二十三話 小鬼と大鬼
ある日、ロッシュはシャルルに呼び出されていた。
「薬草採取、ですか……?」
「ええ。怪我をしてしまい、遠出することが難しくなってしまった方がいまして。代わりにロッシュさんに向かっていただけないかと」
「でも俺、薬草の知識はないですよ」
「絵図をお渡ししますので、それを見ながら採取してもらえば問題ないでしょう。わからない場合は全部持ち帰ってもらえたら、こちらで選別しますので」
午前にそんな相談を受け、ロッシュは脚長力馬を連れて森へと来ていた。
「シャルルさんが、森にはそこまで強い魔物はいないって言ってたからな」
頼まれた薬草は数種類あるが、追加で頼まれた薬草の名前は『クリープバイン』、蔓性植物の魔物である。地面を這って獲物に忍び寄り、足元から徐々に絡みついてくるのだ。そして棘を刺し、吸血までしてくる厄介さを持っている。
それでも、流行り病の薬の原料となるため採集しようとするものはあとを絶たない。
「お前がいてくれて助かったよ」
脚長力馬はロッシュに負担がかからないようゆったり歩いてくれる。港町についてからはずっと厩舎で過ごさせていたから、あとで思い切り走らせてやるのもいいかもしれない。
「……名前、欲しい?」
何気なく聞いてみると、脚長力馬は振り返った。ロッシュにはきょとんとしているようにしか見えず、会話できないことにもどかしさを感じる。
「ほら、レティさんが言ってたでしょ? 名前はないのかって」
脚長力馬は再び前を向く。そもそも人語を理解しているかもわからないのに、少し話しかけすぎだろうか。
「あ、ちょっと止まって! あれ、あの薬草そうだと思う」
でも、そう声をかければ座って降りやすくしてくれるのだから、大まかには伝わっているとロッシュは思う。
籠に薬草を摘み取り、森の奥へとさらに移動する。
依頼された薬草はだいたい見つけたが、まだクリープバインと遭遇できていない。魔物たちは脚長力馬を警戒しているのか、遠巻きにこちらを観察していた魔物を目撃したくらいだ。
「あれは……」
視界の端、ふいに不自然な光景が目についた。ここからはまだ距離があるが、木々を組んだような建造物らしきものが見える。
少なからず知性のあるものでなければ、あのようなことはできない。
「――」
微かに、なにか聞こえる。ロッシュは目を閉じ、耳をそばだてた。
「……ギ、ギ」
「ギギッ」
魔物の鳴き声だ。ぱち、と目を開け、ロッシュは息を殺して周囲を見回す。
小鬼だ。全身が緑青色の小さな魔物。集団で生活し、気に入った場所に集落を作るとされている。
二体の小鬼が前後になって、大きな丸太を担いで歩いていた。
恐らくたった今、集落を作っている最中なのだろう。魔物討伐ギルドでは小鬼の集落は見つけ次第、破壊することになっている。定住させれば個体は数を増やし続け、いずれ人々の住む領域にまで侵食しかねないからだ。
「ここにいて。様子を見てくるから」
脚長力馬は不満そうに鼻を鳴らしたが、ロッシュは一人であの二体の小鬼のあとを追った。
少し開けた場所に、平地と木々をうまく利用し、住処が建てられていた。
腰布を巻いただけの小鬼、軽装を身につけた小鬼、ローブをまとった小鬼までいる。だいたい十五体くらいの群れのようだ。
「ギ? ギ」
「ギー、ギギ」
「ギギッ」
会話をしているのだろうか。いくら盗み聞いたところで理解などできないが、ロッシュは身を乗り出してしまった。
がさ、と葉の擦れ合う僅かな音に、全員が一斉に顔をこちらへ向けた。
「っ」
ロッシュは咄嗟に背中の短剣を手に握る。
「――、――ッ」
手が、震える。
魔法が発覚してからずっと、ずっと考えていた。短剣で手のひらに傷をつけ、そこから出血した血を使うと。だというのに、手のひらを傷つけようとする手の震えが、止まらない。
「は……は、ッ」
模倣猿の爪が食い込み、抉られた脇腹の痛みが脳裏をちらつく。あの熱さを、痛みを、ロッシュは忘れられない。
言うは容易く行うは難し。ただ、切っ先で小さな切り傷を作るだけでいいのに。ロッシュはそれすら、怖くてできない。
「ギー!」
どの個体が叫んだか。棍棒を振り回しながら、敵愾心をむき出しにした小鬼が数体走ってくる。中には三体で丸太を抱えて臨戦態勢をとる個体たちもいた。
「ギギーッ」
「ギ! ギ!」
小鬼たちの声にロッシュは我に返る。
「――っ」
向かってくる小鬼を迎え撃ち、短剣で撫で斬っていく。斬られたところからは血しぶきが飛び、地面を赤く染めた。
小鬼は警戒し、突っ込んでくる足を止める。ロッシュはいつの間にか、集落へと足を踏み入れていた。
後ろに回り込まれる可能性もあるが、今のところは前方に半円を描いた陣形になっている。
「大丈夫、大丈夫……」
ロッシュは袖で刃についた血を拭う。白いシャツにべっとりとついた血に、思わず顔を背ける。
「ギギ」
「ギー!」
「あ……」
喉の奥から声が漏れた。
ローブをまとった小鬼が、魔法杖を掲げていた。
「小鬼魔導士!」
ローブを着た小鬼魔導士は魔法杖を、体全体を使ってぐわんぐわんと大きく回す。たちまち、いくつもの小さな竜巻が発生した。落ち葉を巻き上げ、無軌道に移動する。
「風属性の魔導士か……っ」
いくら小さいとはいえ、引きずり込まれでもしたらひとたまりもない。ロッシュは近くの木にしがみつき、風圧に目を細めた。
「――」
耐えることしかできないロッシュの横を、なにかが通り抜けた。
目を凝らさずともすぐにわかる。脚長力馬だ。脚長力馬は竜巻にも怯まず、集落へと突っ込んでいく。驚いて逃げ惑う小鬼を執拗に追い回し、ついには小鬼魔導士に突進を食らわせた。
術者を失った竜巻はやがて威力を弱め、落ち葉や小枝を残して消滅する。
動けるようになったロッシュも加勢し、全て討伐するまでにそう時間はかからなかった。
「また、助けられちゃったね」
脚長力馬の頭を撫でてやると、得意げに鼻を鳴らされる。しかし、脚長力馬は弾かれるように顔を一点へと向けた。
不思議に思い、ロッシュがそちらへ顔を向けた瞬間、大きな影が動いた。他よりも大きく、家を模したような建造物から、小鬼を何回りも大きくしたような魔物が姿を現す。
「大鬼がいたのか……!?」
小鬼と大鬼は別の魔物である。しかし、小鬼の群れでは大鬼がリーダーとされていることが多い。
前脚で地面を削り、今にも飛び出していきそうになる脚長力馬を止め、ロッシュは短剣を握りしめる。
短剣を待たないほうの手のひらに刃を沿わせ、力をこめた。はずだったのだが、脳か心か、どちらにせよ自傷を拒んでいる自分がいる。
刃の当たる感触はある。切れ味も抜群のはずだが、やはりどうしても傷をつけられない。
魔法が使いたくて、認めてもらいたくて、こうしてここにいるのに。だというのに。
「……ああ、いやになる」
臆病者。頭の中でそう罵る声が響いた気がした。それはなぜか、幼い頃の自分の声だった。
「――ギ、ギギャッ」
異変に気づいた大鬼が叫ぶ。寝て起きたら群れが壊滅していたなど、悪夢以外の何物でもない。
大鬼は研いだ石を棒にくくりつけて作った、簡易的な斧を手にしていた。
「やるしか、ない」
ロッシュの声に反応し、脚長力馬が嘶いた。
大鬼が斧を振りかぶったところに、脚長力馬が真正面から突撃する。よろめいたところに、脚長力馬はさらに頭突きし、尻もちをつかせた。
ロッシュが駆け、真正面から大鬼の足を斬りつける。これで機動力を奪えた。
次は斧を手放させる。しかしこれは、すでに脚長力馬がやっていた。仰向けになった大鬼の腕を踏みつけ、たまらず離した斧をくわえて奪う。
だからロッシュは地面を蹴り、大鬼の腹へと飛び乗った。じたばたと暴れる巨体から振り落とされないように踏ん張り、大鬼の腹から胸にかけて勢いよく斬り裂く。
ぶしゃ、と幕のように血が噴き出る。たしかに手応えは感じたのだが、それでも大鬼は大人しく倒れてはくれなかった。
身を固くしたとき、ロッシュは後ろに引きずられる。脚長力馬に首根っこをくわえられて、速やかな撤退。
苦痛と怒りに満ちた咆哮が森に響いた。
生死を彷徨い、死の側へ傾いたものの叫びは、どうしてこうも心を震わせるのだろうか。
大鬼は立ち上がる。けれど足の痛みでよろけ、膝をつく。威勢ばかりが強くなり、早く、終わらせてやらなければならない。
ロッシュは大鬼と距離を詰め、弱々しい腕を潜り抜け、刃を胸に沈み込ませた。長く響いた悲鳴が途切れ、ついに大鬼は動かなくなる。
振り抜いた短剣は、びしゃり、と地面に血で直線を描いた。
「――討伐、完了」
念のため、ロッシュは生き残りがいないか集落の中を確認する。家を模した建造物も幸い、丸太や木の板を組み合わせただけの粗末なもので、簡単に破壊することができた。
蛮族まがいな行いだが、これは必要なことなのだ。他の群れの小鬼や魔物に住みつかれても困るため、徹底的にやらねばならない。
「持ち帰れるものは持ち帰って、それで……俺もお前も、血だらけだね。川を探そうか」
最後に祈りを捧げ、ロッシュと脚長力馬は血を洗い流せる川を探しに向かった。