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アリス・プロジェクト

 CHAPTER 15「アリス・プロジェクト」


「あ、そうだ、夕飯どうしましょうか」

 アリスを伴って隠し部屋から現れたマコが開口一番そう言った。

 またアリスの着替えをしたらしく、今度は白いウエスタンシャツに黒い革のベスト、同じく黒い革のミニスカートに黒のハーフブーツを履いていた。

 いったい、何着、アリスの服を買ったんだ?

「そうか、もうそんな時間か……」

 確かに腹が減っていた。

「でも、出前は飽きたなあ」マコが冷蔵庫を開けながら言った。「アリスちゃん、これでなんかできる?」

「どれどれ」婦人も冷蔵庫を覗き込んだ。「中華でよければ……」

「何でもかまいません、お任せします」

 俺は婦人に言った。

「じゃ、私はご飯炊くね」

 マコは炊飯器の用意を始めた。

 俺は三人の女性、ひとりはAドールだが、がキッチンに立っている姿を不思議な感覚で眺めていた。


「岡本さん、それ……」

 できあがった料理を盛りつけ、テーブルに並べていた岡本夫人をみてマコが言った。

 上半身を屈めた婦人の襟元から、ペンダントが垂れ下がっていた。

 それはクォーター・コインくらいの大きさで、月をモチーフにしたアンティークなデザインだった。

「これですか?」

 婦人はペンダントを掲げた。

「すてきなペンダントですね。どこで売ってるんですか?」

 マコは目を輝かせながらペンダントを覗き込んだ。

「これは……」婦人は少し間を空けて語りだした。「もう30年くらい経つでしょうか、あの子の父親がロンドンの骨董市で見つけてきたんです」

「ロンドンですか……」

「実は、このペンダントは太陽と月でペアになっていて、太陽を彼が、月を私が持っていたんです。それで、彼が亡くなった時、太陽のペンダントを息子の孝夫に持たせたんです」

「え、それじゃあ」

「でもね、特に高価なものじゃないし、もう捨ててしまったのじゃないかと……」

「息子さん、まだ持っているかもしれませんよ。直人さんこれ、重要な手がかりになるんじゃないですか」

 マコは俺に視線を移して言った。

「そ、そうだな、手がかりは多い方がいい。岡本さん、それ、後で写真撮らせてください。仲間に連絡しておきますから」

「そうですか、ありがとうございます」


「お、旨そうな匂い」

 誰かが事務所へ入ってきた。

 TKだった。

 大きな紙袋を両手で抱えていた。

「おまえ、わざと飯時に来ただろ」

 俺はサングラスの向こうで笑っている目に向かって言った。

「女性の手料理なんか、もう何年も食べてないんだから、俺にも分けてくれたっていいだろ、な」

 TKは紙袋を床に置くと、図々しくもデスク横の予備の椅子を持ってきて俺の向かいに座った。

「どうぞ、多めに作ってありますから遠慮なく」

 岡本夫人はTKの分の食器をテーブルに置いた。

「あ、どうも、久しぶりだなあ、お袋の味ってのも」

「私も作ったんですよ」

 マコがシチュー鍋を運んできて言った。

「え、ああ、そうなの……」

 素っ気ないTKの態度に気分を害したのか、マコが頬を膨らませていった。

「私そんなに信用ないんですか? アリスに手伝ってもらったから大丈夫ですよ」

「美少女が料理下手ってのはアニメの定番だからな」

「え? あ…… もう、ひどいなあ」

 面と向かって美少女と言われたマコが頬を赤らめた。

 そんなやり取りを婦人は優しく微笑みながら見ていた。


「そうか…… 郷田さん、気の毒に」

 通り食事が終わり、女性たちが食後のお茶の用意をしている時、俺は 昼間の顛末と郷田の最期をTKに話した。

「これでマコの事件にSSOいや、ゴールドバーグ・ホールディングスが絡んでいることが確実になった。対策を立て直さないとな」

 俺はTKだけに聞こえるように、小声で言った。

「バックはゴールドバーグ・ホールディングスか。よし、俺もそっちの線でもう一度当たってみるよ」

「すまんな…… 俺ももう少し身軽に動けりゃいいんだが」

「守りながらじゃ、な……」

 TKはキッチンで談笑するマコと岡本婦人に視線を移しながら言った。


「なあ、おまえ、本当は飯食いに来た訳じゃないんだろ」

 マコの淹れた紅茶を飲みながら、俺はTKに訪ねた。

「そうそう、これを見つけてきたんだ」

 TKは立ち上がると床に置いた紙袋を拾い上げた。

「何だ、そりゃ」

 袋の中らは大量のコピー用紙が現れた。

「今時スキャナーが置いてない研究室でね、量が多いから…… 俺のハンドスキャナーじゃ時間がかかりすぎるんでとりあえずコピーしてきたんだ」

「スキャナーが置いてないって、いったいいつの時代だ。どこの研究室なんだ?」

「某工業大学」

 TKは笑いながらコピー用紙を積み上げて言った。

 テーブルの上には紙の束が数センチほど積み上げられた。

「しかし、何でわざわざ……」

 俺はコピー用紙の束を覗き込んだ。

 手書きの古い論文だ。

 表紙に『アリス・プロジェクト』とあった。

 アリス?

「俺が何でスーパー・ハッカーなんて呼ばれてるか知ってるか」

 TKは急に真面目な顔になり俺を見つめた。

「どんな情報でも即座に捜し出してくるからだろ」

「それはそうなんだが……」サングラスの奥でTKの目が光った。「本当に価値のある情報、特に一次情報はほとんどネットになんかないんだ。インターネット普及以前の時代の物は特にな」

「……」

「端末の前に座って、キーボード叩くだけであらゆる情報を捜し出せるなんて、映画かアニメの世界だけのことなんだよ。価値のある情報は今も昔も足で稼ぐものなんだ」

「そういうものなのか……」

「尤も、実際には足だけでなくコネも必要だがな」

 TKはニヤリと笑った。

「ところで、このアリス・プロジェクトというのは……」

 俺はコピー用紙の一番上の一枚を取り上げて訊いた。

「アリス?」

 傍らで俺たちの会話を聞いていたマコが声を上げた。

「1980年代の後半に発足した、ある大学の人工知能に関するプロジェクトだ」

「1980年代か、半世紀近く昔だな」

「私の父が生まれるより前ですね」

 とマコ。

「で、このプロジェクト・リーダーが当時28歳の天才プログラマーにして情報工学の権威、小室一樹。彼は90年代初頭に、画期的な人工知能のプロトタイプを発表した」

「画期的?」

「一般に人工知能と呼ばれているものには二種類あるって知ってるか?」

「二種類?」

「ひとつは、人間と同じような知能を持って考える機械。もうひとつは人間が知能を使って行う仕事する機械」

「うーん」

 どう違うんだ?

「簡単に言うと、前者が人間の知能そのものを機械で再現することで、後者は機械に将棋やチェスをさせたり株式取り引きを自動でさせたり、つまり、ある条件の下で適切な判断をするようにプログラムされた機械なんだ」

「うーん」

 解ったような解らんような……

「人工知能というと、一般的には前者の、人間のように考える機械をイメージしがちだけど、実際に研究され実用化されているのは後者の方なんだ。ロボットやAドールに搭載されているのも含めて」

「それで、画期的というのは……」

「小室は、その本当の意味での人工知能、つまり、人間のように考える機械を開発したらしいんだ」

「らしい?」

「実は当時の資料が一切残ってない。俺がコピーしてきた論文も概要だけで肝心な詳細は全く判らない」

「何でまた……」

「アリス・プロジェクトは1999年、小室の失踪で幕を閉じた」

「……」

 TKの話に、俺だけでなくマコや岡本夫人も息を飲んだ。

 ただ、アリスだけが無垢な瞳で俺たちを見ていた。

「公式には鬱病による入院とされているが…… その後、小室の姿を見た者がいない」

 TKは携帯端末を開き画面をこちらへ向けた。

「!」

「アリスちゃんだ!」

 マコが驚きの声を上げた。

 携帯端末の液晶画面に映し出されたのは、親子らしい三人の人物が写った古い写真で、中央の少女は我々の傍らに立っているAドール、アリスそっくりの顔立ちをしていた。

「古い写真のコピーを携帯のカメラで撮ったものだから見にくいかもしれないけど、この子は小室亜里栖。小室一樹の娘だ」

「娘?」

「母親はクリスティーナ、フィンランド人だ。小室がドイツ留学した際に知り合い、学生結婚している。亜里栖もドイツで生まれている」

「きれいな人……」

 マコが携帯の画面を覗き込んでため息をついた。

「でもまさか……」

 俺はもう一度写真を見た。

 小室一樹はいかにも聡明そうな顔立ちの好青年、隣のクリスティーナは北欧系の美人で貴族的な顔立ちをしていた。中央の亜里栖はまるで人形のような美少女だった。

 しかし、写真の亜里栖という少女はAドールのアリスより僅かに幼く見えた。

「この写真が撮られたのは1998年、亜里栖が9歳の時だ。しかし、亜里栖は直後に亡くなっている。どうやら先天性の疾患だったらしい」

「……」

「小室一樹は娘の死後、重度の鬱病になり、1年後に失踪したんだ」

「それじゃあ、この小室とAドールのアリスの関係は…… 。30年近く前に失踪した天才科学者がアリスを作った? そんなばかな……」

 アリスはどう見てもAAA(トリプルA)クラス、それも最新型だ。

「そりゃそうだ、当時の技術で作れる訳がない」

 TKは視線をアリスに移した。

 アリスは無表情で俺たちのやり取りを眺めている。

「じゃあ、何でこの亜里栖って子とアリスちゃんがそっくりなの?」

 マコが言った。

「俺が見る限り、このアリスは最新の技術、それも公開されていない未知のテクノロジーまで使って作られた、現時点では最高のAドールだ。AAA(トリプルA)なんかじゃない、さらに次世代のXAクラスと呼んでも良いかもしれない」

「最高のAドールだって」

 マコは嬉しそうにアリスに話しかけた。

「これは推測だが、誰か小室の研究を引き継いだか、小室自身が地下に潜って開発を継続していたか……」

「プロジェクトのメンバーは?」

「残念ながらいない」

 TKは頭を振った。

「いない?」

「数人いた初期メンバーはプロジェクト末期には全員いなくなり、実質、小室ひとりで研究を行っていた。小室の天才的頭脳についていけなかったらしい」

「じゃあ、妻のクリスティーナは?」

「クリスティーナは科学者ではないし、娘と夫を失った後、祖国のフィンランドに帰っている。ちなみに、小室の親類にもロボット工学や人工知能の研究者は存在しない」

「……」

 30年前に死んだ少女とそっくりの正体不明のAドールか。

 何かオカルトじみた話だ。

「アリスが誰に、どこで作られたのか、今のところは全く判らない。ただ、ひとつ言えるのは、何者か判らないが、その小室の開発した人工知能を発展させ、このアリスに組み込んだ奴がいるのは間違いないんだ」

「何だって?」

「前に対話形式のテストをしたのを覚えてるだろ」

「あの、なんとかテストって奴か」

「そう、あのテストを精査して判ったことなんだが…… 、確かにアリスのAIは汎用型Aドール用をベースとしてる。けれど、サブシステムに組み込まれたカスタムAIが常識では考えられない働きをしているんだ」

「何だ、そりゃ」

「まず、アリスにはコマンドという概念がない」

「何だって?」

 命令の概念がないって……

「アリスにとって命令は全てオーダーとして処理されるんだ」

「コマンドとオーダーってどう違うんですか?」

 マコが真剣な面もちで聞いた。

「コマンドと言うのは絶対的な命令で、必ずその通りに行わなければならない命令のこと。それに対し、オーダーと言うのは受けた者が自分の判断でそれを行う命令のことだ。オーダーは受けた者の判断で内容を変更したり拒否したりできるんだ」

「それじゃ、アリスはオーナーの命令でも拒否できるのか」

「おそらく」

 俺はアリスを見た。

 人間の命令を聞かないAドールなんて前代未聞だ。

 こいつはとんでもない物を拾ってしまった。

「まさか自我を持っている?」

「はは、それはないな。今の技術じゃ自意識を持った人工知能はまだ無理だ」

「でも、アリスちゃんは怒ったり笑ったりするよ」

 マコが言った。

「それは疑似的に人間の感情に似せた行動をするようにプログラミングされているだけだ」

 TKは笑いながら答えた。

「そうかなあ…… ねえ、本当にそうなの?」

 マコはアリスに言った。

 アリスは無言で視線を投げかけているだけだった。

「おまえのテストの結果が正しいとなると…… こいつはとても危険だ」

「ああ、とんでもない怪物なのかもしれない」

 TKは真剣な表情で言った。

「アリスは怪物なんかじゃない!」マコは怒った声で言った。そして立ち上がりアリスを抱きしめた「私の友達だよ…… 、どうしてみんなこの子のこと悪く言うの……」

 最後には涙声になった。

「いったい、何のために…… こいつを作った奴は頭がどうかしてるとしか思えない」

 TKは腕組みしながらアリスを見上げた。

「最新型のくせにネット接続できないのは未登録がばれないようにするためだとしても、アクセスポイントがないのは理解できない」

「それは第三者にシステムを解析させないようにするためじゃないのか」

 俺はTKに言った。

「やっぱりそうとしか…… 、でもメンテナンスもできないんじゃ……」

 TKは独り言のようにぶつぶつと何か言っていた。


「あの、この子を作った人って……」今まで黙ってみんなの話を聞いていた岡本夫人が口を開いた。「この子を機械じゃなくて人間としてこの世に生み出そうとしたのじゃないかしら」

「人間として?」

 俺は婦人を見た。

「だって、人間にはオーナーもシリアルナンバーもありませんから」

 婦人はアリスの髪を撫でながら言った。

「人間として、ねえ」

 俺はアリスをまじまじと見つめた。

「うん、きっとそうだよ。私、判ります。この子はとっても人間に近いって」

 確かに、アリスは普通のAドールとは違う。

 しかし、初めて遭った時から感じていた、もやもやとした嫌な感じは何なのだろう。

「ミラー原理」

 TKは小さく呟いた。

「ミラー原理? なんだそりゃ」

 俺はTKに訊いた。

「俺にもよく判らん…… 小室一樹の人工知能理論の根幹をなすものらしいが…… まったく天才の考えることは判らん」

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