襲撃
CHAPTER 18「襲撃」
翌朝は昨日と同じく、岡本婦人とマコ、そしてアリスが朝食の準備をしてくれた。
特にマコは俺たちの帰りを待って遅くまで起きていたのに、妙に元気にはしゃいでいた。
アリスが帰ってきたのがよほど嬉しかったのだろう。
キッチンの方から香ばしい匂いが漂ってきた。
婦人がパンケーキを焼いているようだ。
マコがサラダボウルを抱えてやって来た。
どうやらポテトサラダに挑戦したようだ。
「オリーブオイルと洋からしで大人っぽく仕上げてみたんです。どうですか?」
ジャガイモをひとかけら取って食べてみた。
「おいしいよ。これもアリスに教わったのか?」
「いいえ、これは私のオリジナルです」
マコは少し拗ねた表情で笑った。
朝食を食べながら、話題は昨晩のアリスの行動についてだった。
見ず知らずの老人を、亡くなるまで介護していたという話を聞いて、マコが言った。
「だってアリスは優しい子だもん」
マコはアリスを隣に座らせ、髪を優しく撫でていた。
「そう言えば岡本さん、アリスと初めて会った時って、どんな様子だったんですか」
俺は婦人に訊いた。
「初めて会った時ですか?」婦人の視線がアリスを優しく包んだ。「私がホテルを探して歩いていたら、向こうからこの子がやって来て、とってもかわいい子だったものですから『こんにちは』って声をかけたらこの子も笑顔で答えてくれて……」
笑顔で……
『人の心って、鏡みたいなものなんですよ』
『笑ってくれたから』
アリスは人の心を映す鏡、ということなのだろうか?
「あ、携帯、鳴ってます」
マコが言った。
「え? ああ、そうか」
我に返った俺はデスクの上の携帯を取った。
TKからのメールだった。
「何だと……」
『円城寺眞佐子をこの街に置いておくのは危険だ。違法献金問題に関与した企業の親会社はゴールドバーグ・ホールディングス。それから、この件に関してはガーディアンズも動いている。当然、SSOもだ。十分気をつけろ』
この『24区』の80パーセントを所有する外資系ファンドのゴールドバーグ・ホールディングスがすべての黒幕だって?
最悪の予想が当たってしまった。
なんてことだ、マコは知らずに虎の口の中に入っていたのか。
俺はそのまま携帯を通話モードにしてTKに返信した。
出ない……。
留守電サービスに『了解した』と吹き込んだ。
「どうする?」
急がなくては。
時計を見た。まだ9時前だ。
「食事が終わったらすぐに出かける準備をしてください」
俺の慌てた様子にマコと婦人は驚いた視線を投げてきた。
「どうしたんですか?」
マコが訊いた。
「ちょっとまずいことが起こった。マコ、すぐに『24区』の外へ出ないと……」
「まずいこと、って?」
「この場所は安全ではなくなったんだ。後で詳しく話すけど、マコ、君の本当の敵はこの街のオーナーだったんだよ」
「え? そんな」
驚いた表情でマコは固まった。
「あの、私もですか?」
婦人が言った。
岡本婦人はマコの件とは関係ないかもしれない、しかし、昨日の偽物騒ぎに少し引っかかるものがあった。
「念のため別の場所に移動してもらいます」
岡本夫人は頷くと立ち上がり空になった食器を片付け始めた。
「でもアリスがいれば安全でしょ。いつも私を守ってくれるんだから。ね、アリス」
「敵は巨大な組織なんだ、その辺のチンピラとは違う」
「でも外へ出るって、どこへ」
不安そうな面もちでマコが訊いた。
「とりあえずゴールドバーグやSSOの力が及ばないところ。『24区』から出てしまえば大丈夫だ」
「判りました、じゃあ、着替えて荷物整理しますね」
「ああ、そうしてくれ」
マコはアリスを伴って隠し部屋に入って行った。
「そこは適当でいいですから、岡本さんも出かける準備をしてください」
俺はキッチンで洗い物をしている婦人の背中に声をかけた。
「はい、判りました」
「そうだ、車の用意をしないと……」
『24区』の外へでるのだから正規のナンバー付きではないといけない……
こんな時に燃やされるなんて、なんて間が悪い……
いや、偶然ではないのかもしれない……
「準備OKです」
マコと岡本夫人が隠し部屋から出てきた。
マコは制服を着ていた。白いブラウスにマリンブルーのネクタイ、グレーのブレザーに紺のタータンチェックのプリーツスカートだ。
て、マコの学校はセーラー服ではなかったのか?
「その制服……」
俺の視線に気づくと、マコは照れたような笑顔で答えた。
「私の学校の制服って目立つので、渋谷とか原宿へ出かける時はいつも『なんちゃって制服』を着てるんです」
セーラー服だろうが何だろうが、マコなら何を着ても目立つ気がするが……
それにしても、そのスカート、短すぎないか?
岡本夫人は上品なモスグリーンのカジュアルスーツだ。
なぜかアリスも着替えていて、黄色のワンピースに白いブーツという、60年代スタイルになっていた。
「今、車を手配してますから少し休んでてください」
俺はそう言うと、携帯端末を開いた。
「誰か来た」
マコの声で顔を上げた。
事務所のドアが開き数人の男たちが入ってきた。
「な……」
男たちは全員、黒い目出し帽を被り、拳銃を手にしていた。
アリスが一歩前に踏み出した。
「やめろ、アリス!」
男の銃口がアリスに向いた。
「だめーっ!」
マコがアリスの前に回り込み、体でアリスを庇った。
「おい……」
別の男が銃を構えた男を手で制した。
「……」
心臓が止まるかと思った。
Aドールを庇って身を投げだすなんて、なんて無茶なことをするんだ。
「円城寺眞佐子と岡本綾だな」
男が言った。
マコと岡本婦人は無言で頷いた。
「アリス! 動くな」
俺はアリスに釘を刺した。
ここでアリスが余計なことをすれば却って危険だ。
奴らは全員銃を持っている。
「こいつはどうするんだ?」
ひとりの男がアリスを銃で指し示した。
「聞いてない……」
聞かれた男が困惑して答えた。
「そいつは人間じゃない」
男たちの後方で声がした。
「おまえ……」
TKの声だった。
「悪いな」
TKがのそりと姿を現した。
ワイヤー投射式スタンガン(テイザー)を構えていた。
「TKさん……」
マコが悲痛な声を上げた。
「対Aドール用高周波スタンガンだ」
TKはそう言うと引き金を引いた。
「アリス!」
マコが叫んだ。
ワイヤーが発射され、アリスの胸部に命中した。
アリスはがくりと膝から崩れ、床に倒れ込んだ。
「大丈夫、ちょっと気を失ってるだけだよ。壊れたりしないから」
TKはマコに言った。
「……」
マコは無言でTKを睨みつけていた。
「貴様……」
ここで裏切られるとは……
くそっ、全くの想定外だ。
「うわ、本当に、人間の女の子みたいだ」
TKはアリスを抱き上げ、言った。
「アリスちゃんをどうするんですか!」
マコが叫んだ。
「心配しないで、ちょっと調べたいことがあるだけだから」
「エッチなことするんでしょう」
今更Aドールの貞操の心配するのか?
「そんな…… 大丈夫、純粋に科学的な興味さ」
TKは苦笑いして答えた。
「探偵さん、あんたがこのままおとなしくしていてくれれば、俺たちはこのまま帰るが…… 、できれば手荒なまねをしたくない」
覆面の男が言った。
覆面被って銃持って、これが手荒じゃなければ銀行強盗だって軽犯罪だ。
「おまえたち、そのふたりに何かあったらただじゃすまないからな……」
「安心しろ、うちの大事なお客さんだ」
男はそう言って圧力注射器を俺の首筋に押し当てた。