パパの活動
シーズンも終盤となり、優勝争いから脱落したにもかかわらず、東京マーブルズのスタジアムには多数の記者が詰めかけていた。
「伊勢原選手! 週刊誌の報道は本当なんですか!」
そのお目当ては球界最年長選手、伊勢原荘輔。
甲子園で活躍し、鳴り物入りでプロの世界に入った彼は、順調にキャリアを重ねた後にアメリカメジャーリーグでも活躍。
38歳の年に日本へ戻ると古巣マーブルズに復帰し、貴重な中継ぎとしてフル稼働していた彼も今年45歳。そろそろ出処進退が周囲で囁かれるようになった。
……が、今日はその話で記者が集まったわけではない。
「週刊誌の記事って?」
「これですよ。ご存じないのですか」
とぼける荘輔に向かい、1人の記者が週刊誌の記事を見せつけるように問い質す。
そこには『球界最年長・伊勢原荘輔、スレンダー美女と密会! 夜の街では未だ豪腕健在!』という、いかにもゴシップ誌っぽいキャッチーなタイトルの記事が躍っていた。
世間ではその週刊誌のタイトルをもじって「○○砲」と呼ばれる類いの記事だ。
その中身は、荘輔が20歳くらいの長身スレンダー美女と腕を組んで料亭から出てくると、そのままタクシーに乗り込んで夜の街に消えていったとかなんとか。後は記者が関係者とかいう誰かに取材したらしい最近のプライベート事情。最後は「引退前に最後の夜遊び。晩節を汚さねば良いが」などと余計なお節介で締めくくられていた。
「記事によるとお相手は大学生だとか。パパ活とも書かれてますけど? そうなんですか」
「大学生なのは事実だな。パパ活とやらが何なのかよく分かんねえが、言葉の意味から察するにそうだろうな」
隠す素振りもなく事実であるとあっさり認める荘輔の姿に、ええーっという声と共に記者たちは一様に困惑の表情を浮かべた。
これまで数多くのタイトルを獲得し、アメリカでもその野球に対するストイックな姿勢を評して「精密機械」とまで呼ばれた、まさに野球一筋だと思われていた男にこんな一面があったのか。
野球、特にマーブルズの番記者を務めている各紙の記者は驚きを隠せない一方で、普段球場などに足を運ぶことの無さそうなメディア関係者は、面白いネタが手に入ったと目を輝かせて虎視眈々と質問の機会を覗っていた。
「大学生と一緒に飲酒されたということでよろしいんですね」
「そうだよ。言っておくけど相手の子、大学4年の22歳だから。未成年飲酒とかないからね」
「それは本当でしょうか。相手は未成年だったという情報もありますが、年齢を偽っているという可能性もあるのでは」
「無い。俺が22だと言ったら22。これは間違い無い。っていうか、今日はやけに記者が多いなと思ったら質問はそれかい? だったらこれ以上話すことなんか無いからもう行くぜ」
「待ってください伊勢原選手、奥様はそのことをご存じなのですか!」
つまらない質問をするなとばかりに荘輔が裏へ下がろうとすると、ワイドショーでおなじみの有名女性レポーターが舌鋒鋭く切り込んできた。
それはまさに、伊勢原荘輔が妻ではない若い女性と一夜を共にした大罪人であり、自分は世の女性を代表してこの男を今から断罪するという意気込みようであった。
「知ってるよ」
「えっ……」
だが、荘輔の返答は彼女の思ったものではなかった。
ここで知らないと言われれば、奥さんの気持ちを考えろとか責任を感じないのかなどと、あらゆる罵詈雑言をオブラートに包んでネチネチと突っつく算段だったはずだが、全く予想していなかった答えが返ってきたので二の句が継げないようだ。
「ウチ、そんな仮面夫婦のつもりないんだけど。ママには誰とどこに行ったかまで全部伝えてあるよ。疚しいことなんか何一つ無いんだから」
「疚しいことは……」
「何一つ無い……?」
週刊誌の記者やワイドショーのリポーターは想像の範疇を超えた回答に、どういうことだとザワザワしている。その一方で、一部の番記者はかすかではあるがはっきりと違和感を覚えていた。
「あの、伊勢原さん……」
「なに?」
「伊勢原さん、普段から奥さんのこと”ママ”って呼んでましたっけ? 私の記憶だとカミさんとか嫁さんとか言ってたような」
「おお、さすがはマーブルズ番記者歴10年を超えるベテランは違うね」
「なんでわざわざママ呼びしたんですか?」
「いやほら、お父さんがパパ活してたから、奥さんはママって呼んだ方がいいかなって」
ここで番記者はさらに何か閃いたようで、再び質問を投げてきた。
「あの、1つ確認なんですけど、一緒に居た若い女性ってもしかして……」
「娘だ。君も知ってるだろ」
「はぁーーーーーーーーー?????」
「伊勢原選手、どういうことですか!」
番記者たちは今の一言で全てを理解したようだが、週刊誌の記者やリポーターなんかは事情が分からず、どういうことだと質問攻めが始まる。
「だから娘と一緒に酒飲んでご飯食べてってしてたんだって。アイツ今年大学卒業で来年からアメリカに留学するから、日本にいるうちに美味しい日本食を一杯食べたいって。だから今のうちにと色々連れて行ってるんだよ」
「たしかに娘さん大学生でした。伊勢原さんが22歳で間違い無いって、そりゃそうだ」
「だろ? 娘の年齢を間違ったら最悪だろ」
「では一緒にタクシーに乗って夜の街に消えていったというのは」
「同じ家に帰るんだから一緒にタクシーに乗って何がおかしい?」
記者たちにとっては拍子抜けもいいところである。
番記者たちが伊勢原さんはそんなことする人じゃないよなと安堵する一方、美味しいネタが実は誤報も誤報だったと知った雑誌社やテレビ局は、つまらなさそうな顔でそそくさと撤収の準備をしている。
「でも先ほどパパ活と仰っていましたよね!」
その中でただ1人収まりが付かないのは、この記事をスクープで掲載した週刊誌の記者だ。先ほどパパ活だと認めたのはどういうことだと食い下がってきた。
「パパ活と言ったのは”そういうこと”をしたからじゃないんですか。本当に娘さんなんですか?」
「なあ、パパ活って具体的に何するんだ?」
いきり立つ週刊誌の記者を尻目に、荘輔はよく知る仲の番記者にパパ活の意味を尋ねると、記者は『経済的に余裕のある男性と一緒の時間を過ごして、対価として何かを得る活動』と真面目なトーンで返してきた。
「じゃあパパ活じゃん。経済的に余裕のある男性、それは俺だね」
「そうですね。メジャーのとき、えげつない年俸でしたもんね」
「ご飯を一緒に食べて時間を過ごした」
「そうっすね」
「親子は語らいの時間が出来るという対価を得た。もうこれパパ活じゃん。しかも実のパパだし、何の問題も無いな」
「伊勢原さんが自分のことをパパ呼びするのが唯一の違和感」
「俺もそう思う」
荘輔と彼を古くから知る番記者が顔を見合わせて互いに苦笑していると、萱の外に置かれた週刊誌の記者だけが1人何やら喚き散らしていた。
「伊勢原選手! 貴方は私たちが取材に出向いたとき、認めてましたよね!」
「認めたよ。写真を見せられて、これは伊勢原選手ですよねと聞かれたから、たしかに俺だってね」
「パパ活と聞いて否定されなかったはずだ」
「肯定した覚えも無いけど? 俺は『野暮なこと聞いて邪魔するなよ』としか言ってない」
(父娘の団らんの時間を)野暮なこと聞いて邪魔するな。荘輔は自身の発言の趣旨を噛んで含めるように、それこそ聞き分けのない子供をあやすように話しかけるから、記者の方は馬鹿にされたように感じて余計にイライラしていた。
「だったら! 何であのとき娘さんだとはっきり明言されなかったのですか!」
「バカか? それを調べるのが記者の仕事じゃないのか。なんでこっちがあんなクソみたいなゴシップ記事のためにわざわざ訂正入れなきゃいかんのだよ。アホくさくて話にならんな」
それだけ言うと、荘輔は馴染みの記者たちに「じゃ、そういうことでよろしく」とだけ残してロッカールームに下がっていった。
そういうこととは、誤報だってことをキチンと記事にしてくれよなという意味であることは言うまでもない。
<1週間後>
荘輔に対するゴシップ記事は、誤報であるとあっという間に世間に周知され、ネットでは「【悲報】伊勢原荘輔への○○砲、不発w」といった煽りスレが多数乱立されていた。
「ただいまー」
「お帰りなさーい」
試合が終わって荘輔が家に戻ると、妻と娘、そしてもう1人。
「お邪魔してまーす」
「なんでお前が俺より先にいるんだよ。同じ試合で投げてたのに」
「先発とリリーフの差です」
そこにいたのはプロ7年目、今やマーブルズはおろか日本代表のエースとも言える男、梅園宏太であった。
「だからって俺を置いて先に来るかね」
「いやあ里香に早く会いたくて」
「コラ、俺の剛速球そんなに喰らいたいのか?」
「止めてよお父さん」
「なんだよ、里香は宏太の味方か?」
「そうじゃなくて、お父さん今シーズン最速何キロよ」
「……143」
「よく剛速球とか言えるわね」
「面目ない」
宏太が入団したのは、ちょうど荘輔がマーブルズに復帰したのと同じ年。将来は日本のエースを担うと期待される大型ルーキーと、かつてその座にいたベテラン投手。2人の縁はそこから始まった。
荘輔が復帰したのは戦力としてはもとより、若手が模範としてほしいというフロントの意図もあった。
そこへドラフトで4球団競合となった大型ルーキーの入団だ。荘輔が宏太の指導役となるのは自然の理とでも言うべきか。
宏太は宏太で、幼い頃テレビで見た憧れの大エースからあらゆるものを吸収しようと貪欲に取り組み、娘しかいない荘輔は、遠く故郷から離れて東京で暮らす彼を実の息子のようにかわいがった。
それでよく自宅に招いては飯を食わせてやったわけだが、まさかそれが宏太と娘の馴れ初めになるとは、このときの荘輔は思いもしなかった。
2人から交際を認めてほしいと言われたのは3年前、里香が大学に入ってすぐのこと。
アメリカで暮らしていた頃から野球をプレーし、日本に戻ってからも女子野球部に入っていた里香。
宏太とは選手目線で話が合うようで、実際には以前からお互い憎からず思っていたが、高校生に手を出すのはさすがに……と思ったのか、里香が大学に入るのを待っていたらしい。
その話を聞いた荘輔は、やっちまったと若干後悔したが、そこは人の親。娘を幸せにできない奴には渡せんと発破をかけたら、そこからピッチャーの勲章とも言える沢村賞を2年連続で獲得し、名実共に押しも押されぬ日本の大エースに成長してしまったから、もう認めないわけにはいかなくなった。
そして、里香の大学卒業を機に今シーズンオフ、ポスティングシステムを使ってメジャーリーグへ挑戦、2人で渡米することが決定事項になっていたのだ。
「お前ら、あっちに行ってもゴシップには気をつけろよ。さすがにもう尻拭いは出来ねえからな」
「ウッス」
どういうことかと言うと、実は荘輔のゴシップ記事があったあの日よりも前から、宏太が付け狙われていたのだ。
もちろん狙いは宏太の女性関係。日本野球の若きエースのロマンスとなれば、ゴシップとしては上々のネタである。
2人とも成人だし、親公認ともなれば隠す必要も無いのだが、ちょっとでも成績が落ちると、したり顔で「女に現を抜かすから」などと言い出す輩がごまんといることを荘輔はよく知っている。
その標的として自分の娘が狙われるとなれば、親としてはどうにかしてやりたい。せめてメジャーに行くまでは喧騒とは無縁で過ごさせてやりたいと考えた結果、しばらくは自分が囮になろうと宏太と里香の逢瀬にお父さんがお邪魔することになったのだ。
「女将さんには世話になりましたね」
「ああ、あの女将は俺が若い頃からの縁だからね」
あの日、料亭では荘輔と里香、そして宏太の3人で酒を酌み交わしていた。
そしてしばらくすると、女将さんから見張られてるよと言付けがあったので、荘輔は一計を案じ、店の人に頼んで宏太を裏口からコソッと逃がすと、自身は娘と仲睦まじく堂々と表口から出てきた。
そこを撮られたのが例のゴシップであった。
「しかし里香が荘輔さんにあんなベッタリくっついてるのを見て驚きましたよ」
「私お父さん大好きだもん。あ、もしかして妬いた?」
「俺は今しかないからな。宏太はアメリカに行ってから好きなだけベタベタしてろ」
「ウッス。許可いただきました!」
わざわざそれっぽく見せるため、里香が父にしなだれかかるように仕組んだのだが、娘もノリノリでやったものだから、知らない人が見れば不倫とかそういう類いの見事なフェイク写真が仕上がったわけだ。
「しかし上手くいくもんなんですね」
「あの料亭は格式高い分、馴染みの客は大事にする。信用問題になるから、客に不利な証言なんかしないさ」
写真をネタに、きっと記者は裏付けを取るため料亭に聞き込みをするはず。そのときにどっちとも取れる曖昧な返答をしてくれるはずだと見込んで、荘輔はあの店を選んだのだ。
「それも見越してあの店を?」
「宏太、よく覚えておけ。野球選手だって、いや、野球選手だからこそコッチも大事だぞ」
「あら、じゃあ次はどうするのかしら?」
そう言って自慢気に自身の頭をチョンチョンと指差す荘輔の後ろから、追加の料理を持ってきた妻が夫の言葉を茶化しに入った。
「あの週刊誌しつこいからまた来るんじゃない?」
「そうだな。どうするかな」
「今度は私も一緒に行こうか」
「お前が?」
「そうそう。で、私とアナタで店を出て写真取られるのよ。『伊勢原荘輔、夜の銀座で美魔女と密会!』ってね」
……美魔女? 誰とは言わないが、変な空気が部屋を覆う。
「ねぇ、何? みんなして同じ顔しないでよ」
「美魔女……ねぇ」
「自分は綺麗だと思いますよ。ハイ」
「でも自分で言うかな〜」
「ちょっと! みんなして酷くない?」
今日も伊勢原家の食卓は笑いが絶えない。




