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婦人と少女

 CHAPTER 05「婦人と少女」


 ゲートを抜けると、車窓にはウエストガーデンのいつもの風景が広がっていた。

 相変わらずくたびれた街並みだった。

 華やかなミッドタウンから戻ると特にそう感じる。


「あれ、私を狙ったんですよね……」

 しばらく無言だったマコが、呟くように言った。

 俺も同じことを考えていた。

 郷田が誰かに恨まれるようなことをしていないとも限らなかった。しかし、このタイミングで起こったことを考えれば、マコを狙ったと考えるのが普通だった。

「とりあえず、事務所に戻ってから考えよう。もっと情報が必要だ」

 彼女は無言で頷いた。

「君が罪の意識を感じることはない。俺たちみたいな商売は危険が付き物だからね。郷田もリスクは承知していたはずだ」

 マコは下を向いたまま黙っていた。

「俺ができることは君を安全に保護することだ、それが郷田に対する俺の誠意だ」


 車はメインストリートである臨海通りから、ゴミゴミした住宅街へ入った。俺の住居兼事務所は住宅街と工業区域の中間にある雑居ビルに入っている。

「こっちの方は、初めてだろ」

 俺は様変わりした周囲の風景に目を見開いて驚いているマコを横目で見ながら言った。

「日本じゃないみたいです」

 マコは落書きだらけの壁や、廃墟のような高層アパートを眺めながら答えた。

 実際、ウエストガーデンは、アメリカのブルックリンやシカゴのようなダウンタウンを参考にデザインされている。

 皮肉にも、スラム化によってますます本家とそっくりな様子になってしまった訳だ。

「だいぶ汚いだろう」

 マコはそれには答えず、セカンドバッグの中からカメラを取り出し風景を写し始めた。

 カメラ? 今時スマートフォンではなくて。

「カメラは出しっぱなしにするな。それから、人間は撮るなよ、トラブルの元になる」

 山の手のお嬢様が珍しがって写真を撮りたい気持ちは判る。しかし、ここは普通の日本の街ではないのだ。

 この街には『訳あり』の人間がゴマンといるのだ。

 当然、大抵の連中は写真に撮られることを嫌う。

「は、はい」

 マコは慌ててカメラを降ろした。

「そのカメラ……」

 俺はマコのカメラが普通のデジタルカメラではないことに気づいた。

「これですか。これ、フィルムカメラなんです」

 マコはカメラの裏側を俺の方に向けた。そのカメラの裏蓋にはデジタルカメラなら当然あるはずの液晶画面がなかった。

「今時珍しいな」

「少し前まで、デジカメ使っていたんですけど、うっかり大事なデータを消去しちゃって、それ以来フィルムのカメラを使ってるんです」

 マコがカメラを操作すると、レンズ部分が引っ込んでカメラの横幅が半分くらいに縮んだ。

「でも、不便じゃないのか。撮影失敗しても現像から上がってくるまで解らないし」

「そんなことないですよ。最近のカメラってオートで撮ればほとんど失敗しないし。現像してできあがった写真を見るまでの楽しみはデジカメじゃ味わえません。それにカラーネガフィルムの情報量って単位面積あたりではデジカメより多くてラティチュードも広いし、って、全部父の受け売りですけど」

 マコはカメラをバッグに仕舞いながら言った。

「そんなもんなのか……」

「本当はフィルムのカメラって父の趣味なんです。古いカメラが好きで、家には大判カメラとか、8ミリフィルムとか……」

 父親の話になり、マコは何かを思い出したのか目を伏せた。


「本当に治安悪そうですね。この辺り」

 車は住宅街を抜け工業区域にさしかかっていた。

 そろそろ日が傾いてきた。

「昼間はそれほどでもないんだけどね」

 俺は注意深く車を進めた、この辺りの道路はマンホールや側溝の蓋が外れていたり、腐食して脆くなっていたりして脱輪する車が後を絶たない。

「危険な場所さえ判っていればそんなに怖いこともない。まあ、暗くなってからの女性のひとり歩きは危険だが、殺人やレイプが毎日起こっている訳じゃない」

「そうなんですか」マコは周囲を見渡しながら言った「この辺は大丈夫なんですね」

「いや…… 。この辺は一番危ないところだ」

 この辺りはウエストガーデンの中でも、最も危険な地域だ。

「さっき、おばさんが小さな女の子連れて歩いてましたよ」

 マコが左後方を振り返りながら言った。

「何だって?」

 この時間、本当にそんなふたり連れがいたらギャング連中のいいカモだ。

「どこで見たんだ」

 俺は車を止め、マコに向き直った。

「あそこの通り。赤いドアのある店の向こう」

 マコは20メートルほど後方のビルの向こうを指さした。

 俺は車をUターンさせると、マコの指さした通りへ向かった。

「あ、いたいた」

 マコが指さした方向に、確かに、中年の婦人と小学生くらいの女の子が仲良く手を繋いで歩いているのが見えた。

「この辺りの人間じゃないな」

 俺は婦人の服装を見てそう思った。

 婦人は高級そうな茶色のカジュアルスーツを着ていた。

 女の子は燃えるような赤毛のロングヘアで、シンプルな白いワンピース。

 そして、彼女の体格には不釣り合いなほど大きい、銀色に輝くスーツケース(サムソナイト)を引きずっていた。


 ふたりを一旦追い越してから車を止め、外に出た。

「失礼ですが、どちらへ」

 婦人は少し驚いた様子でこちらを向き、そしてすぐに上品な笑みを浮かべた。

 傍らの少女は表情の乏しい顔でこちらを伺っていた。

 とびきりの美少女だった。

 まるで人形のようだ……

 整いすぎた顔立ちに透き通るような白い肌、腰の辺りまで延びた髪。

 どうも親娘ではないようだ。

「すみませんが、この辺に、ホテルはありませんか」

 婦人が訊ねた。

「ホテル、ですか」

 やはり部外者だった。

 昔はこの街にも観光ホテルがあった。しかし、とっくの昔に潰れている。

 ウエストガーデンでホテルと言えば、臨海通りの裏にあるラブホテルか、工業地域にある労働者向けの安宿、そして今朝、俺が一仕事してきたような廃墟同然のビジネスホテルが数件あるだけだ。

 いずれにせよ、とてもこの婦人が泊まるような宿ではない。

 

「この辺りだと、ミッドタウンまで出なければ一般のホテルはありませんが……」

「そうなんですか…… 。今日はここで宿を取ろうと思ったのですが……」

 婦人は困った表情で答えた。

 タクシーを呼んだとしてもこの辺りは怖がって来てくれないだろうし、このふたりをこのまま放っておく訳にはいかない。

「安全な場所まで送りますよ、乗ってください」

「でも……」

 婦人は口ごもった。どこの馬の骨とも判らない男の車に、乗ってくださいと言われても警戒するのは当然の反応だ。

「大丈夫ですよ、おばさん」マコが車から降りて言った。「この人探偵さんだから、悪い人じゃないですよ」

 説得力あるんだかないんだか。

「ああ、そうなんですか」

 いや、そんなんで納得していいのか?

「本当に、この辺は治安が悪くて。日が落ちるとかなり危険なんです」

「それじゃ、お言葉に甘えて」

 婦人は少女の方を見た。

 少女は相変わらず無表情でスーツケースを抱えたまま立ち尽くしていた。

「後ろのハッチ開けますね」

 俺は一旦車まで戻り、荷物室のドアを開けた。

「あ、私がやってあげるね」

 大きなスーツケースを持ち上げ車に入れようとしている少女にマコが声をかけた。

「ひとりでできますから」

 初めて少女が口を開いた。感情のない声だった。

 少女は軽々とスーツケースを抱え上げ、荷物室へ入れた。

「それじゃ乗って」

 俺は車のエンジンを始動した。マコは助手席に、婦人と少女は後部座席に座った。

「この辺は公道じゃないんで、シートベルトはしなくてもいいですよ。すぐにそこですから」

 俺は後部座席でシートベルトを探している婦人に声をかけた。

 ウエストガーデンは臨海通りを除けば、ほぼ全域が企業の私有地である。

 ここでは道交法は適用されない。

 反面、この地域で事故を起こすと保険の支払いで揉めるトラブルも多かった。


 100メートルほど走ったところで車に軽いショックが伝わった。

 左前部がつんのめるように止まった。

「きゃっ」

 マコが小さな悲鳴を上げた。

「しまった」

 俺は急いで車を降りると車の前方へ向かった。

「どうしたんですか?」

 マコが助手席の窓から顔を出した。

「脱輪だ」

 ステーションワゴンの左前輪が側溝の蓋を踏み抜き、溝にはまっていた。

 蓋が錆びて弱くなっていたのだろう。

「まいったな」

「JAF呼ぶんですか?」

 と、マコ。

「ここじゃ呼んでも来ないよ」

 俺は苦い表情で答えた。

 この街にJAFなんて来ない。

 近くの工場からレッカー車を呼ばなければならない。

 ついてない。

 やはり仏滅だ。

「下がってください」

 少女がいつの間にか車から降り、俺の後ろに立っていた。

「え、何?」

 少女は俺を押し退けるように車に近づくと、シャーシの、ちょうどジャッキポイント辺りに片手を入れた。

「おい、そりゃ無理……」

 俺は少女の肩に手をかけようとした。

 少女は俺の言葉を無視し、そのまま車を持ち上げた。

「!」

 信じ難い光景だった。

 少女は苦もなく車の前部を持ち上げると、そのまま一メートルほど前進させ、地面に降ろした。脱輪したタイヤは完全にアスファルトの上に戻っていた。

「すごい」

 マコは車から降りて少女に駆け寄った。

 少女の手がオイルと泥で汚れているのを見ると、セカンドバッグからハンカチを取り出し、少女の手を拭いた。

「まさか、な」

 俺は少女の正体に思い当たるふしがあった。

 マコは少女の手を握ったまま俺の方を向いて言った。

「直人さん、この子、Aドールです」


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