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尋ね人

 CHAPTER 07「尋ね人」


 俺の事務所は古い雑居ビルの5階にある。

 5階には事務所と住居、それから依頼人を匿うための秘密の部屋があった。

 その他には、どこかの会社が倉庫代わりに借りている部屋がひとつあるだけだ。

 ビルの前の消火栓と『駐車禁止』の標識の間が俺の駐車スペースだ。

 たとえ火事が起こってもこの街には消防車なんてやってこないし、臨海通りを除けば全て道交法の及ばない私道だ。

 この街で、道路標識なんて何の意味もなかった。

 声紋照合でオートロックの扉を開け、エレベーター・ホールへ、その途中で郵便受けを調べた。出張風俗と闇金、それからいくつかの請求書が入っていたので、請求書だけ取り出してジャケットの内ポケットに入れた。

 オイルの匂いがするエレベーターを降り、事務所の扉を開けた。

 雑然としたいつのも光景が目に入ってきた。

 とりあえずソファの上に置きっぱなしになっていた洗濯物やらその他のガラクタを、手近な段ボール箱に放り込むとキャビネットの上に放り投げた。

「汚いところだけど…… 。今週はまだ掃除の業者が来てないんだ」

 これは嘘だ。掃除業者なんてここ何年も頼んだことはない。

 Aドールを除いたふたりは少し戸惑っていた。

 俺はふたりを中央のソファへ促した。

「コーヒーしか出せないけど、いいかな」

 俺は壁際のコーヒーサーバーの残量を確かめながら言った。

 幸い、朝忘れずにセットしておいたおかげで中のコーヒーはほぼ満タンだった。

「はい、おかまいなく」

 婦人が答えた。

「私も、ミルク多めで。アリスちゃんは…… 飲まないか」

 マコは立ったままのアリスを自分の隣に座らせながら言った。

「炭水化物はまだ十分な貯蔵料がありますので、私は結構です」

「え、アリスちゃん食事するの?」

 マコは驚きの表情で言った。

「はい、1日あたり400カロリー補給すれば連続稼動状態を維持できます」

 アリスが答えた。AAA(トリプルエー)クラスの中でも最高級のAドールは、人間と同じように炭水化物を摂取し、それをエネルギー源とするものもある、と聞いたことがある。

「400カロリーというと、チョコレート1枚分くらいか、ずいぶん効率良いんだな」

「チョコなら私持ってるから、おなか空いたら言ってね」

 マコが言った。

「脂質が多いとエネルギーの変換効率が下がります。できればブドウ糖に近い食物があると助かります」

「なんだ、アリスちゃん、チョコは嫌いなんだ」

 マコは少しがっかりした様子だった。

「私には食べ物の好き嫌いはありません。重要なのは変換効率だけです」

「じゃあ、アルコールはどうなんだ。効率は良いんじゃないのか」

 俺が訊いた。

「アルコールの分解には多量の水が必要となります。体内の水分が不足すると一部機能低下を起こす可能性があるので通常では摂取対象外です」

「もしかして、Aドールも酔っ払うのか」

 俺は感心して言った。

「だめですよ、子供にお酒飲ませちゃ。お酒は20歳からです」

 マコは怒ったような口振りで言った。

 いや、飲ませないし。Aドールは年齢関係ないし。

「本当に人間そっくりなんですね」

 マコと俺とアリスのやり取りを見ていた岡本夫人が言った。

「そう言えば、息子さんを捜していると仰ってましたよね。詳しい話をお聞かせいただけませんか」

 俺は婦人に言った。

「よろしいのですか。お願いしても」

 婦人は懇願するような表情で答えた。

「信用できる仲間に成功報酬で探させます。なるべく詳しい特徴を教えてくださればそれだけ成功率が上がります」

 俺はコーヒーカップとメモ帳を持ってソファに腰掛けた。ちょうどマコとアリスの向かいの席だ。マコは興味深そうにこちらを伺っている。


「まず、年齢から」

 俺は切り出した。

「2月生まれだから今年で26歳になります」

 婦人は真剣な面もちで答えた。

「身体的特徴は」

「もう20年以上前に別れたので、身長などは判りませんが、左肩から後ろ側の肩胛骨の辺りにかけて古い火傷の痕があります、確か、3歳の時に、近所の友達と子供たちだけで花火をした時にふざけて火傷を負ったのです。なにしろ、あの子が5歳になる前に別れたままなので、それ以上のことは……」

 婦人は目を伏せた。

「そうですか…… とりあえず、判っている情報で捜索を依頼してみます。もしも、他に思い出したらまた仰ってください」

 俺はメモを持って立ち上がろうとした。

「あの」婦人が呼び止めた。「まだ名前を言ってなかったような気がしますが……」

「あ、そうでしたね。いけないいけない、今日はいろいろあって疲れてるみたいだ」

 俺は苦笑いしながらソファに座りなおした。


「名前は、北条孝夫。まだ私の旧姓を使っていれば、ですが」

 婦人は心なしか沈んだ声で言った。

「北条孝夫、ですね。ただ、この街の人間は偽名を使っている者が少なくないんで、どの程度手がかりになるか判りませんが」

「別れた場所は名古屋の施設で、確か、天白区の愛信児童館という児童施設です」

「名古屋の愛信児童館ですね」

「ええ、愛情の愛と信じるの信と書いて、愛信児童館です。ここは今から10年前に閉鎖されています」

「他には何か」

 婦人は俺の問いには答えず、下を向いて黙ってしまった。


「恨んでいるでしょうね……」しばらくの沈黙の後、婦人が絞り出すような声で言った。「私はあの子を裏切ったのです。自分の幸せのために、あの子を捨てたのですから……」

「どうして? 自分の子供なのに」

 黙って見ていたマコが思わず口を挟んだ。

「その息子というのは、私が結婚する以前に、当時の恋人との間にできた子供なんです。その恋人とは結婚の約束までした間柄だったのですが、彼の家族に猛反対され、私たちは駆け落ち同然に東京を離れ、名古屋で同棲生活をしていました。1年後には息子の孝夫が生まれ、私たちは正式に籍を入れる予定でした。ところが……」

 島岡夫人はここで言葉を斬り、目を瞑った。暫しの沈黙の後、再び話し始めた。

「ところが、入籍の直前、彼は交通事故で亡くなってしまったのです。あの子が1歳になる前でした。未婚の母となった私は、ひとりで息子を育てながら地元で働いていました。そして孝夫が4歳になった頃、勤めていた会社の同僚からプロポーズされたのです。彼は東京本社への栄転が決まっており、それを期に私に結婚を申し込んだのだと言っていました。ところが当時、会社には息子がいることを隠していたので、当然、彼も息子のことを知らなかったんです」

「それって……」

 マコが少し不安げな表情で婦人に視線を送った。

「あの時の私はどうかしていたのですね。子供がいると知られると婚約解消されるのではないかと、勝手に思いこんで、息子を地元の施設に置き去りにしたまま、婚約者と東京へ出てきてしまったのです」

 婦人は白いハンカチを取り出し、過去を悔いるかのように涙を拭った。

「今となっては言い訳にもなりませんが、本当に、いつかは孝夫を迎えに行くつもりだったんです。ところが気が付けば結婚生活は10年を過ぎ、その間に孝夫を預けた愛信児童館は閉鎖され、息子を捜す手がかりが無くなってしまったんです」

「それじゃ、なぜ、今になって息子さんを探そうと思ったのですか?」

「それは、…… 、息子を捨てた天罰なのでしょう。私たち夫婦には子供ができませんでした。そして夫は2年前、ガンで亡くなりました」

「そんな……」

 マコが涙を拭った。婦人の辛い告白に感情移入してしまったようだ。

「1年前、ひとりになってしまった私の元へ、谷崎家から連絡がありました。谷崎というのは孝夫の父親、谷崎史郎の実家です」

 谷崎……

 谷崎って、あの谷崎なのか?

 俺の知っている谷崎家は、旧財閥系コンマグリッドのオーナー・ファミリーで、日本で五本の指に入る資産家の家系だ。

「今の谷崎家には現在、子供がいないため、後継者が不在なのです。谷崎家は独自のルートで私と駆け落ちした次男の史郎に息子がいたことを突き止めたました。そして、唯一、谷崎家の血を引く孝夫を捜し出すために私に接触したのです」

「そうだったんですか…… 、でも、何故お独りで? 谷崎家は何をしてるんですか?」

「谷崎家は谷崎家の方で独自に捜索していると思います。私は…… ただ、孝夫に謝りたくて…… 谷崎家とは別に、捜し始めたのです」

「……何故、『24区』に? 何か情報でもあったんですか?」

「捜し始めたのは半年前ですが、なかなか情報は集まりませんでした。しかし、最近になってこの『24区』で息子らしき人がいるという情報が入って、居ても立ってもいられなくなった私は…… でも許してはくれないでしょうね……」

 婦人は嗚咽を堪え、両手で顔を覆った。

「本人は以外とサバサバしてるかもしれませんよ」

 俺は婦人がこれ以上落ち込まないように、少しフォローしてみた。しかし、婦人はまだ顔を上げなかった。あまり効果はなかったようだ。


「直人さん、て、年いくつなんですか?」

 突然、マコが訊いてきた。

「30…… 、34だけど」

 俺が答えるとマコは意外そうな顔で言った。

「えーっ、もっと若いと思ってました。そうか、もう34なんだ。34ねえ……」

 どうせマコから見れば俺は立派なおっさんだ。

「でも安心して。ギリ、範囲内だから」

 範囲内って、何の範囲なんだ?


「あの、おなか空きませんか」俺は場の空気を変えようとして、みんなに提案した。「と言ってもこの辺りにはろくなレストランがないんで、デリバリーになりますけど」

 この事務所のある界隈には汚い飲み屋兼定食か立ち食いそば屋くらいしかない。

「デリバリーって何があるんですか?」

 マコが訊いた。

「ピザか中華、そば屋もあるけどあまり旨くない」

 俺はデスクの上の書類フォルダーから、メニューを引っ張り出しながら答えた。

「私はピザがいいかな、おばさんは?」

 マコが婦人に話しかけた。

「私も、ピザでいいですよ」

 婦人は顔を上げて答えた。先ほどより少し落ち着いたようだった。

「じゃあ、決まりね。私はアンチョビ以外なら何でもいいです」

 俺は書類の束からピザ屋のメニューを抜き出すと受話器を取った。

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