五話 初任務
フィエルテには魔物と相対する組織が大まかに二つある。冒険者ギルドと魔物討伐ギルドだ。
依頼を受け、魔物を討伐し、素材を持ち帰るなど、担う業務内容はほとんど同じである。けれど、冒険者ギルドよりも魔物討伐ギルドとでは決定的な違いがある。
それは、魔物討伐ギルドは国からの要請を断ることができないという点だ。依頼を断ることはもちろん、決して退いてはならない。
命が危ぶまれる可能性は高くなるが、国という後ろ盾を得ることができ、功績を立てれば爵位を賜ることだって夢ではない。
「緊張しているか?」
シャルロッテの声にロッシュは顔を上げる。
王都の南、街道を走る馬車にロッシュとシャルロッテは同席していた。他にも一人、真夜中だというのに駆り出されたものがいる。
「僕は別に」
彼の名前はアルマン・カミナード。赤茶色の髪に、朱色の目。少々目つきが悪く、常にむすっとした表情をしている。
水属性の魔法士で、氷を生み出すことができるのだと出発前にシャルロッテが教えてくれた。
「俺は少し、緊張しています」
「どうせ戦わないのに、なぜ君が緊張する必要がある?」
「そんな言い方はないでしょうに。悪いね、ロッシュ。アルマンは口が悪いんだ」
「事実を言ったまでだ」
ある程度の冷遇は覚悟して領地を出てきているものの、いざ矛先を向けられると心臓が苦しくなる。
「あ、あの……俺たちは今、どこへ向かっているんですか?」
ロッシュの問いかけにシャルロッテはこくりと頷く。
「王都の南の街道に……愚者火が出たと推測している。目視はしていないが、通報した商人の証言から断言していいだろう」
愚者火。沼地や墓場に出没し、道に迷わせたり沼へ誘い込んだりする魔物だ。
出没した場所が墓場ならば道に迷うだけで済むが、沼地付近だと話は変わってくる。惑わされたものが、すでに沼の底に沈んでいるかもしれないのだ。
そして今回出没したのが沼地付近だということもあり、その危険性を鑑みて副ギルド長であるシャルロットが指揮を執ることとなった。
「商人の話では――」
その日、消息を絶った商隊から逃げ出してきた商人の話では、街道付近の沼地でいくつもの馬車が転がっている光景も目にしたという。
直ちに直近の記録を遡れば、夜間にその街道を通る手はずだった商隊のほとんどが行方をくらましていたことがわかった。
事態は深刻だと判断した王城の魔物対策部がヴァンサンの魔物討伐ギルドに愚者火討伐を依頼したというわけである。
「君はなにもしなくていい。僕の邪魔はしないでくれ」
「危ないから後ろで見ていてくれ、という意味だ」
ロッシュはぽかんとしてしまう。
アルマンの言葉はたしかに棘を持っていたはずなのに、シャルロットの変換によってそれが感じなくなった。アルマンも訂正しないということは、そういうことなのだろうか。
「明かりは私に任せてくれ。愚者火を目視したら、アルマンが氷で捕獲する。できれば持ち帰って王城の魔物対策課に研究してもらいたいが……」
「できなくはないけど、王城には入りたくない。面倒な手続きで魔力が持つとも思えないし」
「わかっているよ。と、そろそろだね」
三人は街道に降り立つ。
街灯はあるが、点々とするそれらはあくまでも道に迷わないようにするためのもので、明かりとしては不十分だ。
「しばらくこのまま待機する」
周辺は暗く、目を凝らしても遠くまでは見えない。
「いた。あっち」
アルマンが指をさす方向に、青白い火の玉が浮かんでいた。
「間違いない。愚者火だね」
ゆらゆらと揺れるそれは獲物を誘い込んでいるようで、一歩踏み出しそうになったロッシュの前に腕が出された。
「ロッシュ、私の手を掴んでいなさい。あまり長く見ないように」
「わかり、ました」
自分が今、愚者火に誘われていたのだと自覚する。シャルロットの手は温かく、触れているとほっとした。
「アルマン」
「ああ」
シャルロットが点々と火の道を灯す。アルマンを先頭に、三人はじわじわと愚者火に近づいていく。
足元は湿っていて、次第に泥に足がとられそうになる。それは愚者火と距離を詰めれば詰めるほど顕著になり、二人の警戒が高まっていくのをロッシュは感じた。
「あの沼が住処か?」
木々の開かれた場所に出る。中央には沼があり、その上を愚者火が数体揺らいでいた。
「馬車が……」
沼の周りには破損した馬車が散乱していた。行方知らずとなった商隊の馬車に違いなく、荷物はそのまま残っている。人だけが、どこにもいない。
「墓を立てねばならないな」
シャルロッテが静かに呟く。
商人たちがどこへ消えたのか、聞かずとも悟ってしまう。
「土属性も連れてきたほうがよかったんじゃないか?」
「無作為に埋めるなどできないよ。弔いの場が必要だ」
沼を囲むように火の円が発生する。愚者火に逃げる様子はなく、意思があるかも定かではない。
仮に意思があるとして、通行人を誘う理由はなんだろうか。一説では、あれらは死者の魂で道連れを求めているのではないか、というものがある。
「始めるぞ」
アルマンが手のひらを前に向ける。一帯の温度が低下していき、肌寒さを感じた。
「――」
愚者火を閉じ込める氷の箱が形成されていく。自身の火が氷を溶かし、水となって降りかかった。その瞬間、じゅ、という音とともに愚者火はあっけなく空気に消えた。
アルマンは見えうる限り、それを繰り返す。
「あれは、人ではないよ。我々を死へと誘う魔物にすぎない」
シャルロットに手首を掴まれ、ロッシュははっとする。一歩、また一歩とロッシュは無意識に沼のほうへと進んでいた。
「あなたは心優しいんだね」
「ごめん、なさい。俺、また……」
「大丈夫。最初はそんなもんさ。そのうち慣れる」
再び沼のほうに視線を向ければ、愚者火はあらかた姿を消していた。ロッシュはほっと息をつく。
「持ち帰りたかったな……」
未練がましくシャルロッテが呟くと、呆れたような顔でアルマンが振り返った。
「王都で僕の魔力が切れたら洒落にならんでしょうよ」
「それはそうだが……いざとなったら私が消し炭にすればいいだろ?」
「リスクが高すぎる」
口では反対しつつも、アルマンは律儀に最後の一体を残している。
「愚者火は水に触れると消えるんですよね?」
「そうだよ。ちなみに愚者火にくべられた可燃物は灰となり、その灰は貴重な素材――肥料として活用できる。十分なデータは取れていないが、その灰を肥料とした植物は病気になることも虫に食われることもないらしい」
「なるほど、それは研究のしがいがありそうですね。ギルドに耐火の箱はありますか?」
「あるけど、今から取りに行くのはさすがに無理だよ」
「試してみたいことがあります」
シャルロットは僅かに目を見張り、口角をにやりと上げた。
「いいだろう。やって見せてくれ」
「一回だけだぞ。死人が出ているんだ」
ロッシュは懐から闇の魔石を取り出し、放り投げる。刹那、愚者火の周りを霧のような闇が覆った。
「なにをした?」
「魔石を使い、闇に閉じ込めました」
闇の魔石の効能は、霧状の闇を作り出すこと。使い手の意思により、濃さや範囲を操作できる。主に魔物と遭遇した際など、接敵を避けたいときの目くらましに使われている。
一応、闇に吸収されていないか火の光で闇を払い、変わらずそこにいることも確認した。
「これなら愚者火と氷が遮断されて、ギルドに持って帰れると思います」
「結局、僕か」
アルマンがちらりとシャルロットを見やる。興味深そうに頷かれ、アルマンは仕方なく氷の箱で闇を覆った。
「でかしたぞ、ロッシュ、アルマン」
そうして三人はなるべく帰路を急ぎ、ギルドの階段を駆け上がった。
耐火の素材で作られた飼育槽に半ば放り入れ、溶けかかっている氷を急いで取り除く。蓋を閉め、ランタンの明かりを近づける。
三人は緊張の面持ちで飼育槽を見つめた。
「あ!」
ふよふよと愚者火が姿を現した。心なしか戸惑っているようにも感じるが、きっと気のせいだろう。
「しばらくこの部屋は立ち入り禁止にしよう。王室への提出を求められるかもしれないからね……これは私たちだけの秘密だ」
夜も深いということで、今日のところはいったん解散となった。
後日、ギルドでちょっとした騒動が起きる。その日から幽霊を見たという訴えが相次ぎ、愚者火討伐の際になにかを連れ帰ってきたのではないかと噂されたが、真相を知る三人はなおも知らないふりをした。
それからさらに数日後、噂の究明に乗り出したカシアスにより隠し事はあっさりとばれてしまい、真相を打ち明けた三人はこっぴどく叱られたのだが、これはまた別の話である。