十八話 どういう了見
「目を覚ませ!」
肩を揺さぶられたアルマンの意識が覚醒する。
「ロッシュ!」
「づっ」
ごっ、と鈍い音が響き、額に痛みが走った。クロッカス色の髪が目の端に映る。
「ここは……」
額をさするシャルロットは無視し、アルマンは周囲を見やる。
「ジャングルに続く通路だ。一時、撤退している。あなたの第一声からすると、ロッシュと一緒にいたんだね?」
「……一緒にいたのは、たしかだよ」
だが、意識を失う直前の記憶があいまいだ。ロッシュに支えられて、模倣猿から逃げようとしていたことは覚えている。
「アルマンさんは頭を強く打っていたようで、記憶が混濁していても無理はありません」
「ルネ神官」
ルネの神官服は土に汚れていた。
「アルマンさんが聞きたいことを話しましょう。あなたは倒れているところを他の方に発見され、ここまで連れてこられたのです。そして、まだ戦っているものがいます。が、どういうわけかあの猿の魔物たちの統率力が落ちていますので、殲滅は時間の問題かと思われます」
統率力が落ちている。そう言われて曖昧だった記憶が鮮明に顔を出した。
「模倣猿……」
「模倣猿? なんだ?」
「不気味な音を出していた猿の正体だ。僕の身長と二倍ほどの大きさの猿がいて、あれが群れのボスだと思う。僕たちの言葉、動きをまねていた」
「大きな影を見たという話は他の人からも聞いたよ。そうか、あなたは……あなたとロッシュはその模倣猿と戦ったんだね?」
「なるほど。ボスが倒されたから、統率が取れていないんですね」
ぽん、とルネが手を叩いた。
「いや」
アルマンは奥歯を噛む。
「まだ、生きている。ロッシュが僕の近くにいなかったのなら、連れ去られた可能性が高い。僕の攻撃では止まらず、模倣猿が走り出したのを思い出した」
アルマンは立ち上がり、屈伸をする。怪我は治療され、魔力もわずかではあるが回復している。
「まさか、行く気か?」
シャルロットが訝しげな顔をする。
「あなたは酷い怪我をしていた。とても行かせられない」
脚長力馬を呼ぶアルマンを阻むように、ジャングルへと続く方向にシャルロットは立つ。
「もう治っている」
「体力も魔力も、からっけつだろう」
「こいつがいるから大丈夫だ」
アルマンは脚長力馬の首筋を撫でる。
「ではさらに、私が一緒に行きましょう。私さえ動ければ、いくら怪我を負っても治せますので。負傷者の方は申し訳ありませんが、ポーションで繋いでいただければ」
ルネがアルマンの隣に立ち、にこりと微笑む。
「だが」
「責任を果たさせてください」
「……例の頼みごとやらか?」
「ええ」
沈黙の末、シャルロットはため息をついた。
「自分の命が第一だ」
脚長力馬はルネを乗せることを若干拒んだが、アルマンの説得によって最後には乗せてくれた。
収束しつつある戦場を、二人を乗せた脚長力馬が全速力で駆ける。アルマンは慣れているが、ルネはアルマンの背中にしがみつくことで精いっぱいだ。
「ところで、ロッシュさんがどこにいるか、見当はついているのですか?」
「僕が最後に見た模倣猿の逃走方向、そして僕とロッシュ以外に模倣猿との対峙報告がないのなら、すでにこのジャングルにはいないだろう。とはいえ、冷静さを欠いた魔物がじぐざぐと巧みに逃げるとも考えられない」
「アルマンさんが最後に見た逃走方向へ一直線、ということですね?」
「恐らく」
アルマンは答えながら手綱を揺らした。
脚長力馬に乗る今、感知しづらいが、地面が揺れている。この洞窟が崩落しないなんて保証はなく、一刻も早くロッシュを回収しなければならない。
不規則に起こる地震を体感しながら全速力で戦場を駆け抜けると、木々の先に穴が見えた。どこかへ通ずる道であり、ロッシュが通ったであろう道。
「これは……厄介ですね」
「だが、行くしかない」
アルマンたちが入り込んだ通路は、薄暗く、奥行きなど到底見えない下り坂だった。
脚長力馬に速度を落とさせ、しかし二人は止まろうなどと躊躇うことはない。
どれほど下っただろうか。本当に終わりがあるか疑心暗鬼になろうとしたとき、腹の底に響くような轟音が鼓膜を打った。
「今のは……」
「咆哮のようにも聞こえましたが」
この先になにがいるか。アルマンとルネは口にしなくとも、考えることは一緒であった。そこからさらに思考を伸ばし、属性も確信できる。
「アルマンさん、アルマンさんはロッシュさんと仲がいいご様子ですね。巨熊討伐の際もしかり、今回もしかり。そこで一つ、聞きたいのですが」
「前置きが気になるが、なんだ?」
「模倣猿はなぜ、ロッシュさんを連れ去ったのでしょうか。逃げるのなら自分だけで逃げたほうがいいじゃありませんか」
「――」
それはアルマンも気になっていたことだ。人一人抱えて逃げるなど足手まといにしかならない。
「そうさせるなにかが、ロッシュさんにあると私は考えます。アルマンさんの意見をお伺いしたいです」
何度か、それこそ巨熊討伐のときから頭をよぎることがあった。巨熊といい、脚長力馬といい、ロッシュはあまりにも魔物を引きつける。
模倣猿だってそうだ。アルマンが異変に気づいたときにはすでに、ロッシュはあの魔物と相対していた。
「ロッシュの闇属性の魔力――」
否、闇属性の魔力に魔物を引き寄せる特性などない。そうであるなら顧問やギルド長から教えられているはず。
となれば――、
「――ロッシュの、魔法」
「すみません。なんと言いました? 声が小さくて聞き取れませんでした」
「これはあくまで推測にすぎないけど……っ!?」
威力の弱い大地の揺れ、そして――竜の咆哮。それが間近に感じられた。
「話はあとにしましょう」
「ああ、助かる!」
アルマンは手綱を操り、転ばない程度に脚長力馬の速度を上げる。眼前に小さく、だんだんと大きくなっていく穴が見えた。
「俺も――」
ロッシュの声が聞こえた気がする。
脚長力馬とアルマン、ルネは警戒しながらも空間へ飛び出した。
「は!?」
竜がいた。黄金色の鱗に覆われ、背中には多角形の翼、重厚感のある巨躯。
けれど、岩竜に違いないそれの首が、ごと、と落ちる。脳を失った胴体がずしりと倒れ、その前でロッシュが倒れた。
「ロッシュさん!」
二人は脚長力馬から降り、ロッシュに駆け寄った。すかさずルネが手をかざし、治癒魔法をかける。
外傷が痛々しく、これでは内側も無事ではないだろう。
「遅れてすみません。ああ、出血が酷いです」
白い光に包まれたロッシュの傷が癒えていく。
その間にアルマンは空間を見回した。ジャングルから一転、岩や石しかないここが岩竜の巣窟。
「――」
アルマンたちが飛び込んできた穴付近の壁では逃げたと思われた模倣猿が潰れていた。転がっている岩の大きさからして、犯人は岩竜に違いない。
そして、最も目を向けなければならないのは、その岩竜だ。
いったい、どういう了見だろうか。頭と胴が綺麗に切断されている。しかも、アルマンが見たときにはまだ、あの胴体は立っていた。
「……ロッシュを」
「今、起こすことは許容できません」
アルマンの言葉途中に、ルネが首を振る。
彼もこの現状の異様さにはとっくに気づいている。ロッシュから話を聞かなくてはならないということも。
それでも、ロッシュの安静が第一。アルマンとしては歯がゆいが、神官の言が正しい。
「――帰還しよう」
脚長力馬にロッシュを乗せていると、ざ、と土を踏む僅かな音がした。
「――」
アルマンが氷の礫を作り出し、音のほうへと向ける。
「敵ではありません!」
両手を上げ、敵意がないことを知らしめる人たちが、剣山のような岩の陰からぞろぞろと出てきて、アルマンは目を見張った。
「ヴァンサンの魔物討伐ギルドの方と、神官の方とお見受けします。聞きたいことはありましょうが、負傷者がいます。助けてください」
三人。担がれているもの、倒れているものを含めれば六人だ。軍服のような白い制服に身を包むのは、ルーセル家の魔物討伐ギルドである。
「生きていたのか」
「こうして逃げ隠れていましたので。我々の救援に来てくださったのですよね?」
「ああ。君たちの伝達係は無事に、王城の魔物対策課に辿り着いていたよ」
アルマンの言葉に彼らはほっとしたような顔をした。ルネが負傷者の手当てをし、勇敢にも命を落としたものには祈りを捧げていた。
「さて、情報共有をしておきたいところですが、あとにしましょう。他にも生存者を探すにしても、まずは私たちも立て直す必要がありますから」
その後、ルーセル家の魔物討伐ギルドの面々を含めた一行は麓の町へと帰還した。ヴァンサンの魔物討伐ギルドからも追加で応援を寄越してもらい、事態は収束へ向かっていた。
冒険者ギルドに関しては正直、希望はかなり低い。あの通路で夜犬に食われていたものたちが全てではないが、洞窟はかなり入り組んでいる。探すとなれば至難の業だ。
あとのことは、お偉方が話し合いでもなんでもして、なんとかするだろう。また要請が来るのなら応じる。それまでは、アルマンは討伐へ出征することを拒むだけだ。
あの日、ルーセルの魔物討伐ギルドからも話を聞くことをルネに止められたのだから、これくらいは許されるだろう。
そうしてアルマンは、もう三日も目を覚まさないロッシュの元に、今日も通っていた。




