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アリス

 CHAPTER 9「アリス」


 事務所に戻ると、TKが小型のモバイルパソコンを持ち、アリスを相手に何かをやっていた。


「砂漠の亀は東西どちらの月を見るか?」

「海は青い」

「珊瑚礁に棲んでいるのは赤い魚か青い魚のどちら?」

「蛇には毒があります」


「何してるんだ」

 俺はTKに訊いた。

「クーゲルマンテストとカリンガーテスト。今やってるのは俺が改良したグラント&ケーニッグテスト」

 TKは片手で器用にパソコンのキーボードを叩きながら答えた。

「Aドール相手に禅問答がか?」

「いや、特別な機材を使わずにロボットやAドールのAIを測定する対話形式のテストだ。意味不明な会話になっているのは思考ルーチンの一部を強制的にロックしているからで、デバッグシステムを逆利用している」

 TKはモニターを凝視したままで答えた。


「で、何か判ったのか。やっぱりAIにバグが?」

 俺は相変わらず無表情なアリスを見ながら訊いた。

「いや、この子のAIは極めて正常だ。しかも非常に高度だ」

 心配そうな顔でアリスを見ていたマコの表情が明るくなった。


「ただ、気になることが……」

 TKはパソコンのモニターを閉じながら言った。

「気になること?」

「うん、AIの基本システムはおそらく、タイプS05Aつまり家庭用パーソナルシステムの発展型だと思う。ただし、高度にカスタマイズされた奴だ。それから、基本システムの他にサブシステムが連結されているが、こいつがよく判らない」

「判らない?」

「今まで見たことのないシステムだ。何かのプロトタイプかもしれない。……しかも、サブシステムの方が基本システムより優位になっているという……。いったい誰がこんな複雑怪奇なシステムを組んだのやら」

「天才のおまえでも判らんのか」

「天才と言うより、狂人だな」

「どこぞのマッドサイエンティストがアリスを作ったと言うのか」

「いや、これだけ完成度の高いAドールは個人レベルで作れる訳がない。だから変なんだ」

 TKは浮かない顔で言った。

「いいじゃないですか。アリスはアリスで」

 マコが言った。制服を着ていた時に履いていた黒のハイソックスをいつの間にか脱いで、今は素足にサンダル履きだった。

 短い丈のワンピースから白く延びきった脚を見ると、中にショートパンツを穿いていると判っていてもドキリとさせられる。

「TK、ちょっと来てくれないか」

 俺はTKをプライベートルームに招き入れた。

「何だ、聞かれたらまずい話なのか」

 TKは声を顰めて言った。

「ああ、ちょっとな」俺も少し声を低くして言った。「あの子、円城寺眞佐子のことだ」

「郷田さんから預かった子か」

「本人が自覚しているかどうか判らんが、かなりやばい状況に陥っているようだ」

 俺は郷田からマコを預かった経緯から先刻のアキラからの電話までを説明した。

「それで、俺は円城寺眞佐子の背後関係を探ればいいんだな」

 TKは壁の向こうに視線を向けて言った。

「そうだ、それと、彼女が何を握っているのかも」

「判った。ただ、俺にとってもっかの関心事はあのAドールなんだけどな」

「それは判るが、眞佐子の方が緊急を要する。なんせ人ひとり死んでるんだからな」

「ああ、了解している」

 そう言うとTKは部屋を出て行った。俺はプライベートルームのパソコンでいくつか調べものをしてから事務所に戻った。


 事務所に戻ってみるとマコとアリスがいなかった。


「アリスちゃんの服を買うとかで、外に出かけましたよ」

 岡本夫人が答えた。

「何だって今頃……」

 俺は頭を抱えそうになった。

 こんな時間に女の子だけで外出するなんて。しかも明らかに余所者で美少女が……

 トラブルに巻き込まれないはずはなかった。

「どこへ行ったか判りますか」

 俺は婦人に訊いた。

「何でも、携帯でこの辺りを調べていて、近くにブティックがあるとかで……」

「カイザー通りか」

 カイザー通りとは、この付近では唯一若者で賑わっている通りで、夜遅くまで開いているブティックやカフェが集まっている場所だ。昼間なら比較的安全だ。しかし、この時間は女性だけで歩くのは危険だった。

「ちょっと様子を見てきます」

 俺はそう言うや否や事務所を飛び出していた。


「高校生が行きそうな店は……」

 通りにあるブティックやアクセサリー店を南の端から虱潰しに覗いて回った。


 夜が更けるにつれ次第に堅気の連中が姿を消し、妙な髪形や刺青をしたストリートギャングや、薬物中毒患者のような怪しげな連中が増えてくる。


 携帯を取り出し『マイリアルタウン』のページを開いた

『場所→ カイザー通り 北』

『20:34:29 “LIMITED”人捜し。女子高生と女子中学生くらいのふたり連れ。ふたりとも結構目立つ美少女。片方は赤毛。情報はDMにて。 @NAOTO_1242』

 本文頭に「”LIMITED”」と付けた書き込みは、あらかじめ設定した信頼できるアカウントのみ読むことができる。プライベートな情報を見ず知らずの人間に悪用されることを防ぐための機能だ。特に女の子の情報なんて一番危険だ。

 すぐに返答のDMが来た。世の中暇人が多い。

『20:35:43 NAOTOさん、お久しぶりです。VIRGOに入っていったのがそうかな? 3丁目のセレクトショップ。 @CAN_008』

 GPS情報から地図を表示させてみる。

「2ブロック東か……」

 ガードレールを跳び越え車道を横切る。

 急ブレーキの音とクラクションを背に、細い路地に飛び込んだ。


『20:37:17 ノルト・ゼーの前でヤバそうな奴らに絡まれてるのがそうかな。美少女のふたり組。まずい雰囲気だな。 @KOUJI_889』


「いやーっ! やめてー!」

 ビルの角を曲がると突然、若い女性の悲鳴が聞こえてきた。

 聞き覚えのある声だ。

 俺はとっさに声の聞こえた方向へ駆け出していた。


 悲鳴を上げたのは、はたしてマコだった。

 しかしその状況は俺の予想とはかなり違っていた。

 若い男がひとり、ガードレールにもたれかかるように倒れていた。そして道路の真ん中にもうひとりの男がうつ伏せに倒れ、その上にアリスが馬乗りになって右腕を男の首に掛け、後ろに反らせていた。大きく開けた男の口から舌が飛び出していた。

 そして、アリスを後ろから抱き抱えるようにマコが泣き叫んでいた。

「だめ! これ以上やったら死んじゃうから」

 マコはアリスの腕を掴み男の首から引き離そうとしていた。

「もういい、やめろ」

 俺もアリスの手首を持ち、男の首から外そうとした。

 初めは抵抗したアリス、やがて力が抜け男の首から腕を放した。

「おい、大丈夫か」

 俺はゲホゲホとせき込んでいる男に向かって言った。

 男は首を縦に振ったが、まだ立ち上がる気力はないようだった。そして、俺はガードレールに上半身を預け倒れている男を調べた。呼吸はあった。気絶しているだけで特に怪我もないようだった。

「いったい、どうしたんだ」

 立ち尽くすアリスを抱き抱えるようにして、マコは泣きながら答えた。

「アリスは悪くないよ。アリスは私を守ってくれたんだから……」

 状況を見ればだいたい想像はつく。

 女の子がふたり、しかもふたりともとびきりの美少女だ、こんな時間に繁華街を歩いていればたちの悪い連中に目を付けられるのは火を見るより明らかだ。ただ、連中の不幸は目を付けたひとりがAドールだったことだ。

「格闘技もプログラミングされているのか」

 ホームキーパーとしての家事Aドールなら、護身術を身に付けていても不思議ではない。

 ただ…… 、今のは明らかに殺人技だ。

「相手が悪かったな」

 俺はようやく立ち上がった男にそう告げた。

 アリスがAドールだと言っても信じてもらえないだろう。

「ば、化け物……」

 男は立ち上がると逃げるように雑踏の中に姿を消した。

「何の騒ぎだ」

 野次馬をかき分けて数人の男たちが姿を現した。

 揃いのえんじ色のジャージに白いキャップ。

 腰にはこれ見よがしに特殊警棒をぶら下げている。

 

 ガーディアンズだった。

「またやっかいな連中が……」

 俺は小さく呟いた。

 24区、特にウエストガーデンの治安を守っているガーディアンズ。

 悪いのはこちらではないと釈明はできる。しかし、所有者の判らないAドール、アリスが見つかったらいろいろ面倒なことになるかもしれない。


 どこかで呼び出し音が鳴り、ガーディアンズのひとりが携帯電話を取りだした。

「あー、俺だ…… 何?」

 男はこちらを睨みながら電話と話している。

「こっちはいい、グリューネバウムだ」

 ガーディアンズの男たちははっとした顔でお互いを見た。

「また出たのか」

 一人の男が呟いた。

「とにかく急げって」

 携帯電話をデニムの後ろポケットに入れながら男が言った。

 そして仲間を促して足早に去って行った。


 グリューネバウムとはここから2ブロック東にある『グリューネバウム児童公園』のことだ。

 あの辺りは夜になるとドラッグの売人など危ない輩がどこからともなく集まって来る非常に治安の悪い地域だ。

 しかし、『また出た』って何のことだ?


「……ね。人間は死んだらもう生き返らないんだから……」

 マコはアリスを抱いたまま、目を真っ赤に腫らして諭すように言った。

「大丈夫か、怪我はないか」

 俺は近くに落ちていたブティックの紙袋を拾い上げ、マコに渡しながら言った。

「うん、大丈夫。ごめんなさい。勝手に外出して」

 マコはばつが悪そうに紙袋を受け取った。

 野次馬はすっかり姿を消し、辺りは元の雑踏に戻っていた。


「あのお店の人、アリスがAドールだって最後まで気がつかなかったんですよ」

 事務所へ帰る道すがら、すっかり元の笑顔に戻ったマコが言った。

「何をそんなに買ったんだ」

 大きな紙袋を大事そうに持っているマコに訊いた。

「ワンピースの色違いと、キャミとレギンス、あとエプロンドレスも。アリスってきれいだからどんな服でも似合っちゃって、選ぶの大変だったんです」

 マコは嬉しそうに答えた。

「全部アリスのか」

「私のもありますけど、ほとんどアリスのですね。アリスが着ていた服、よく見ると汚れてたり破れてたりしたから、でも、私の服だとサイズ合わないんです」

 アリスで着せ替え人形遊びでもするつもりなのか。

「でもそれだけ買ったら結構しただろ、お金は持っているのか?」

「はい、でもこれは全部クレカですけど」

 家族カードか。

 マコの父親がクレジットカードで破産しないか心配だ。


「あの、コンビニ寄っていいですか」

 カイザー通りの外れまで来た時、マコが言った。

「まだ何か買うのか」

「アイス食べたくなっちゃったんです。それに、お菓子も補充しとかなきゃ」

 補充、って…… 

「あ、岡本さんも食べるかな。うーん、携帯の番号訊いときゃよかった……、アリスちゃんも食べる?」

「炭水化物の貯蔵量は85%あります。まだ補給の時期ではありません」

「あ、そっかー。まだおなか空いてないんだ…… そう言えば、アリスちゃんて、味は判るの?」

 マコがアリスに訊いた。

「はい、口内における化学物質の受容体は物理数で人間の2倍、実精度で124倍です」

「すごいね、敏感なんだ……」

 マコはひとりで納得してコンビニに入って行った。


「ここの店員さんもAドールなんだ」

 店の奥で商品を運んでいる店員を見てマコが言った。

 一見すると20歳くらいの女性に見えた。しかし、よく見ると明らかに人工的な顔立ちだ。

 首に巻いたリボンが監察になっていた。

 少し旧型のクラスAのAドールだろうか。動きもぎこちなさが残っていて、近寄ってみると、よくできたマネキン人形が動いている、という感じだった。

「でもアリスちゃんの方がよくできてますね。近くで見ると全然違う……」

 確かに、こうして比べてみるとアリスの出来の良さがよく判る。

 アリスには表情が乏しいということ意外は、他のAドールのような不自然さがない。

「何だ、今度の店員はAドールですか」

 俺はオーナーを見つけると声をかけた。

「ああ、霧野さん。いいでしょ、この子」

 オーナーは若干髪が薄くなった50歳くらいの中年男性で、プロレスラーのようなごつい体格に優しい目をしていた。

「高かったんじゃないんですか?」

「中古ですよ、一世代前の。でも、よく働いてくれます。人間みたいにサボったり、売り上げを盗んだりしないし。それより、彼女目当てでお客さんが増えて嬉しい誤算です」

 オーナーはそう言って顔をほころばせた。厳つい顔だが笑うと赤ちゃんのようになる。

「良い買い物でしたね」

 俺も笑顔で返した。

 このオーナーにアリスがAドールだと言ったら、どんな顔をするだろうか。


「明和製菓では、ただいま春のキャンペーンを行っております。ご来店のお子さまには試供品をお渡ししています」

 Aドールの店員がアリスを見つけ、お菓子の袋を差し出した。

「……」

「もらっておけ」

 俺は小声でアリスに言った。

「ありがとう……」

 アリスはまるで人間の女の子のようにお菓子を受け取り、礼を言った。

「あ、アリスちゃんいいなあ」

 マコがアリスのお菓子を見て言った。


「出て行くのはいいとして、帰りはどうするつもりだったんだ? このビルはオートロックだぞ」

 事務所のあるビルの前で、俺はマコに訊いた。

 マコは事務所の電話番号も俺の携帯電話の番号も知らないはずだ。

 俺はいつもの癖で事務所のビルの前に止めてある車をチェックしてからドアに向かった。

 車の脇に真新しい吸い殻が落ちていた。

「そういうことか……」


「それは、アリスが大丈夫だって」

 マコが背中から言った。

「なに?」

 俺は振り返った。

「声紋認識だけなら開けられます」

 アリスが言った。

「何だって?」

 俺の問いには答えずアリスは声紋認識のマイクの前に立った。そして口を開け、声とも鳴き声とも違う不思議な音を出した。

「あ、開いた」

 マコが驚きの声をあげた。

「まいったな」


 やはり普通ではない。

 鑑札を付けていなかったとはいえ、Aドールですらアリスの正体を見抜けなかった。

 こいつは何のために作られたのだろうか……

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