十三話 洞窟探査の開始
「無理はするんじゃないぞ」
カシアスは討伐には向かわず、ギルドに残る側。だからこそロッシュを行かせたくなかったのだろう。
「大丈夫だよ」
「約束してくれ」
カシアスに強く抱きしめられる。その真剣さに、笑みも引っ込む。
「必ず、帰ってくるって」
「うん」
「どんな些細な怪我でも、神官に治療してもらうんだよ」
「うん」
首に顔をうずめられ、髪の毛がくすぐったい。
「ロッシュになにかあったら、俺も兄さんも父さんも……すごく、すごく辛くて悲しい。きっと耐えられないから。あのときの約束、覚えているな?」
「――うん」
ロッシュは胸に手を当て、深く頷いた。
出征メンバーの統率、現場の指揮はシャルロットが執る。民の寝静まった夜中、魔物討伐ギルドの半数を乗せた馬車はフィエルテの北西へ向けて出発した。
脚長力馬の馬車二台と通常の馬車四台が夜の王都を駆け抜け、山脈を目指す。三日ほどで麓の町に到着する予定だ。
「本当によかったの?」
「なにが?」
馬車の中はどこか重苦しい雰囲気だ。それに配慮してかイリスが声を潜めた。
「ロッシュは本当は、行かないはずだったんでしょ? あのときお兄さんとなにか話してるって思ったけど、直談判してたなんて……」
「そういうイリスだって、本当は怖いんじゃない?」
「そりゃあ、怖いに決まってるよ。でも私は、シャルロットさんの右腕だから!」
胸を張るイリスに、ロッシュは目をぱちくりとさせる。
「右腕、だったの?」
「そうだよ? シャルロットさんのサポートはばっちりなんだから」
「魔力なしを理由に、断ることもできたのにな」
「そんなことするわけないじゃないですかー!」
向かいの席で話を聞いていたギルドメンバーにイリスは口を尖らせる。みんなの雰囲気が柔らかくなった。
「俺も、後悔したくない」
ロッシュは膝の上に置いた手を、ぐ、と握る。
快適さよりも速度を重視する馬車は、大きく揺れ続けた。酔い止めの薬を飲んでいるが、それでもロッシュは気持ち悪さに襲われる。
「よし、ここから歩いて向かう」
ようやく解放されたのは予定通り三日後、麓の町についたときだ。夜も深いというのに町民たちは寝床や食事を振舞ってくれた。
体を休めて万全の状態で出発するために一泊した翌朝。
「ま、待ってください!」
ついに山へと足を踏み入れようとする一向に駆け寄る姿があった。全身を包帯で巻かれた男だ。
「その制服は、ヴァンサン家の魔物討伐ギルドですよね!? お願いします、助けて……助けてくださいっ」
どさ、と男が膝をつき、地面に頭をこすりつけた。
「頭を上げて。悪いが私たちは消息を絶った人たちの捜索を――」
「先輩、先輩たちがまだあの洞窟にいるんです! きっと、きっとまだ生きています、だから、だから……っ」
「洞窟?」
シャルロットが目を細める。
「もしかしてあなたは、煌鳥の捕獲に来たという冒険者か?」
「そ、そうです! 助けに来てくれた先輩たちが俺たちを逃がして……ここまで辿り着けたのは俺、一人で……」
「あなたたちの救出に向かった別の冒険者ギルドと魔物討伐ギルドがいたはずだ」
「え? そ、それは……会って、いないです」
シャルロットは顔を上げ、山脈を見上げる。
「洞窟というのは、どれくらいの規模だ」
「中はまるで迷路みたいになっていて……わかりません」
洞窟はかなり広大で入り組んでいると推測する。
「それなら、竜がいるというのは本当か?」
「竜!? 竜がいるんですか!?」
聞いていた話と違い、シャルロットは考え込む。
「なぜ洞窟に入った?」
ずい、とアルマンが前に出た。
「え? えっと……」
「煌鳥は洞窟には生息していない。しかしなぜ、君の先輩とやらは洞窟にいるんだ?」
「声、声が……聞こえてきたんです。『おーい、おーい』って。だから洞窟で遭難した人がいるのかもしれないと思って俺たち、入ったんです……」
「君たちの先輩もその声に誘われたと?」
男は何度も頷く。
「は、はい。俺たちが洞窟で助けを求めていると思って、助けに来たと言っていました」
「あなたはいつ、この町に辿り着いた?」
「二日前だそうです。つい先ほどに目が覚めて……看病してくれていた人が、魔物討伐ギルドが来てくれたと教えてくれたので、慌ててここに」
恐らく、一つ目の冒険者ギルド、二つ目の冒険者ギルド、三つ目の魔物討伐ギルドの面々は合流できていない。
二つ目と三つ目がどうかはまだわからないが、それほど入り組んだ構造をしているのだろうか。
「あなたの帰りを待つものがいる。生存者は私たちが助けるから、あなたは冒険者ギルドに連絡を取るといい」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
男はまた地面に額を押しつけた。
「全員、歩きながら聞いてくれ。私たちはこれから件の洞窟へ向かうが、戦闘は避けられないだろう。非戦闘員であるものを中心に防御陣形を組んで進む」
洞窟を目指しながらシャルロットが声を張る。
防御の魔法を使えるものを前に、攻撃の魔法を使えるものを左右と後ろに、無属性の魔法士たちと魔法が使えないもの、神官を中心とした陣形が形成された。
森で出くわした魔物たちは保有魔力の多いものが交代で倒し、闇の魔石を使って消耗を抑える。
「ロッシュ、ポケットに手を入れながら歩くのは危ないんじゃない?」
ロッシュには癖がある。
手持ち無沙汰のときは特に、なにかを掴んでいないと落ち着かない。だから、ポケットの中には常に魔晶石が入っている。魔石にしなくともそれだけで不安が軽くなるのだ。
「ついやっちゃうんだ」
ロッシュは左手に魔晶石、右手に脚長力馬の手綱を握る。食糧のほとんどがロッシュに託されており、緊張を感じずにはいられない。
そうしてしばらく歩いたとき、どこからともなく声が聞こえてきた。それはあの冒険者が言っていたように、「おーい」と誰かを呼ぶように響いてきている。
「洞窟が近い、周囲を警戒しろ!」
たしかにそれは、言葉を成しているように聞こえる。だからこそ不気味だ。
「洞窟だ!」
誰かが叫ぶ。木々の先、絶壁に空いた大穴が一行を出迎える。不思議なことに、日の光が届かないはずの洞窟の内部が真っ暗ではない。
「壁の一部が発光し、明かりの役割を果たしているようだ」
「入り口付近には魔物や生存者は見当たりません」
「脇道がいくつもあり、行き止まりもあればどこかで繋がり、相当入り組んだ構造をしていると思われます」
無属性の魔法士たちが索敵を行い、一通りの情報を聞いたシャルロットが頷いた。
「総員、覚悟はいいか。私たちの任務は生存者の救出だが、自分の命を優先することを忘れるな。怪我をしたものはルネ神官に治療してもらうように」
「一つのかすり傷でも遠慮なくお声がけください。でなければ、私がここにいる意味はありませんから」
白金色の髪の男がにこりと笑う。上級神官がいるというほどの安心感はない。
「行くぞ!」
各々が武器を構え、洞窟内部へと進む。
事前の共有通り、鳴き声は聞こえても魔物の姿はない。いくつもの分かれ道があるが、シャルロットは逸れることなくまっすぐ行進する。
冒険者や魔物討伐ギルドのものたちが、洞窟に入ってすぐ脇道を選ぶなど考えられないからだ。しばらくはまっすぐ進むことを選んだと予想している。
「おーい、おーい」
不規則に聞こえる謎の声にロッシュは身震いする。得も言われぬ嫌悪感が体を巡り、そしてそれはイリスや他のギルドメンバーも同様で、顔を青くしているものが多数いた。
「イリス、大丈夫?」
「う、うん。でも、すごく……」
怖い。その一言をイリスがぐっと飲み込んだのがわかった。
一体、あの声はなんなのだろうか。人の言葉に聞こえるが、発しているのは人ではないと確信できる。
なにかの音が反響し、ああやって聞こえているだけであってほしい。
「前、います! ……吸血蝙蝠です!」
行進がぴたりと止まる。
前方の天井に黒い塊が広がっていた。それが蠢いている理由は、拳大の吸血蝙蝠が集まり、翼を揺らしているからだ。
「飛ばれると厄介だ。私がやろう」
最前線でシャルロットが杖を掲げる。魔力が集約され、火の玉が放たれた。こちらにまで熱気が届き、閉じそうになる目をなんとか開いてシャルロットの魔法を目に焼きつける。
ばさばさと火の中を飛ぶ個体もいるが、一行に辿り着く前に一体残らず燃え尽きてしまった。
「……ふう」
「ふう、じゃないでしょうよ。火力が高すぎ、酸素も気にしてくれ」
一仕事終えたシャルロットにアルマンが苦言を呈す。たしかに洞窟内の温度が上がった気がした。
それでも、派手な魔法は士気の向上にもなる。現に、謎の声に怯えていたギルドメンバーの顔色が元に戻っている。
「ごめんね。そしたら次からは別のものに手柄を譲ろう」
シャルロットがからからと笑う。張りつめていた緊張の糸が緩み、少しだけ余裕が生まれる。
「シャルロットさん、すごい」
「さすが副ギルド長だね。このまま、何事もなく生存者が見つけられるといいんだけど」
ロッシュは洞窟の先を見る。
「さあ、先へ進もうじゃないか」
吸血蝙蝠との戦闘を皮切りに、波乱の洞窟探査が開始した。




