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十五話 冒涜的な行為

「おーい」


 声が聞こえる。


「おーい」


 歩みを続ければ続けるほど近くなる。


「おーい」


 明瞭になっていく。


「おーい」


 ふいに、地面が姿を変えた。


 固い土にぽつぽつと緑が生え、やがて地面、壁、天井、その全てがびっしりと草に覆われていく。


「この先に、いる」


 進み続けると目の前に空間が広がった。


 一行は目を疑う。背の高い木、下生えの葉、絡み合う蔓。石や岩しか転がっていなかった洞窟の中に、突如としてジャングルが現れた。


「なんだ、これは」

「ここに、竜がいるのか……?」


 どこからかがさがさと葉が揺れる音がした。


「おーい、おーい」


 謎の声の主が確実にこのジャングルに潜んでいると確信する。


「闇の魔石は、使いにくいな……」


 ロッシュは手綱を強く握った。


 ただでさえ死角が多いのに、闇を発生させたら余計に死角を作ってしまう。


「おーい、たすけて、おーい、おーい」


 謎の声に反応し、脚長力馬ストライドルーが強気に鼻を鳴らす。


「い、今……助けてって」

「きゃー!」

「なっ!?」


 悲鳴の発生源を全員が見る。女性の魔法士が何者かに髪を掴まれ、あろうことか宙に放り出されていた。すかさず風属性の魔法士が着地を助ける。


「猿、猿の魔物だ!」


 幼児ほどの背丈の猿が、その体躯の二倍はある長さの手で蔓にぶら下がり、喉の奥を鳴らしていた。茶色の毛の中で、二つの赤い目が不気味にこちらを見据えている。


「数が補足できません!」

「あの魔物を知るものはいるか?」


 その問いへの返答は誰からも上がらなかった。


「参ったな……ここでは火属性が使えない」


 植物に燃え移れば瞬く間に火が広がり、退路が断たれる。最悪、みんな仲よく火だるまだ。


 水属性の魔法士が水塊を飛ばすが、猿はひらりと躱す。氷や土も同様で、じゃれているかのように軽やかに避けられた。


 あれらは見て、避けている。


「ひっ」


 気づけば周りを猿たちに囲まれていた。木に張りつき、蔓にぶら下がり、こちらの動向を窺っている。


「来るぞ!」


 四方八方から毛むくじゃらが飛んでくる。しなる腕で殴打しては枝や蔓に戻り、集団で狩りをしているような光景だ。


 脚長力馬ストライドルーが嘶くが、猿は夜犬ナイトハウンドのように怯むことはない。


「今度は、奪うなよ」


 ロッシュは背中から短剣を引き抜く。


 そして、こちらにめがけて突っ込んできた猿を狙った。力はいらない。向こうが勝手に勢いをつけて跳んできてくれるのだから、ロッシュはただ、軌道上に短剣を置いておくだけでいい。


「キーッ」


 一体の肩に深々と刺さる。ぎょろりとした赤い目が間近に迫り、ロッシュはその不気味さに息を呑んだ。


「キ、キッ」


 ロッシュは短剣を引き抜き、首元にあてがう。猿は危険を察知したのか、ロッシュから距離を取った。が、逃げた先で氷の槍に突かれ、動かなくなる。


 しばし、乱戦が続いた。遠距離で魔法を飛ばすよりも、近距離で物理攻撃したほうが戦いやすい。


 そのせいか、味方にぶつからないようにと、人と人との距離が徐々に開いていった。ロッシュがそれに気づいたのは、自分の周りに誰一人の姿も見えなくなってからだ。


 遠くから猿の鳴き声や打撃音などが響いてくる。たしかにそこにいるということはわかるのに、一人になった瞬間、不安に襲われた。


「ロッシュ、ロッシュ! どこに行ったの!?」


 右のほうからイリスの声が聞こえた。ほ、と息をつく。


「俺はここに――」

「キキッ」


 左から猿の鳴き声、咄嗟に振り向けば脚長力馬ストライドルーが首を振り回し、地面に叩き落としていた。それから前脚で踏みつけ、戦闘不能にする。


「すごい」


 首を撫でてやると、嬉しそうに頬ずりされる。


「おーい、おーい」


 戦乱の最中、謎の声がいやに耳に入った。


「っ……どうしたの?」


 ロッシュはそちらに足を向けていた。一歩踏み出したとき、脚長力馬ストライドルーに服を噛まれて阻まれる。


「ちょ、ちょっと!」


 ぐいぐいと、まるで謎の声の主に近寄るなと言わんばかりに引っ張られる。いつ飛んでくるかわからない猿たちを警戒しながら、ロッシュは脚長力馬ストライドルーに引きずられるままに足を動かす。


「ぐ、ぅ……だれ、か……た、すけて、くれ」


 視界に倒れた魔法士が飛び込んでくる。慌てて傍にしゃがみ、支給されたポーションを口にあてがった。


 苦しそうにする魔法士に、瓶の底を持ち上げて無理やりに喉奥へ流し込む。激しく咳き込んで口の端から溢れるが、効果があったようだ。


「大丈夫ですか?」

「きょ、だいな……やつ、が」


 すっと魔法士が目を閉じる。慌てて左胸に耳を当てると、微かだが心音がした。


「お願い、この人を安全な場所まで運んで」


 脚長力馬ストライドルーに頼むが、ふいと顔を逸らされる。


「この人の他にも、きっとまだ倒れてる人がいる。みんなを助けて」


 逸らされた顔が少しだけこちらに向く。


「頼む。今、頼れるのはお前しかいないんだ」


 小さく鼻が鳴らされた。渋々ではあるが、脚長力馬ストライドルーはその場でしゃがんでくれた。ロッシュはお礼を言い、魔法士を背中に乗せる。


「あ、ちょっと待って!」


 魔法士の荷物を漁り、ポーションを拝借する。


「よし。それじゃあ、頼んだよ!」


 ロッシュは脚長力馬ストライドルーとは反対のほうに走る。この混戦の中で、他にも倒れているものがいるだろう。


「キーッ」

「は――ッ」


 弾丸のように跳んでくる猿に軌道上に短剣を伸ばす。いくら機動力があろうと、空中では避けられない。


 猿が血しぶきを飛ばしながら地面を滑る。いったい、どれほどの魔物がいるのだろうか。戦闘が始まってまだ十分も経っていないのに、まるで永遠のように感じてしまう。


「――おーい」

「がっ!?」


 ロッシュは目を見開き、息を呑んだ。


 猿。それも人間の体躯の二倍はある猿に、ロッシュの体は鷲掴みにされていた。ぎりぎりと締めつけられ、抵抗もできずに骨が悲鳴を上げる。


「おーい、たすけて、おーい」


 必死に身じろぐロッシュの背筋が凍る。謎の声の正体が、今、ここにいる。今、自分を殺さんと力をこめている。


「はあッ」


 風を切る一閃。見開かれたロッシュの碧い瞳に、強く歯を食いしばったアルマンが映る。


 瞬きのうちに、ロッシュは地面に落ちていた。


「げほっ、ぐ」


 うつ伏せになったところを拾い上げられる。振り返れば、猿の横首から血がだらだらと流れ、体毛を赤く染めていた。それでも、観察するような目がこちらをじっと見据えていることに、ロッシュはぞっとする。


「骨は!」

「だい、じょうぶです」

「じゃあ動けるね」


 痛みはあるが、折れてはいないだろう。


「どうして、ここに……?」

「意図的に分断させられていると思ったから、誰かしらと合流しようとしていた。それが君だっただけだ」


 数的有利を取るためか、猿たちは縄張りに入ってきた敵を孤立させ、戦闘をしかけている。賢く、合理的。


「うっ!?」

「いっ」


 ずしゃ、と二人は地面に倒れた。


「伏せていろ」


 起き上がろうとしたロッシュは咄嗟に身を屈める。冷気が頬を撫で、左右から、そして頭上からも猿の悲鳴が響いた。


「もういいぞ」

「まさか……」


 ロッシュは左右の猿と猿を繋ぐように落ちていた蔓に目を見開く。


「――転ばされたんですか?」

「反応が遅れた」


 猿たちは茂みに身を潜め、下生えの草で足元の視界が悪いことを利用し、脚を引っかけた。転んだところに、木の上で待っていた猿が攻撃をしかけようとしていたのだ。


 アルマンが返り討ちにしなければ、血を流していたのは自分たちだったろう。


 あまりの知性の高さに、ロッシュは言葉が出なかった。


「おーい、おーい、おーい、おーい、おーい」


 耳を塞ぎたくなるほど無機質な声。先ほど、ロッシュを掴んだ猿が追いかけてきていた。


「は……?」


 ロッシュは目を見張る。


 猿が片手を高く掲げ、「おーい、たすけて」と繰り返す。まるでそれは、魔法士が魔法を放つときの動作に瓜二つで。


 ロッシュとアルマンは身構えるが、なにも変化が起こらない。


「魔法を使うわけじゃ、ない……?」

模倣猿イミテサンジュ……とでも呼ぶべきか。あれが群れのボスに違いないが、倒したところで小さい猿たちが止まるとも限らない」


 謎の声の主――模倣猿イミテサンジュは近くの葉を根っこから引き抜くと、今度は両手に持って振り始めた。しかしそれは近くの木にぶつかり、茎がぽきりと折れる。使えないことがわかると、模倣猿イミテサンジュはぽいっと捨てた。


「……笑えない」

「アルマンさん。俺は、なにをしたらいいですか」

「今、副ギルド長が非戦闘員に通路まで退避するように言って回っている。あれが他に気を向けないよう君はここで、僕とともに討つ」


 アルマンが両手に氷を形成する。


「おーい、おーい。たすけて、たすけて。しにたく、ない。しにたくない、しにたくない」


 生きたくて叫んだ言葉を、それを引き出したものが意味も知らずにただの音として発する冒涜的な行為。


 ふつふつと絶望感と怒りがないまぜになってこみあげてくる。あの猿だけは絶対に、許してはならない。


 ロッシュは強く、強く短剣を握りしめた。

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