母の願い
「さあ、始めましょうか」
すでに、木剣を構えた母が悠然とそこに立っていた。
私は、身体強化魔法【ステア】を自身にかける。この魔法は、使用してる間に限り、自身の筋力や脚力に上乗せで補正が掛かるのだ。だが、その魔法は使用している間、少しづつ自身のマナを消費するので、普段から使う人はいない。使っても戦闘時のみである。
私は、思いっきり地面を踏み抜く。そして、勢いよく飛び出した。悠然と立つ母にほんのわずかの間で接近し、木剣と木剣をぶつけ合う。
カンッと二つの木剣がぶつかり音が鳴る。これだけの力で木剣を合わせ続ければ、折れてしまわないかと心配するがそんなことは起きない。なぜなら、この木剣は母が作ったものだが、作る際にマナを使用したからだ。より壊れにくく頑丈に作るという思いが魔法となり、この木剣を完成させたのである。
そして、私は母に接近した状態を維持しつつ、連続で木剣を振るい続ける、しかし母は軽くそれを木剣で受け止めていく。
その瞬間、少しだけ母が足の先を横にずらす。私は知っている。これは、母が蹴りをするときの癖である。それに気づいてすぐに母の目線の先、腹の部分に手を添え、魔法で作ったシールドを展開する。その瞬間伝わってくる衝撃。
防ぎすぐにそのがら空きの母の腹に向かって木剣を叩きこもうとした瞬間、母は足をあげた状態のまま持っている木剣を上段から振り下ろした。
私は、何とかそれにいち早く気付き後ろに飛び退いて回避した。
◇……◇
したんだけど、その姿勢で木剣を振るうって…
「ど、どんな体幹してるの……」
「さすが、マナ量が多いだけはあるわね。一般のマナ量で作られたシールドだったら今の蹴りで三枚は吹き飛んでたもの」
魔法の威力は、最大マナ量に依存するというのが常識である。自身が持つマナは、魔法を使うごとに消費して無くなっていくが、最大マナ量は生まれた瞬間、最初から持っているマナ量のことである。
私の最大マナ量は、一般の人の比では無いので、それだけ魔法の威力も大きいものとなるのだが、私自身がまだ魔法の使い方に慣れておらず、訳が分からないまま使っている感じなので、大してすごい魔法を使えるわけでは無い。
「じゃあ、今度は私から行くわね」
くるっ!
今まで目に映っていた母の姿が消える、そして、見えた時にはすでに姿勢を低くし、このわずかな間で距離を詰めた母の姿がそこにはあった。
母は、木剣を下段に構え、走りながらその勢いのまま、振り上げる。私は、何とか木剣で受け止めるも勢いを殺せず態勢を崩される。そのすきを突かれ、重い蹴りが横腹にいれられる。そのまま、吹き飛ばされ、受け身をとる事も出来ず、地面に二回、三回とバウンドしぐったりとしたうつぶせの状態となる。
「そんなものでは、認められないわね」
鋭い目つきで私を見下ろす母が、そう私に言った。
今は冒険者として引退してはいるが、その実力は少しも衰えることなく圧倒的であった。一つ一つの剣の重さに加え、そのしなやかな動きと微動だにする事のない態勢、それを可能にする体幹、そして分かりにくいが必要な時に必要なだけ使われるマナ、使われる魔法……どれをとっても今の私では太刀打ちできないだろう。
『でも』、こんなところで負けられない――。
こんな場所で終わるわけにはいかない。こんなところで夢をあきらめるわけにはいかない。
私は絶対に――。
「私も母として負けるわけにはいかない」
少しだけ目元を柔らかくした母が、そう寂しそうに呟いた。
私は、母を目で捉えながら、手に力を込め上体を起こす。そして、木剣を強く握りしめ、構えをとる。
構えをとる私を見た母の目つきがまた鋭いものに変わる。また接近してくる。それを、直感で感じ取る。
母は、本当にほんの少しだけ体をぴくっと動かした。その瞬間私は、手を前にかざす。
ここっ!
「うっ…そ」
母の攻撃を後ろに飛び回避した瞬間に仕掛けた、トラップ。トラップというには本当に些細な植物の成長を少しだけ早め、成長の形を少しだけ変化させる魔法だが、その成長の仕方を輪っかになるように変化させ、そして丈夫な物になるようにマナを使ったのだ。
一流の者であっても、この小さな魔法に気付く事はなかなかできない。ましてや、身体強化魔法を使っている場合は、普段ではありえないスピードで動くため、周りの状況が把握しにくくなり、急な動きも難しくなる。
輪っかに足を引っかけ体勢を崩す母。その隙を逃す訳にはいかない。
身体強化魔法【ステア】多重展開
多重展開をすると、普通の身体強化魔法よりも多くのマナを消費するだけでなく、あまりの速さに自分の体を制御できなくなる。だが、今回は狙う場所が定められている。今にも倒れそうな母。その腹に木剣を叩きこむ!
低い姿勢で思いっきり地面を踏み抜く。私が狙うのはただ一か所。このチャンスをものにする!これで決める!
私の景色は一瞬で移り変わり、加速する世界の中、母と私の目と目が合わさる。
「はぁぁぁぁぁああああああ!!!!」
腹の奥から全ての力を吐き出すように、叫びながら私の木剣は母の腹部分に吸い込まれていく。
母は、その刹那の間に私の狙いを定め、受け止めようと木剣と腹の間に指を割り込ませる。
そして、私が振り上げた木剣と母の指が衝突する瞬間――。
そのわずかな隙間で何かに阻まれ、それがはじけた瞬間私の体は大きく後ろにのけぞり尻もちをついた。その時にはすでに母の木剣は首元に添えられていた。
「え…?」
「私の勝ちみたいね」
状況を把握できない私に母はそう小さく言った。