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三十四話 滾る

 シャルルは己の見通しの甘さと、ヴァンサン家の執念を思い知らされた。


「説明していただけるかしら」


 黒い扇で口元を隠し、こちらを流し目で見る女性は先ほどヴァンサンの姓を名乗った。


 裾に純白の刺繍が施されたミッドナイトブルーのドレスに身を包む彼女は、次期辺境伯夫人その人である。


 受付で躊躇うことなくシャルルを指名したあたり、どこまで知られているのか身の毛がよだつ。それと同時に、商人としての手腕が問われるであろうことに体の芯が震えもした。


「説明とおっしゃいましても、何用かお教えいただけなければ弁明の仕様もございません」


 部屋の隅、彼女の護衛が、む、と顔をしかめ、咎めるように睨まれる。


「ロッシュの姿がどこにもないというではありませんか」

「この町は人の出入りが激しいですから、人探しは苦労するでしょう」

「――」


 金色の目が正面を向き、見つめ合う形となる。これが更けた夜に溶け込む洒落たバーであったなら胸が躍るものもあっただろう。


 しかしここには、口が滑りやすくなる酒もなければ色目を使う女もいない。一人の商人と、家出した子どもを探しにきた顧客の身内だけである。


「どうせ、あの子は自分の居場所を私たちに漏らさないよう、あなたと契約を交わしているのでしょう」


 ぴしゃりと扇を閉じ、先に態度を崩したのは彼女のほうだった。


「ロッシュの命がかかっているのですから、洗いざらい吐いてもらいます。もし取り返しのつかないようなことになれば、ヴァンサンから正式に責任を追及いたします」

「――」

「この意味、おわかりになりますね」


 疑問形ではなくあくまで断言される。


「具体的にどのような措置を検討されているか伺っても?」


 念のため、シャルルは毅然たる態度を貫く。


「クラージュ領から事業全ての撤退を」

「は?」


 笑顔がするりと剥がれ落ちて、本来出すはずのなかった声が裏返った。


 ヴァンサン家が手がける事業がクラージュ領から綺麗さっぱり撤退する。最大の痛手となるのは、やはり闇の魔石の供給が途絶えることだろう。


 それはつまり、かつて年端もいかない少年を見下した貴族たちに加えられた制裁を、メルシエにではなくクラージュに行うということで。


「ヴァンサン辺境伯からの書簡もございます」


 後ろに控えていた騎士が一通の書状を取り出す。内容は彼女が述べたことが、より詳しく書かれていた。


 クラージュ領から手を引くとなると、ヴァンサンにとっても相当な打撃となるはずだ。けれどその損失を上回るほど、ロッシュの無事をこいねがっている。


「――」


 脅しの対象がメルシエだけだったならまだ戦いようがあった。しかし、領主であるクラージュ家をも巻き込むとなれば、シャルルは手も足も出ない。


 ヴァンサンに目をつけられた家門は政治やら社交界やら、道連れを恐れてありとあらゆる場から弾き出されることになるだろう。メルシエもろともクラージュが没することなど絶対にあってはならない。


「ロッシュは今もまだ……迷宮遺跡にいるのですよね? それも、たった一人で」


 クラージュ家の魔物討伐ギルドが迷宮遺跡の遠征に出て、僅か十日で戻ってきたことは記憶に新しい。


 集団を率いていたリーダーの判断により被害は抑えられたが、それでも取り返しのつかないほど重い傷を負ったものや帰ることも叶わなかったものもいる。


 そんな悲惨な結果をもたらすことになったのは、先代のギルド長が功績をごまかすために三階層の情報を改ざんしていたことが原因だ。


 十数年前の報告書によれば、三階層の三分の一ほどは探索を終えているとされていた。生息を確認した魔物もたしかに書かれていた。


 しかし蓋を開けてみれば、先代の記録は全くと言っていいほどあてにならなかった。


 三階層は打って変わって見渡す限りの闇が広がり、初めの通路ですら印はつけられていなかったのだ。そのような光景に困惑を隠せなかった遠征部隊は隙をつかれ、魔物の姿さえ確認できずに蹂躙された。


 暗闇の中、悲鳴を背にしてわけもわからず逃げ出し、三階と二階を繋ぐ階段を転がるように駆け下りたものたちは一様に消えた仲間の血を浴びていた。


 生き残った集団は一階へと戻ってそのまま魔法陣を踏んだというのが顛末である。


「黒い髪、碧い目の青年を迷宮遺跡内で見たというものもいるではありませんか。服装は……私たちの知るものとは違うようですが、ロッシュなのでしょう?」


 シャルルとて、ロッシュの失踪を知ったのはつい先日のことだ。


 商会になかなか顔を見せないこと、手紙の返事も寄越さないことを不審に思って宿を訪ねれば、数日前から帰ってきていないという。


 角兎ジャッカロープはまだしも脚長力馬ストライドルーも厩舎に預けっぱなしで、他の街に渡ったとは考えづらい状況だった。


 極めつけは宿泊客のペットの世話をしている女性の発言だ。ロッシュが迷宮遺跡に興味を持っていたという話でシャルルは確信した。


「状況から見れば、ロッシュさんが迷宮遺跡に入ったと断言します。それも、クラージュ家の魔物討伐ギルドへ申請せずに」


 彼女が弱々しく唇を噛んだ。


「ロッシュさんの命がかかっているとのことですが、詳細を教えてください。ロッシュさんはこれまでに依頼をしくじったことはありません。たしかに迷宮遺跡は人智の及ばぬ地ではありますが、身の危険を感じれば退避するのではないでしょうか」


 言いながら、シャルルは苦しくなる。


 核心には触れずとも、その片鱗は垣間見ているはずで。


「――あの子の魔法は、自身の血液を操るものです」


 がた、と無意識に靴底を鳴らしていた。


「それが発覚したのは一ヶ月ほど前のことなのです。いくら治癒魔法を使ったとて、傷を治しても失った血液を増やすことはできません」


 シャルルは息を呑む。


「たった一ヶ月。されどあの子は今……どれだけの血を失っているのでしょう」


 背筋に冷たいものが走り、さあ、と全身から血の気が引いていくのを感じた。


 今まで、ロッシュが魔物の討伐に出た回数は。買っていったポーションの本数は。商会に足を運ばなくなったのはいつからだったか。


「話は以上ですわ」

「……え?」


 席を立ち、部屋を出ようとする彼女を慌てて呼び止める。


「話したうえで、要求があったのではないですか。この書簡は?」

「それはあなたの口の滑りをよくする薬にすぎませんわ。まあ、あなたにとっては毒だったかもしれませんが」


 彼女は再び扇を広げ、口元を隠した。


「あなたを含めて誰も、あの子の魔法についてなにも知らなかった。それだけのことです」


 彼女は護衛に目配せする。その瞬間、シャルルの手にあった書簡がぼっと燃え、机の上に灰を落とした。


「な……っ」

「ヴァンサンを侮らないでくださる?」

「――」


 ぱたん、と閉じた扉を呆然と見つめる。ふらりと転びそうになったところを、シャルルは机に手をついてなんとか支えた。


 衝動的に、感情的に乗り込んできたのではない。ロッシュに取り巻く全てを把握したうえで見定めにきたのだ。


「二ヶ月、もたせるどころか……」


 一ヶ月。否、それよりも短いかもしれないが、シャルルの画策など無意味だと嘲笑うかのように辿り着いた。


「は、ははっ」


 シャルルは前髪をかき上げる。


 元よりリスクなど承知の上だ。情を与えられたというのなら甘んじて縋りつこう。隙を見せるのなら容赦なく取り入ろう。


「――」


 ロッシュは必ず生きて帰ってくる。商人としての勘が心の中でそう囁いた。


 ロッシュを通し、メルシエの名を売り込んでやるのだ。


「あー……これは、滾る」


 翡翠色の目に宿る闘志は消え入るどころか勢いを増し、口元に大きく弧を描いた。

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