四十二話 後見人と被後見人
ロッシュがベッドから起き上がれるようになったのはそれから四日後のことで、その間にもいろいろなことが処理されていた。
クラージュ家の管轄である迷宮遺跡に無断で侵入したことについては幸い、厳重注意に留まりお咎めなしで済んだ。
錬金術師協会から認可の下りていない薬を服用したことは、仲介人を通していたことでロッシュに課される懲罰は不問とされた。
というのも、当の錬金術師が錬金術師協会の会員証を偽造していたことが発覚し、外国出身の仲介人が言葉巧みに言いくるめられたのを考慮してのことだ。そのため、仲介人であるエリゼオもロッシュと同じ待遇となったらしい。
「事実はより、ロッシュさんにとって都合のいい形として残るでしょう」
エリゼオの処遇について教えてくれたのはお見舞いに来てくれたシャルルだ。彼一人というわけではなく、エリゼオも一緒である。
「――」
エリゼオはまだ、姿を見せてから一度も口を開いていない。なにか言いたげな雰囲気はあるが、言葉が出てこないようだった。
「……約束」
ぽつりと呟かれた一言をロッシュは聞き逃さなかった。
「ごめんなさい」
だから、素直に謝る。
「僕にも、悪いところありました。ロッシュが全部、悪いじゃない」
アメジスト色の目を伏せ、エリゼオは苦しそうに言う。
「でも、約束を破ったのは、ロッシュです。ロッシュが約束守ってくれてたら、こんなことには、ならなかったかもしれないです」
錬金術師に持ちかけたのはエリゼオで、真実を知らなかったとはいえ取り返しのつかないことをした。けれどロッシュとは週に一度と約束したし、魔導具があるから飲まない選択をするとも思っていた。
「この指輪は、しばらく預かります」
砂色の長衣の下、紐を通してネックレスにしていた指輪を出す。
「迷惑をかけました」
「違います」
エリゼオは指輪をしまいながら、ふるふると首を振った。
「迷惑じゃなくて、心配です」
「――」
「ロッシュが魔法を、正しく扱えるようになったら、返します」
ふう、と息を吐いたエリゼオは隣に座るシャルルを見やり、こくりと頷いた。
「私たちが会いに来るまでの間にいろんな方から説教をされたでしょうから、私からそういったことを言うつもりはありません。見て見ぬふりをした私には資格もありませんし」
一瞬だけ翡翠色の目を泳がせたシャルルは、口元に笑みを乗せた。
「私が言いたいことは一つだけです。ロッシュさんはこれから、その魔法で遥か高い場所へと昇りつめると、私は思います」
ロッシュは僅かに目を見張る。
「血液を操る魔法。へたすれば傷口から全身の血が抜けてもおかしくはありませんでした。魔法を使い始めたばかりとあればなおさらです。ですがロッシュさんは無意識下でコントロールし、余分な流出を防いでいたのでしょう」
それは、とシャルルは続きを紡ぐ。
「ロッシュさんの生まれ持った才能です。誇ってください。ですので、身の安全を考えながら磨いていきましょう。ロッシュさんはこれから魔法士として、輝かしい未来を進むと私は思います」
「僕も、僕も思います」
エリゼオがこくこくと頷いた。
「そのためにも、今は充電期間と考えるべきです。体調を整え、基盤を作るのです。焦らず、ゆっくりやっていきましょう」
そっと手を差し出され、ロッシュは握り返した。
「体調はいかがですか? できればまだ話しておきたいことがあるのですが」
「問題ありません」
「それはよかったです。それでは早速本題に入りますが、ロッシュさんはいつ頃に王都へ……いえ、この町を去るとお考えですか?」
「あ……」
脳裏にちらついていたことではあった。けれどしっかりと考えるには至らなくて、避けていた節もある。
ロッシュは魔物討伐ギルドの一員として、王都付近で任務を果たさなければならない。遅かれ早かれ、決別は決まっている。
「ロッシュさんは組織に属していなかったので手続きなどは必要ありませんが、エリゼオさんとは個人契約を交わしていたではありませんか」
できるのなら、今後もエリゼオを支援したいとロッシュは思う。だが、これは情だけでなんとかなるような問題ではない。ロッシュが王都に戻り、エリゼオが港町でそれぞれの役目を果たすとなれば、多くの人間が関わることになる。
より複雑な契約となり、手間も増えるだろう。
「そこで、ロッシュさんに無茶を承知でお願いがあります」
シャルルはにこやかな顔つきから、ふっと表情を引きしめた。
「エリゼオさんの後見人になってくれないかと、ご家族に相談願いたいです」
後見人とは、平民や自分より爵位が下のものの、財産の管理や生活の支援を行う人のことだ。フィエルテではだいたい芸術家や技術者がその恩恵を受けることが多い。
一概には言えないが、過干渉になることはなく、万が一に問題が起きたときに助けるために動くことが主な、後ろ盾の認識が強いだろう。
「エリゼオさんの生まれはユルティムですが、実のところ貴族出身です。魔導具師になるという夢を貫いて家を出た結果、しばらくして勘当されていたようで、籍も抜かれています」
エリゼオは悲しげに眉を下げる。
エリゼオと取引するにあたり、シャルルは徹底的に調べたという。
「元貴族とはいえ、一族から姓を剝奪されている以上、仮に因縁をつけられたとしても言いがかりになります。ですが、国境を跨いでいるため不安が拭えないのも事実。しかしそのうえで、ご一考いただけないでしょうか」
「――」
「ロッシュさんもご存じの通り、エリゼオさんは優秀な魔導具師です。囲い込んでも損はないでしょう」
ロッシュはしばし考え込む。
「それは……エリゼオも、王都に来るのでしょうか?」
「王都かヴァンサン領のどちらかになると思います」
「エリゼオはどう思っていますか? 救命胴衣の他にも、作りたい魔導具があるのでは? 港町を離れることになることについては?」
エリゼオが考案していた魔導具はどれも水辺に関わるものだ。フィエルテ、否、港町で過ごした二年には思い入れもあるのではないだろうか。
「シャルルが、教えてくれました。ロッシュについていけば、今よりも、もっと、もっと、たくさん魔導具に触れて、勉強できて、作れると。ここじゃなくても、作れる。それを、必要としてくれる人に、届ければいいとも」
エリゼオは大きく息を吸い、伏せがちだった顔を上げた。
「だから、お願いします。ロッシュ、僕も、連れてってください」
「私も二人への協力は惜しまないつもりです」
二人から頭を下げられ、ロッシュは慌てて頭を上げさせる。
「とりあえず、カシアス兄さんとステラに相談してみます」
「ありがとう、ロッシュ!」
その後、エリゼオを被後見人にと二番目の兄と義姉に相談したところ、快く承諾――ということはなく、一番目の兄と父へ話を持っていくことになった。
返事には三日を要し、届いた手紙を要約すれば『エリゼオについてはこちらで調べをつけた。さして問題はないので、エヴァン・ヴァンサンが後見人になる』と、そうあった。
エヴァンとはロッシュたちの父の名だ。一度はオスカーの名前が挙がったものの、年齢を理由に父が請け負うことになったそうだ。
「お二人のますますのご活躍を期待していますね」
ロッシュの体調もよくなりつつある一週間後、ロッシュたちは王都の魔物討伐ギルドに帰還することになった。
今は見送りに駆けつけてくれたシャルルと別れの挨拶を交わしているところだ。
「今の僕があるのは、シャルルのおかげです。感謝しても、しきれないです」
「大変なのはこれからですよ。応援しています」
「俺も、シャルルさんに出会えてよかったです」
「嬉しいです」
にこりと微笑んだシャルルは耳をとんとんと指先で叩き、顔を寄せるように促され、ロッシュは耳を向ける。
「魔法を安全に使う方法に悩んでいるようでしたので、私から助言を――」
「――」
「ぜひ、ロッシュさんがお世話になっている神官にご提案ください」
「なにからなにまで、ありがとうございます」
「それではいつまでも引き留めていてはなりませんので――どうか、息災で」
窓から身を乗り出すエリゼオと、それを必死に押さえるロッシュ。遠ざかる二人をシャルルは柔らかな笑顔で見送った。
「――よし」
エリゼオを被後見人にすることで、ヴァンサンとの繋がりを保つことができた。もしかしたらそれすらヴァンサンに見透かされているかもしれないが、手を繋いでしまえばこちらのものだ。
二人を応援する気持ちも本物である。けれどもシャルルは笑みの下ではちゃっかり、商人の顔もしていたのだった。




