二十一話 博打の誘い
「よしよし。他の馬と喧嘩しないようにするんだよ」
ロッシュが過ごすと決めたのはクラージュ領の港町。フィエルテの最南端に位置する場所であり、外国との交易が盛んで活気のある町だ。海はもちろん、近くには森林や平原が広がり、自然豊かな土地でもある。
だからこそ、魔物の世話をしてくれる宿もあるのだろう。
ロッシュは知らなかったのだが、脚長力馬のように家畜化された魔物や、ペットとして飼われている魔物は存外、かなりいるらしい。
犬や兎に似た魔物なんかは小さく、凶暴性が低ければペットとして受け入れられやすいのだろう。
「こんにちは!」
話しかけてきたのは、艶やかな黒髪はハーフアップにし、丸眼鏡の向こうで黒い目を細める女性だ。橙色のつなぎは動きやすそうで、少しだけ色褪せている。
手には籠が下げられ、みずみずしい果物が入っていた。
「こんにちは……?」
様々な魔物が寝泊まりする厩舎。気持ちよさげにロッシュの撫でる手を受け入れた脚長力馬が目を鋭くし、警戒を強くした。
「申し遅れました。私、この宿でお客さまのペットたちのお世話をしております、レティシア・リシャールです。気軽にレティと呼んでください」
「初めまして、ロッシュと申します。好きなように呼んでください。脚長力馬がお世話に――」
頭を下げようとすると、脚長力馬に首を出されて阻まれた。
「ちょっと、挨拶してるんだから邪魔しないで」
「ふふっ」
「……すみません」
「こちらこそ、笑ってしまってすみません。仲がいいんですね。ところで、その子のことを『脚長力馬』と呼んでいますが、名前はないんですか?」
柵や部屋の一角には名札がかけられていた。ペットのように名前が付けられたものあれば、ロッシュのように魔物そのものの名前の名札もある。
「アル……俺以外に脚長力馬を手懐けた人たちが『脚長力馬』と呼んでいたので」
「ロッシュさんの他にも脚長力馬を手懐けた人が……!? 脚長力馬の中には主人を見つけないまま一生を終える子もいるのに、すごいですね」
思えば、この脚長力馬もロッシュと出会うまでは主人がいなかったのだ。
「相応しい名前を思いついたら、ぜひ呼んであげてくださいね」
「はい……って、なんでそんなに離れているんですか? 触らなければ脚長力馬……この子も攻撃はしません。威嚇はしますが」
「あ、怖いわけではなくて……脚長力馬のような主人に忠誠を誓う子には、最低限しか近づかないようにしているんです。これは私の魔法の特性で、そのような魔物にとって私の存在は負担になる可能性があるんです」
「どんな魔法か聞いてもいいですか?」
「ええ、いいですよ。私も作業をしながら話しますね」
レティは近くの部屋の餌箱に果物を入れながら、魔法について話してくれた。
「私は無属性の魔法が使えるんですけど、魔物と心が通わせられるんです。命令したり話したりはできないんですが、友好的な態度をとられます。おかげで敵と思われることがなく、襲われる心配がありません」
「安全でいいですね」
「だからこの仕事は天職なんです。この魔法はほぼ体質みたいなものなんですが、だからこそ気位の高い魔物には負担をかけてしまいます。少し、説明が難しいんですが……」
レティは一度手を止め、こちらを向いた。ロッシュはいまだ威嚇を続ける脚長力馬をなだめつつ、レティのほうを見やる。
「主人にだけ気を許しているのに、本能が私にも心を開かせようとするんです。そこに魔物の意思は存在しないでしょう。つまり……『主人にだけ気を許したいのに、どうして、いやだ!』って感じになるんだと私は思っています」
後半、かなり噛み砕いた説明だったが、なんとなく理解できた。
「だけど敵ではないとわかってもらえたら、適度な距離感を保つことができる子もいます」
「この脚長力馬もそうだったらいいんですが」
ロッシュは脚長力馬の頭を撫でる。幾分か目つきの鋭さは改善された。
脚長力馬とレティに別れを告げ、厩舎を出る。まず真っ先にやらなければならないことは職探しだ。
この港町にも冒険者ギルドや魔物討伐ギルドがあると聞く。しかし、前者はともかく後者は絶対に避けなければならない。
基本的に魔物討伐ギルドは貴族が所有しており、この港町に居を構えるギルドは領主であるクラージュ家が管理している。
「よし。困ったら商業ギルドに行ってみるといいって、叔父さんが言ってたな」
テオドールが脳裏に浮かび、ついでに家族の顔が思い浮かんだ。頭を振り、それらを払う。
宿からは商業ギルドが近い。病み上がりで体を酷使したロッシュにとって、歩いていける距離にあるのは大助かりだ。
木造の三階建て、商業ギルドの看板にはメルシエと書かれていた。
交易が盛んなこともあり、見たことのない服装のものたちも出入りしている。受付を待つ人が少なくなった頃合いを見計らい、ロッシュは受付に声をかけた。
「すみません。相談したいことがあるのですが」
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
受付の男性は忙しさを感じさせない爽やかな笑顔を浮かべた。
「仕事を探していて……できれば一人で魔物を討伐したいんですが」
「冒険者ギルドや魔物討伐ギルドに所属せず、個人的に依頼を受けたいということですね」
「そうです」
「承知いたしました。それでは担当のものに案内をさせますので、今しばらくお待ちください」
数分もしないうちに、担当者がやってくる。
「こんにちは。お客さまを担当させていただくシャルル・メルシエと申します。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
清潔感のある黒茶色の髪、翡翠色の目の、二十代後半くらいの男性だ。ベスト姿が格好よく、落ち着いた雰囲気がある。
「あ、こんにちは。俺はロッシュ……と、申します」
「ロッシュさまですね。第四応接室へお連れいたします」
二人は二階に上がり、応接室へと入った。机やソファなど、応接室はどこも似通った印象である。それでもやはり家具の質は一級品で、ソファの座り心地なんかは最高だ。
「魔物討伐において、個人での仕事を探しているとお聞きしました。組織への所属を考えない理由を教えてください」
シャルルは筆記のためにバインダーを手に持った。
「その前に一つ、ここで話したことはどこかに共有されますか?」
「その点はご安心を。法に触れない限り、例え血縁者を名乗るものにも情報は漏らしません。当ギルドは秘密保持を徹底しております」
「――」
ロッシュはしばし考え込む。
兄や伯父は自分を探しているだろうか。きっと、探している。傲慢だが、ロッシュはいつかギルドに戻りたいと思っている。戻れなくとも、兄に認めてほしい。
「組織に所属しない理由は……誰にも、居場所を知られたくないからです」
「なるほど」
カリカリと小気味よい音を立て、ロッシュの言葉が綴られる。
「以前はどちらに?」
「ヴァンサン家の、魔物討伐ギルドに。あの、俺は……ヴァンサン辺境伯の三男、ロッシュ・ヴァンサンです」
「ええ、知っていますよ。改めての紹介、ありがとうございます」
「え、知ってる?」
さらりと言ったシャルルにロッシュはぽかんとしてしまう。
「ご自分の知名度を侮らないほうがいいですよ」
ヴァンサン辺境伯家の三男。保有魔力はトップクラスだというのに、魔法が使えない哀れな子。いくら引きこもっていようと、社交界で流れている噂はいやでも耳に入る。
「ヴァンサンの箱入り息子は、それは愛されていると」
「そんなこと……」
「ありますよ。ご存じありませんでしたか? ロッシュさまに苦言を呈した家門は全て、ヴァンサンとの事業を打ち切られております。魔物討伐要請に関わらず魔石の取引など、多岐にわたるでしょうね」
寝耳に水の話だ。
「温情を与えられたものもおりますが、あれは衝撃的でした」
シャルルは懐かしそうに頷いた。
「すみません、話が逸れてしまいましたね。事情はどうあれ、ロッシュさまがここにいることを誰にも知られたくないというのなら、例えヴァンサン辺境伯から尋ねられても口を噤みましょう」
「本当ですか?」
「ええ。そういった契約を交わせば、の話ですがね」
「交わします」
ロッシュは即答する。シャルルはにこやかにペンを動かした。
「不躾な質問ではありますが、ロッシュさまは現在、金銭的な余裕はどれほどおありでしょうか?」
「一ヶ月は暮らせると思います」
「一ヶ月ですか……わかりました。ロッシュさまにご提案したいことがあります」
「なんですか?」
シャルルはファイルに挟まれた紙をぺらぺらと捲り、一枚の紙をロッシュに差し出した。
「駆け出しの魔導具師がいるのですが……金銭的な余裕がありません。細々と商業ギルドから素材を買ってはいますが、かつかつで生活も苦しいのだそうです」
紙にはほしい素材、構想している魔導具がいくつか記載されていた。希少素材から一般的な素材まで、事細かに書かれている。
「これらの魔導具はどれも魅力的で、実現できるのなら我々もぜひ流通させたいと考えています。ですので、成功報酬です」
ロッシュは小首を傾げる。
「まずは一般的な素材をロッシュさまが集めて、彼に納品してください。そして彼が試作を作り、我々に売り込みます」
「魔導具が売れたら、そこから俺に報酬として給与が出るということですか?」
「その通りです」
かなり博打ではある。もし魔導具が売れなかったら、善意で素材を提供することになってしまう。いや、それはそれでもいいのだが、ロッシュも今は後ろ盾がない。
「ロッシュさまも生活がかかっていますから、時間のあるときにお会いしてみませんか? ロッシュさまが見込めないというのならば、別の案件をご用意しましょう。いかかです?」
シャルルの中では、すさまじい勢いで算盤が弾かれていることだろう。
「断ってもいいんですよね?」
「ええ」
「わかり、ました」
後日、ロッシュは件の魔導具師に会いに行くこととなった。