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三十話 迷宮遺跡についての噂話

「――さん、ロッシュさん?」

「……え?」

「寝不足ですか?」


 ロッシュは声の主へと顔を動かす。


 ハーフアップにされた艶のある黒髪、黒い目を飾る丸眼鏡がおしゃれで、色褪せた橙色のつなぎに身を包んだ身軽な女性。不安げにこちらの様子を窺っていたレティと目が合った。


「コミュニケーションは大事ですが、あまり撫でるとぼさぼさになっちゃいますよ? ほら」


 レティの指さす先には、前髪があらゆる方向に跳ねた脚長力馬ストライドルーの姿があった。まんざらでもなさそうな顔だが、毛が抜けてしまう前に手をどかす。


「最近、眠そうなことが多いですけど……しっかりと睡眠はとっていますか?」

「寝つきが悪くなりましたが、それなりに寝られていると思います」

「え、大丈夫なんですか?」

「大丈夫です。毎日楽しいですから、すごく」

「ええ?」


 レティが掃除の手を止め、訝しげな目をロッシュに向ける。


「全然楽しそうに見えませんよ」

「ええ?」


 互いに眉をひそめた。


「今までの人生で、最も楽しいですよ」

「今が!?」


 レティは信じられないという顔をして目を真ん丸にした。


 自分はそんなにも酷い顔をしているのだろうか。


「きゅい、きゅいっ」

 角兎ジャッカロープの鳴き声が響き、ロッシュは視線を下げた。角兎ジャッカロープ脚長力馬ストライドルーの足元で、柵に前脚を乗せて背伸びしていた。


「はいはい」


 ロッシュは角兎ジャッカロープを抱える。落ちた角は少しずつ生えてきているようで、触ると硬い。ふわふわの手触りが気持ちいいが、背中の一部の毛がかぴかぴになっていた。


 ロッシュが脚長力馬ストライドルーを見やると、あからさまに顔を逸らされた。


「傷は……ないね」

「甘噛みですから。普段も仲よく遊んでいますから安心してください」


 どうやら、脚長力馬ストライドルー角兎ジャッカロープをくわえて遊んでいることをレティは知っていたようだ。ここのところロッシュは最低限しか触れ合っていないため普段の生活を見ていない。


「たまに外で元気いっぱいに遊ばせてあげてください。閉じこもってばかりでは気持ちも塞いでしまいますから。私ができるなら散歩もしてあげるんですけど、この子はまだ難しいですから」


 いつの間にか、脚長力馬ストライドルーはレティに威嚇をしなくなっていた。好意的と言えば誇張になるかもしれないが、それでも我関せずとしてお互いいい関係を築いているようにも思える。


 それもありこの三日、ロッシュは魔法の鍛錬を続けていた。手のひらを斬ることへの抵抗感は微塵もなくなり、そのおかげで魔法の扱いもかなり上達した。


「そうだ、ロッシュさん。この話、聞きました?」

「なんですか?」

「なんと近々、クラージュ家の魔物討伐ギルドが迷宮遺跡ルイナスに挑むそうです!」

「……迷宮遺跡ルイナスって、あの? フィエルテでは片手で数えられるほどしか発見されていないという、あの迷宮遺跡ルイナスですか?」

「その迷宮遺跡ルイナスです。ロッシュさんも迷宮遺跡ルイナスについてはご存じでしたか」

「以前に聞いたことがありますから。それより、クラージュ領で魔法陣と番人ガルディアンが発見されたんですか?」


 それにしては港町の雰囲気はいつも通りだ。興奮はあるが、驚きに包まれてはいない。


「いえ? かなり昔に発見されていますよ?」

「え?」

「ん?」


 ロッシュとレティは首を傾げる。


「知りませんでしたか? 私たちが生まれる遥か昔。と言っても数十年ほど前ですが、クラージュ領で迷宮遺跡ルイナスが見つかったんです。番人ガルディアンも発見後まもなくして討伐されていますよ」

「世界の情勢には疎いもので。数十年前に発見されていたのなら、どうして今になって挑むんです?」

「実は今までにも何度か魔法陣を踏んでいるそうですが、納得いく成果は得られなかったとか。そこにいる魔物が強すぎるせいで、帰ってこなかった冒険者もいたらしいです」

「……へえ」


 ロッシュは僅かに目を細くする。


「クラージュ家が管理する魔物討伐ギルドは領地の安全はもちろんですが、迷宮遺跡ルイナスへの遠征も国から任されているんです。だからわざわざ他領から移住してギルドに入る人もいます。てっきり最初は、ロッシュさんもそうだと思ったんですけど」


 王都を飛び出したときはクラージュ領に来ると決めていたわけではなく、ただ単に遠くへと脚長力馬ストライドルーを走らせた結果だ。


「今回はかなり大規模な遠征をするみたいで、冒険者たちからも希望者を募っていますよ。命の保証はありませんが、すでに結構な人数が希望しているそうです」


 レティは声を潜めていった。


 正直、興味はある。懸念点を上げるとすれば、もし遠征に同行を希望するとしたら魔物討伐ギルドに素性を明かさなければならないことだろう。


 身元不明の人物など、連れていってくれるはずがない。


「それって、一人でも行けるんですかね?」


 沈黙が生まれる。ロッシュははっとするが、口から出てしまったためにもう遅い。


 レティはぱちぱちと目を瞬かせていた。


「すみません。忘れて――」

「発見当初、あまりに行方不明者が出たので魔法陣の傍には見張りがいて、迷宮遺跡ルイナスに入るにはクラージュ家の魔物討伐ギルドに申請を出さなくてはなりません。のちに、迷宮遺跡ルイナスで消息を絶ったかどうかを判別するために」


 つまり、迷宮遺跡ルイナスに入るには必ずクラージュ家に記録される。強行突破を、しない限りは。


「そもそも、一人で行くなんて無謀ですよ。魔法陣を踏んで転送されて、目の前に魔物がいたらどうするんですか? すっごく怖いじゃないですか」

「……レティさんは、ほら、かなり詳しいじゃないですか。やっぱり関心があるんですか?」

「宿に泊まる冒険者の方から話を聞くことがあるんです。こうしてロッシュさんと話しているように」

「ああ、なるほど」


 酒場など飲食店ほどではなくともそれなりに情報は入ってきやすいのだろう。レティの人となりもあればなおさらだ。


「俺は魔法陣を踏むことで飛ばされる異空間だと聞いたことがあるんですけど、レティさんはどれくらい知ってますか?」

「そうですねー。発見された迷宮遺跡ルイナスの構造はばらばららしいですよ。蟻の巣みたいに部屋にわかれていたり、建物のように階層でわかれていたり。あとは迷宮遺跡のどこかに、ボスがいるということくらいですかね」

「ボス?」

「はい。宝を守っているそうですが、本当かは知りません。あと私は異空間ではなく、この世界のどこかなのではないかって話を聞いたことがあります」


 掃除を終えたレティは額の汗を拭い、肩をとんとんと拳で叩いた。


「この世界の、どこか」

「噂というか空言というか。世界は広いですから、迷宮遺跡ルイナスが地続きになっていても不思議ではないじゃないですか。異空間よりも信憑性があると私は思いますよ。人類未踏の地に迷宮遺跡ルイナス! ロマンじゃないですか?」


 箒の柄に両手を重ねて体重をかけたレティがくしゃりと笑う。


「ロッシュさんも興味津々のようですから、魔物討伐ギルドに希望を出してみてはいかがですか? 脚長力馬ストライドルーは重宝されるでしょうし。あ、でも! 体調を万全に整えてからですよ?」

「……考えてみます」


 それからロッシュはレティと別れ、脚長力馬ストライドルー角兎ジャッカロープを連れて厩舎を出た。


 まず向かうは神殿。魔物の装備や魔導具のマージン、商業ギルドからの依頼報酬など、得た金銭でポーションを買うためだ。


 ここのところ、シャルルからポーションを買いすぎている。怪訝に思われることを避けるため、こっそり神殿で買うことにした。


 無事に購入を終えれば、次は草原へと向かう。そよ風が吹き、広々とした草原に脚長力馬ストライドルー角兎ジャッカロープを放つ。


 二体は追いかけっこをしたり頭突きしたりと、多分仲よく遊んでいる。


 その姿を眺めながら、ロッシュは体を地面に投げ出した。頬を擦れる草がくすぐったいが、青空の下に寝転がるのはなんとも気持ちがいい。ここ最近のだるさを忘れさせてくれるほど爽やかで穏やかな時間。


「……寝れない」


 だというのに、こんなに気持ちがいいのに。頑なに目を瞑るロッシュは胸元にずしりとした重みを感じ、瞼を開けた。


 ちょこんと角兎ジャッカロープが乗っていて、不思議そうに見つめられていた。目が合うとじわじわと前進してきて、首筋に顔をうずめられる。


 すぐ隣では脚長力馬ストライドルーが微睡んでいて、けれども虎視眈々と角兎ジャッカロープの背中を狙っていた。


「――」


 ぽかぽかとした日差しにそよそよと吹く風。脚長力馬ストライドルー角兎ジャッカロープの温かさにうとうとなりそうなものだが、ロッシュの寝つきは日に日に悪くなっていた。

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