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三十七話 だから

 いくつもの棺を踏みつける。がたごとと音を立てる蓋に乗り、マミーの出現を許さない。すでに出ているものは巻きついてこようとする包帯を掴み、引き寄せ、心臓部を抉るように突いた。


 そうして三階へと続く階段に足をかけて振り返れば、マミーたちは停滞していた。どうやらこれ以上は進めないらしい。


 ロッシュは大きく息をしながら闇を見上げる。


「……大丈夫」


 踏みしめるように段差を越えていく。ロッシュは意を決し、三階層の地に足をつけた。


 じわじわと心にまで侵食してきそうな闇が全身にまとわりつく。喉を鳴らしたロッシュは、いつでも血液を出せるように短剣を構えながらじりじりと進む。


「壁が……ない?」


 だんだんと夜目が利き、薄っすらとなら先が見えた。


 一階と二階は回廊に広間が囲まれていた。けれど三階は回廊がなく、広間だけしかないのだとロッシュは直感する。


「――」


 血の臭いが濃い。視覚も嗅覚も役に立たず、頼れるのは聴覚だけだ。


「ッ」


 僅かに鼓膜を打った物音にロッシュは横へ跳んだ。直後、真横から響いたのは金属が地面へと直撃する音だった。


 暗闇に生じて攻撃をしかけてくる魔物はマミーではない。それを悟った瞬間にロッシュは躊躇うことなく手のひらを斬った。


「あははっ」


 ロッシュの周りに血液が漂い、ここぞとばかりにそれを叩きつける。棘のように鋭くなった血液はたしかに命中するが、手応えは半分もない。


 反撃に備えて距離を取ったロッシュだったが、避けた先でも砂を踏む音がした。


「は……ッ」


 流動的な血液を槌の形にし、ロッシュは勢いを乗せたまま振り抜く。柄を握る両手に振動が伝わり、遅れて破砕音がバキバキと響いた。


 それから遠くでがらがらと聞こえたのは、今しがた吹き飛ばした魔物だろう。


「なん……?」


 少しでも視覚を機能させようと目を細めていたロッシュだったが、突如として視界に飛び込んできた明かりに目を見開いた。


 火の玉が揺れている。


愚者火イグニス? ……じゃ、ない」


 沼地や墓場といった出没場所から考えれば、ここはピラミッド型の迷宮遺跡ルイナス。あれが愚者火イグニスだとしてもおかしくはないが、前提として愚者火イグニスの色は青白い。


 だというのに、視線の先で踊る火は橙色である。


骸骨兵スケルトン――ッ」


 揺らめく火が術者を怪しげに照らし出した。


 削げ落ちた血肉は骨格だけを残し、闇を蓄えた眼窩でこちらを見据えるのは骸骨兵スケルトンだ。迷宮遺跡ルイナスで命を落とした人間の成れの果てと言われている屍兵ゾンビの、さらなる成れの果てとされる魔物である。


「う、ああ……ああぁ……」


 のこのことやってきた獲物を焼き払わんと杖が振るわれた。


「うあっ!?」


 豪速で放たれた火の玉をすんでのところで避けたロッシュだったが、その先でごつごつとした指に足を掴まれた。がくんと膝が曲がり、その場に倒れる。


「このっ」


 足首をぎりぎりと締めつける無骨なそれをがっと蹴飛ばす。その一連の間にも、かつて魔法士であった骸骨兵スケルトンが追撃の準備をしていた。


 肌を炙る火が目前に迫り、ロッシュは血液を幕状に広げて盾の役割を任せる。


 じゅ、とそれぞれの魔法は拮抗し、蒸発しながら火と血液は大気に溶けた。これ以上の追撃を食らう前にロッシュは骸骨兵スケルトンに一撃を叩き込む。


「気味が悪いな……」


 暗闇に目を凝らし、近づいてくる骸骨兵スケルトンを槌で薙ぎ払いながらぽつりと呟く。


 クラージュ家は歴代の遠征記録を元に、万全に備えていたはずだ。だというのに三階層に挑戦してすぐに引き返していった。


 ロッシュが交戦している骸骨兵スケルトンも弱いわけではない。しかし、それだけで魔物討伐ギルドともあろう組織が尻尾を巻いて逃げ出すなど考えられないのだ。


「闇に対処できなかった?」


 三階はすでに三分の一ほどは探索を終えており、此度の遠征では完全なる攻略を目指すと洞窟で声高に仲間たちを鼓舞していた。


「いや……」


 そもそも、闇に対処できていないのがおかしいのだ。この闇の中で三分の一も探索を終えているなどありえない。


 ロッシュは振り返る。幾度と身を翻し、右も左もわからなくなった今、視線の先に二階へと戻る階段があるかは定かではないが。


 刹那、背筋がぞくりとし、震えは全身を駆け巡った。


「――」


 ばさりという羽ばたきのあと、前髪をぶわりと巻き上げる風が吹いた。なにかが、いる。


「どこから……どこから来る?」


 忙しなく顔を動かし、風の発生源を探す。


「ここ!」


 羽ばたきが近づいてきて、ロッシュは両手に握り直した槌を勢いよく振り抜いた。短い悲鳴と手を痺れさせた重みでしかと命中したことが証明される。


「――は」


 ロッシュの目に闇を走る稲妻が映る。骸骨兵スケルトンが放つそれよりも、ロッシュはそれを背景にする魔物に目を奪われた。


 『マンティコア』。蝙蝠の羽で空を飛び、蠍の尾から注入する毒で獲物を弱らせ、獅子の頭と胴体で仕留める獰猛な魔物だ。


 逆光で見えにくかったがマンティコアの顔面は赤く、それだけでも血に濡れていることは明白であった。


「魔物討伐ギルドをやったのは、お前だな」


 ロッシュは骸骨兵スケルトンの放つ魔法でかろうじて姿を捉えることができたが、不明瞭な状態で強い魔物に襲われてはひとたまりもないだろう。


「グルル……」


 マンティコアは恨めしげにロッシュを睨み、低く唸った。


「お前を、倒して……俺は証明してやる」


 血液は形を変え、槌から長剣へと変貌する。


「……邪魔だ!」


 火が髪の毛先を焦がした。雷が間近に落ちた。剣が肌を滑った。


 それらを意に介さず、ロッシュはにじり寄ってくる骸骨兵スケルトンをいなし、次々に動きを止める。次第にまとわりつく骸骨兵スケルトンは減っていき、マンティコアは風を起こしてロッシュを遠ざけようとした。


「ぐっ」


 踏ん張っても靴底は地面を滑る。


 ロッシュは傍を浮遊する血液を礫に変え、マンティコアへと撃ち込んだ。羽に命中したことにより風が止み、地面を蹴って跳んだロッシュは長剣を振り上げた。


 刃は胸元を斬り裂き、血の雨を降らせる。


「――ッ!?」


 しかし、たったの一撃で怯むほど臆病でやわであったなら、魔物討伐ギルドの面々が逃げ出すわけがない。


 がぶりと肩に牙を食い込ませたマンティコアが羽を動かす。ぐん、とロッシュの体は下へと押され、そのまま地面に衝突した。


「かはッ……ぅ、ぐ」


 ぎちぎちと肉を噛みちぎろうとする音を聞きながら、ロッシュはマンティコアの尻尾を掴む。引っ張れば引っ張るほど牙が奥へと入ってくるが、あいにく痛みは感じない。


 ぴんと伸びた尻尾を、ざっと斬り落とす。


「ギャンッ」


 これで毒は封じた。肩から溢れる血は距離を取ろうとするマンティコアに追い縋り、獅子の胴体に無数の切り傷をつけていく。


「……あ、え?」


 起き上がったはずのロッシュの体は再び、地に伏せていた。両腕で支えながら立ち上がっても、どうしてか転んでしまう。


「ぅ、は……は……ッ」


 わけがわからず、ロッシュはうつ伏せで目を見張る。


「あ、あああぁ」


 頭上で骸骨兵スケルトンが呻いた。


「なん、でっ」


 ロッシュは奥歯を強く噛んだ。肩から溢れた血液はうねり、近づいてくる骸骨兵スケルトンの骨と骨を断つ。


「ぅおえ」


 全身から血の気が引き、猛烈な吐き気に襲われる。どくどくと心臓が激しく暴れ、窮屈な胸を揺らした。


 先ほどまで動けていたはずなのに、糸が切れたように体が言うことを聞かなくなっていた。


 意識が朦朧とする。けれど血液だけは操れて、魔物を薙ぐ。それが義務だと突き動かされるように。


「ぁ、ふ」


 なにが起きているのか、理解が追いつかない。瞬きののちにロッシュはなぜか血を吐いていて、赤い色が地面に広がっていた。その光景をただ見つめることしかできないでいる。


 順調だった全てが崩れ落ちるのは、一瞬だった。


「――」


 魔力が尽きたのではなく、意識が乖離してしまったかのように意思が働かない。


 だから骸骨兵スケルトンに痛めつけられても、マンティコアに噛みつかれて貪られても、ロッシュは呆然と、まるで他人事のように眺めていた。


「――、――ロッシュ」


 だから、こんな孤立無援の地で誰かに呼ばれたのも、きっと気のせいだ。

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