東京24区
CHAPTER 02「東京24区」
道端の海に面した場所にステーションワゴンを停め、窓を開けた。
気持ちのよい潮風が運転席に吹き込んでくる。
『24区』の西の外れ、かつて中央防波堤と呼ばれた場所である。
白いコンクリートの堤防が今でも当時の面影を残していた。
朝の空は淡く青かった。
薄い雲の下を、貨物機が羽田空港に向かって高度を落としていく。
対岸に見えるのは、大型のクレーンが林立する大井埠頭のコンテナターミナルだ。
助手席の紙袋の中から紙コップのコーヒーとサンドウィッチを取り出す。
遅い昼食。
ここへ来るといつも感じる不思議な感覚がある。
『24区』から眺めた風景、僅か数キロ先の大井埠頭や羽田空港が同じ日本、同じ東京なのに、何故か遠い外国に思えるのだ。
携帯電話が鳴った。
液晶には知っている名前が表示されている。
郷田か……
郷田隼人。俺と同じく、この『24区』で探偵業を営んでいる。
『霧野か、俺だ』
いつもより余裕のない声だ。
「珍しいですね、こんな時間に。しかもだいぶ久しぶりで」
『ああ、ちょっと急ぎで頼まれて欲しい』
本当のことを言えば、今日は既に一仕事終えたので、後はゆっくりしていたかった。
しかし、『アランの店』で飲むにはまた陽が高すぎる。
「かまいませんよ、今日はもう店じまいしようと思ってましたから」
『助かる、今からミッドタウンまで出てきてくれないか。預かって欲しい物がある』
預かる?
いやな予感がした。
こういう場合の預かり物は、大抵がろくでもないものだ。
「預かって欲しいって……、物は何なんです?」
『……』
沈黙?
ますます怪しい。
「商売柄、お中元やクリスマスプレゼントの類じゃないことは解りますが、危ないものじゃないでしょうね。あと生ものも困ります。冷蔵庫に空きがないもんで」
『いや…… 、危ないものじゃないし、非合法って訳でもない』
って訳でもない?
微妙な表現だ。
「とりあえず、お話だけでも伺いましょう」
あまり気が進まなかった。しかし、ここでむげに断って、奴の心証を損なうのも得策とは言えなかった。この世界、持ちつ持たれつが原則だ。
『ありがとう、助かる。場所はブルーヒルズで、詳しい店の名前と場所はメールする』
あからさまにほっとした声だった。
『24区』は大きく三つの地域に分かれている。
中央部はミッドタウンと呼ばれる商業地区である。
ブルーヒルズと呼ばれる巨大な複合ビルを中心にして周囲をショッピングモールとオフィスビルが取り囲んでいる。
ブルーヒルズはミッドタウンの中心部に位置する地上百階、高さ五百メートルを超える巨大な建造物だ。
6棟のビルを正六角形に並べ、ビルの間を何層もの空中回廊で繋ぐことによって巨大な構造物を形成している。
ビルの中間部には空中庭園が浮かび、そこから下がショッピングモール、上層部がオフィス街である。
ミッドタウンの東、つまり千葉側は、高層マンションが立ち並ぶ高級住宅街である。
こちらも地上百階を超える超高層マンションが、競うように聳え立っている。
それがまるでひとつの巨大な塔に見えることから、一般に、タワービレッジという通称で呼ばれている。
郷田がオフィスを構えているのもこのタワービレッジだ。そして、金持ち、セレブ相手に優雅に稼いでいると聞く。
俺が郷田の頼みを断りきれなかったのも、やはり、金を持っている奴とのコネを大切にしたいという、貧乏根性からものだ。
このブルーヒルズとタワービレッジは、羽田空港へ離着陸する飛行機のための高さ制限をはるかに超えている。
『24区』の高層ビル群の建築が許可された背景には、かつて在日米軍が持っていた横田空港、通称横田基地の返還があった。
羽田の、旅客空港としての機能を全て横田に移したのだ。
羽田空港はその後、空路が『24区』の上空を通らないように、滑走路の角度を変更するなどの改修工事を行い、一部のチャーター便と貨物便だけを扱うローカル空港として運営されている。
そして『24区』の南西部が俺の住んでいるウエストガーデンだ。
製造業が集まる工業団地と、低所得者向けのアパートがひしめき合う、商工業地帯である。
かつては大手メーカーの本社や研究所もあった。しかし、長引く不況のせいで街はすっかり寂れ、今や残っているのは中小企業ばかりになってしまった。
街には失業者が溢れ、スラム化が進んでいた。
臨海通りの、ミッドタウンへ向かう車線に乗り入れた。
しかし車は200メートルほど走っただけで渋滞の最後部に付いてしまった。
「また検問かよ……」
ため息と一緒に吐き出すように呟いた。
臨海通りはウエストガーデンの中心部を東西に走る唯一の大通りである。
臨海通り、という名称は、かつてこの道路が、大田区城南島から『24区』の基礎となった中央防波堤を通り、江東区若洲から浦安方面へ抜ける東京港臨海道路だった名残だ。
現在では海底トンネル側が全て閉鎖され、若洲と『24区』の間のゲートブリッジだけが臨海道路の面影を残している。
そして、そのゲートブリッジだけが『24区』と『内地』を繋ぐ唯一の道であった。
渋滞の前方には高速道路の料金所のようなゲートがあった。
ゲートの向こうにはミッドタウンのビル街が輝いている。
ウエストガーデンからミッドタウンへ抜けるには、3カ所あるゲートのどれかを通らなくてはならない。
別にここで通行料を取られる訳ではない。
ゲートはあくまで治安対策のため設けられているのだ。
「また事件か…… 最近多いな……」
俺は恨めしそうに前方のゲートを睨みつけながら携帯端末を手に取った。
『マイリアルタウン』はSNSのひとつで、任意のユーザーがそれぞれの町の情報をリアルタイムに書き込んでいくコミュニティ・サービスだ。書き込みにはGPS情報が付加され、デジタルマップと連動することで文字通りの『今の町』の状況を発信している。
本来は道路の渋滞情報や交通機関の運行情報などを共有するためのサイトだった。しかし、今では交通情報の他に、ライブやイベントの告知、はたまた人気ラーメン店の行列の様子や人探しやアルバイト情報まで、あらゆる分野の書き込みが行われている。
『場所→臨海通り 表示→午前9時以降』
『09:34:23 臨海通り上り線で検問渋滞。なんか、事件らしい @HOT-BOY-012』
『09:36:08 えーーーっ サイアク。 @KANAE_309』
『09:42:12 上り線だけ? 三カ所とも? @ATSUSHI_556』
『09:44:27 三カ所全部。ただし下りの検問はない。昨夜の殺人事件の影響らしい。@REDSUN_2211』
『10:02:12 17地区のレドモンド・スクエアだっけ? 殺されたのはギャングらしいけど。 @MIKAKOI_9009』
『10:08:36 なんだギャングの抗争かよ。迷惑だな。ガーディアンズは何やってるんだ。 @TOMO_002』
『10:11:06 ガーディアンズなんてもうただのチンピラ集団だよ。キングが交代してから劣化しまくり。 @357MM』
『10:12:56 そうだよね。前のキングってけっこう人望あったんだよね。 @TOMO_002』
『場所→レドモンド・スクエア 絞り込み→殺人事件』
『08:12:26 現場検証のための交通規制は解除された模様。ただし、事件現場の廃ビルは現在も立ち入り禁止。 @TENTEN_0011』
『08:15:12 今日でもう五件目だよね。殺人事件。 @ATSUSHI_556』
『08:17:03 ギャングの抗争にしては騒いだ形跡がないんだっけね。なんか怖い。 @PIPPI_66』
『08:19:44 それ、俺も聞いた。ナイフや銃じゃなくて素手で首の骨折られたり心臓潰されたりしてるんだって。 @TORU_223』
ログアウトして郷田に電話した。
『霧野か、今どこだ?』
2回目のコールの途中で相手が出た。よほど待ちわびていたらしい。
「すまん、ゲート前で検問渋滞に引っかかっている。30分以上かかりそうだ」
『…… 、判った。それじゃゲートを抜けたら連絡してくれ。待ち合わせの場所は解ってるな』
先刻より焦っているような郷田の声だった。
「解っている。悪いな」
俺は電話を切った。
郷田は明らかに焦っていた。
やはり、例の『荷物』のせいなのか?
「面倒なことにならなきゃいいが……」
この街で決して堅気とは言えない稼業同士、全くのノーリスクなんてことはあり得ない。
まあ、それは覚悟の上なのだが……
車列がなかなか進まないので気晴らしにラジオを点ける。
ニュースでは、東ヨーロッパの某国で反政府組織と軍が衝突し、多数の死傷者が出た、と、アナウンサーが淡々と伝えていた。他の局では都内のグルメ情報、別の局では「遠いあの日に何かを探し」ているポップスが流れていた。
『24区』に長年住んでいる俺にとって、地球の裏側で起こった事件より、都内のグルメ情報の方が、むしろ遠い異世界の出来事に思える。
ラジオから流れてくるポップスのサビが、ドミナントセブンからサードマイナーセブンへ変わった時、車がゲート前に着いた。
検問を行っているのは、緑色の制服を着た警備員だ。
『24区』の埋め立て工事は、当初、東京都が出資する公共事業だった。
しかし、計画途中で世界的な経済恐慌が起こったため、やむなく工事は凍結。再開のめどが立たないまま時が流れた。
数年後に現れた救世主はある外資系投資ファンドだった。
資金を肩代わりし、事業を引き継いだのだ。
そのため、『24区』の土地は80パーセント以上が私有地となり、裁判所の令状無しには警察が入ることのできない治外法権的な区域になってしまったのだ。
警察の代わりに『24区』の治安を守っているのは、SSOという民間の警備会社である。
日常の巡回警備の他に、今日のような交通検問、時には犯罪捜査も行うことがある。
しかし、当然のことながら、警察のような強制力を持った捜査はできない。
なので地区によっては、無法地帯同然になっている場所も少なくなかった。
もちろん、そんな土地だからこそ、俺のようなやくざな商売も成り立っているのだが……
「珍しいな、警察が来ているのか……」
緑色の警備員の中に、紺色の制服を着た本物の警察官が混じっているのが見えた。
『24区』のしかもウエストガーデンに警察が来る時は、大量殺人などの凶悪事件が起こった場合だけだ。
「何かあったんですか」
俺は免許証を見せながら警備員に尋ねた。
「コロシだよ。チンピラが4人、殺された」
警備員は俺の免許証をろくに見もせずぞんざいに突き返しながら言った。
やはり大量殺人事件だった。
この街ではよほどのことがなければ警察官を見ることはない。
「4人も、ですか……、で、誰が殺されたんですか?」
俺は少し興味を持って警備員に訊いた
「さあな。どうせクズ野郎どもさ、ただ……」警備員は少し声を落として続けた。「ギャング同士のケンカにしては猟奇じみてるんでね」
「猟奇事件、ですか?」
俺はもう少し情報を聞き出そうとした。しかし、前方の警備員が『速くしろ!』とばかりに赤いライトを振り回したので、俺はアクセルを踏みゲートを抜けた。
A5番のゲートを抜けると視界が開けた、見事な青空と眩いばかりに輝く巨大な建物が視界に入ってきた。ブルーヒルズだ。
街全体が灰色がかり、薄汚れたウエストガーデンに比べると、ミッドタウンは別世界だった。
俺は郷田からのメールを確認すると、オンボロのステーションワゴンをブルーヒルズへ向けた。




