月光
CHAPTER 17「月光」
ミネラル・ウォーターのペットボトルを手に、俺は事務所に向かっていた。
携帯の着信音が鳴った。
マコからだった。
『直人さん、今、大丈夫ですか?』
「ああ、今から帰るところだ。何かあったのか?」
『あの……「リアル・タウン」を見てたら、アリスらしい人物を見たって、書き込みがあって…… もし、直人さんがいやじゃなければ、確かめてきて欲しいんです……』
「場所と時間を教えてくれ。俺もアカウントは持っているから探してみるよ」
『ほんとですか? ありがとうございます。場所は南ザクセン通り、時間は午後8時からです』
南ザクセン通りならすぐに近くだ。
「判った。とりあえず現場を探してみるよ」
『お願いします』
心配そうなマコの声だった。
「あのさ、俺、アリスのこと、嫌いじゃないから」
『……本当に?』
「ああ」
『……良かった…… 、でも気をつけてくださいね。治安の悪い地域らしいから』
「大丈夫。俺を誰だと思ってる」
『ですよねー』
始めは不安げだったマコの声が少し明るくなった。
俺は一旦電話を切り『リアル・タウン』にアクセスした。
『21:06:29 “LIMITED”人捜し。中学生くらいの女の子。赤毛、美少女。情報はDMにて。 @NAOTO_1242』
『21:12:38 NAOTOさんこんばんは。ハート・ボックス前だけど、中学生くらいの女の子が歩いてました。こんな時間に危ないんじゃないのですか? @TOMO』
『21:14:22 NAOTOさん。私も見たよ。白いワンピースの子でしょ。危ないから声をかけようとしたら見失っちゃった。 @YUMIKA』
『21:15:02 俺も見た。赤毛で人形みたいにきれいな子だった。この辺では見たことない子だったな。危ないなあ。今日も東ザクセン通りで通り魔が出たっていう噂だから。 @KEIJI』
通り魔……
ハート・ボックスとは南ザクセン通りにある比較的大きなライブハウスだ。
ここからだと徒歩5分くらいだろうか。
『20:17:48 例の女の子かな。目の前のマンションに入って行くところを見たよ。でもこのマンション、なんか廃墟みたいなんだよね。薄気味悪くて。人住んでるのかな。一応、灯りが点いた窓もあるけど。 @RYOW』
書き込みのGPS情報から、アリスらしき少女が入ったというマンションは、南ザクセン通りの西の端にあるようだ。
詳しく調べると、この近辺にはマンションやアパートは4棟あることが判った。
以後の書き込みがないことから、アリスはまだそのマンションに留まっている可能性が高い。
俺は携帯端末に地図を表示し、おおよその位置を確かめると現場に急いだ。
それにしても、アリスはいったい、何をしているのだろうか。
そこは一見すると普通の15階建ての小規模マンションだった。
銘柄を見ると『ハイキャッスル』とあるそのマンションは、周囲より暗く寂れていて、書き込みにあった『廃墟のようなマンション』とはここに間違いはなさそうだった
入り口のロビーでは、かつてオートロック式だったはずの扉が壊れて半開きになっていた。そして、廃材やら段ボールやらが床一面に広がり、エレベーターまでの道を妨害していた。
照明が生きていることだけが、辛うじてここに人が住んでいる標だった。
「11階か」
エレベーターは11階で止まっていた。
11階は全部で6部屋あり、そのうちの2部屋に灯りが点っていた。
廊下は薄暗かった。しかし、少なくとも1階のエレベーター・ホールより生活感があった。
「とりあえず端から見てみるか」
俺は廊下を歩き出し、一番奥の1101号室へ向かった。
1103号室の前を通りかかった時、割れたガラス窓の中に白い人影を見つけた。
アリスだ!
俺は1103号室のドアに手をかけた。
鍵はかかっていなかった。
そっとドアを開けると部屋に入った。
1DKの部屋は家具も調度品もなく、引っ引っ越しの後のようにがらんとしていた。
灯りは点いていなかった。しかし、窓からは月の光が差し込み、意外なほど明るかった。
アリスは何もないリビングの真ん中で、ひとり立ち尽くしていた。
「アリス……」
月の光に照らされたアリスの横顔は、天使のように神々しく、妖精のように儚げだった。
「人は死んだら生き返らない……」
え?
アリスは独り言のように呟いた。
「死んだ人にはもう逢えない……」
何を言ってるんだ?
「人が死ぬと悲しい……」
いったい、この部屋で何があったんだ?
「親戚の方ですか?」
背後で声がした。
振り向くと初老の男がドアを開けて立っていた。
「あ、いえ……」
俺はこの状況をどう説明すればいいのか判らず言葉に詰まってしまった。
「あ、アリスちゃんか。どこへ行ってたんだい。みんな心配していたんだよ」
男はアリスを見つけると言った。
「あの、よろしければ、ちょっとお話を……」
俺は探偵の許可証を取り出すと男に近づいた。
初老の男は隣の部屋の住人だった
男の話によれば、この部屋には1週間前まである老人が住んでいたという。
そして1ヶ月ほど前から見知らぬ少女、アリスがこの部屋に住み着くようになったらしい。
体の不自由な老人を献身的に介護するアリスを見て、マンション住人ははじめ孫娘か親戚の女の子だと思っていたようだ。
そしてある日、突然体調を崩した老人は1週間前にこの部屋で息を引き取った。
アリスがAドールだと判ったのはその直後だった。
身寄りのない老人の遺体は『24区』の職員に引き取られ、公共施設に埋葬されたという。
アリスはしばらく遺体に付き添っていたが、遺体が運び出された後、住民の知らぬ間に姿を消したらしい。
それ以来、このマンションでアリスを見た者はいなかったという。
「ここに住んでいた方の名前は判りますか?」
俺は男に訊いた。
「確か……岡田さんとか言う方だったと思います」
「岡田……」
聞いたことのない名だ。
「あの、何か遺品のようなものは残ってませんか……」
「さあ、岡田さんが亡くなってから管理人の方が遺品を整理したようなんですけど、ベッドとテーブルセット、それに食器くらいしか残ってなかったようですよ。親戚の方と連絡が取れなかったんで全部粗大ゴミとして処分したと聞いています」
「そうですか……」
「アリス、ここに住んでいた人って、君の知っている人だったのかな」
俺は視線を落としアリスに訊いた。
「いいえ……」
「じゃあどうして一緒に住んでいたんだ?」
「笑ってくれたから」
笑って?
やはり何を考えているのか判らない……
「あの、その子、誰のAドールなんですか?」
俺たちのやり取りを聞いていた男が訊ねた。
「あの、そのAドール、どなたの持ち物なんですか?」
男が言い直す。
「アリスには持ち主なんていません」
「え? だって……」
「ちょっと放浪癖があるみたいなんで、これから連れて帰るところです」
「……」
男は驚きの表情でアリスを見つめた。
「マコが寂しがっている。帰るか?」
俺はアリスに言った。
「はい」
アリスはそう返事をして俺の目を見た。
「……」
アリスが笑ったような気がした。