三十一話 今思えば
「カシアス兄さんっ」
黒に近い紫色の魔石を一つ、大事に持ったロッシュは、使用人たちから微笑ましそうに見守られながらヴァンサン家の廊下を走っていた。
「――」
自身の名前を叫ばれ、無視するわけもいかないカシアスが振り返る。
「できた、できたよ!」
ずい、と背伸びをされてまで差し出された魔石を、カシアスは仕方なく受け取った。
「すごいね」
にこりと微笑まれ、ロッシュも頬を綻ばせる。
保有魔力を測定し、生まれ持った魔法を探すこと二年。けれど歴史を顧みてもどの魔法をも使えず、父からの提案で魔石作りへと方向転換してから二年。
齢九歳にしてロッシュはついに、初めて魔石を作ることに成功した。
「じゃあ俺、急いでるから」
「あっ」
目を輝かせるロッシュの頭を、ぽん、と撫で、その隙にロッシュの手に魔石を握らせたカシアスは踵を返した。
すたすたと遠のいていく背中を呆然と眺め、手中に視線を落とす。
もっと、褒めてもらえると思ったのに。今まできらきらと輝いて見えたはずの魔石が途端に、くすんで見えた。
「廊下の真ん中に立って、なにをしているのですか?」
後ろから声がかかり、ロッシュはゆっくりと振り返る。
兄弟で唯一、藤色の目を持つ一番目の兄、オスカーが眉を寄せていた。しかし、ロッシュの手の中にあるものを目にし、驚きに目を瞬かせた。
「それはまさか、闇の魔石ですか?」
「う、うん。さっき、できたの。でも……」
手で隠そうとする前に、オスカーはロッシュをひょいっと抱き上げた。
「すごい、すごいですよ、ロッシュ。あなたは天才です。僅か九歳で魔石を作ることができるなんて。さすがはヴァンサンですね」
ぎゅっと抱きしめられ、ロッシュは気恥ずかしくなって顔を赤くした。
「す、すごい? 俺、すごい?」
「ええ、すごいです。もう誰かに伝えましたか? カシアスや父さん、母さんには?」
「あ……カシアス兄さんには、さっき言った」
「では、父さんと母さんにも教えてあげましょう。とても喜びますよ。今日はお祝いかもしれませんね」
「喜んでくれるかな……?」
先ほど、カシアスからはあまり褒めてもらえなかったことが脳裏をよぎる。
「もちろんです。この家でこの奇跡を喜ばないものなどいませんよ。ロッシュの努力がついに、報われたのですから」
「だと、いいな」
「ええ。魔法が使えなくとも、あなたが素晴らしい人に変わりません」
「……うん」
ロッシュはオスカーの服を強く掴んだ。そうしたら、背中をぽんぽんと優しく叩かれた。
「魔法、いつか使えるといいなあ」
「そうですね。どんな魔法を秘めているのか、私も楽しみです。ところで、今日は怪我をしていませんか?」
「うん。割れたり爆発したりは、今日はしなかったんだよ」
「では、今日は一つ目で成功を?」
「うん!」
オスカーの腕に包まれながら、ロッシュは力強く頷いた。
「それはよかった。ロッシュになにかあったら、私たちは悲しいですから」
「今日はどこにも傷がないから、ポーションは飲まなくていいんだよね?」
「おや、ロッシュはポーションが嫌いですか?」
ロッシュは口をぎざぎざにさせ、顔をしかめる。
「だって、変な味がするから」
今日はポーションを口にしていないのに、不思議と舌に味が残っているような気がした。
「では、いつかポーションがおいしくなることを願いましょうか」
「うん!」
「まあ、飲まないことが一番なのですが」
オスカーと話をしているうちにロッシュの憂いは、すっかり晴れていた。
◇◇◇
瞼が重くて、ロッシュはしばらく目を開けられないでいた。倦怠感やきりきりとした腹痛にしばらく体を起こせず、五分ほど耐えてようやく動けるようになった。
昨日、草原では眠れたものの眠りが浅く、ロッシュはエリゼオとの約束を破り、一週間を待たずとして丸薬を服用したのだ。
おかげで強引に眠ることができたが、この疲れでは体は休まっていないのだろう。
「忘れてたな」
たしかに、今日の夢は「悪夢」と呼べるものだったかもしれない。
「俺は、カシアス兄さんに」
今思えば、嫌われていた。険悪だなんて形容するには一方的で、当時は原因すらわからず、ただ避けられていたと思う。
けれどその理由は、事情を知っている今ならなんとなくわかる。
カシアスの魔法は、触れた相手を支配下に置き、操ることのできる魔法だ。自分よりも保有魔力の低いものなら、例え人間だろうと傀儡化させることができるのだが、カシアスの保有魔力は多くない。
仮にロッシュが十とするならばカシアスは四、五ほどである。
ロッシュほどの魔力をカシアスが有していたのなら。
ロッシュ・ヴァンサンが魔法を使えず、カシアス・ヴァンサンの保有魔力が少ないことを知るものなら、一度でもそう考えたことがあるだろう。
だからプレッシャーを感じていたのはなにも、ロッシュだけではない。いずれヴァンサン家の魔物討伐ギルドを導く身として、カシアスは焦りや劣等感を抱えていた。保有魔力の多いロッシュをどれだけ羨ましがっていたか、当時は知る由もない。
「――」
いつから、向けられる言葉や笑顔が柔らかくなったのだろう。
邪険にされていたことを真正面から謝られたことを覚えている。あのときは、漠然と思っていただけで避けられているなんて考えてはいなかった。
なにがきっかけで、カシアスの心境は変化したのだろうか。心当たりが、思い浮かばない。
「よし。しばらく留守をするから、レティさんに脚長力馬と角兎の世話を頼まなきゃ」
ロッシュは迷宮遺跡に行くことを決めた。ただし、正規の方法ではない。クラージュ家の魔物討伐ギルドに足跡を残さないよう、強行突破するつもりだ。
そのためにまずは、見張りがいるという魔法陣の下見に行かなくてはならない。ロッシュは早速つなぎに着替えようとした。
「……魔法陣は、どこにあるんだ?」
迷宮遺跡の入り口はクラージュ領にある。けれど、港町の近くにあるとは限らない。
「情報収集に行ってみようかな」
ロッシュは宿を出て、人の出入りが多い酒場に入ってみた。テーブル席はすべて埋まっており、がやがやと楽しそうな会話が飛び交っている。
ぽつぽつと空きのあるカウンターに座り、ロッシュは酒ではなく遅めの朝食を頼んだ。剣や弓などの武器を携帯している客が多く、身なりも武装したものがほとんどで、大半が冒険者であろう。
「迷宮遺跡に魔物討伐ギルドが挑むって話を聞いたんですけど、本当ですか?」
ロッシュはてかてかと脂ぎったソーセージを食べながら店員に尋ねた。
「なんだ、お前も希望者か?」
「え?」
店員に話しかけたはずなのだが、一つ席を空けた右隣の男から返事が来た。酒をかなり煽っているようで、顔がゆでだこのように真っ赤になっている。
「魔物討伐ギルドのもんでもあるまいし、命知らずのガキがいたもんだ!」
だっはっは、と酔っぱらいは豪快に笑う。店員が申し訳なさそうな顔をするが、仲裁してくれる様子はない。面倒ごとは当人らで解決しろということだろう。
「命知らずとは?」
「あそこにはうじゃうじゃと魔物が闊歩してんだぜ。お前みたいなガキが歩けるような場所じゃねえんだ」
「……迷宮遺跡に行ったことがあるんですか?」
もやもやとする心を抑え、平然と会話を成立させる。
「ばか言え! そいつにそんな度胸も腕もあるわけねえだろ!」
「んだと!? 今ふざけたこと言いやがったのはどこのどいつだ!? お前かあ!?」
後ろから飛んできたヤジに酔っぱらいはテーブルに拳を振り下ろし、勢いよく振り返る。犯人を探しに席を立ち、怒号をまき散らしながら人混みに紛れていった。
「なんといっても魔物討伐ギルドはこの町にありますから。みんな、浮足立っているんです。申し訳ありませんね」
「いえ。ところで、魔法陣はどこにあるんですか?」
「よそからお越しになった方でしたか。魔法陣はこの港町のすぐ東にありますよ。見るだけなら、歩いてでも行けます」
「えっ。そんな近くに?」
「はい。海岸沿いの洞窟に」
店員は他の客に呼ばれ、対応のために離れていった。
ロッシュは食事を速やかに済ませ、足早に宿屋を出る。向かう先は、決まっていた。