今回は。
なにに重きを置き、頼ったか。使ったか。
「僕たち……いや、僕は隊長としてロッシュに期待するべきではなかった」
のしかかるような沈黙に、アルマンは言葉を続ける。
「闇の魔石は目くらましとして使い、逃走や時間稼ぎが最適。でも今回は闇の魔石を……どうにかしてロッシュを使わなければと考えてしまっていた」
巨熊は筋力が高い。近接を避けるべきというのはみなが納得していた。だから遠距離での討伐を理想とし、作戦も立てた。
けど、そこにロッシュはいらなかったと断言してもいい。アルマンはそう思う。
エドガールに目標を捕捉してもらい、カタリナに氷の元となる水を操ってもらい、自分が凍らせればよかった話だ。
そこにロッシュが介入する必要などなかった。
「君の弟が足手まといだったわけではない。僕の判断ミス、力不足だ」
しばらくしてカシアスが口を開く。
「話は、それで終わり?」
「ああ」
アルマンは生唾を飲み、返事を待つ。
「……よかった」
ほ、と微かな吐息が耳を撫でる。
怪訝に思って視線を上げれば、目が合った。
「アルマン自身はまだ、ロッシュに期待してくれてるんだね」
声が出そうになるのを抑える。
「俺たちは、ロッシュに世界を知ってほしいんだ。領地だけが世界じゃなくて、領民だけが隣人ではないと、知ってほしいんだ」
はらはらと仮面が剥がれていく。ギルドの長でもなく、貴族の息子でもなく、兄としての男だけがそこにいた。
「ロッシュを連れてくると決めたのは俺だ。私情を挟むべきではないともわかってる。でも、ロッシュには笑って、前を向いていてほしい。そのためにはこのギルドが必要なんだ」
とはいえ、とカシアスは顔を伏せる。
「俺ばかりが逸って、急ぎすぎた。君にはすまないことをしたね。勇気を出してここまで来てくれたこと、感謝するよ」
アルマンは口を噤む。
「俺にも、ロッシュにも、気を遣わなくていい。だから言いたいことや気づいたこと、些細なことでも話してくれたら助かるよ」
「……君たちの家では普通だったかもしれないが、僕たちは闇属性に触れる機会が少ない。まずは闇に慣らすべきだ」
「検討しよう」
「以上だ。巨熊は素材ごとにわけたら商業ギルドに持ち込む。ギルドで確保したい素材があれば事前にまとめておけばスムーズにことが進む」
アルマンは部屋を出る。大きく息を吐いた。
「……調子が狂うな」
階段を下りていると、ばったりシャルロットと出くわした。最近は愚者火の件ですっかり落ち込んでいたが、今は元気そうだ。
「よう。聞いてくれ、アルマン」
「いやだ」
「なぜだ!?」
「疲れているからだよ。寝ずに馬を走らせて戻ってきたんだから。副ギルド長に構っている時間があったら睡眠にあてたい」
シャルロットは悲しそうに顔をしかめた。
「なら、これだけ渡しておこう」
懐から小さな防水袋が取り出される。
「なんだ、これ?」
「愚者火の灰だ。あなたのお姉さんは花が好きだろ?」
「なんで僕に?」
「一緒に怒られた仲じゃないか」
苦い記憶だ。三人並んで正座させられたのは屈辱でしかない。
「まだ構想段階だがもしかしたら、量産できるようになるかもしれない。だからもし、愚者火が出没したら一緒に捕まえに行こうな」
元気を取り戻した理由がわかった。
「僕じゃなくてもロッシュがいたら誰でもいいでしょうに。いや、闇の魔石で事足りるならロッシュですらなくてもいい」
「誰でもいいから、ロッシュとアルマンなんだよ」
アルマンは僅かに目を見張る。
「暇だったらな」
がしがしと頭をかいて、灰を受け取ってからシャルロットの横を通り過ぎる。
「ああ。いい夢を」
姉は花が好きだが、育てたことはない。花壇を眺めたり花束を貰ったり、見るだけだ。それでもこれを受け取ったのは労力への対価と、もしものときに売り払うため。欲をかくならオークションにかけてもいいだろう。
「――魔法が使えない、ね」
あれは魔法が発覚していないだけで、膨大な魔力を持っている。魔力を操るセンスも群を抜く。
だからこそ、よほど惜しまれてきたのだろう。哀れまれてきたのだろう。
けれどもし、魔法が発覚して使えるようになったら。彼は間違いなく、それがどんな魔法であれ栄光の道を歩むのだろう。
「やめよう。僕の考えることじゃない」
久しぶりにミスをして、感傷的になっている。
もう宿舎へ帰る体力も残っていない。アルマンはギルドの仮眠室で眠っていくことにした。
太陽はもう、顔を見せ始めていた。