侵入者
CHAPTER 13「侵入者」
「出前の器、取りに来たんだと思ったからうっかり開けちゃったんです。ごめんなさい……」
ドアを開けると、マコがいきなり抱きついてきた。
こいつ……
「いや、そんなことより無事でよかった」
俺は懐に飛び込んできたマコを軽く抱き止めると、事務所の奥を覗いた。
「泥棒は?」
「一番奥の、キャビネットの前です」
マコは俺にしがみついたまま答えた。
いつの間にか白いミニのワンピースに着替えていた。生足にベルト飾りのついた白のアンクルブーツ。今まで一番セクシーな格好だ。
こいつは天性のオヤジキラーだ。
俺はマコを振り払うように事務所の奥へと向かった。
「アリス、よくやった」
事務所の一番奥にある、かつては資料入れだった4段のスチールキャビネットの前に男がへたり込み、その傍らにアリスが立っていた。
また、マコが着せ替え人形代わりに遊んだのだろうか、ピンクのエプロンドレスに髪を三つ編みにしていた。
男の方は、髪はボサボサで顔中髭だらけ、後ろ手に縛られていた。
汚れた作業服を着ているので一見ホームレスに見えた。しかし、その男がホームレスでないことは『臭い』で解った。
「やっぱり生きていたんですね、郷田さん」
俺は男に声をかけた。
「!」
男は驚いた表情で俺を見た。
やはり郷田の目だ。
「!?」
後ろでマコも驚いた。
俺は男の前髪を掴むと、思いっきり力を込めて引っ張った。
男の前髪、額、鼻、髭がひと塊りとなって俺の手の中にあった。
「あっ!」
マコが驚きの声を上げた。
特殊メイクを剥がされた男の顔は、紛れもなく俺にマコを託した郷田であった。
「郷田さん…… どうして……」
「どうして俺だと……」
郷田は俺を睨みつけるように訊いた。
「いくら『24区』だからといって吸い殻のポイ捨てはよくないですね」
「え?」
「事務所の前に吸い殻が落ちてたんです。あなたが吸っているマルボロ・ブラック・メンソール」
「……」
俺の答えに郷田はうなだれた。
「それに、車の爆破装置も、自分の時と同じ物を使ったんでしょう。ただ、あなたの車みたいに最新モデルじゃなかったんで火の回りが遅くて助かりましたが」
「べ、別に、殺そうとしたんじゃないんだ。ただ、ちょっと足止めしたかっただけなんだ…… 車は弁償するから……」
郷田は慌てて弁解した。
「何でこんな手の込んだまねを……」
俺は床に膝を落とし、郷田の顔を覗き込んだ。
「……」
「あ、そうだ、アリス、これ、ほどいてやってくれ」
俺は傍らのアリスに言った。
「はい」
アリスはそう言うと郷田の後ろに手を回し、両手を縛っている電源コードに手をかけた。
アリスが近づくと郷田は、まるで人喰い虎に襲われたような、恐怖に引きつった表情になった。
「何を怖がってるんですか」
俺はわざと笑顔を作って訊いた。
「こいつ…… 、何者なんだ」
郷田は目だけを俺に向け言った。
「かわいいでしょう」
俺の言葉に郷田は目を見開いて答えた。
「違法Aドールか…… 、おまえがこんな化け物飼ってるとは思いもよらなかったよ」
「アリスは化け物じゃありません!」
いきなり、後ろで見ていたマコが叫んだ。
「君がオーナーなのか?」
「違う…… けど」
郷田の問いに小さな声でマコが答えた。
「野良Aドールです」
「え?」
「そこの、スコッチ通りで拾った…… 信じられないかもしれませんけどね、本当にオーナー登録されてないんです。シリアルも不明だし」
「……」
郷田は小さく頭を振った。
信じないなら信じなくてもいい。
「それで本題ですが、やはり永田町がらみですか」
「と、取り引きしないか、悪い話じゃない」
俺の言葉を遮るように郷田が言った。
「取り引き?」
「そうだ、あんたにとっても、その……」
「マコにとっても?」
「マコ?」
「あ、円城寺眞佐子さん、だ」
俺は苦笑いを浮かべ答えた。
「も、もちろんだ」
郷田は一瞬、怪訝そうな表情を浮かべた。
何か誤解されたかもしれない。
「江川議員?」
俺が言うと郷田は小さく頷いた。
ちらりとマコを見た、マコは引きつった表情で固まっていた。
俺は続けた。
「本当の依頼主は誰なんですか?」
「円城寺弘明……」
マコの兄だ。
「そうなのか?」
俺はマコに視線を投げた。
マコはゆっくりと頷いた。
郷田は今までの経緯をぽつりぽつりと話し出した。
内容は俺がTKから聞いた話と変わりはなく、特に目新しい情報もなかった。
「江川議員への違法献金については、当初、秘書の円城寺信夫が全ての責任を取るということで話が纏まっていたんだ……」
郷田は言葉を続けた。
マコは先刻から強ばった表情でそれを聞いている。
「ところが、息子の弘明が、江川本人が直接献金に関わっているという決定的な証拠がある、とマスコミにリークした」
この辺りの経緯もTKの調査で解っている。
「そこで、江川サイドが裏から手を回し、弘明の持っているという決定的証拠とやらを探り始めた。身の危険を感じた弘明は自ら身を隠し、同じく疑われている妹の保護を俺に頼んだんだ。この街…… 『24区』なら見つかりにくいと思ったんだろうな……」
「それで、何で俺に眞佐子さんを預け、あなたが死んだ振りをしなきゃならなかったんですか?」
「これは…… 、俺のミスなんだが、俺が彼女を保護しているってことが、江川にばれた…… 、正確には江川に敵対している勢力が俺と眞佐子さんのことを知り、結果的に江川本人にも知られてしまった」
おそらく、江川の敵対勢力に情報を流したのは郷田本人に違いない。マコを売ろうとしたのだろう。誤算はその勢力が江川に情報を漏らしてしまったことだろう。いや、もしかしたら江川に情報を流したのも郷田本人かもしれない。
「そこで…… 眞佐子さんを安全な場所に預け、俺自身も姿を消す必要があったんだ……」
一応、つじつまは合っているな……
しかし……
「そう言えば、あなたの身代わりに、車に乗っていた死体は誰なんですか?」
「知らない……」
「知らない?」
「行き倒れになっていたホームレスの死体を、買った」
「そうですか……」
この街でどんな物が売買されていようが俺は驚かない。たとえ、それが死体だったとしても。
ただし、マコは郷田の言葉に固まっていた。
「で、何で今頃、変装してまで俺の事務所に押し入ったんですか?」
郷田は一度視線を外すと、弁解がましく答えた。
「眞佐子さんに、確認を取りたかったんだ…… 、お兄さんの所在を…… 。変装したのは俺が生きていることをまだ知られたくなかった…… それだけだ」
「兄の居場所なら私も知りません…… 、あれから一度も連絡もないですし……」
マコが答えた。
「郷田さん、円城寺弘明氏に最後に会ったのは、何時ですか?」
「いや、…… 、まだ会ったことはない」
何だって?
「会ったことないって……」
「電話とウエブサイトで依頼されて、それから眞佐子さんが直接事務所にやってきて……」
郷田の言い訳には、まだ突っ込みどころが山ほどあるが…… 、これから先はマコのいないところでやった方が良いだろう。
そう思った矢先だった。
事務所のドアが乱暴に開き、緑色の制服を着た四人の男が入ってきた。
「SSOの公安情報部です。このビルに侵入窃盗犯がいると通報があったものですから」
先頭の、他の者より腕章のラインが多い男が、俺の鼻先に写真付き身分証を突きつけるように提示した。
SSO?
岡本夫人が呼んだのか?
俺は男たちの後からおろおろしながら入ってきた婦人を見た。
「あの、私が連絡したんじゃありません……」
俺の視線に気づいた婦人は両掌をこちらに向けて否定した。
「アリス! 動くな。大丈夫だ」
俺は男たちの動きに反応しそうになったアリスを止めた。アリスには賊と警備員の区別が付いているか判らなかったからだ。
「さあ、立つんだ」
郷田は四人の警備員たちに囲まれ、ゆっくり立ち上がった。リーダー格の警備員が逃亡防止装置付きの手錠をがちゃりとかけた。
あれ? 公安情報部? こういう時は警備部か安全管理部ではないのか?
俺の頭にちょっとした疑問が湧き上がった時、警備員のリーダーが言った。
「お騒がせしました。では失礼します」
「ちょっ、ちょっと待った」
背を向けて立ち去ろうとするリーダーに、俺は声をかけた。
「ずいぶん簡単だな。俺たちの事情聴取はいいのか?」
上半身だけ振り向いたリーダーがめんどくさそうな表情を浮かべ答えた。
「後で調査標をメールします。必要事項を記入して返送していただければ手続きは完了です。では失礼します」
そう言うとさっさと事務所を出て行った。
どういうことなのだ?
誰も通報していないのにSSOがやって来ただと?
俺はふと、自分の右手を見た。
郷田が変装に使っていた特殊メイク用のラテックスと付け毛を持ったままだった。
「今日、ふたり目だ……」
「え?」
マコが不思議そうな顔で言った。
「いや、なんでもない……」
俺はゴムと毛の塊を『燃えないゴミ』と書かれたゴミ箱代わりのオイル缶に放り投げた。